12 エルマーの離宮
エルマーからお茶の誘いがあったのは、婚約した翌日のこと。返事を出すとすぐにまたその返事が来て、あっという間に七日後に設定された。エルマーからの返事が異常に早くて驚いている。
そしてその七日後。
ぜひともこちらにいらしてください、とのことだったので、場所はエルマーの離宮になっていた。
教会とエルマーの離宮はどちらも王都内にあるので、遠いというわけではない。それでも徒歩だと一時間程度かかる。王都内の大通りには巡回している乗合馬車が走っていて、教会の前も停留所になっている。フローラはそれに乗っていくつもりで教会を出た。
停留所には見慣れない豪華な馬車が止まっていた。乗合馬車は馬が二頭で人が乗る場所は広い荷台に簡素な屋根がついたような仕様だが、こちらはボックス型になっていて、なんだかキラキラしている。
(どなたかお偉いさんでも来てたっけ?)
高位の貴族が教会に来るという予定があれば知らされているはずだが、今日は聞いていない。
(お忍びかな)
首を傾げながらもまぁいいかと乗合馬車の停留所に並ぶと、教会の中から見習いが走ってきた。
「フローラさああぁぁん!」
「はああぁぁい!」
おんなじように返事をしてみる。
「血相変えてどうしたの。なにかあった?」
「よかった、まだいた! あの、お迎えの馬車が来てますって言伝を頼まれたんですけど、部屋に行ったらもういなくて、フローラさんならもう行っちゃったよって言われたから、すれ違ってたらどうしようと思って!」
「お迎えの馬車?」
見習いが首を動かしたので、フローラもそちらを見る。あのキラキラ馬車だ。
「まさかだけど、あれ?」
「たぶん」
馬まで高貴な香りが漂い、「エリート馬ですけど」という顔で澄ましている。どう見てもフローラが乗る格式ではない。
ばっちりとエリート馬の前にいる御者と目が合った。馬を扱っているはずの御者なのに、ピシッとした服装をしている。
そーっと頭を見習いのほうに戻す。あれに乗るならば乗合馬車のほうが気が楽だ。
「……聞かなかったことにしていいかな?」
「よくないですよ! 私が伝えられなかったことになっちゃうじゃないですか。それにあの御者さんだって、戻って雇い主に怒られちゃいます」
「うーむ」
フローラは仕方なくその馬車の前に行くと、御者がなぜか感極まった、みたいな顔をしていた。
「フローラ様ですね?」
「はい」
「ああっ!」
いきなり跪いて敬礼された。周りにいた人たちが何があったんだとこちらを見ている。フローラこそ、この状況を説明してほしい。何があったの。視線が痛い。
「以前馬車の事故がありまして、その時私はフローラ様にこの命を救っていただいたのです」
「……あっ、ああ、あの時の。お身体のお加減はその後いかがですか?」
馬車の事故のことは覚えている。思い出すのにちょっとばかり時間がかかったが、忘れたわけじゃない。
言い訳をするなら、聖女は日々癒し業務にあたっている。事故現場に出向くことも、フローラにとっては日常だ。もちろんその場では最大限できることをする。だけど、非情だと言われるかもしれないが、それを余すところなく覚えていられるほどフローラの脳の容量は大きくないのだ。
走って知らせてくれた見習いにお礼を言い、すっかり元気だという御者に支えてもらって、豪華な馬車に乗った。中に乗っているのはフローラだけなのに、なんとなく身の置き場がなくて端に寄ってしまう。
王家の馬車って揺れないんだな、なんてことを思っているうちに、離宮に着いた。
フローラは建物を前にして思わず見上げた。そして中に案内されて、またしても見上げた。馬車もキラキラしていると思ったが、建物の中もすごい。
フローラにはもう、そんな陳腐な感想しか出てこなかった。あと思ったとすれば、こんなところで暮らして落ち着いていられるのかな、ということだ。
(こういうところで生まれて育ってるんだから、落ち着くもなにもないのかな)
通された部屋のソファにちょこんと腰掛けると、ほとんど同時にエルマーが入ってきた。慌てて立ち上がろうとするも、ちょっとよろけてしまった。ソファがふかふかすぎるのが悪い。
それでもなんとか姿勢を正して挨拶をする。
「本日はお招きいただきありがとうございます」
「こちらこそ、来てくださってありがとうございます」
「馬車でお迎えまでしていただきまして、ありがとうございます」
「いえいえ、とんでもないことです」
お礼ばかり言い合う。なんだこれ。
エルマーは婚約の日と変わらずなぜかとても丁寧だ。だけどにこやかさの欠片もない。婚約したのだからお茶をするのはもはや義務、という感じなのだろうか。誘ってくれたのはエルマーのほうなのだが、フローラには貴族事情がわからない。
座り直すとお茶が出された。無駄のない動きの従者。花の模様があしらわれた高そうなカップ。割ったらどうしよう。
そしてお菓子も数種類運ばれてきた。全部綺麗だ。どうしよう。
「すみません、好みがわからなかったので、いくつか用意してみました」
「お気遣いいただきありがとうございます」
「いえ」
どうにも落ち着かない。
教会の貴賓室でも落ち着かない気分になるのに、それよりも何もかもが高そうな部屋。気軽に手を出せるはずもない、形のいい菓子。なぜかもてなそうとしてくれる、この国で一桁台の高貴な人。
平民に生まれ、市井や教会で揉まれながら地に足をつけて生きてきたフローラには馴染みがなさすぎて、ここは現実なのだろうかと思ってしまう。
「何か問題がありましたか? 好みの物がなければ、別のものを用意させますが」
「いいえ、とんでもない。ただ、まるで別の世界のようで」
言葉にしてからハッとした。そう、ここはフローラが生きている場所とは別世界。本来フローラがいるはずもない場所だ。
それならば、この非日常をちょっとくらい楽しんでもいいんじゃないだろうか。
あとから何を要求されるのだろう、という不安がないわけではない。だけどそれを心配したところでもう馬車に乗ってしまったし、ここにも来てしまった。そして王子の時間を現在進行形で奪っているわけだ。
どうせフローラにできることは何もない。私には分不相応なので遠慮します、とここから勝手に出れば不敬になるし、せっかく出していただいたものに全く手をつけないのも失礼かもしれない。
……決してお菓子に目がくらんでいるわけではない。ないったらない。
フローラは仕事に関すること以外、元々楽観的な性格をしている。どうせ避けようがないのなら、何かあったらその時に考えればいいか、と開き直ることにした。
まずはどのお菓子にするか、と視線を移したところで、エルマーの沈んだ声が聞こえた。
「別の世界、ですか……」
「別の世界といいますか、私とは住んでいる世界が違うのだなと、そう思っていただけです」
「住んでいる世界が違う」
フローラは一つのお菓子に目を止めた。あれはもしや、マカロンではないか。イゾルデが王弟にもらったからと分けてくれたマカロン。とってもおいしかったマカロン。その時のものは茶色っぽかったと記憶しているが、目の前にあるものは黄色である。形は間違いなくマカロン。でもなんだあの色は?
その時いきなりエルマーがシャキッと姿勢を正した。




