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大会


一ヶ月後、彼女は俺の助言を無視して大会に出場した。

もちろん決勝には残れず予選敗退で。気付かれないように遠巻きに見ていたが思っていた通り足首を気にして明らかに動きにキレがない。

あの状態では当然と言えば当然の審査委員の正確な判定だと思う。

完全に足首を痛めてしまったのなら直ぐに応急処置をしなければならないのだが彼女の性格上それを許さないだろう。

仕方なく借りてきた車を裏口の近くに止め待つことにする。

しばらくすると沢山の選手やコーチが出てきたがその表情は様々だ。

嬉しそうにしているが反省しきりなのは入賞した選手だろう。項垂れてコーチに支えられているのは力を出し切る事が出来なかった新人か。

そして練習場に居たコーチや選手も出てきたが桐谷ユリアの姿は無くコーチに直接聞いてみることにした。

「すいません。ナライの吉野ですけど」

「あなたも大変ね。彼女ならもう少ししたら出てくると思うわよ」

「そうですか。有難うございます」


周りが静かになり虫達が恋歌を鳴き始めた。

するとドアが静かに開き彼女が出てきたが、食って掛かってくるような生気がないのは当然だろう。

俺の顔を見ると一瞬だけハッとしたが直ぐに泣きはらした瞳を落とした。

「流石、早いですね。スポンサーは私みたいな選手に無駄金を払う気はないですもんね」

「話は車の中で」

「はい」

白いワゴン車のスライドドアを開けると彼女が素直に従った。自分自身で結果は見えていてもやはりショックなのだろう。

「痛めた足を出して」

「もう体操が出来ないんだから。こんな足なんてどうなっても」

彼女が足を上げて突き降ろそうとした足首を掴むと顔が歪んだ。

「自暴自棄になるのもいい加減にしろ! そんなに自分で体操人生に幕を引きたいのなら全力を尽くしてからにしろ」

「えっ、でも引退なんじゃ」

「俺はサポートをする為にここに居るんだ。給料分は働いてやる」

スニーカーを脱がせ足首をテーピングして固定し患部を氷嚢でアイシングする。

そしてシートを倒し彼女を寝かせ右足首を心臓より高い位置にする為にクッションを足の下に置く。

「そのまま動くなよ。良いな」

取り敢えず彼女の同意を取り付けてワゴン車を出す。

都内を抜け、車を急ぎ走らせる。捻挫の治療は9割が応急処置に掛かっていると言われ一刻も早く彼女の足の状況が知りたかった。


武蔵野にある一軒の家の前で車を止めると直ぐに髭面で年配の男が引き戸を開けて出てくるのが見える。

「颯哉、待ちくたびれたぞ」

「また、お世話になります。春日井先生」

「先生はやめろ。もう引退したんだから。で、ブツは何処だ?」

「後ろのシートですよ」

体格のいい春日井先生がスライドドアを開けるとあっという間に彼女は家の中に連れ去られた。

彼女の性格を考え見るとその状況は口にしない方が良いだろう。ただ、声を上げる間もなかったことだけは事実だ。

8畳ほどの部屋の真ん中に敷かれている真っ白なマットレスの上で彼女は仰向けになり怪訝そうな顔をしている。

そんな事を一切気にしない春日井先生は徐に彼女の足首に手を当てると驚いた彼女が体を捩った。

「動くなよ。吉野が態々連絡までよこして連れてきたんだ」

「えっ?」

「痛めていた足首で無理矢理大会にでも出場して悪化させたんだろうな」

初対面の髭面の男に言い当てられて彼女が顔を横にそむけると先生は俺の顔を見上げた。

「吉野。応急処置のRICEは満点だが。効果としては及第点だ。どうしてもっと早く処置しなかった」

「…………」

「訳ありか。まぁ、お前が連絡まで入れてここまで来るからにはそれなりの覚悟があったんだろう」

俺が何も答えないと一番言われたくない事を言われ彼女が驚いたような表情をしている。

そしてやっと口を開いた。

「あの……」

「ああ、俺はスポーツ選手を専門で診る医者みたいなもんだ。元が付くがな」

「お医者さんですか?」

「医者と言えば医者かな。昔は先生なんて呼ばれていたからな」

春日井先生は『はり師』『きゅう師』『柔道整復師』の国家資格を持っていて昔からスポーツトレーナーの様な事をしていた。

今でも訪ねてくるプロ選手は少なくないはずだが先生自身が言う通り既に引退している。

一通り彼女の足首を診てから全身をチェックし終わると春日井先生の肩から力が抜けた。

「腰の方にもかなりの負担が掛かっているのは無理のし過ぎだ。取り敢えず足首からだな。吉野、タオルギャザーを教えてやれ」

「タオルギャザーですか?」

口で説明するより実際に目の前で見せた方が早いだろう。

床にタオルを広げ端に厚めの本を置き足の指を使いタオルを引き寄せていく。このタオルギャザーは負荷を大きくするより回数を増やす方が効果的だと先生が彼女に説明している。

