第十一話:Fランク冒険者
一時間ほど歩いた頃だろうか。
鬱蒼としていた木々の密度が少しずつ下がり、頭上の空が広くなってきた。
木漏れ日が地面に描く模様が、まばらな点から大きな面へと変わっていく。
道なき道を進んでいるはずなのに、俺たちの行く手には、なぜか歩きやすい獣道が続いていた。
倒木があれば、ちょうどいい具合に朽ちて階段のようになっているし、イバラの藪があれば、そこだけぽっかりとトンネルのように穴が開いている。
まるで、森そのものが俺たちを通してくれているかのようだ。
「……不思議ですね」
後ろを歩くカエデが、杖で草を払いながら呟いた。
「普通、こういう未開の森というのは、もっと歩きにくいものです。下草が足に絡みついたり、毒虫が群がってきたり……。それなのに、貴方の後ろを歩いていると、そういった煩わしさが一切ありません」
「日頃の行いがいいからな」
「貴方の行いの良さなんて、昼寝を全力でしたことくらいしか思い当たりませんが」
カエデは呆れたように言うが、その声には安堵の色が混じっている。
汚れることを極端に嫌う彼女にとって、この快適な森歩きは歓迎すべき事態なのだろう。
俺は鼻歌交じりに、落ち葉の積もった地面を踏みしめた。
その時だ。
「おっと」
足元の木の根に気づかず、俺はつんのめった。
バランスを崩し、前方の茂みに向かって倒れ込む。
「天道くん! 危ない!」
カエデの悲鳴が聞こえる。
だが、俺に焦りはない。
どうせ、痛くない場所に落ちるだろうという、根拠のない確信があったからだ。
案の定、俺が手をついた場所は、ふかふかの苔に覆われた柔らかい土の上だった。
痛みはない。
むしろ、ひんやりとして気持ちがいいくらいだ。
「……ん?」
顔を上げようとして、俺は鼻をひくつかせた。
爽やかな、それでいてどこか甘い香りが漂ってくる。
香りの元は、俺が手をついたすぐ目の前に生えている、一株の草だった。
深い緑色の葉が放射状に広がり、中心部分が淡く青白い光を帯びている。
ただの雑草にしては、あまりにも存在感がある。
「なんだこれ。やけにいい匂いがするな」
俺は何気なく、その草を根元から引き抜いてみた。
土がぱらぱらと落ちる。
根っこまで透き通るような白色をしていて、泥汚れがほとんどついていない。
「大丈夫ですか? 怪我は……って、その草は!」
駆け寄ってきたカエデが、俺の手元を見るなり目を見開いた。
彼女は俺の安否確認もそこそこに、その草を食い入るように見つめる。
「図鑑に載っていました。その特徴的な葉の形、発光する根……間違いありません」
「へえ、知ってるのか?」
「最上級の薬草です!」
カエデが興奮気味にまくし立てる。
普段の冷静な彼女からは想像もつかないような熱量だ。
「どんな深い傷でも、煎じて飲ませればたちどころに塞がり、毒消しの効果まであると言われる幻の霊草です。市場に出れば、金貨数枚……いえ、状態が良ければ十枚以上で取引されることもあるとか」
「金貨十枚?」
俺は手の中の草をまじまじと見た。
ただの光る草にしか見えないが、どうやらとんでもないお宝だったらしい。
「すごいじゃないか。転んだ先に大金が落ちていたようなもんだ」
「信じられません……。冒険者たちが血眼になって探しても見つからないような希少素材を、つまずいた拍子に見つけるなんて」
カエデは呆然としながらも、すぐに持っていた採取用の袋を広げた。
「貸してください。乾燥させないように、丁寧に包んで保管します。これは貴重な活動資金になりますから」
「頼んだ。俺が持つと、うっかりサラダにして食べちまいそうだ」
俺は草をカエデに渡した。
彼女はまるで壊れ物を扱うように慎重に袋へ収めると、大事そうに抱え込んだ。
