その11、伯爵令嬢と子守唄。(2)
ベルがドアを開けるとチリンと鈴の音が鳴り、鼻腔をくすぐるコーヒーの香りがする。
平日のランチタイムとカフェタイムの間のその時間は人もまばらでベルがいつも利用するカウンター席も空いていた。
「いらっしゃい、ベルちゃん」
「マスター」
マスターと呼ばれた妙齢の女性はベルが言葉を紡ぐ前に上を指差す。
ベルの目的の人物はもう来ているらしい。
「すみません、いつも都合つけてもらって」
「いいのよ、お得意様だもの」
マスターはふふっと笑ってベルに淹れたてのコーヒーを渡す。
ベルはお礼をいって支払いながら、
「コーヒー豆買って帰っていい? マスターのオリジナルブレンド」
と追加注文をする。
「この前も買って行かなかった?」
「気に入ったみたいで、よく飲んでるから」
ベルは自分の部屋に訪れるルキがコーヒーを飲んだとき浮かべるほっとしたような表情を思い出し、クスッと笑う。
そんなベルを見て、マスターは了承を告げながら、
「ベルちゃん、いい顔するようになったよね」
という。
「ええ?」
「なんって言うか、こー表情が豊かになった。前はもっと眉間に皺寄せながら必死に机に齧りついてたじゃない? 勉強でも、企画書立てる時でも」
「……そう、だっけ?」
特に何かを変えた覚えはないのだが、と首を傾げるベルに、
「今度彼氏さんも連れてきてよ。美味しいコーヒー淹れるから」
マスターは楽しげに声をかける。
「……彼氏じゃないんだけどねぇ」
ルキの顔を思い浮かべ、ベルは苦笑する。ルキとはそんな甘い関係ではなく、どちらかといえば手のかかる厄介な相手なんだが。
「でも、今度連れてくるわ。マスターの淹れたてコーヒー奢る約束したし」
余計なお節介だと自覚した上で、それでも放って置けないと思うくらいには、気がかりな相手になっていた。
ベルの待ち合わせ相手は、とても上品にコーヒーを飲んで、
「ルキがおかしい?」
ベルの報告を静かに聞き返した。
「そう、しかも多分本人無自覚」
多分、知らないうちに何かしらの地雷を踏んでしまったのだろう、とベルはため息をつく。
「まるで捨てられるのを怖がる小さな子どもみたい。"いい子でいなきゃ"っていう強迫観念で動いているように私には見える」
このままいけば多分どこかで無理が来る。そう言うベルの話を聞いて微笑む老紳士は、
「ベルちゃんは、本当にヒトをよく見てるね」
と目を細めてそう言った。
ベルは向かいに座る老紳士をじっと見る。一般庶民の生活エリアに合わせて地味な服を着ているが、気品の良さは隠しきれていない。
ひとつひとつの動作が綺麗で、コーヒーを飲む姿すら絵になるあたり、ルキによく似ている。
「だから"私"を婚約者に指名したんでしょ。ルキ様が安全に予行練習できるように」
相変わらず煮ても焼いても食えないヒトだと思いながら、ベルはコーヒーに口をつける。
「ヤダなぁ〜ベルちゃん。私はずーっとベルちゃんが小さい時からうちの孫のお嫁さんにおいでって言ってたじゃないか!」
「どーだか」
おどけて見せるその人、ルキとシルヴィアの祖父であり、ルキの爵位継承にストラル伯爵家との婚約なんて状況を作り出した張本人、ヴィンセント・ブルーノ前公爵にベルは肩をすくめる。
「ハルはともかく、私は本当にストラル前伯爵の……貴族の血を引いているかも怪しいのに」
似ていないのだ、血の繋がっているらしい父の生き写しだと言う兄に微塵も。
生前母の口から父親について語られる事はなく、自分と似ていない弟と本当に血がつながっているのだろうかと何度か疑った事がある。
それでも母が自分達を分け隔てなく扱ってくれていたからベルにとって血のつながりなど些細なことでしかなかった。
母が亡くなった後に自分達の身柄を引き取りにきた兄の容姿が弟とそっくりで先代ストラル伯爵の血を引いているのだと知るまでは。
「大方、私で女性の扱いを練習させてルキ様に女性への苦手意識を直させた後、きちんとしたお嬢様と縁組する気なんでしょうけど。でも、ちょっと酔狂過ぎない? 一時的とは言え、あんな生粋のサラブレッドにこんな雑種あてがうなんて」
いくら今までずっと貴族令嬢達との縁組が上手くいかなかったからって、荒療治にも程があるとベルはため息交じりにそう言った。
「……ベルちゃんは、血筋は何よりも重んじられるモノだと思うかい?」
「さぁ、天の上の人の思考なんて私は知らないわ。でもこの国はそのシステムで動いている。現在進行形でね」
この国は王政を取っていて、領地を治める貴族たちも皆国に倣って世襲制を取っている。
「そして、公爵家は血筋をどの貴族より重んじる」
王家の血がはいっているんだもん、当然よねとベルはこの国の現状を口にする。
「一概に括られるなんて悲しいなぁー」
「……ヴィンセント様みたいな人の方が稀なんだって」
「おや、昔みたいに"おじいちゃん"とか"ヴィンさん"って呼んでくれないのかい?」
悲しいなぁー、呼んで欲しいなぁーと駄々をこねる老紳士相手にベルは苦笑し、一時一緒に暮らしていた時の事を思い出す。
あの時はまだ自分は子どもで、この人の身分なんて知らずに本当に無遠慮に接していた。
