73 エピローグ
吸い込まれそうな青色の空
雲一つない冷ややかな空
冷ややかな空を映し出す美しい鏡の海
鏡の海を歩む人々の群れ
人々の向かう先に鎮座する荘厳な岩山
岩山に鎮座する美しい修道院
上下に境界のない合わせ鏡の光景
幻想的な光景
今、荘厳なゴシック調の大聖堂からミサの祈りの声が響く
物悲しくも美しい、鎮魂のしらべ
■アルシャーネの視点
冷たい空気が肌を刺す中、大きく開かれた扉から胸に迫る旋律が木霊します……
寒ささえも癒されるような優しげな旋律……私は大聖堂前の小広場から大聖堂を覗きますと……天高く伸びあがる石柱群が大聖堂の奥へ奥へといざなうように列なっています。少し薄暗い堂内には縦に細長い窓から太陽の恵みが斜めに落ちて、その恵みを白と黒の磨かれた大理石の床が反射し、アーチ状に湾曲した天井をほのかに照らし出します。整然と並ぶ茶色い長椅子。座ることで磨かれた美しい光沢の長椅子。その長椅子の前方で数人の修道僧たちが数十名の巡礼者とともに鎮魂のミサを行っています。
そう通常、日の出と日の入りの時刻にのみ行われるミサを、昼夜問わず一時も止むことなく行っています。それは汚冥界の鎮魂のためとさらには……と、ふもとの町から巡礼者の一団がぞろぞろと上がって来ました。巡礼者たちは私を見ると、目を見開き駆け寄ってきます。
「ああ聖女様……お会いできて光栄です……」「ああ何という……暖かさ……」「ああ聖女様……」
「ふふ、遠いところありがとうございます。鎮魂のミサを続けています。どうか少しでも長くお願いします」
「はい喜んで」
私はやってきた巡礼者たち一人一人と握手をしますと大聖堂に通しました。そして一段落すると、その場を他の司祭に託し大聖堂から居住区へと歩を進めました。居住区の看護房が気になったからです。
看護房に入りますと、修道僧たちが明るさを取り戻して労働に勤しみ、忙しそうに居室を出入りしています。入所者の体を拭く者、排泄物を処理する者、食堂へ連れていく者。
と、二人の修道僧が居室に入って行きます。一人はそばかすが可愛らしい修道僧、もう一人は小柄な修道僧で、私は静かに居室に近くと扉から中を窺いました。中では二人が一組になって清拭を始めております。
「システィーナさん、背中をよろしいですか?」
「はい! フォルトナーさん、体を横にしますよ~」
「ぁぁ~~~」
そう、小柄な修道僧とは修道服に身を包んだシスティーナさんで入所者の介助をしています。ああ修道服姿のシスティーナさんは……小柄で可憐で本当に可愛いです。
「わぁ~、システィーナさんお上手です!」
「えっ、そうですか!?」
「ぉぉ~~~」
「ほらフォルトナーさん、嬉しがってますよ~」
「ほ、本当ですか?」
褒められたシスティーナさんは照れて頬が赤くなりました……透明感のあるきめ細やかな肌が薔薇色になって……ああシスティーナさんは顔に出やすくそこがまた可愛らしくて、修道僧の間でも入所者の間でもたちまち人気者になってしまいまして……
と私は少し身を引いて隠れます。奥の通路から薬剤担当の修道僧マリアーレがやってきたためです。マリアーレは私と目が合うと、目で意志疎通を行いました。
「コンコン、失礼します。システィーナさん! 薬草の調合で相談したいんです」
「はいっ! 喜んで!」
「ええ~~っ!! 連れてっちゃうの~~!?」 不満げなルミエール
「もうっ! ルミエールはもう一時間以上システィーナさんといたからいいじゃない!」
「ブーー」
「ぅぅ~~」 フォルトナーさんも不服そうな声を上げます。
「うふふっ、また来ますっ!」
「はいっ! うふふ!」
システィーナさんの笑顔に思わず笑顔を返すルミエール。地味な修道院の生活が華やかになった気がします。いえ実際に華やかになっています……修道院とはいえ死の運命にある人々が住む入所施設です。それゆえこのような彩りがあった方がいいので、本当に素晴らしいです。
薬草園へと向かう二人に気付かれぬよう、私は距離を置いてついていきます。二人は歩きながらどのような症状の患者がいると話し合っています。
「……という症状なんです」
「なるほど。それならばあの薬草の種子の外皮があれば……ただ今の時期はギリギリかしら……」
「へえ~、外皮にそんな効用が!」
二人は話しながら回廊の中央にある薬草園に入り、薬草を調べています。薬草園にチョコンとしゃがみこんでは立ち上がり調べます。そして「あった!」「あったあった!」と手を取りあって喜びあっています。ああシスティーナさんは切れ長の大きな目が笑みで垂れて……何と可愛らしいんでしょうか……
