21.殺人
英雄としての矜持を取り戻したナベプタは覆面を被り勇敢なるイビルスレイヤーになって、男たちに突進した。
「おおおおお! 俺は! 勇敢なるイビルスレイヤーだっ!」
叫びながらぶつかる。男ふたりと少女を、まとめて一気になぎ倒した。押さえつけるのに必死だった男たちは回避も受け身もできなかった。倒れたのは少女もだけれど、男の体がクッションになって怪我はなさそうだ。
「うおー! 悪は許さない! 死ね! みんな死ね!」
倒れた男の腹を踏みつけて、そして偉そうな男の方を見る。金持ちめ。いたいけな少女を誘拐して、何をしようとしていた。この勇敢なるイビルスレイヤーが許さないぞ。
彼は突然の闖入者に動揺しているらしく、驚いた顔で一歩下がった。その分、ナベプタは前に出る。
「俺が誰か知っているな!? 勇敢なるイビルスレイヤーだ! お前のようなクズを倒す! 英雄だ!」
「英雄だと? 肥えた体で暴れまわるしか能がない、小市民が。笑わせるな!」
動揺しながらも、男はこちらを煽り返すようなことを言う。ナベプタの怒りに火をつけるのに十分だった。
「このっ! 死ねっ!」
「ボス逃げて!」
ナベプタの突進に、さっき倒した男の片方が身を割り込ませて庇った。ぶつかる寸前にナベプタの体を掴んで、力を込める。突進の軌道が変わり、ボスと呼ばれた男にぶつかる代わりに壁に激突。ナベプタと壁の間に挟まれることになった男は、苦しそうな声を上げた。
「今です! 逃げましょう! こいつはやばい!」
倒れたもうひとりがボスの肩を掴んで逃がそうとする。
待て。逃げるな。俺に倒されろ。街の悪を許しはしないぞ。
逃げていくボスと男。ナベプタは追いかけたかったけれど、もうひとりが離そうとしない。体重では負けていても、握力は相当鍛えているらしい。ナベプタの太った腕に指が食い込んでいる。痛いだろ。
引き剥がせそうではなかった。
「こいつ! 邪魔をするな! 離せ!」
反動をつけながら、何度も男を壁に激突させる。肺の空気が漏れて、口を開けてパクパクと息をしようとしている。
そこに、容赦のない体当たりが再び襲う。
男が壁に、後頭部を強く打った。すると、ナベプタを掴んでいた手の力が弱まる。
ガクガクと体が震えて、男は力なく崩れ落ちた。壁には血痕が残っていて、男の体からも血が流れていた。
ナベプタはゆっくりと後ずさり、男の様子を見る。痙攣はだんだん弱くなって、ついに動かなくなった。開いたままの目に生気はない。
「あ……」
死んだ。直感で理解できた。
俺は今、人を殺した。
「ああ……」
後退る。狭い路地だから、反対側の建物の壁に背中が当たった。
人が死んだ。俺が殺した。立派な犯罪者だ。
いや、待て。違う。元はと言えばこいつが悪い。罪のない女の子を連れ去ろうとしていた。それに、見るからに悪い奴らだ。偉そうな男にボスと言っていたな。きっと暗黒街の実力者とか、そんなのだろう。
暗黒街なんてものが本当にあるのかナベプタは知らなかった。けど、今ならあると確信できた。
そもそもこの男が抵抗するのが悪い。掴みかかってきたのはそっちだ。相手が勇敢なるイビルスレイヤーだとわかっていながら、勝負を挑んだ。だから死んだ。それだけだ。
俺は悪くない。悪いのは全部こいつらだ。
「ねえ。おじさん。この人死んだの?」
不意に声をかけられて、ナベプタはビクンと体を震わせた。どれだけ自分を正当化させても、内心で感じていた恐怖と気まずさは消えることはない。
声の主は、連れ去られかけていた子供だった。逃げるでもなく、戦いを見ていたらしい。
暗がりでわからなかったけれど、近くで見て気づいた。女の子ではなく少年だった。暗いし、子供だから見分けがつきにくい。
なんだ男か。助けて好意を向けられても、あまり嬉しくはなかった。少なくとも、殺人を前にした内心を落ち着かせるほどではなかった。
「そ、そうだ。俺が殺した。勇敢なるイビルスレイヤーが、悪を制裁したんだ」
震える声で、自分に言い聞かせるように話す。少年は暗い中でまっすぐこちらを見つめていた。
「人殺しだよ?」
「うる、さい。悪い奴は死んで当然なんだ」
さっきのクソガキと同じか。男っていうのは、これだから可愛くない。助けてやったんだから感謝しろ。女なら手を取って感謝の言葉を尽くしてくれるはずなのに。
覆面を被っているから、少年はナベプタの表情はわからないはず。でも声の調子から苛立ちや恐怖の感情を読み取ったのだろう。
「そうだね。オレもこいつは嫌いだった。死んで当然と思う。助けてくれてありがとう」
お礼を言った。
残念ながら、ナベプタの不安を消すほどの効果はなかった。
少年はなおも覆面姿の男を見上げていて。
「これからどうするの? 軍に自首する?」
「し、しない! そんなことはしない!」
人を殺せば犯罪者として捕まる。ナベプタはよくわかっていた。
それは困る。勇敢なるイビルスレイヤーとして、栄光を掴まないといけないのだから。
「じゃあ、逃げるの?」
「逃げもしない。英雄はそんなことをしない。そうだ、悪を倒したと言う! 死んで当然の人間を英雄が殺したと、民衆に触れ回る! そうすれば、勇敢なるイビルスレイヤーをみんなが尊敬して、兵士も手を出せなくなる!」
そうだ。これしかない。いい方法だ。