「まずは安静が第一だな。無理をしない事。痛みが引いたら水中歩行によるリハビリを始める事」

「練習はどうすれば」

「練習? 完治するまで禁止だ。その為の筋力を落とさないリハビリだからな。それじゃ、吉野の体でも久しぶりに診てみるか」

先生に言われ椅子に座ると問答無用で膝をチェックし始め彼女と同じように全身を調べられた。

「もう、問題は無いな」

「有難うございます」

俺が頭を下げると彼女が先生に質問を始めた。

「年齢的にも私には時間があまりないのですが」

「しっかり足を治してから大会なんて出ればいい。それでも遅くないだろう。君ならね。僕はトップアスリートからアマチュアまで大勢診てきたからね。経験から言える事もあるんだよ」

「私ならですか。あの、治療費の方は」

彼女の問いなのに俺の顔を見てから思わせぶりに口を開いた。

「吉野からたっぷりと搾取しておくから治療費なんて考えないでしっかりとリハビリしなさい。それと彼は腰に負担を掛けない運動法を知っているから教わるといい」

「彼の事を信用しろと?」

「まぁ、君の今後に関わる事だから、君が決める事だ」

帰りの車の中は来た時以上に張りつめた空気に包まれていた。

あれから数回、春日井先生の所に彼女共々出向き。

彼女は今、都内のプールで浮力がある為に負担が少なく水の抵抗で筋力アップできる水中歩行のリハビリをしている。

もう少しすれば全快するだろう。


数日後、治療費の名目である大会のエキシビションに出る事になっていた。

そして彼女の俺に対する態度も柔らかくなってきているのを感じる。

「吉野さん、明日は何時に」

「すまないが明日は俺の都合で悪いが休養の日だ。しっかり体を休ませるのもリハビリのうちだよ」

「何か急用ですか?」

「野暮用だよ。だから野暮なことは聞かない様に」

大会当日、道着に着替えて出番を待つ何の大会と言えばテコンドーの関東大会で競技の前座として数人でデモンストレーションを行う。

名を呼ばれ競技場に足を踏み入れると久しぶりなので緊張する。気を落ち着かせようと大きく深呼吸しようとして視界に見たくないものが飛び込んできた。

招待席に春日井先生が居るのは分るが隣に何故か桐谷ユリアが座っていてまんまと嵌められた気がするが、この場から逃げ出す事なんて不可能で腹を決める。

4面ある12平方メートルのマットの上では既に準備が整っていて一礼をして神聖なマットに足を踏み入れた。

アナウンスに従いながら数人で技を披露していく。

自分の順番になり気合を入れて頭上より遙か上に掲げられた杉板に回し蹴りを叩き込むと綺麗に板が割れ歓声が上がる。

テコンドーは蹴り技が派手なだけで弱いと思われているかもしれない。

オリンピックではスポーツとしてのテコンドーが行われ、安全性から顔面への攻撃が禁止され防具も胴着とフェイスガードも着用しポイントが入る蹴りを重視するからかもしれない。

格闘技としてのテコンドーは突きや関節技もあり顔面への攻撃も禁止されていないし防具も手と足のみだ。

派手なデモンストレーションが終わり。一礼をして競技場を後にしようとすると観客席で何かを必死に訴えようとしている女性の姿が見える。

その女性が伝えきれないもどかしさから立ち去ろうとした時には体が動いていた。

報道陣の席の前にある柵に足を掛けて飛び上がり報道陣の頭の上を飛び越えて観客席の手摺りに着地して降りるとどよめきが起こり。

驚いた女性が後ずさりをしてよろめき咄嗟に腕をつかんだ。

「驚かせてすいませんでした。大丈夫ですか?」

ゆっくりと大きな口の動きで喋ると彼女が小さく頷いてくれた。

「どうしたんですか? トラブルですか?」

「座席の番号が……」

彼女にも通じるであろう手話をしながら聞くと表情が明るくなり答えながらチケットを見せてくれた。

そのチケットに書かれている席番を確認するとそこには隣の人と盛り上がっている男の人が既に座っていた。

「すいません。チケットを拝見できますか?」

「何だよいきなり。失礼だろうが」

「この女性が持っているチケットにある席にあなたが座っているので」

「ふざけた事を言うな。そんな筈はないだろう。ちゃんと確認して……」

強い口調だった男性から余裕が消えていく、男性が手にしたチケットを見ると10番違いの席番が記載されていた。

「もうひとブロック向こうの席のようですね」

「悪かったな。兄さん」

「その言葉は僕にではなく彼女に言ってあげてください」

「すまなかったね。お嬢さん。ゆっくりと大会を楽しみな」

男性が頭を深々と下げて俺の肩をポンと叩いて女性に謝罪してから自分の席の方に向かい歩き出した。

「良かったですね。競技が始まるので楽しんでください」

「ありがとう」

勝った関取が賞金を貰い手刀を切るしぐさから生まれた手話で答えてくれ。女性が満面の笑顔になると周りから拍手が上がりシャッター音が聞こえる。

今更ながらここは報道陣の真後ろの席で大会のエピソードとしてこの瞬間を切り取っているのだろう。

しかし、俺の気分は更に落ち込み深みに嵌まっていく。





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