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ぼくはあてもなく歩いている。どこなんだろう? まるでさまよっているみたいな感じ。周囲は暗くて、なんだか奇妙なところ。
あちこちが高い壁に囲まれている。レンガ? 石積み? よくわからない。とにかく、まるで巨大迷宮みたいなのを連想するようなところ。それで上を見上げてみると、暗闇に黄色い月が浮かんでいるのがみえた。いや違う、ぼんやりと赤い色をしている。なぜだろう……その月はまるで、ぼくのことをあざ笑っているみたいに感じる。
なにかの音が聞こえた。どこか遠くで、なにかの音が鳴っているような気がする。鐘の音かな?
それから次第に風が強くなって、音が近づいてくる。あれ? 鐘の音じゃない。呼び声だ。名前を呼んでいる。僕の名前を呼んでいるのかな?
なにかが、ぼくの手に触れる。どこか優しさみたいなもののを感じて……
***
「ハンク、」
ヘレンの声だ。
「え?」
ぼくはベッドで寝ていた。それでヘレンが、ベッドのすぐそばに立っている。
「よかった」
「え?」
一瞬、なにがあったのかわからなかった。ぼくは身体を起こして訊いた。
「ヘレン? なにが?」
それに外はすっかり暗くなっているみたいで、ヘレンは小さな灯りを手にして、ぼくの名前を呼んでいたみたいだ。
ああ、そうだ、さっきまで見ていたことは夢だったんだ。
「ところでヘレン、夕食をとる時間には、ちょっと遅いような気がするけど」
「わたし、さっき目が覚めたの。それで、たぶん夜中よ。でも起こしてごめんなさい」
「ううん。べつに気にしないよ。それよりヘレンのほうこそ休めた?」
「ええ、そうね」
「それで、なにかあったの?」
「どこかに消えちゃうようなこと、ないわよね?」
どういうこと? とうとつな質問で、それにどういうことなのかよくわからない。
「ヘレン、どういう意味? どうしたの? なにがあったの?」
「わたし、さっきまで寝ていたときに、嫌な夢をみたの……」
「なんだあ、へんなことを言い出すからびっくりしたよ。夢の話?」
「でもハンクがいなくなっちゃうっていう夢だったのよ。とっても現実感があって、悲しい気持ちになって、少し怖かった」
「それで、ぼくを起こしにきたの?」
「ハンクも疲れているのよね。わたしの勝手で起こしちゃって」
「いいよ、だいじょうぶだから」
「それに、ちゃんといることを確かめたかったの。ほんとに夢が怖かった」
「ぼくがいなくなるっていうのは、どんな夢だったの?」
「聞きたいの?」
「ちょっと気になるから」
「ええと、そうね……」
ヘレンはベッドの横にひざまずいて、少しうつむきながらつづけた。
「外は明るくて、この屋敷の中にいたのだけど、どの部屋をみても空っぽなの。ベッドも家具も、なにもない。それから、わたしひとりだけになっていることに気がついて、それでなんとなく怖くて、そして玄関のところへ行くと突然、玄関扉が開いたの。そしたらブリムくんとエッジくんが外に立っていて、驚いて駆けだしたら、わたしも外へ出ることとができて、ブリムくんが“これで依頼の仕事は終わりだね”って言って笑って、エッジくんもいろいろと冗談を言ったりして。そのときは安堵した。それでわたしが“でもまだハンクが戻ってきていない”って言うと、とたんに二人とも真顔になって、“ハンクって誰?”って聞き返してきたの。それでわたしは“一緒に旅をしてきたでしょ”って言っても、二人がぜんぜん取り合ってくれなくて、急に焦りと不安を感じて、もういちど屋敷へ戻ろうとして振り返ったら、屋敷が消えていて、そこで目が覚めたの。目が覚めたあとしばらくしても悲しいような気分が残って、でもさっきハンクの姿をみて、あれはただの夢だったんだって」
