12.世直し
仕事に全く身が入らない一日を終えたナベプタは、なにか言いたげな親方から逃げ出して、職場から離れる。
ヘラジカ亭へ行くでもなく、家に帰るでもない。大通りの雑貨店に寄って、良いものがないか探した。
仕事が出来なかったのは、ずっと考え事をしていたからだ。勇敢なるイビルスレイヤー。名前が決まったのだから、今度は英雄としての姿を決めなければ。仕事中、ずっとそれを考えていた。
悪を倒す英雄は、素顔を晒して活動してはいけない。せっかくの異名が無意味になってしまう。覆面なり仮面なりを被って、ナベプタではなく勇敢なるイビルスレイヤーを名乗って活躍する。その方が世間は英雄を受け入れてくれるはずだ。
その名声が高まり、人々が正体を知りたいと望んだ時に明かす。こうしてナベプタは誰もに親しまれる英雄になる。
ユーファ含めて女の子たちがナベプタに夢中になる。虐げてきた親方や実家の奴らは悔しがり、英雄を馬鹿にしてきた今までの自分を恥じるだろう。
誰もがナベプタを崇めて尊敬して……その後どうなるのだろう。金持ちが家に招待してくれる? 大金が手に入る? きっとそうなるに違いない。とにかく、誰もに愛される新しい自分になれる。
そのための覆面探しだ。
良いものは中々見つからない。大きな体で店を歩くと、陳列棚に体が何度もぶつかる。店主が眉をひそめてこちらを見てきた。
なんだその目は。俺は英雄だぞ。それ以前に客だ。そんな目を向けるなんて、こいつは悪だ。俺が有名になった後に、この店の悪評を広めてやる。その時に後悔しても遅いぞ。
店主を睨み返しながら店を出る。そして別の店を探した。
覆面なんて売っていない。結局、麻の大きな袋を買った。家でそれに穴を開けて前が見れるようにした。これでも立派な覆面だろう。
作ったばかりの覆面を握りしめながら夜の街を歩く。仕事終わりの酔っぱらいばかりが目に入る。気持ちよく飲んでいる市民たち。だが、善良な市民とは限らない。
悪を見つけた。
酔っ払いの男が、仕事の部下か後輩と思しき男に偉そうな口を聞いていた。だからお前は仕事が出来ないとか、そんなんじゃ世の中やっていけないとか。
言われている方は迷惑そうな顔で、しかし逃げ出すわけにもいかず困っているらしかった。
このふたりを尾行して、少しだけ人通りが少ない所に出た途端に、ナベプタは覆面を被って偉そうな男に突進。背中から衝突した。
体重のあるナベプタに激突された男は不意打ちなのもあって倒れてしまう。
「逃げなさい」
「え」
「逃げろ。こんな男に構っていることはない!」
「は、はい!」
急なことに、部下の男は混乱しながらも逃げ出した。そうしたかったのは事実なのだろう。
あ。しまった。大事なことを忘れていた。
「俺は! 勇敢なるイビルスレイヤーだ!」
逃げていく背中に叫ぶように名乗って、ナベプタも別の方向に逃げて、覆面を取って市民の中に紛れる。
さあ次だ。
何かの商店の前で、酔っぱらいが大声を出していた。なにか店にクレームをつけているらしい。それも理不尽な内容だ。店の主人は困っているようだ。
許せない。悪だ。
店先にいる男の背中に迫り、肩を掴んで引っ張る。やはり不意打ちで、体重をかけて引っ張ったものだから、男は容易に転倒した。
「店に無茶な要求をするな! この、勇敢なるイビルスレイヤーが許さないぞ!」
高らかに宣言して去っていく。
次に、女に執拗に絡む男を見つけた。ナンパなのは明らかで、一緒に飲もうとかそんなことを言っている。
許せない。女に危害を加える悪を、イビルスレイヤーは見逃さない。見るからにチャラそうな男に真っ直ぐに突進して、突き飛ばす。男は壁に体をぶつけて悲鳴をあげた。
「お嬢さん、逃げなさい」
「は、はい! あの。あなたは」
ああっ! この瞬間を待っていた。助けた相手から名前を聞かれる時を。
「俺は勇敢なるイビルスレイヤー。街の悪を許さない、英雄だ」
「イビルスレイヤー……」
「さあ、早く逃げて」
「はい! ありがとうございます!」
女は頷いて駆け出した。
ナベプタは残された男を見る。突然のことに戸惑い、しかしやられたままで終わるのは気に食わないって顔をしていた。反撃しようとしたから、ナベプタも全力でぶつかる。
「ぐえっ」
巨体と壁に挟まれた男は苦しそうな声を上げる。しかしナベプタの攻撃は止まない。悪は滅びるべきだ。こいつは許せない。
女から感謝されたナベプタは気が大きくなっていた。今ならなんでも出来ると確信を持てた。どんな悪も、この勇敢なるイビルスレイヤーの前には無力だ。
何度も何度も、男が虫の息になって崩れ落ちるまで体当たりを繰り返した。
ようやく満足したナベプタは、悠々と立ち去り、また他の悪を探し求めた。
――――
燻製メニューは好評で、数日のうちにヘラジカ亭のメニュー表に記載されることになった。燻製ジャーキーや、茹でた卵やナッツやチーズなどだ。酒が進むと評判で、大勢が注文していた。ついでに酒の注文も増えた。サマンサは随分と上機嫌だ。
作るのも、燻製機に木のチップと材料を入れてしばらく放置で済むから、楽だ。もっと大きな燻製機の導入が決まって、店はますます繁盛する見込みだ。
私としても、乾きものだから皿洗いが楽でいいのよね。どろっとしたシチューや、ソースや油がこびりつくステーキよりもずっと洗いやすい。
みんな食べたがっている理由は、味や香りも大きいのだろうけど、どうやら貴族の間で流行してるという噂が流れているからなのが大きいらしい。
金持ちのやることは、みんな真似したがるのよね。
「でも、本当に流行っているのかしら」
「本当」
「そうなの?」
「リリアが言ってた」
「へえー」
休憩時間中、ふとした疑問にユーファが答えてくれた。




