表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/22

奇妙な円形の部屋

「やぁ、第二ステージにようこそ」

 薄闇から声が聞こえる。声の主は黒弥撒である。少年と少女の声が入り混じったような感じだが先ほど現れた時と若干ではあるが髪型が違うようである。黒弥撒の声が聞こえたかと思うと、それを瞬時に見抜いたがごとくメリーゴーランド上に明かりが灯る。

「第二ステージだと…」

 おっかなびっくりの声でオール乱歩が言うと仮面をかぶった黒弥撒が首を動かし

「そう、第二ステージ。でも少し疲れたでしょ?だからそれぞれに部屋を用意したよ。そこでしばらく休むといいよ」

「部屋?」莉里香が言う。「ここは洞窟みたいで部屋はないみたいだけど」

「僕の話が終わったらすぐに部屋に案内するよ。それまで辛抱してね」

 見下すような声で言う黒弥撒。

 次に声を出したのはルールズだ。

「あ、あなたは一体何者なんですか?それに第二ステージってどういうことですか?」

 そう、第二ステージというのはかなり奇妙なことである。そこにいる誰もがその意味をすべて把握出来なかったが、莉理香だけはなんとなくその言葉が意味していることが判るような気がしていたのである。

「黒弥撒」莉理香は言う。「あなたはもう一度事件を起こそうとしているの?」

 莉理香の言葉に全員が反応する。第二の殺人とは穏やかではない。ルナルナ17が死んでからまだそれほど時間は経っていない。にもかかわらず新しい殺人が起きるなんてことはもう不幸以外何者ではないのだ。

「ふ~ん」黒弥撒は面白おかしく言う。「流石は莉理香ちゃんだね。そこまで予測してるんだ。でも現段階では何も言えないよ。ただ、演繹城の新しい遊具が動き出す。そうとでも言うべきかな」

 なかなか要領を得ない回答。莉理香は眼を細めながら小さく舌打ちをする。仮面越しにニヤついているであろう黒弥撒が憎らしい。

「部屋と言いましたね?」

 と、尋ねたのはくそったれ魂である。

 その言葉に黒弥撒は顔をゆっくりとくそったれ魂の方へ向ける。頭上から降り注ぐ電球の光が柔らかく黒弥撒を照らし出す。黒弥撒の顔に影ができより一層不気味に見える。

「部屋って言ったよ」黒弥撒は呟く。「これからそこへ案内するよ。…というよりも、もう案内されているんだけどね」

 探偵や刑事たちがざわつく。

 辺りを見渡す者、唖然とする者、小刻みに動く者、様々である。莉理香は辺りを見渡す。この洞窟内のどこかに部屋があると察したからだ。莉理香の推測通り洞窟の土壁に同じような色合いで作られたトビラが見える。あまりに同系色だから見過ごしてしまいそうであるが、一度見てしまえば確かにトビラは存在する。恐らく先ほど一行で洞窟内を歩いた時は薄暗すぎて見逃してしまったのだろう。それに洞窟の土壁に同系色のトビラがあるなど誰が想像するだろうか?

 トビラがあるということは当然その先に部屋があるということになる。部屋の数は六室。横並び一直線に部屋のトビラは存在している。ここにいる全員分の部屋があるのだろう。

「部屋の壁を見てごらんよ」

 と、黒弥撒が言うと、莉理香を除く全員が壁を見つめ始める。流石は歴戦の刑事、探偵といったところであろう。皆すぐにトビラの正体に気が付いた。一斉にワッとざわめきが沸く。

「部屋がありますね」

 と、ルールズが言うと隣に立っていたムチ打ち男爵がどすどすと歩き始めトビラの前まで進んで行く。特に黒弥撒はそのことを注意せずに淡々とムチ打ち男爵を見送る。ムチ打ち男爵はトビラの前までやって来ると土壁と同系色のドアノブをゆっくりと捻る。

 一瞬ムチ打ち男爵の動きが止まる。皆に緊張が走るがそれはすぐにかき消される。

「開いてるで」

 ムチ打ち男爵は後ろを振り返らずにそう言う。そして静かにトビラを開ける。トビラの蝶番の音がしんと静まり返った洞窟内に響き渡る。

「皆の分の部屋を用意してあるんだよ。トビラをよく見てごらん」

 そう言うと黒弥撒はほっそりとした腕を高くあげドアのやや上の方を壁を指さす。

 もちろんムチ打ち男爵も反応する。彼はドアノブを握ったまま土壁を見つめ始める。その姿にオール乱歩が訝しい視線を送りでっぷりとしたムチ打ち男爵の背中に向かって声をかける。

「おい。何が書いてあるんだ?」

「ええと」ムチ打ち男爵は振り返る。「わいらの名前が書いてありますわ。トビラの脇やねん。ここにはくそったれ魂はんの名前が書いてありますわ」

「名前だと…」

 いてもたってもいられなくなったのかオール乱歩は洞窟の壁を方に小走りで向かって行く。そして、ムチ打ち男爵の隣にあるトビラの前まで行くと

「ここには莉理香ちゃんの名前が書いてあるぞ」

 と、言う。

 洞窟内に緊張した空気が流れる。くそったれ魂や莉理香の部屋だけでなく洞窟にはここにいるすべての人物の名前がトビラと同系色の文字で記されていた。進行方向から見て右側の壁に一直線に六部屋のトビラがあるのだ。