そして調合室へと入っていき、調合しているようです。エルフであるシスティーナさんの薬草、薬学への造詣は本当に素晴らしく、その調合薬のおかげで元気を取り戻す入所者も出ています。聖魔法で治せない人でも、薬のおかげで根本から強い体に変えていく……素晴らしい発見がありました。
と今度は厨房担当の修道僧がやってきました。やはり私と目が合うと、コクリと頷き調合室の扉を叩きました。
「システィーナさん! お料理の方もお願いします!」
「はいっ! 喜んで!」
「ええ~~っっ、連れて行っちゃうんですか!?」
「何よ、マリアーレなら二人っきりでいたでしょ!? 次は私たちも一緒にいたいの!」
「うふふ。また来ますね。私も患者さんの状況に応じて薬をこんなに調合するなんて初めてだし、勉強になるんですよっ!」
「やったぁ! 絶対にお願いしますね!」
「ええっもちろん!」
厨房に移動する最中、「今日の献立は」「食材が」と二人で楽しく話し合っています。そして厨房に入ると他の厨房係に迎えられ、ともに楽しそうに料理をしています。システィーナさんの包丁さばきや味付けは見事の一言で、入所者はもちろん修道僧もその味に魅了されてしまいました。特に入所者の笑顔は相当なもので、食事だけでこれほど人は活気がみなぎるのかと思うほど、入所者が生き生きとし始めたのが十数年の修道院生活で初めて気が付いたことでした。美味しい食事というものは、人を元気にさせる力があるんですね……厨房係に囲まれて、キャッキャ、キャッキャと食事を作っています。
「エルフの里って」「エルフの女性は」「エルフの暮らしは」
皆、システィーナさんを囲んで……ふふふ楽しそうです。
その後も食事介助や沐浴介助など労働に労働を重ねて……
今日も忙しい一日が過ぎ去っていきます。
私はホッと胸を撫で下ろしました。
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深夜。
濃紺の冷涼たる空にはただ一つ美しい月が……大地のすべての熱が空に吸い上げられているからでしょうか、寝所にいながらも吐く息が白く色づきます。窓辺に腰を下ろしながら外を見ますと……ふもとの町は月明りに照らされ複雑な濃淡が浮かび上がっています。動くものはなく……皆寝静まって……ああ黒い遠浅の海がキラキラと白く瞬きます。あれはさざなみが月の光を映し出しているからでしょう。汚冥界の町と海とは似ても似つかない美しい光景です。
私は寒さを感じながらも窓辺で海の音を聞き、月明りの空を見つめていました。今後のシスティーナさんのことを考えながら……
どうなるでしょう……どうすればいいのでしょう……
と扉の向こうから、どこかの部屋の扉が開閉された音がしまして……ヒタヒタと……廊下を歩く音がします。違和感……私はベッドから立ち上がると寝間着の上に外套を羽織り、静かに外へと出ました。
暗闇の廊下の先に、朧気に浮かぶ人影……
一人……すなわち修道僧ではありません……修道僧は必ず数名で行動するためです。
足音の主は……小柄で……白く……淡く発光して見えます……
静かに距離を置いてついていくと……
白い人は、居住区から中庭に出まして……大聖堂前に……
窓から見ますと……
月明かりに照らされたその人は……
ああやはり……システィーナさん……
ああ、あんな薄着で……ああ、しかも裸足で……
システィーナさんはフラフラしながら、鎮魂のミサが行われている大聖堂へと……私も彼女を追い外に出ました。
ああ外は……体の芯から凍えるほど寒いです……
吐く息の白さが大きく……ああシスティーナさんは大丈夫でしょうか……
急いで大聖堂の中に入りますと、幻想的な光景が……
巨大な石柱に備えられた燭台に火が灯り、前へ前へといざなわれ……儚くまたたく火が整然と並ぶ長椅子を浮かび上がらせ……床に敷き詰められた白と黒の大理石が鈍い光を放ち……そして祭壇の前方にいる修道僧たちの鎮魂の旋律が……
システィーナさんはどこへ……
目を凝らして……と祭壇の前より整然と並ぶ長椅子の列の中程……右側の壁付近に、小柄な人影があります。白く淡く発光しているような人影……
ああ……あの位置は……
私はシスティーナさんに近づきました。
彼女は……身動きもせず、ただただ壁をぼんやりと見つめて……ああ素足が……裸足の足が痛々しいほど赤く……! 私は急いで隣に座りますと、羽織っていた外套に彼女を入れ彼女の足を私の足の上に乗せました! ああっ足が氷のように冷たい! ああっ体もすっかり冷えて……!
