13 聖女は人間です
「あの、大聖女様は今後も教会で過ごすとおっしゃっていましたが……」
エルマーが真剣な顔でフローラを見つめた。その表情に押され、フローラもマカロンから視線を外して姿勢を正す。
「この、私の宮では不足ですか?」
「……はい? えっと、不足とは?」
「私は傲慢にも、け、結婚しましたら、大聖女様はこちらにいらっしゃるものだと、それが当然のことだと思っていました。ですがそのつもりはないのですよね? なので、足りないところがあるのではないかと」
足りないところ?
足りないのはフローラのほうだ。身分もなければ貴族女性の嗜みもないのだから、この部屋にいるだけでも違和感しかない。場違い甚だしい。
「私は一応王族なので、それなりの格式のものは用意できます。部屋も日当たりの良い場所にありますし、内装はお好みのように誂えます。祭壇も作ります」
「祭壇?」
「そうです。今から取り掛かれば間に合うかと思います」
「あ、いえ、そうではなくてですね、なぜ祭壇を?」
「教会にあってこちらにはないものと考えたときに、祭壇かなと思いまして……」
エルマーはどうにも真剣だ。ふざけている様子は全くない。
部屋に祭壇などいらないが、まずその前に、どうやらエルマーはフローラをこの離宮に迎える気でいるようだ。なぜ。
「あの、私はこちらに来た方がいいのですか? もしかして、婚姻後に私がこちらに来ないと、都合が悪かったりしますか?」
今は教会で過ごしているイゾルデも婚姻後しばらくは王弟宮に移っていたし、エルマーとしては、大聖女とちゃんと結婚しました、というアピールも必要なのかもしれない。
エルマーは微笑むことなく、わずかに目を見張った。
「都合が悪いのではなく、私がそうしてほしいと思っているのです。離宮の場所を変えることはできませんが、部屋はできる限り希望に沿うように整えるつもりです。ですので、できればこちらに移ることも検討してもらえたら嬉しいです」
「はぁ」
王子の前なのに、何とも気が抜けた応えになってしまった。
フローラは教会でずっと過ごすことに抵抗はないが、だからといってそれに執着しているわけではない。イゾルデや修道院の女性たちからいろいろ聞いているので婚姻には積極的ではないが、もはやそれは決められているし、通常であれば結婚すれば相手の家に移るものだという常識くらいはある。
「こちらに迎えて下さるというのならば、私はそうしますが……」
あっさりそう言うと、エルマーは虚を突かれた顔をした。
「いいのですか?」
「私はかまいませんが、殿下に迷惑が掛かってしまうのではありませんか?」
「迷惑など、滅相もない!……でも、分不相応だと言っていませんでしたか?」
「それは申し訳ございません。ですが生まれは変えることができませんので……」
「生まれ?」
フローラの生い立ちをエルマーが知らないはずがないが、彼は意味がわからないというように軽く首を傾げた。
「私が平民の生まれなのはご存じですよね?」
「もちろん知っています」
「大聖女の称号を得たところで、平民であることに変わりはありません。成り行きで私は今ここにおりますが、殿下にお目にかかれるような身分では本来ありませんでしょう? それが殿下の宮に住まうなど、恐れ多すぎることではありませんか」
「そんなことはないと思いますが……」
大聖女の称号はそれなりの地位とみなされはするけれど、だからといって爵位を得られるわけではなく、元の身分が変わるわけでもない。
「それに私には貴族女性の嗜みがございません。聖女としての教育は受けてきましたが、貴族社会での立ち居振る舞いはほとんどできないのです。ましてや王族の女主人の仕事など、全くわかっておりません」
フローラはいかに自分が王子の妃という立場から遠いかを述べた。ここに来ることになったって役には立てないし、むしろ邪魔になるだけだよと、遠回しに、でもはっきりと言った。
エルマーはなぜかそれを驚いたように聞いている。
「殿下に利がなさすぎます」