 部屋の順番は莉理香、オール乱歩、くそったれ魂、六郎ピラミッド、ムチ打ち男爵、ルールズとなっている。計六名の部屋がそれぞれ用意されているのである。不思議なのは招待されたメンバーであるルナルナ17の名前がどこにも見当たらないということだろう。となるとルナルナ17がこの段階で殺されるということは予定調和であったのだろうか?莉理香がそんな風に考えていると依然としてメリーゴーランドの中央に立っていた黒弥撒が声を出す。

「名前、書いてあるでしょ。自分の名前が書いてあるところに入ってね。そうしないと第二ステージは始まらないから。それに皆ここから出たいんでしょ?出るためには部屋に入らないと始まらないよ」

「な、何が目的なんですか?」

 ルールズが言う。額には汗が浮かび上がり怪しげな視線を送っている。

 問われた黒弥撒は次のように言う。

「だから言ったでしょ。これから第二ステージが始まるんだって。まぁそのうちに判るよ。それにここから出るためには部屋に入るしかないんだよ。今は部屋に行って英気を養ってね」

 と、告げた後黒弥撒は身を翻しメリーゴーランドの奥のほうへ消えて行く。メリーゴーランド上で座り込むオール乱歩が瞬時に立ち上がり「待て!」と黒弥撒を一喝し後を追うが黒弥撒は煙のように壇上から消えている。

「き、消えた?そんな馬鹿な」

 悔しそうに呟くオール乱歩。

 消えたというもののメリーゴーランドは特に広いわけではない。当然、奥に隠し部屋があるわけでもないのだ。不審に思った莉理香はメリーゴーランドの中央に向かう。すると薄暗くよく判らなかったが、メリーゴーランドの中央の円柱部分巨大な鏡が設置されているのが判る。

「莉理香ちゃん、どうかしたのかい?」

 と、六郎ピラミッドが聞くと莉理香はすぐに答える。

「オール乱歩さん、六郎ピラミッドさんこっちに来てください。ほら、巨大な鏡が設置されていますよ」

「鏡?」

 オール乱歩はすぐさま莉理香の許へ向かう。そして鏡を確認する。鏡の大きさは高さ二メートルほどもある巨大なものである。姿見にしては少し大きすぎるし幅も広い。バレエの練習にバレリーナが使うような大きさとでも言えばいいのであろうか?それに鏡は一つだけではない。メリーゴーランドの右端にもあるのだ。

「莉理香ちゃん」

 唐突にくそったれ魂の声がメリーゴーランドの下から聞こえる。莉理香は振り返り言葉を返す。

「何ですか?」

「メリーゴーランドの右脇の鏡にも君とオール乱歩さんの姿が映ってるよ。そうか判ったぞ」

 莉理香もくそったれ魂の言いたいことが判る。つまり、黒弥撒の消え方である。黒弥撒はもともとメリーゴーランドの中央に立っていたわけではないのだ。本来立っていた場所はメリーゴーランドの右端。恐らく明かりがうっすらとしか照らさなかったのは鏡のトリックを隠すためであろう。要するに黒弥撒はメリーゴーランドの中央と端側の二か所に鏡を設置し端側にある鏡を斜めに設置した。そうすると鏡が反射してメリーゴーランドの中央の大きな鏡に自分の姿が映りこむという寸法である。

 判れば単純なトリックだが緊張感のある空気が流れるといとも簡単に騙されてしまう。莉理香はそう感じでいる。反射するのなら鏡には左右逆に映り込むことになるが、そこは二枚の鏡を用意するため左右逆に映り込まない。メリーゴーランドの右端にある鏡Aには左右あべこべになった姿が映るが、そのあべこべになった姿が中央の円柱部分にある鏡Bに映り込むため本来の姿が映り込むのだ。

 莉理香はある異変に気づく。

「オール乱歩さん、ルナルナ17さんの遺体がありません」

 莉理香の言葉にオール乱歩はすぐに反応し非常によく躾けられた犬のようにやって来る。

「本当だ、遺体がなくなっている」

 と、オール乱歩が言う。

 それを受け莉理香が答える。

「恐らく黒弥撒が隠したのでしょう。きっと遺体をこれ以上見せたくなかったのかも知れません」

「そんなことより」オール乱歩が顎髭をさすりながら「黒弥撒って小僧はどこに行った?」

 答えを持っている人間はここにはいない。

 メリーゴーランドの中央の円柱部分の裏側には地上に繋がるトビラがあるが、そこは閉められている。同時に鏡のトリックで黒弥撒が実はメリーゴーランドの右脇にいたのは明らかになったが、恐らく別の出口があってそこから出ていったのだろう。

「多分、黒弥撒って野郎はどこか別の出入り口から出ていったんだろう。くそ!でもどうする莉理香ちゃん。俺はなんとなくあの黒弥撒って奴が薄気味悪くて仕方ないんだ。一体あいつは何者なんだ?」

「あたしが知ってるのは黒弥撒はこの演繹城というテーマパークの主だってことだけです」

「でもさ主にしては威厳がないというかまだ子供みたいな声をしているし体の線も細そうだ。そりゃ薄暗い中だから見えにくかったけど俺はあいつが主とはどうしても思えないんだよな」

 確かにオール乱歩の言うことは尤もである。黒弥撒は主というよりもおもちゃを与えられて喜ぶ子供に似ている。だが、どこの世界に子供にテーマパークを与える親がいるであろうか?どんなに金が余っている富豪であってもそんなことはしないだろう。

「黒弥撒は誰かの操り人形ってことですか?」

 と、莉理香。それを受けオール乱歩は

「その可能性は高いように思えるけどまぁ現段階ではなんとも言えないな。だけど莉理香ちゃん、また妙な事件に巻き込まれたね。君が変な事件に巻き込まれるのは毎度のことだけど、ここまで続くとなんか哀れに思えてくるよ。まぁそのおかげでこうしてまた俺は莉理香ちゃんに会えたんだけどね」