「システィーナさん! システィーナさん!」
普通ならば私の霊力に包まれ、霊力同士が反応しゆでダコのようになっているハズなのですが……彼女は……
反応なく……
ああ、目の焦点が……
「システィーナさん! システィーナさんっ!!」 パチパチッ! 私が頬を叩くと……
「……ぁぁ……アルシャーネさん……」 彼女はやっと私を見ました「えへ……どう……したんですか……?」
「『 どうしたんですか 』じゃありませんっ! こちらのセリフですよ!」
システィーナさんは私の質問に答えず、再び壁に顔を向けました。
「……そう……どう……したんだろう……」
「えっ!?」
「……どう……したんだろう……」
彼女は遠い目をして……小さく小さくつぶやきました……
「どうして…………もどってこないのかしら…………」
私は……心臓が…………大きく…………
「どうしたんだろう……もう……さんかげつも……どうして……もどってこないのかしら……」
私は……答えられませんでした……
そうなのです。
もうあれから三ヶ月も……私たちが汚冥界から戻ってきてから……三ヶ月も……
ですが……ですが……
し……神殿騎士様は……!
神殿騎士様は……まだ……!!
「……どう……して…………さんかげ……つ…………」
そう彼は言いました! 別の方法で帰る、と……
ですからっすぐに帰ってくると思ったのです!
ですが……! 待てど暮らせど……!
「どう……したんだろ…………どう…………」
彼は「帰れる確率」と言っていました……
帰れる確率……帰れる確率……
つまり…………そうじゃない確率も……あった…………
私は…………最悪の予想が……常に……
現世で行方不明になるなら食料や水の心配は無用ですが……
もしもまだ汚冥界に…………
「…………」
システィーナさんは再び押し黙り……虚空を見ています。
彼女の視線の先は……その場所は……壁。
汚冥界で、彼が最後に壁を作っていた場所……
稲妻の障壁を作っていた場所……
重なるけれど……
決して繋がることのない……
彼がいた場所……
もし……
彼が……
そこで…………
最期を迎えたならば…………
時空を隔てた……そこに…………
「どうして…………あのとき……わたしは……」 彼女はつぶやきます「かれをおいて……かえってきたの……」
「ち、違います!」
前方の修道僧たちが鎮魂のミサを行いながら、こちらを振り返りました。
ただならぬ雰囲気を感じ取ったのか……ミサの声が小さくなります。
「違いますよシスティーナさん。ルシェリアがいます! ルシェリアが彼を護ってくださるから私たちは先に戻って来たのです!」
そうです! ルシェリアです!
ルシェリアがいます!
きっとルシェリアが……!
「わたし…………どうして…………かれを…………」
彼女は壁を見つめてブツブツと呟いて……
ああっなんて目……
ああっ! やはり彼女はずっと……
明るく振る舞っていただけ……!
明るく…………振る舞っていただけだった!!
帰ってこない理由を……考えないように……
善からぬことを……考えてしまわないように……
修道院の労働を手伝うことで……
日々を忙しく過ごすことで……
己の心を欺いて……
「…………ど…………」 言いかけ彼女は唇を噛みしめました。「…………っっ!!」
彼女は目に……
いっぱいの涙をためて……
唇を強く、強く噛みしめて……!!
自らの腕に爪を……っっ!!
ガリガリとっっ!!
「ああっ! いけませんっっ!!」
私は二の腕に食い込んだ彼女の爪を何とか……!
彼女は体を……震わせて……!!
必死に……耐えて……!!
ただただ耐えて……!!