「よし、この調子でもう少し稼いでいくか」
俺はパンパンと膝の土を払い、再び歩き出した。
その後も、俺の『運』は絶好調だった。
小石を蹴飛ばしたら、それが転がった先に珍しい形状のキノコが生えていたり。
枝を避けようとして屈んだら、目の前の岩肌に魔力を帯びた鉱石が露出していたり。
歩くたびに何かしらの発見がある。
最初は驚いていたカエデも、次第に反応が薄くなっていった。
「……はい、魔鉱石ですね。袋に入れます」
「……ええ、希少な香辛料の実ですね。回収します」
もはや事務作業だ。
だが、その顔はほくほくとしている。
森を抜ける頃には、俺たちが持ってきた袋は、ずっしりとした重みを持つ宝の山に変わっていた。
◇
視界が開けた。
森の出口だ。
そこには、舗装はされていないものの、馬車が二台すれ違えるほどの幅がある街道が通っていた。
地面には無数の轍が刻まれており、多くの人々が行き交っていることが分かる。
風に乗って、人々の喧騒と、生活の匂いが流れてきた。
「近いぞ」
「ええ。街の気配がします」
街道を少し進むと、前方に巨大な壁が見えてきた。
石と木材を巧みに組み合わせて作られた、無骨だが頑丈そうな防壁だ。
その向こう側からは、煙突の煙が立ち上り、鐘の音が響いてくる。
「あれが、フロンティアか」
「想像以上に大きな街ですね」
俺たちは足を止め、その威容を見上げた。
王都のような洗練された美しさはないが、力強い生命力を感じる佇まいだ。
開拓都市という名にふさわしい。
入り口となる門の前には、長い行列ができていた。
大きな荷馬車を引く商人、鎧や剣で武装した冒険者風の集団、行商人のような身なりの人々。
門番たちが一人ひとり、荷物の中身や身分証のようなものを確認している。
「……検問ですね」
カエデが不安げな声を出す。
「通行証とかいるのかな?」
「普通は身分証の提示を求められるはずです。私たちは何も持っていませんが……」
確かに。
異世界に召喚された俺たちに、この世界のパスポートなんてものはない。
王城で発行された書類もない。
あるのは、拾った素材と、この身一つだけだ。
「怪しい不審者として捕まるのは御免だな」
「どうしますか? 正直に『王都から追放されてきました』と言いますか?」
「いや、それはやめておこう。面倒なことになりそうだ。『田舎から出てきました』くらいで通してくれるといいんだが」
「そんな適当な嘘が通用するとは思えませんが……」
カエデは渋い顔をしているが、ここで立ち止まっていても仕方がない。
俺たちは行列の最後尾に並んだ。
列は意外とスムーズに進んでいく。
前の人たちが、銀色や銅色のプレートを見せて通っていくのが見える。
あれが身分証か。
やがて、俺たちの番が回ってきた。
門番の男は、熊のように大柄で、強面だった。
鋭い眼光が、俺とカエデを上から下まで値踏みするように見る。
「止まれ。見ない顔だな」
低い声が腹に響く。
カエデが緊張で身を硬くし、俺の袖を掴んだ。
「身分証を見せろ。なければ通行証だ」
突きつけられた要求に、俺は愛想笑いを浮かべた。
「いやあ、それがですね。田舎から出てきたばかりでして、まだそういうのを持っていないんですよ」
「持っていない? なら入ることはできん。最近は盗賊も多いからな。身元不明の怪しい奴を通すわけにはいかんのだ」
門番が槍の柄で通せんぼをする。
取り付く島もない態度だ。
カエデが「どうしましょう」という目で俺を見る。
さて、困った。
ここで引き下がるわけにはいかない。
賄賂でも渡すか? いや、金貨もまだ持っていないし、素材を渡しても怪しまれるだけだろう。
俺が口を開きかけた、その時だった。
ヒュオオオッ!