 にんまりと不気味に笑うオール乱歩。莉理香は引きつった顔をしてオール乱歩を白い目で見つめる。

 黒弥撒が誰かの操り人形だという説は確かにありえる。どう考えても黒弥撒はこのテーマパークの主とは思えないからだ。しかし、それを今どうこう言っても仕方がない。莉理香は一旦メリーゴーランドの中央部分にある地上と繋がるトビラに手をかけ開くかどうか確かめてみる。

 莉理香の目が細くなり眉根が寄る。トビラは閉まっておりこちら側からでは開けられない。恐らくだが黒弥撒が鍵を閉めたのだろう。莉理香はそう察する。

「駄目です」莉理香は静かに言う。「やはり鍵が掛かってます」

 その言葉を聞いたオール乱歩りは不穏な表情を浮かべながら自らもトビラに手をかけ押してみる。トビラにはドアノブがついておらず押すしか方法がないようだ。

「押して駄目なら引いてみろってね」

 オール乱歩はそう言うと、トビラをなんとか引いてみようと四苦八苦するが、その努力も無駄に終わる。諺通りには事は上手く運ばない。このトビラは完全に閉められている。

「駄目だな。開かないぞ。それよりもさ、これからどうするかだな。あの黒弥撒って奴が怪しいのは判るけどよく考えると今の状況って結構危ういよな」

 と、オール乱歩は言う。状況が危ういかどうかは現段階では判断できないがルナルナ17が死んだという事実は変えられない。それにルナルナ17の遺体は消失している。あの遺体はどうなったのか?それは現段階では誰にも判らない。果たして地上にもう一度戻れるのか?皆目見当がつかない。莉理香は探偵らしく顎に手を置きうろうろとステージ上を行ったり来たりし始める。何かを考える時の莉理香の癖である。莉理香曰くこうやって考えると推理力が二〇%ほどアップするのだと言う。定かではないが…。

 とはいうものの、今の状況ではルナルナ17殺しの犯人を特定出来ない。容疑者は全員であるが、高速で動くメリーゴーランドに乗っていたのである。降りてルナルナ17を殺すなんて芸当はなかなか出来そうにない。ただ一つ言えるのはあれだけ高速に回っていたメリーゴーランドなのだからくそったれ魂の言うとおり鋼鉄線などを頭上に設置しその遠心力とスピードで首を切り落とすのは可能だと言うことだろう。

 しかし、誰が何のためにそんなことを行ったのだろうか?しばし莉理香が考えているとメリーゴーランドの下にいたくそったれ魂が口を開く。

「あの、これからどうします?黒弥撒さんは部屋に入れば外に出られると言っていましたけど」

 辺りがしんと静まり返る。

「一旦部屋に入ってみますか?」

 と、六郎ピラミッドが言う。

「けれど何か仕掛けがされているかもしれません。迂闊に動くのは危険だと思いますが…」

「部屋のトビラにうっすらと名前が記されているのが気になりますね。どうして名前があるんでしょうか?」

 六郎ピラミッドは端正な顔を歪めながら呟くように声を出す。すると、オール乱歩がつかつかとメリーゴーランドから降りて

「そりゃ決まってるだろ。俺たちをあらかじめ呼ぶことを計画していたんだよ」

 次いで莉理香もメリーゴーランドを降りる。

「不可思議なのは」莉理香は言う。「表札にルナルナ17さんの名前がないということです。それ以外はここにいる全員の名前が記されています。これは黒弥撒があたしたちをここに呼ぶことを計画したからです。つまり、ルナルナ17さんは計画的に殺された可能性が高いですね」

「計画的か」ムチ打ち男爵がスッと視線を落として答える。「せやけどどうしてルナルナ17はんを殺そうと思ったんやろか?探偵に恨みでもあるんやろか?」

 今度はくそったれ魂が口を開く。

「探偵に恨みがあるという可能性はありますね。僕ら探偵は事件を解くのが仕事です。でも事件を解く過程で多くの犠牲を生むことがあります」

 次に言ったのはルールズである。

「推理小説の言葉を借りれば後期クイーン的問題ってやつね」

 当然そんな言葉を聞いたことがないオール乱歩は目を点にさせすぐに六郎ピラミッドに話を振る。

「おい六郎ピラミッド、後期クイーン的問題ってなんだ?警察用語か?」

 問われた六郎ピラミッドも顔をしかめる。流石に東大出のキャリアであっても判らないようである。それはそうだ。後期クイーン的問題を提示したアメリカの推理作家エラリー・クイーンはもう半世紀以上前の作家なのだから。現在でも著作の多くは再販されているが、それを律儀に読む人間は余程の推理小説好きしかいないだろう。

「後期クイーン的問題というのは古典推理作家のエラリー・クイーンが提唱した問題ですよ」

 静かにくそったれ魂が言う。彼は話を続ける。

「この問題には二つありまして一つは推理小説の中の探偵が導き出した答えというものは本当に正しいかどうか判らないということ。もう一つは探偵が犯人を指摘することで新たな事件を呼び起こすきっかけになってしまう恐れがあるかもしれないこと。この二つの問題のことを後期クイーン的問題と言うんです」

 それを聞いた六郎ピラミッドがうっすらと生えた顎鬚をさすりながら

「まぁ確かに推理小説の中では力技の推理も多々ありますし論理的に欠けることもありますよね。でもそれは推理小説というお話を面白くするためには仕方のない犠牲だと思いますよ」