「ぼくはここにいるよ。それにヘレンを置いてどこかに行くなんてしないし、できないって」
「わかっているわ。でも、朝まで一緒にいてもいい?」
「うん、いいけど」
ヘレンといっしょに寝るっていうことは、べつに初めてというわけじゃない。
それにこの屋敷のベッドは、ふたりで寝ることにしてもなんの問題もないくらいじゅうぶんに大きい。
ヘレンはベッドをまわりこんで、手にしていた灯りを消した。
暗闇のなかで、毛布と衣服のすれる小さな音がきこえる。
「ハンク、ありがとう」
「なんてことないよ」
「おやすみなさい」
「うん、おやすみ」
***
しばらく目をつむっていたけど、なんだかねむれない。
屋敷に入って、戦ったときのことが頭にうかぶ。もっとちがう方法があったんじゃないだろうか……そもそもこんなことに手をさなければ……投げ出していればよかったんだ。
どうしてこんなことになってしまったんだろう。なんでこんなことになってしまったのだろう。
こんなの現実なんかじゃない。これは悪夢なんだ……そうであってほしい。
でもでもでも……あるいは覚めることのないホンモノの悪夢。まるで出口のない迷宮に迷い込んでしまったような感じがする。
ああ……もしもあの日、ヘレンとブリムとエッジの三人と出会わなかったのなら、こんなことにはなっていなかったのかな?
そうしたらぼくがどうなっていたかは分からないけど、でもいっしょに旅なんてすることにはならなくて、ここでブリムとエッジが死ぬこともなかったはずだ。ヘレンが苦悩にさいなまれるようなこともなかったはずだ。
暗闇のなかのベッドの上で、何度か寝返りをくりかえす。
どうしようかな、思いきってベッドからでて、あの庭に行って夜空でも眺めて過ごそうかな……
そのとき、ヘレンの声がした。
「ハンク? もしかして起きている?」
「え、うん、なんだかねむれない。それに……」
「どうかしたの?」
「……出会わなければよかったのかな」
「え?」
「ヘレンとブリムとエッジと、あのとき出会わなければ……ちがう、あの日ぼくがあっさりとやられて死んでいれば、三人といっしょに旅をすることにもならなくて、この屋敷に囚われてしまうようなこともなかったんだ。ブリムとエッジが死んだのも、ぜんぶぼくのせいかもしれない」
「ハンク……それは考えすぎ」
「分かっているよ、でも、」
「それに少し思い上がりよ、そんなふうに思うなんて。あなた一人のせいなんかじゃない」
「そうかな」
「そうよ。もしも出会わなかったとしても、けっきょくはブリムくんとエッジくんとわたしの三人だけで、旅の途中でここへ来ることになっていたかもしれないわ。もしもそうなっていら、」
もしもそうなっていのなら、もっと最悪だったのかもしれない。
「ごめん、ヘレン」
「いいのよ。ハンクがくよくよするのは、わたしは気にしない。そんな姿がかっこ悪いみたいにも思わないわ。でも、そんなふうに自分を責めるのはやめて」
「わかっているけど、でも考えちゃうんだ」
「そうね……わたしだって考えちゃう。あのとき、どうすればよかったのかとか、過ぎたことを思い返して、こうしておけばよかったのかなって」
ヘレンは少し間をおいてつづけた。
「でも変えられないの。過ぎたことは終わったことだから。どれほど考えても、悩んでも。いつまでも振り返ったままではだめなの」
「そうだよね……ヘレンの言うとおりかもしれない」
ぼくの胸元に、ヘレンが手を当ててきた。そして呟いた。
「ミノル サーナーティオ」
「なにかのおまじない?」
「そうね、きっと心が落ちつくわ」
ぼくはそっとその手に触れた。
「ありがとう」
「もう少し眠りにもどりましょう。まだ夜明けまで時間がありそうだから」
「そうだね」
「おやすみ」
それで目をつむる。今度は、なんだか気分が落ちついているような感じがした。




