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23 宿屋の早朝2

 

 ■コックリの視点



 いい香りだ

 樹木のいい香り

 まるで深い森にいるような、自然と深呼吸してしまう森林の香り



 癒やされる香りに包まれたまま、俺の意識は覚醒した。

 ああよく寝た。気持ちの良い朝の目覚めだ……と言っても、まだまだ室内は暗い。いや闇の中と言っていい。夜明けの一時間以上前だ。



 横向きに寝ていた俺の前には美しい少女が健やかな寝息を立てている。

 整った顔立ちの美しい少女だ。少女からは樹木のいい香りがする。

 森妖精のシスだ。



 暗闇の中、霊力で強化した俺の目には、彼女の白い肌が発光して見える。本当に神秘的な美しさだ。なぜこんな神秘的な妖精が、俺のことを好きになったのか、未だに分からない。短命な人間の俺よりも、同じ長命な森妖精の男性を愛した方が幸せになるんじゃないか……と思っていたこともあったんだが、どうやら大きな間違いだったようで、彼女につらい思いをさせていた。



 くく。神秘的な美しさなんだが、シスはいつも両手をチョコンと上げて寝る。赤ん坊のように手が顔の近くにある寝方。可愛い。これはどうやらエルフ特有の寝方らしく、寝返りで長い耳を折ったりしないよう自然と手が耳元に行くんだとか。安らかな寝顔と可愛らしい寝相に愛おしさがこみ上げてくる。



 俺は彼女の金色の髪をそっと撫でる。とても艶やかで、絹のような美しい髪だ。



「ついてきてくれてありがとう」



 そっと囁く。

 シスは「ん……ん」と小さく呻くとモゾモゾし始め、横向きで寝る俺の胸に頭をグリグリしてきた。くく……とても可愛くて胸がキュウッっとなる。



 そういえば昨日はシスに助けられたな。俺はあの穏やかで誰にでも優しいアルシャーネ司祭を怒らせてしまったんだが、シスが助けてくれて……俺は配慮が足りないのかな。



 昨夕のことを思い出した。



 --------------------



「はいっ!? 入所者を調べる!? さっき『聖地だから人ではなくモノを調べる』って言ってたじゃないっ!」



 赤い夕陽が射し込む賓客の間で、シスが珍しく大きな声を出した。

 ふふ、もうチンプンカンプンといった表情だ。その表情も可愛い。まあ確かに、『死者の怨念』だけではなく『生者の邪悪な心』さえも払う聖地で、邪悪な人がいないか調べる……と考えるとおかしいよな。



「つまりはこうだ。例えば、①邪悪な心がない状態で、②悪い結果に繋がる行動をしていた、ならどうかな?」

「え?」 シスは切れ長の大きな目をパチクリさせた。クルッとした長い睫毛が揺れてとても可愛らしい。「邪悪な心がない状態で……悪い結果に繋がる行動……?」



 シスは反芻した。俺の問いに真剣に考え込む。その真剣な表情に胸がドキリとして、俺は心を隠すように話しを続けた。



「まあ一例だが……」

「うん」

「例えば『何者かに操られていて、意図せず汚冥界に繋がるモノを隠したり出したりしていた』、とか」

「ああ!」 シスは合点のいった顔になった。「それなら確かにあり得るかも!」

「この場合、邪悪な心はないから聖霊の力には左右されないだろうな」

「うん、確かに!」 シスは手をポンとたたいた。「『 人を調べる』けれど『邪悪』とは無関係」

「ああ」

「もしかして、やっぱり入所者が肌身離さず隠し持ってる可能性も? 危険なモノと知らず」

「ううーん、そうだな……実は、昨日と今日でざっと入所者も見て回ってたんだが、怪しいモノを持ってるそぶりはなかったけれど……」

「洋服の中とかだったら分からないよね」

「まあね。まあ誤解のないように言っておくけれど、今のはほんの一例で『他の理由』があると思うんだ……」



 そう、たぶん『他の理由』があると思う。

 この聖地で起こっている怪異は、隠し持っているとかそんなに単純なことではない気がするんだ。

 今、この状況では想像だにできない、驚くべき『理由』が……

 過去にありえなかった特異な理由が……

 それを調べるために入所者を調べるつもりだ。と……



「もし操られているとしたら、犯人は外部にいるの!?」

「ん?」 予想外にシスが食いついてきた。「あ、ああ……そうなるだろうな」

「外部から、そんな芸当できる者って何者かな!?」

「んー……」 本当に予想外に食いついてくる。可能性は低いんだがな。「例えば『魔霊の遣い』とか?」

「魔霊の遣い!!」



 魔霊の遣いとは、聖霊と対極に位置する負の霊威『魔霊』に遣える邪悪な存在で、俺たち神殿騎士と対極に位置する存在だ。魔霊の遣いは、魔物の中ではマンティコア(体がライオンで顔が老人のモンスター)やヴァンパイアなどに多く、そして残念ながら人間の中にもいる。

 邪悪な考えと意思で行動を起こし、人々を苦しめることを好む。



「そうか、そうだよ! きっと魔霊の遣いのせいだよ!」

「いや……まあ、そんなに可能性は高くないんだけど……」

「ええ!? 何で!?」

「んー……やっぱり聖霊かな?」

「聖霊?」

「ああ。魔霊の遣いが関わっているなら、聖霊がそう啓示することが多いんだ。『遣い』とかね。だが……『戻せ』としか啓示していないのがなあー」

「そっか……『戻せ』の啓示……」



 そう『戻せ』の啓示。

 何らかのモノが所定の位置にないことを暗に示す啓示……うーん、「修道院に入ってきたモノを元の場所に戻せ」とか「修道院に入ってきた入所者を元の家に戻せ」か、あるいは「病気や怪我の入所者を元の状態に戻せ」ということだろうか?