「うるせぇよ」オール乱歩は言う。「でも探偵が犯人を言い当てることで事件を大きくさせてしまうことはあるかもな。ここにいる探偵たちは皆優秀だが、刑事じゃない。だから当然逮捕権があるわけじゃないからな。悪戯に犯人を刺激すればそれがきっかけとなって新たな事件が起きるかもしれない可能性はあるな」

「せやな」悔しそうにムチ打ち男爵は囁く。「それが探偵の宿命なんや。事実わいも犯人を刺激してしまったことがあるんや。そういう時、わいら探偵は本当に必要なのかどうか判らなくなる場合があるで」

 再び洞窟内は沈黙する。

 今彼らが話しあったことが事実ならばルナルナ17の犯人を推理し言い当てることは犯人の殺意をより芽生えさせる因子になってしまうかもしれない。そう考えると悪戯に推理してもいいのか判らなくなる。

 時だけが一定のスピードで流れて行く。こうして考えていても埒は明かない。静まり返った状況を変えたのは莉理香である。

 中学生探偵トランキライザー莉理香。彼女は後期クイーン的問題もヴァン・ダインの二〇則もノックスの十戒も信用してはいない。犯人を見つけ出すことが自らの存在意義なのだから。莉理香にとって犯人を言い当てるのはその人生のすべてと言ってもいい。なぜなら彼女は実態のない幽霊みたいな存在だからだ。

 莉理香という人格はあくまで類巣茉莉香という少女の中に住む異物であり天然のトランキライザーである。そんな彼女がこの世界に存在しているのは事件を解決出来るからだ。事件を引き寄せる不思議な体質があるものの莉理香はこれまで多くの事件を解決してきた。その上で犠牲を払ったこともある。しかし、すべて悪いのは犯人だ。人を殺すほうが絶対に悪だ。それを解決する人間が悪になることはないだろう。莉理香はグッと奥歯をかみ締めながらつかつかと動き始める。

「莉理香ちゃんどこへ行くの?」

 ルールズが不安そうに言う。

 問われた莉理香は振り返ることはせずに

「あたしは自分の名前が書かれた部屋に行きます。そうすればきっと何か判るかもしれませんし」

 界隈を不穏に覆う雰囲気はなかなか解消されない。ここにいる全員がこれまで多くの事件を経験し解決してきたが、こんなへんてこな事件は初めてである。何しろ犯人が幼き殺人者であるかもしれないのだ。そうこうしているうちに莉理香は自分の名前が書かれたトビラの前に立つ。銀色に輝くドアノブ、そして綺麗に木目の入った一枚板のトビラ、傍から見るだけでは怪しさを感じさせない。

「お、おいおい、莉理香ちゃん」慌ててオール乱歩が言う。「危険じゃないか?犯人は鋼鉄線を仕込むような奴なんだぞ。ドアを開いた瞬間向こうから矢が飛んでくる可能性だってあるかもしれない」

 推理作家顔負けの想像力を見せるオール乱歩が止めるが、莉理香は言うことを聞かない。

 ゆっくりとドアノブを捻る。鍵は開いている。キシッと蝶番が軋みトビラは開かれる。莉理香以外の人物が目を閉じたり背けたりする。莉理香の額にもキラリと汗が光りそれが頭上から照らされる電球色の明かりによってオレンジ色に煌いて見える。

「な、何これ…」

 と、莉理香は独りごちる。

 部屋の中からは矢が飛んできたわけでもなければピストルで発砲されたわけでもない。莉理香が驚いたのは部屋の形状である。

 部屋の内部は円形になっているのだ。窓はなく部屋の壁は真っ黒。床も黒だからブラックホールの中にいるような感じになる。莉理香は一歩足を前に出し部屋の中に足を踏み入れる。するとそこでまた新たな違和感を覚える。

 黒い床はゴムのように柔らかいのである。こんな床の質感は経験したことがない。ゴムの床をゆっくりと歩く莉理香。部屋の広さははおよそ八畳。それほど広くはない。小さなドームと言えば想像し易いかもしれない。本当に不可思議な部屋であった。

「り、莉理香ちゃん大丈夫?」

 後ろからオール乱歩の声が聞える。

莉理香はサッと翻りオール乱歩のほうを向く。

「大丈夫です。今のところ別段変わりはありません。ただ、奇妙な部屋ですよ」

 入り口に立ち尽くすオール乱歩、六郎ピラミッド、そして探偵たち。皆が不安そうな顔をして莉理香を見据えている。莉理香はスッと天井を見上げる。黒く塗られた天井。蛍光塗料で星を描けばきっと小さなプラネタリウムが出来るだろう。莉理香は部屋の中の捜索を止め一旦外に出る。

 莉理香が室外に出ると、まるで英雄の凱旋を喜ぶような目つきで皆が見つめる。その視線を一身に浴びながら莉理香は首元をポリポリと掻く。

「それにしても」くそったれ魂が言う。「莉理香ちゃんの勇気には感服しますよ。何事もなくてよかったです」

「そうですね。皆さんの部屋はどうなんでしょうか?あたしの名前が書かれた部屋を見る限り普通の部屋であるとは思えません」

 と、莉理香が言うと渋い顔をしながらムチ打ち男爵が尋ねる。

「普通の部屋やないってどういうことや?」

「簡単に言えば小さなプラネタリウムです。部屋が円形に出来ているんですよ。家具もなければ窓もない。ホントにおかしな部屋です。まぁどこかに隠しカメラがあって別室から黒弥撒が監視しているという可能性もないわけじゃないですけど」