だが、もう自分は何も知らない子どもではないのだ。
「少なくとも、ブルーノ公爵はそうでしょ? お兄様の事は気に入っているし、可能なら配下に置きたいけど、貴族の庶子……と言うか貴族の血を引いているかどうかも疑わしい私の事は排除したいって思ってる」
そんな人を相手に、大事な公爵家の後継者の婚約者に一時とはいえ自分を置く事をよく呑ませたものだと、現役を退いて随分経つのに未だに強い力と影響力を持つヴィンセントを見ながらベルは思う。
「知っていたか。ベルちゃんの外交省入りに難癖をつけたのが、ウチのバカ息子だって」
すまないねぇと肩をすくめたヴィンセントに、
「……別に私はいいんだけどね、慣れてるから」
そもそも外交省に入る気なかったし、とベルは首を振る。
「でもさ、ルキ様に言うのはやめてよね。あの人、優しいから。多分、私のために怒って無駄に傷つくから」
ルキは優しすぎる、とベルは思う。その高い身分に合うくらい貴族らしくもう少し横柄な態度を取ったって許されるだろうに、彼はそうしない。
そして、素直で少しだけ心が弱いヒトなのだ。
「おや、ルキはベルちゃんのお眼鏡にかなったかな?」
「……少なくとも、人としては嫌いじゃない。だから、協力はするけどね。でも、それだけだよ」
ベルは、自分に言い聞かせるようにつぶやく。
「風除けがいて、取り巻きの女の子に煩わされる事なくまともに社交界で立ち回れたら、ルキ様はすぐにでも公爵家の後継者としての地位を盤石にできるよ。そうしたら、私なんてあっという間にお役御免ね」
そして契約婚約者との婚約を解消し、彼はきっとその横に立つのに相応しい身分と教養を兼ね備えた上流階級のお嬢様と結ばれるのだ。
「このままルキを手懐けて公爵夫人の座に収まろうとしないあたりがベルちゃんらしいな」
そうしてくれてもいいんだけど、といったヴィンセントに、
「普通に考えて、まともな貴族令嬢ですらない、そういった教育も受けてない私が公爵夫人になんてなれるわけないでしょ。これでも、分はわきまえてるの」
ベルはキッパリと断りを入れる。
「私、ヴィンさんには本当に感謝してる。今、私がこうして日の当たるところに居られるのはヴィンさんのおかげだもん」
ベルはルキと同じ色味をしたヴィンセントの濃紺の瞳をじっと見て、
「ヴィンさん頼みだから"風除けの婚約者"を引き受けただけだし、ただの契約婚約者が踏み込むのはお節介が過ぎるのは分かってるんだけど」
ベルはここ最近のルキの様子を思い出してきゅっと唇を噛む。
「ルキ様が心配、なの。なんだか、昔の自分を見ているようで。頑張り過ぎて、潰れちゃわないか、すごく……すごく心配なの」
助けてください、と素直に頭を下げるベルを見て、
「やっぱり、君にルキを預けて正解だったよ」
とヴィンセントは微笑んだ。
「私が命を狙われて身分を隠して高飛びしている間、ブルーノ公爵家の内情はめちゃくちゃだったからなぁ」
まぁ、母親だけでなく、父親側にも問題はあったんだがと苦笑したヴィンセントは、
「当時多感な年頃だったルキは、多分抱えきれないくらい傷ついたまま、ずっとそこから目を逸らしてる。誰も適切にルキの心のケアをしなかったからね」
そう言って、申し訳なさそうに目を伏せた。
「ルキの話を聞いてやってくれないか?」
「私、カウンセラーでもルキ様のお母さんでもないんだけど」
そういうのは家族の方がいいんじゃないの? とベルはヴィンセントに問いかける。今日わざわざヴィンセントを呼び立てたのだって、家族としてルキと話して欲しくて、その相談をするつもりだったのに。
困った顔をしたベルに、
「家族じゃ、ダメな時もあるんだよ」
優しげに笑ったヴィンセントは、頼むよとベルにそう言った。
ベルは少し考えて、悩ましい表情で頷く。
「じゃあ、代わりに1個だけ、お願いしていい?」
ベルはヴィンセントにそう願い出る。
「なんだい?」
「貴族の結婚は義務で家や領地を守らなきゃいけないのは分かってる。ヴィンさんや公爵様が選ぶなら、文句のつけられない優秀な人なんだろうけど、でもできたら最後はルキ様に選ばせてあげてよ。ルキ様が、これから先の人生を共にする相手なんだから」
どうせ、公爵夫人の候補は何人かいるんでしょ? とアクアマリンの瞳はそう言って笑う。
「この人"で"いいじゃなくて、この人"が"いいって、ルキ様が思う相手と一緒にいて欲しいと思う。きっと、その方が素敵な家庭を築けると思うわ」
自分が彼に関われるのはあと5ヶ月。その後道が別れたら、あとは祈ることしかできない。
「ちなみに、ベルちゃんはルキと家庭を持つ事を考えてはくれないのかい?」
未来の公爵夫人の座はまだ空いているよとニヤニヤ笑うヴィンセントに、
「私は自分で稼ぎたいの! 上流階級の貴族の妻なんて専業主婦確定じゃない。絶対無理」
ベルは知ってるくせに、と強めに言った。
「これから先の貴族のあり方なんて分からないよ。ルキも、ベルちゃんもまだ若いんだから」
そう言ってヴィンセントは残りのコーヒーを飲み干した。
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