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その11、伯爵令嬢と子守唄。(3)

 コンコンっと軽くノックをして、ベルは声をかける。

 すぐさまドアを開けたルキは驚いたような表情で、


「ベルがこんな時間に訪ねてくるなんて、一体どうしたの?」


 と尋ねる。


「少し、お話いいですか?」


「構わない……が、その荷物何?」


 ルキはベルが旅行にでも行くのかと思うくらいパンパンに詰めた黒いバッグを指して尋ねる。


「んー何が必要なのか分からないからありったけ」


 ふふっとベルのアクアマリンの瞳が笑う。


「部屋に入ってもいいですか? それとも外や別の部屋がいいですか?」


 ライブラリールームとか応接室とか? とベルは入室前にルキの意向を確認する。


「部屋で大丈夫だよ。ベルの事は信用してる」


 ルキは身体を退けて、ベルを部屋に招いた。


「えーと、ベル。コレは何かな?」


 お邪魔しまーすと部屋に入ったベルは、持参したバッグの中から沢山の道具を広げ始める。


「簡易コンロとケトル。とりあえずカモミールミルクティー作ろうかなって」


 座っててください、とルキをソファーに座らせベルは手際よく準備を整える。

 お湯が沸くまでの間にゆっくりしたテンポの音楽を流したり、室温や湿度をチェックしたりするベルを見て、


「ベル、本当に何しに来たの?」


 ルキは静かに尋ねる。


「んールキ様が眠れてないみたいだから、お節介なの承知で要らない世話を焼きにきました」


 ベルはそう言ってルキの前にカモミールミルクティーを差し出した。


「ルキ様って、隠し事下手ですよね」


 驚いたように目を丸くしたルキに、


「とりあえずまぁまずはリラックスして、気が向いたらぶっちゃけ大会でもしませんか?」


 私、口は硬い方ですよ? とベルは落ち着いた声でそう言った。



「ベル、コレ超気持ちいい」


「でしょ〜仕事上がりのホットアイマスクはマストですよね」


 とりあえず片っ端からやりましょうっとカモミールミルクティーを飲まされた後、ルキはベッドに連行され、ホットアイマスクを乗せられた。


「これなんの匂い?」


 アロマポット焚きますねーと声がかかり、ふわっといい香りが鼻腔をくすぐる。


「ラベンダーです。とりあえずリラックス効果ありそうなの片っ端から持って来てみました」


 苦手なら別の種類もありますよと言ったベルにこのままで大丈夫と告げる。


「これもベルの自作?」


「残念ながら既製品です。カモミールもラベンダーも時期じゃないので」

 