 すると、今度はルールズが声を発する。その表情は凛としておりはっきりとした意志が感じられる。

「次は私が部屋に入ります」

「大丈夫ですかね?」六郎ピラミッドが不安そうに言う。「莉理香ちゃんの部屋にはパッと見ですが仕掛けはなかった。でもその他の部屋には仕掛けがないというわけではないですよ。どこかに仕掛けが隠されてるかもしれない」

「でも、黒弥撒さんはここから出るためには部屋に入れと命じました。ならば部屋に入ってみなければ何も判りません。私は占いで推理をしますが、それでも何かしらの情報があった方が推理に役立ちますから」

 そのように言いルールズはゆっくりと自分の名前が書かれたトビラの前まで進む。トビラの形状は莉理香の部屋のトビラと同じものである。一枚板のしっかりとしたトビラだ。ルールズはドアノブに手をかけそして勢いよくトビラを開ける。刑事や探偵たちの表情が真剣なものに変わる。

「だ、大丈夫か?」オドオドとオール乱歩が呟く。「部屋の中はどうなってる?」

 ルールズは直ぐには答えず異世界に進入するが如く足を一歩部屋の中に踏み入れる。

「ぐにゃり」床の質感はゴムのようだ。莉理香の部屋と同じである。ゴムの床を全身で感じるようにルールズは進む。ルールズが部屋の中に消えると皆が小走りで部屋の前まで進む。当然その中に莉理香もいる。莉理香は先頭に立ち部屋の中に入るルールズを見守る。

 視線を室内に送る。室内は莉理香の部屋と瓜二つだ。家具もなければ窓もない。広さも八畳ほどで何もないから広く感じる。極めつけは部屋の形状だろう。やはりドーム状の空間が広がっている。

「今のところ何もありません」

 と、ルールズは言い部屋の中をぐるりと回る。部屋には照明器具がないので薄暗いが、特に仕掛けはないように思える。ルールズは一周回って来るとやがて入り口のほうへ足を向けそそくさとトビラに向かって歩いて来る。

「部屋には仕掛けはないかもしれませんね」

 あくまで冷静さを保ちながらルールズは言う。ルールズの言葉を聞き探偵たちも刑事も安堵したようである。一瞬ではあるが弛緩した空気が流れる。しかし、異を唱えた人物がいる。それは莉理香である。

「部屋には何らかの仕掛けがありますよ」

「ど、どういうことだい?」

 慌ててオール乱歩が告げる。

 莉理香は首を上下に動かした後

「黒弥撒はメリーゴーランドに立った時『自分の名前が書かれた部屋に入ってね』と、言いました。これは全員が部屋に入ると何らかの仕掛けが作動するということではないでしょうか?」

「全員が部屋に入るか…」ムチ打ち男爵が囁く。「せやけど恐ろしいわ。殺人メリーゴーランドの後やから慎重に行動した方がええように思うんやけど。わいは放火事件を中心に捜査協力しておったからこんな不可解な仕掛けは完全に専門外やで」

「だが、この洞窟から出られないないんだぞ。地上に繋がるトビラは閉まってるし第一どこにいるのか判らない。まったく不可解な事件に巻き込まれたものだ」

 深いため息をつきながらオール乱歩が言う。

 彼の言う通りこの場にいる全員はなかば軟禁状態にある。脱出する手段は現段階では判らない。ならば勇気を持って部屋の中に入るしかないのではなかろうか?本当かどうかは不明だが、黒弥撒自身が部屋に入ればこの地下から出られるかもしれないと言っているのだから。

「よし、次は僕が入りましょう」

 くそったれ魂が顔をぱちんと手のひらで叩いてから言う。オール乱歩と六郎ピラミッドの間の部屋がくそったれ魂の名前が書かれた部屋である。慎重にドアノブに手をかけるくそったれ魂。どうやら鍵は開いているようである。一瞬目を閉じその後カッと目を見開き勢いよくトビラを開ける。

 しんと静まり返り蝶番の音だけがこだまする。くそったれ魂は素早く室内に入って行く。その姿を確認するために莉理香が直ぐにくそったれ魂の部屋の前まで進む。

 くそったれ魂の部屋も莉理香とルールズの部屋と同様円形のドーム型をしている。やはり家具や窓はない。どこまでも不思議な空間が広がっている。

「な、何もありません」

 部屋の中心で息を飲むくそったれ魂。今のところ何かが起きる気配は全く感じられない。ゴムの床をその場で行進するように何度も踏みしめた後くそったれ魂は部屋を出て来る。部屋には仕掛けがないように思える。そう察したのであろう。次に部屋に入ったのはムチ打ち男爵である。彼の部屋もドーム状でゴムの床。全く変わりはない。

 その後オール乱歩と六郎ピラミッドが部屋に入ったが、言わずもがな結果は一緒である。何の反応も見せない。莉理香の「部屋に入れば何か判る」という推理は外れたのであろうか。しかし、莉理香はそうは考えていない。

 一行は再びトビラの前に集まる。積極的に口を開く者はいない。死のように静まり返っている。どこにいるのか判らない。そして奇妙な形をした部屋。これらの非日常が少しずつ一行を苦しめていく。全員が部屋に入ったものの黒弥撒から何の指示も来ない。オール乱歩が時刻を確認すると丁度十二時を回ったところである。当然であるが、この空間は圏外である。外部との連絡は取れない。

 沈黙した空気の中莉理香が口を開く。

「一つ試したいことがあります」

 その言葉に他の全員が反応する。

「試したいことですか?」

 と、六郎ピラミッドが尋ねる。

「そうです。確かに部屋の中に全員が入りましたが、一人ひとり個人的に入っただけです。もしかしたら全員が一斉に自分の部屋に入ると何らかの仕掛けが起きるのかもしれません」