「いえ、聖女様がいらっしゃるというだけで、利はあると思いますが」
「聖女はただの人間ですよ?」
「ただの人間」
「そうです。たまに聖女がいるだけで幸運が舞い込むとか、害を退けてくれるとか思っている方がいらっしゃいますが、そんなことはないです。聖女にそんな力はありません」
本当にいるのだ。聖女を縁起物とか厄除けだと思っている人。自分の代わりに聖女が悪いものを引き受けてくれるのだと思っている人さえいる。だから嫁にほしいと望んでくる人もいる。冗談じゃない。聖女は厄除け人形じゃないのだ。
「あとは女神様と聖女を混同している方とか、聖女は女神様と交信できると思っている方とかもいらっしゃいますね。大聖女も聖女も、女神様から称号と少しの力を与えられた、ただの人間なのに」
女神扱いされて拝まれることもあれば、女神からのお告げがないのかと聞かれたり、女神にこの願いを伝えてくれと懇願されたりもする。そんな能力があるはずもない。
そんなことがあった日を思い出していると、エルマーがボソッと何かを呟いた。
「それでは、下界に降りたくないということではなかったのか……」
「下界?」
「いえ、こちらの話です。申し訳ない。それでは、こちらにいらしていただく方向でいいでしょうか?」
なぜか嬉しそうにそう言うエルマーに、フローラは失礼ながら、話聞いてた? と思った。だけどここまで言われて断ることもできず、はいと頷いておいた。
それから少し何でもないようなことを話して、次の約束をし、お茶の時間は終わりになった。最後まで丁寧な態度だったエルマーに見送られて、行きと同じ馬車に乗る。当然のごとく教会まで送ってくれるらしい。
豪華な馬車の中の柔らかい座席に腰をかけ、フローラは窓から空を見上げた。白い雲がふわふわと浮いている。まるで綿あめみたいだ。
結局お菓子を全て食べ損ねた。あの黄色いマカロンがどんな味だったのか気になる。フィナンシェもあったのに、エルマーが手を出さないからといって遠慮しなければよかった。
フローラは静かにため息をついた。
◇
フローラを見送って自室に戻ったエルマーに、オイゲンはいつものハーブティーを出した。オイゲンは開いた扉の外には控えていたのでたまに声は聞こえたが、内容まで全てを把握しているわけではない。
どこか嬉しそうな様子から、上手くいったのだろうとオイゲンは思った。
「殿下、いかがでしたか?」
「大聖女様は、人間であった……」
「……はい?」
非常に感慨深いというように、エルマーは重く言った。
エルマーは基本的には優秀だが、フローラが絡むとどうにも訳が分からなくなる時がある。
「そういえば、殿下はフローラ様を崇めていらっしゃいましたね。それは殿下にとって、残念だったのですか?」
「逆だ、逆。大聖女様が人間ならば、もしかしたら普通の夫婦のようになれる可能性もなくはないのかもしれないなんてことを思ってしまって、ちょっと期待した」
エルマーはフローラと結婚したとて、一般的な貴族のような夫婦にも、平民のような夫婦にも、なれるとは思っていなかった。なにせ国の大聖女で、皆の大聖女なのだ。女神のようなその存在をエルマーがお預かりしているだけであって、エルマーはただ誠意をもって尽くそうと思っていた。
だけどそれが女神でなくて人間なら?
一緒に食事をとって、共に読書をしてみたり散歩をしてみたり、休日を一緒に過ごしたり、旅行に行ったり。そんなことをしても許されるかもしれない。
「オイゲン、俺は大聖女様と並んでもいいのだろうか」
「それはフローラ様にお尋ねしてください」
「そうか、そうだな。ところでオイゲン」
「なんでしょうか」
「大聖女様は何も召し上がらなかった。出したお菓子はお気に召さなかっただろうか。甘いものは好きだと言っていたと思ったんだが、次は違うものにするか……?」
お読み下さりありがとうございます。
更新時間が安定せずすみません。
土日祝の更新はお休みします。
5万文字くらい?と思いながら書き始めたはずが、終わらなそうな気がしている……。