 いずれにせよ、何らかのモノが関わっている可能性を示す啓示だ。



「ということで、今度は入所者を調べてみる方向だ。何か持ってないかとか……あるいはその入所者が元にいた場所がどうか、とか色々な情報を集めてみよう」

「なるほど、分かったわ。入所者が邪悪だとか……思ってないんだよね?」

「ああ」

「良かったぁ~」



 シスはその言葉を聞いて安心したようで、手のひらを合わせて喜んでいる。とても可愛い笑顔だ。

 そうか、彼女は宿命に立ち向かって懸命に生きる入所者やその人たちを助ける修道僧たちが好きになったんだな。だから、疑いたくないと……でもまだ分からないんだけどな。俺だけが入所者や修道僧を疑っておいて、そのそぶりを見せないようにしよう。



 その時、賓客の間の扉がノックされ、アルシャーネ司祭が入ってきた。



「お待たせいたしました。会議が長引きましたもので」



 凜とした美しい司祭だ。黒い髪が艶やかで神秘的で、シスの金髪とはまた異なる美しさがある。その圧倒的な霊力だけではなく、神秘的な見た目からも聖女だと思えてしまう。と、シスがアルシャーネ司祭の元へと向かった。



「いいえ、大変ですよね。お疲れ様でした」

「まあ! 嬉しいです」



 アルシャーネ司祭はシスが迎えに来てくれたのがうれしかったようで、笑顔でシスの手を取った。その笑顔と仕草はどこにでもいる女の子のようだ。ふーむ、当初会った時の、凜とした司祭とは別人だ。きっとアルシャーネ司祭は人々が期待する聖女像を壊さぬよう、そうしていたんだろうが……シスは本当に凄いな。聖女の再来と謳われるほどの高司祭を、素の状態にしてしまうんだからな……


 

 と、司祭は俺が見つめていることに気がつくと、顔が引き締まった。

 ああ、もしかしたら会議の場で怪異捜査の進捗状況を求められたのかもしれないな。いや、当然だろう。そして進展がないことを報告して大修道院長たちを落胆させてしまったのかもしれない。



「アルシャーネさん。ちょうどこれからの捜査の話しが終わったところだったんですよ。グッドタイミングでした」

「まあ、そうだったんですね。それで今後は何を調べるのでしょうか?」

「ええ」 シスの言葉を受け、代わりに俺が続けた。「入所者を調べようと思っています」

「!? 入所者を調べる!?」 アルシャーネ司祭の表情が見る見るうちに険しくなっていった。「入所者を疑っているんですか!?」

「いえ、そういうわけではありません」



 俺はシスにした説明をもう一度した。



「お考えは分かりました。ですがそれでも入所者を調べることは許可できません」

「ええ!?」 とシスが驚く。

「なぜですか?」 と俺が質問する。

「入所者を疑っていなくても、調べられるだけで彼女たちの心に傷ができます」



 司祭は続けた。入所者はそれでなくても、生まれながらに傷つき、あるいは途中から傷つき、家族に見放され、悲惨な生き方をしてきた。その上、怪異を起こしている者だと疑われたら、どれほど傷つくことか……「他の方法を探してください」と言った。



 マズいな。人を調べるのが怪異解決に向けて一番早い捜索なんだが……どうする?

 とその時、シスがアルシャーネ司祭に頭を下げた。



「アルシャーネさん、お願いします!」

「システィーナさん」

「シス」



 突然のことに俺も面食らった。シスは祈りを捧げるように、手を組み合わせて頭(こうべ)を垂れた。



「お願いします!」

「お願いします」 俺も頭を垂れる。

「お願いします! アルシャーネさん!」

「……」 アルシャーネ司祭はシスの必死の行動に迷いが生じているようだ。「……システィーナさんのお願いでも、ダメです」

「お願いします!」

「ダメです……」

「お願いします!」

「……」 アルシャーネ司祭は法衣の裾を握りしめた。「入所者を……疑いたくないのです」



 そうか。もしかしたらアルシャーネ司祭も、頭の片隅に入所者が何らかの鍵を握っていると思っていたのかもしれない。でも聖女の再来と謳われるほど慕われる自分が疑うなど、入所者への裏切りだと……と、その時シスが予想だにしないことを言った。



「私もです!」

「え?」「え?」

「入所者の皆さんが、怪異に関係していないことを証明したいんです!」

「!」 アルシャーネ司祭が目を見開いた。黒曜石のような美しい瞳が揺れる。「入所者が関係していないと……証明?」

「そうです!」



 そうか、シスはそういう想いだったんだな。と俺は何とか妥協点を考えてみた。



「アルシャーネ司祭。それでは、まずは全員でなくて構いません。①オウガ(八月)からセプト(九月)の三日以前に入ってきた入所者を、②書面上で調べて、③特に条件があう入所者をアルシャーネ司祭と共に……という方向ではいかがでしょうか?」

「……」

「アルシャーネさん……」

「証明……してくださいますね?」



 --------------------



「ん……」



 夜明けの三十分前になり、シスが起きそうになってきたから、俺は眠ったふりをした。大きく息を吸い、ゆっくりと吐く。と、シスがモゾモゾとしたあと、上体を起こした。



「あ……私ったらこんなにコックリに寄って……」



 恥ずかしそうにするシスを薄目で見る。ふふ、可愛いな。

 シスは俺を見ると、切れ長の目を細めた。そして華奢な手で俺のアゴ髭を触る。



「うふ、うふふ……ゆっくり休んでね、私の騎士様」



 彼女はそう囁くと、音もなくベッドから降りて、窓際のイスに腰掛けた。






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