「た、確かにそうかもしれませんね。オール乱歩さん、どうしますか?」

 六郎ピラミッドはオール乱歩に話を振る。

唐突に問われたオール乱歩は額にしわを寄せ少し考えた後

「う~ん、まぁ他にやることがないからな。それに部屋には何もないように思えた。鋼鉄線が飛び出してくるなんて仕掛けはないだろう。莉理香ちゃんの言う通り今度は全員で部屋に入ってみるか」

「で、でも…」ルールズが右手を挙げて反論する。「確かに情報を集めるために全員で入りたい気持ちはありますが、危険が全くないわけじゃないですよね?」

「だが、いつまでもこうしているわけにはいかんだろう。仕事をせなきゃならん」

 不満そうに言うオール乱歩。するとその言葉を六郎ピラミッドが引き取り

「いつも仕事してないじゃないですか」

「うるせぇよ。お前が見てないところで仕事してんだよ俺は!」

 少しだけ洞窟内の緊張が取れる。

 一行の間に笑みが浮かび上がる。

「僕もオール乱歩さんの意見に賛成です。ここから出るためには部屋に入る必要があるのかもしれません」

 と、くそったれ魂が言う。その後にムチ打ち男爵も「賛成」を唱える。もちろん、莉理香も賛成である。多数決を取れば行動を起こすが五票。このまま維持が一票である。それを察したのであろう。先ほどまで反対をしていたルールズも「判りました」と一言告げ部屋の中に入ることを承諾する。

 全員が自分の名前の書かれたトビラの前に立つ。ピンと張り詰めた空気の中代表してオール乱歩が言う。

「よし、俺が合図したら入るんだぞ。皆一斉にだ。フライングは駄目だからな」

「判ってます。早くやりましょう」

 莉理香がとりなすように言うと、オール乱歩が大きく深呼吸し

「入るぞ!」

 と、大声を出す。

 彼の言葉を皮切りに全員が一斉に部屋の中に入る。ゴムの床を全員が踏みしめる。するとどうだろう。急にトビラが閉まり「ガタン」と大きな音がこだまする。

 莉理香はドアノブを捻る。しかし鍵がかけられたようでトビラはびくともしない。緊張した空気が流れる。突如地震のような揺れが室内を襲う。これは揺れと言うよりも『回転』部屋が回転しているとしか思えない。それもかなり高速で。途端他の部屋から叫び声が聞える。皆がいきなり現れた仕掛けに戸惑っているのであろう。莉理香は眉間をこれ以上ないくらい寄せ室内を見渡す。

 依然として部屋の中はゆっくりと揺れている。但し、床がふにゃふにゃと柔らかいので幾分か揺れが軽減されている。莉理香は上手くバランスを取りながら部屋の中を移動する。しかし、何が起きているのか全く判らない。

「キィィィン」

 全員が部屋に入ったことで何らかのカラクリが発動したのであろう。それは間違いない。天井も床も壁もすべて真っ黒であるので宇宙空間に来たかのように錯覚する。隣の部屋からはオール乱歩の叫び声が聞える。普段威張っている割に意外と臆病なのである。オール乱歩との付き合いも長いので莉理香はそのことを知っている。

 揺れは大きくなることなく一定のリズムを刻んでいる。数分揺れに耐えているとやがて体が揺れに慣れそれほど驚かなくなった。莉理香はゴムの床にストンと座り考えを巡らせ始める。

 考えるのはルナルナ17の件だ。莉理香はその時この世界には出ていなかったが、茉莉香が演繹城に来る際に最初に会ったのがルナルナ17なのである。ゆりかもめの中で会った探偵。そんな彼女はあっさりと殺されてしまった。一体何のために彼女は殺されなければならなかったのか?

 考えても答えは出ない。それでも莉理香は強引に考えを進める。まず不可解なのはどうして首を切ったのか?ということだろう。確かに首を切り落とせば確実に絶命させられる。人類の長い歴史の中でもギロチンで首を落とすという処刑方法があったのだから。

 だがこの時代、わざわざ首を切り落とすなんていう殺害方法を取るだろうか?推理小説には首切り殺人が多く登場する。しかし、一行が集められたのは演繹城というテーマパークなのである。そんなテーマパークであるのにもかかわらず殺人は起きた。本当に不可解である。

 殺害方法も謎だ。ルールズやくそったれ魂の推理では鋼鉄線を使い首を切り落としたのではないか?ということだった。なるほど確かにこの推理も的確のように思える。少なくとも莉理香はメリーゴーランドにいたときはそう考えた。しかし…

 本当に鋼鉄線なんかを使い首を切り落とすのだろうか?第一手間が掛かりすぎる。鋼鉄線はあくまでピアノ線のような細い線だ。野菜やゴムなどならスパッと切れるかもしれないが、人間の首を切り落とすことが可能なのかどうかは判らない。

 メリーゴーランドは高速で動いていたからその遠心力を上手く使えば首を切り落とすことは可能かもしれない。だけれど、ルナルナ17の首は多少の抉り込みがあったものの綺麗に切り落とされていた。まるで野菜でも切るかのように…

 冷静に考えると鋼鉄線を使い首を切り落とす場合あそこまで断面が綺麗になるとは思えない。確かに若干の食い込んだ跡はあったが、それでも綺麗である。それ以上に刃物ではなく線を使うのだから傷口はもっと抉りこむような形になるのではないか?