「言ってください……!」
「……っ」
「我慢しないで……!」
「…………っ」
「言ってください……!」
「…………っっ」
システィーナさんは……
唇を震わせながら……
声を詰まらせながら……
絞り出すように……
「っっ…………な……なん…………で…………っっ」
「はい……!」
「…………もどって…………こないのぉ……っっ」
「…………」
「……なんで……もどって…………こなぃのぉ……っっ」
絞り出る小さな声が…………震えて…………
ああ……悲しみが……彼女の悲しみが……
霊を介して……押し寄せて……
「……も……もどって…………きてよぅ…………っっ」
「…………」
「こっくりぃ……ぅ……うぅ…………こっ…………っっ」
必死に必死に……ただただ必死に……心を圧し殺して……
目には……今にも……零れ落ちそうな……
必死に……必死に……堪えて……
「こっくりぃ…………さ…………さび……しぃよぅ……っっ」
「…………」
「ぐすっ…………さびしぃよぅ…………っっ」
「…………」
「ぐすっ……さ……さび……し……ぃよぅ…………」
彼女の悲痛な呻き……
祭壇の前でミサを行っている修道僧たちからも……すすり泣きの声が…………
皆、システィーナさんが……好きなのです。
会ってから……触れあってから……少しの時間しか……でも……
皆システィーナさんが……大好きになってしまったのです……
ですから彼女が修道僧に混じって誰よりもたくさんの労働をしている意味が……
忙しい労働で押し潰されそうな悲しみを誤魔化そうとしていることが……
皆……
皆がそれぞれ彼女の悲しみを紛らわそうと……
笑顔にさせたいとして色々なところへ引っ張っていって……
「ぐすっ……も……もどって……きてよぅ……こっくりぃ…………っっ」
ああ……何ということでしょう……
悪夢が……
今度はシスティーナさんに……
ああ……
「ぁ……ぁぃたぃ……よぅ……こっくりぃ…………」
悪夢が……まだ……
「あ…………あぁぃ……たぃ……ょぅ…………」
ああ! 胸が……張り裂けそうです……
バアルの叫び声など…………
ああ!
「……そ……ば…………に…………ぃたぃょぅ…………」
私は彼女を抱きしめました。
「……今だけ、泣いてください」 私は自分の胸にシスティーナさんの顔を押し付けました。「泣いても、聞こえません……」
そう囁きますと……彼女は私の背中に手を……
そして震え始めて……
「ぉぉふぅ……ぉぉ……ぉぉふぅっ!!」
それでも彼女は……まだ我慢を……!
「我慢しないで……!」
「ぉぉ……おふぅ……ぐふぅ……!!」
「大丈夫っ! 帰ってきます!」
「おふぅっっ! おぉふぅうっ!!」
「帰ってきますとも!」
「おぉぉっ……っっ……あふぅぅあああっ!!」
システィーナさんは私の胸に力強く顔を押し付け、背中の手を強くっっ!
ブルブルブルブルと震え!
私は震えるシスティーナさんの頭に口づけしました。
「貴女の神殿騎士様は! 必ず帰ってきます!」
「あふぅっ! あはぁぁああああああああぁぁああっっ!!」
システィーナさんは、堰を切ったように激しく泣き始めました。
熱い涙……衣服を通して……
熱い叫声の息……衣服を通して……
神殿騎士様……!
早く……戻って来てください……
システィーナさんのために……
戻って来てください……!
無事な姿で……!
戻って来てください!
彼女の悪夢を取り除くため……!
システィーナさんの元へ……!
美しい大聖堂に、途切れることのない彼女の泣き声が消えていきます。
長期間、さらに長いストーリーを最後までお付き合いいただきありがとうございます!
いやーこんなに長くなるとは……転勤がなければ!
さて振り返ってみますとモン・サン・ミシェルを舞台に書いてみたいなーと思い考えたストーリーですが
まずは行ったことのない場所なんで、画像やら旅行者の話など参考にしつつ
想像を膨らませて描きました。実際のモン・サン・ミシェルは外から
見るものであって、中に入ると「あれ?」という感じらしいので
この世界では素晴らしいものと都合の良い間取り等に変えております。
さらにストーリーも当初は「二つの世界を半死人が繋ぐ」くらいしか考えておらず
最後もこんな終わり方になるとは思っていませんでした。
神殿騎士がどうなるか、は後日談をいずれ書いてみようと思います。
その前に「水の都編」を加筆修正して、「光る海編」との間にストーリーを挟み
全てを一つの小説に合体させようかな……と。
では、またよろしくお願いします。次はいっぱい書き貯めて、集中して掲載して行ければと思っています。