 もう時期過ぎちゃいましたから、やるなら来年ですねとベルは笑う。


「……そ……っか」


 来年、と聞いてルキの声のトーンが落ちる。ベルはルキの側の椅子に座ると、


「ハンドマッサージしてもいいですか? これも結構リラックスできます」


 手に触れていいかを尋ねる。ルキから了承を取ってからベルは彼の手をそっとホットタオルで包んだ。


「眠くなったら寝ちゃってもいいですよ。その時は私勝手に部屋に戻りますから」


 それまでおしゃべりでもしましょうか、とベルは優しげな声でそう話しかける。


「……なんでベルはこんな事してくれるの?」


「んーそーですねぇ。ルキ様が豆腐メンタルなんで心配なのが1点と」


「……相変わらず失礼な」


 だって事実でしょとベルは揶揄うように言って静かに笑う。


「あとは、私が個人的にヴィンセント様、つまりあなたのお祖父様に大恩があるからです」


 えっ、と小さく声を上げたルキはホットアイマスクを外し、驚いた顔をして上体を起こす。


「動かれるとハンドマッサージできないんですけど」


 いつも通りの調子で眉根を寄せて抗議するベルに、


「いやいやいやいや、俺そんな話聞いてないんだけど」


 ルキの濃紺の瞳が困惑を示す。


「ホットアイマスク、冷えましたね。もう1個いります?」


 ルキの落としたホットアイマスクを拾って、ベルが尋ねる。


「いや、ベル! 俺、そんな話知らない」


 ホットアイマスクどころじゃないからと抗議の声をあげるルキに、


「ふふ、あなたは本当に婚約者に興味がないですねー。私との婚約の経緯なんて本気で調べようと思えばいくらでも調べる方法はあったでしょうに」


 とベルはおかしそうにルキに笑いかけたあと、ルキの手に精油を垂らす。


「だから、私はあなたにとって"絶対安全"なんです。ヴィンさんの大事なお孫さんを傷つけるような事はしないから」


 ハンドマッサージを続けながらベルは淡々とそう言葉を紡ぐ。


「私が頼まれたのは結婚したくないあなたのための風除け役です。婚約者がいないと信用問題になるなんて、上流階級の方は本当に面倒ですね」


「……つまり、公爵家が婚約を申し入れたくせに、公爵家の都合で婚約破棄する事が初めから決まってたって事か?」


「それについては、最初からお伝えしていたではありませんか。"私も結婚する気はありません、1年限りの契約婚約です"って」


 そう、初めて会った見合いの日にベルから契約を持ちかけられて、この話に乗ったのは自分自身だ。

 内容も何ひとつ変わっていない。


「女性に苦手意識を持っているあなたを慣れさせる意味もあったのだと思います。ヴィンセント様から返しきれないほどの恩を受けた私があなたに手を出すことは絶対にありえないから」


 それなのに、ベルの語る知らなかった話を聞いて、ルキは急に胸が締め付けられるほど苦しくなる。


「勘違いしないで欲しいんですけど、頼まれたのはあくまで風除けだけで、あとは全部私が勝手にやった事です。今ここにいるのも、この話をしているのも、全部私の独断です」


 信じる、信じないはルキ様にお任せしますとベルはそう告げる。


「……どうして、俺に今それを教えてくれたの?」


 ベルと過ごした時間も彼女との距離の心地よさも全部演技だったのだろうかと思う一方で、自分が見てきたベルを信じたい気持ちもあって、ルキは複雑な思いを抱えたまま素直にベルに問いかける。


「あなたが、とても苦しそうに見えたから」


 手を止めたベルが心配そうにルキを見上げ、視線が絡まる。


「信じられない相手に、気持ちなんて打ち明けられないでしょ? だから、先に私の隠し事を話しておきたくて」


「お祖父様からの恩って言うのは?」


「知りたかったら、教えますけど。でもできたらここじゃなくて、ストラル伯爵領に一緒に行ってくれます?」


 そこでならお話しますとベルはじっと見てくる濃紺の瞳に約束する。


「兄がね、よく言うんです。寝て食べたら大抵の悩みは解決するって」


「何その雑なアドバイス」


「でも結構真理だと思うんですよ。ぐっすり眠れて、食べられる間はまぁ何とかなるかなって」


 ふふっと思い出すように楽しげに笑ったベルは、ルキの反対の手を取りハンドマッサージを再開する。


「ねぇ、ルキ様。何か言いたい事とか、溜め込んでる事とか、話したいことあれば聞きますよ」


 言いたくなければ無理にとは言いませんけどと言って、


「ルキ様の気持ちは、言ってくれないと分からないです。ヒトに話せば少しはすっきりするかもしれないし、話してくれたら私でも何かお力になれるかもしれないし」


 ベルは随分暖かくなった指先に手を重ねて、


「それでまぁ、少しでも楽になったら、とりあえず、しっかり寝ましょう。じゃないと、頭働かないじゃないですか」


 なので、安眠できそうなグッズいっぱい持って来てみましたとベルはドヤ顔でバッグを指す。


「……ちなみに、何持って来たの?」


「抱き枕に足枕でしょ、腹巻きと湯たんぽでしょ、足湯も有りかなって準備してきたし、肩マッサージ用に大きなタオルでしょ、あと簡易プラネタリウムとか」


「多い多い」


 全部試す気だったの? と苦笑しながらルキはベルはやっぱりベルだなと思う。

 風避け役をしてくれているのも、そのための婚約もベルに取っては祖父への恩返しの一環でしかないのかもしれない。

 だけど、彼女が今まで自分にしてくれた事も、向けられた優しさもやっぱり本物だと思う。

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