 それに鋼鉄線はピアノ線とは違い目立つ。いくら線状の素材だからといって不自然に天井からぶら下がっていれば必ず気づく者がいるはずだ。莉理香はメリーゴーランドに乗る前の記憶がないが、それでも鋼鉄線がぶら下がっていれば誰かしらがその存在に気づくだろう。つまりメリーゴーランドに鋼鉄線のようなものを使うとは思えない。

 となると鋼鉄線はどこからやってきたのか?メリーゴーランドの動作中に犯人が仕込んだものなのか?その可能性も薄いように思える。なぜならメリーゴーランドは常軌を逸したスピードで動いていたからである。あれだけの高速の中を動き回るのはもはや人間業ではない。

 あまりのスピードにより莉理香は目を半分ふさぎながら状況を見守っていたが、誰かがメリーゴーランドの中を動いたという記憶はない。くそったれ魂もムチ打ち男爵もルールズも皆馬にしがみつき必死だったはずだ。ただ高速で回るメリーゴーランドが停止した時、数分間の沈黙があったのは事実である。何かあったのだとしたらこの僅かな時間だが、この些細な時間でルナルナ17を絶命させ首を切り落とすのは不可能に近い。

 今のところ犯人である可能性が高い黒弥撒はメリーゴーランドの馬には乗らず中央の部分で立っていたが、それだけだ。ただ茉莉香から莉理香に切り替わるまでの時間差があるのでその時間で黒弥撒が何かした可能性はある。探偵たちは皆高速で回るメリーゴーランドが停止した時、周りを見る余裕がなかった。その時間は僅か一分前後と短い。やはりその短時間で首を切り落とすのは不可能に近い。

 それ以上に不可解なのはルナルナ17からほとんど出血が見られないということである。これは前述で記した通り生きたまま首を切られたのではなく死んでから首を切られたのであろう。となると黒弥撒はいつルナルナ17を殺害したのか?謎ばかりである。

 犯人は黒弥撒ではないという可能性はないか?つまり、くそったれ魂、ムチ打ち男爵、ルールズの中のうち誰かが殺人を犯したということである。

(その可能性は薄いか…)

 莉理香は深呼吸しながら思いを巡らせる。

 集められた探偵たちの誰かが犯人であるならば動機が存在するはずである。全国津々浦々から集められた探偵たち。皆新聞やネットニュースなどでその存在は知っていたが、会ったことはない。それが一気に東京に集められその内の一人が死んだ。

 莉理香にとってルナルナ17が死ぬことは何のメリットにもならない。ルナルナ17は北海道や東北地方を中心に活動している探偵だから事件が重なるわけじゃないし第一探偵の仕事には縄張りなんてものはない。たまたま事件に遭遇するか莉理香のように刑事と仲良くなって捜査協力を依頼されるかしなければ事件の捜査は出来ないのだ。

 他の探偵たちだって同じだろう。ルナルナ17が死んだところで何か得をするというのは考えにくい。となるとやはり犯人は黒弥撒なのだろうか?

 仮面をかぶった怪しい人物。如何にも「自分が犯人ですよ」と言っているようなものではないか。それでも莉理香は首を上下には触れなかった。前述の通り黒弥撒の声を聞く限りまだ幼い。背も低いし、行動もどこか幼稚である。もしかすると莉理香と同じくらいかあるいは年下という可能性もある。

 そんな幼い人物が殺人を犯すだろうか?不可解極まりない。誰かに命令されている可能性はあるだろうか?某有名推理小説に少年が犯人であったというものがある。しかしその裏には大人の存在があり少年を上手く利用していたのだ。今回もそんな事件なのだろうか?演繹という推理用語を使うくらいのお城だ。そう考えても決しておかしくはない。

 この事件にはまだ登場していない黒幕がいるのだろうか?探偵たちに恨みを持つ黒幕。

 そこまで考えを推し進めると莉理香の脳内にある可能性が浮かび上がる。それはクイーンの後期クイーン的問題である。あの問題によると探偵が犯人を指摘することでさらなる事件を引き寄せる可能性があると論じているのだ。

 もしかしたら探偵が推理を展開したが故に大切な人を失ったという人物が影で暗躍しているのではないか?それで黒弥撒という幼き人物を利用している。そう考えると何となく辻褄は合うような気がするではないか。

 とはいうものの莉理香はこの考えをすぐに否定する。黒幕がいる可能性はある。だが、その黒幕が黒弥撒という子供を利用するかということだ。子供は行動が読めない。突発的に大人が考えもつかないことをやる可能性がある。そんな不安定な人物に殺人という高度な行為を任せるのだろうか?

 考えは堂々巡りである。何しろ情報が少ない。メリーゴーランドにあったルナルナ17の遺体は消えてしまったしメリーゴーランドを調べた限りでは遊具である馬に何かを収納できるスペースがあるというだけで他に怪しいところはなかったはずだ。推理は情報戦だ。如何に現場に残された情報を読み解くかが事件解決への早道である。

 本来ならばもっとルナルナ17の遺体を検分し情報を引き出すべきだったはずだ。しかしエレベーター式になっているメリーゴーランドの存在やその後に広がる奇妙な洞窟を見て冷静さを失ってしまい必要な情報を集められなかった。

 演繹城は通常では考えられないような仕掛けが数多くある。高速で回るメリーゴーランドもそうだしメリーゴーランド自体が巨大なエレベーターになっている。メリーゴーランドの回転に合わせて螺旋状に沈んでいくのである。こんな突飛なことを考える人物はさぞ狂人なのであろう。莉理香はそう考える。

 このドーム状の部屋も不可解極まりない。円状のホールは決して珍しくはない。円形劇場という名の劇場はあるしこのお台場にはフジテレビがある。フジテレビには球体の展望室があるのだ。

 だが、円形の部屋というものは珍しいかもしれない。というよりもあまりないだろう。ないのには理由がある。円形の部屋を作ればまず困るのは家具の配置だ。家具の形状は四角が多いから円状の部屋には適さない。デットスペースが多く生まれて生活しているとストレスを感じるだろう。

 それにゴムの床もおかしい。こんな床では歩きにくいし家具を置くのも面倒になるだろう。それに掃除も大変そうだ。この部屋は何からなにまでおかしなことだらけだ。こんな特異な部屋をなぜ作ったのかも謎である。演繹城というからには針と糸を使って開けるトビラがあったりしてもいいものなのに…。この部屋からは推理という匂いがあまり感じられない。前述したメリーゴーランドもそうである。推理を題材にしたテーマパークではない。

 誰が何のために巨額の資金を投じてこんなふざけた建物を建てたのだろか?莉理香は誰も見ていないのをいいことにごろりと横になる。柔らかいゴムの床が莉理香の体を受け止める。寝心地は悪くない。

 相変わらず小刻みに部屋は震えている。いつになったら止まるのだろうか?いつの間にか隣の部屋から聞えていた叫び声も止んでいる。恐らく皆この状況に慣れたのであろう。もうかれこれ一〇分近く揺れは続いている。地震にしては長すぎる。となると、人工的に生み出された揺れに違いない。

 体を横にしたまま莉理香はぼんやりと考え込んでいる。いつもなら推理の道しるべが判るはずなのに今回は何も思い浮かばない。普通の少女に戻ってしまった感じだ。十二時の鐘が鳴り魔法が切れたシンデレラのような気分。ため息は重く苦しい。

 今回が最後の事件になるだろう。莉理香はそう察している。担当の精神科医にもそのように告げていたし莉理香自身もそうであると考えている。

小刻みに揺れる室内。ゴムの床に横になりながら天井を見上げる。室内は僅かに明かりがあるようだ。円状に出来ている室内には天井だけに明かりがあるのではなく壁から天井に向かって星のように点々と明かりがある。

 目を細めて見てみると小さな豆電球が設置されているのが判る。恐ろしく小さな明かりであるため部屋の中は酷く薄暗い。牢獄に閉じ込められたような感じである。それでも莉理香に恐怖はない。自分はもう直ぐこの世から消える。

 否、元々この世に存在する人間ではなかったのだ。なぜなら彼女は茉莉香という人間の中に住む人格の一人に過ぎないのだから。実体を持たない人格だけの存在。しかし不可解なのはそんな実体を持たない自分に対し黒弥撒は同じと言ったのである。何か同じなのだろう?莉理香は考えるが今のところそれを解決できるほどの情報があるわけではない。

解離性同一性障害は歴史が浅く一九五〇年代からアメリカでその存在があると明らかになった病である。それ以前は症例は報告されておらず非常に新しい病であった。そのため診断が難しい。但し、社会的な認知度は高い。アニメやゲームなどでこの病気が取り上げられたからである。多重人格という言葉は通常の世界で生きていても頻繁に飛び交う言葉だ。

 自分が消えたらどうなるのだろう?茉莉香は今まで通りやっていけるのだろうか?莉理香という精神安定剤代わりの人格が消えると茉莉香はたちまち精神のバランスを崩すかもしれない。茉莉香の家は外見は普通に見えるが、内部は酷く歪んでいる。ネグレクトに近い虐待を受けている茉莉香がこの先もその試練に耐えられるか判らない。

 ならば、茉莉香の中に残り続ければいいではないか。そう思うところだが莉理香はそんな風には考えていない。とにかく自分は邪魔な異物でしかないと思いを巡らせていたのである。

 莉理香という存在があるから茉莉香は数多くの事件に巻き込まれその度に事件の恐怖と戦うことになった。自分がいればそれがこれからも続くのかもしれないのである。そんな風にはなって欲しくはない。茉莉香にはあくまで普通に暮らして欲しい。

 揺れは依然として続く。回転しているのは間違いなさそうであるが、この部屋はどうなっているのだろうか?全くわけが判らない。トビラは完全にロックされて開かないし特に何かが起こるような気配はない。もちろん、鋼鉄線が現れたりナイフやピストルなどが飛び出したりするということもない。

 この部屋のどこかに監視カメラがあるのかもしれない。怪しいのは豆電球だ。豆電球の中に小型カメラが隠されていて集められた人間たちを監視しているのかもしれないが、すべては憶測の域を出ない。莉理香は推理できるが、小型に隠された監視カメラを見つける術を持っていない。専門家ではないのだ。今のカメラは本当に小型で素人目にはよく判らない。それに天井には手が届かないのだから調べようがない。

 莉理香は目を閉じたままゆっくりと深呼吸をする。ゴムの床に横になり揺れを感じているとまるで胎内にいるかのように錯覚する。こんな緊迫した状況であるのに恐ろしい眠気が襲ってくる。どこかから睡眠薬を混ぜたガスでも撒かれているのだろうか?

 やがて意識が遠くなる。莉理香は自分が消えるのではないかと考える。既に茉莉香と人格を変えてから二時間近くが経っている。主人格ではない莉理香がこの世界に出ていられる時間はあまり長くない。初期の頃は半日から一日程度出ていたが、今は長くても四時間だ。つまり、莉理香がこの世界に出ていることの出来る時間は後二時間しかないのである。あまり長くこの世界に出ていると主人格である茉莉香に負担をかけてしまうのだ。莉理香はあくまで別人格、主人格ではない。事件を解くためにいる存在。だが、不意に意識が飛んだ。煙のように莉理香は眠りに就く。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