突然、つむじ風のような突風が巻き起こった。
街道の砂埃が一気に舞い上がり、門番の顔を直撃する。
「うわっ! 目が!」
門番が手で目を覆い、よろめいた。
その拍子に、彼が持っていた槍が大きく傾き、後ろに控えていた別の門番の足に、石突がゴツンと当たった。
「いっ、痛ぇ! 何すんだお前!」
「うるさい! 目に砂が入ったんだよ!」
門番たちが小競り合いを始めた。
指揮系統が乱れる。
その隙に、俺たちの後ろに並んでいた荷馬車の御者が、イライラした様子で叫んだ。
「おい、早くしてくれよ! 積み荷の生鮮食品が傷んじまう!」
「いつまで止めてるんだ! こっちは急いでるんだぞ!」
後ろからのブーイングが合唱のように湧き起こる。
目を赤くした門番は、舌打ちをして手を振った。
「ええい、うるさいな! そこの二人、さっさと通れ! 後ろがつっかえてるんだ!」
身分証の確認どころではないらしい。
俺たちは厄介払いされるように、街の中へと押し出された。
「あ、はい。どうも」
俺は門番に軽く会釈をして、カエデの背中を押して門をくぐり抜けた。
「……信じられません」
街の中に入り、喧騒に紛れてから、カエデが呆れたように呟いた。
「顔パスにも程があります。ここの警備体制、どうなっているんですか?」
「結果オーライだろ。これで晴れてフロンティア市民だ」
俺は肩をすくめた。
やはり、俺の『運』は今日もいい仕事をしてくれる。
街の中は、外から見た以上に活気に満ちあふれていた。
石畳のメインストリートの両側には、様々な店が軒を連ねている。
武器屋、道具屋、酒場、屋台。
香ばしい肉の焼ける匂いや、鼻をくすぐるスパイスの香り、鍛冶屋から聞こえる鉄を打つ音が、入り混じって独特の熱気を生み出している。
道行く人々も多種多様だ。
人間だけでなく、耳の長いエルフや、筋肉質なドワーフ、獣の耳を持つ獣人らしき姿もちらほら見える。
ファンタジー映画のセットの中に迷い込んだような気分だ。
「すごいですね……。本当に異世界に来たんだと実感します」
カエデがキョロキョロと周りを見渡している。
彼女の目には、不安よりも好奇心の方が強く映っているようだ。
本で読んだ知識としての異世界と、肌で感じる異世界は違うのだろう。
通りを歩いていると、ふと足元の石畳の隙間に、何かがきらりと光った気がした。
「ん?」
俺は立ち止まり、何気なくそれを拾い上げた。
泥にまみれているが、ずっしりと重い金属の感触。
指で泥を拭うと、そこには黄金色の輝きがあった。
「……これ」
俺が差し出すと、カエデが目を丸くした。
「き、金貨!? これ、金貨じゃないですか!」
「落ちてた」
「落ちてたって……そんな道端の石ころみたいに!」
カエデが慌てて周囲を見渡すが、誰も落とし物を探しているような様子はない。
金貨の表面は少し摩耗しており、かなり昔に落とされ、泥に埋もれていたものが、何かの拍子に――たとえばさっきの馬車の振動などで――表面に出てきたようだ。
「ラッキーだな。これで当面の小遣いには困らない」
「……貴方といると、金銭感覚がおかしくなりそうです。素材の山に、拾った金貨……私たちは一文無しだったはずなのに、いつの間にか小金持ちになっています」
カエデが頭を抱えた。
拾った素材と、この金貨。
これで冒険者登録の費用も、当面の宿代も心配ない。
「まずは冒険者ギルドを探そう。そこで素材を換金して、さらに資金作りだ」
「そうですね。地図によると……街の中央広場の近くにあるはずです」
俺たちは人混みをかき分け、中央広場を目指した。
途中、屋台から漂ってくる串焼きの匂いに腹が鳴りそうになったが、ぐっと堪える。
今はまだ、身分証がない。
まずは社会的な信用と、確実な現金を手にすることが先決だ。
十分ほど歩くと、開けた場所に出た。
噴水のある広場だ。多くの人々が休憩したり、談笑したりしている。
その広場の一角に、一際大きな、威圧感のある建物があった。
入り口の上には、剣と盾を交差させたような意匠の看板が掲げられている。
「あれですね」
カエデが指差す。
建物の周りには、いかつい鎧を着た男たちや、大きな杖を持った女たちがたむろしている。
いかにも「冒険者ギルド」といった雰囲気だ。
少し近寄りがたい空気があるが、ここを避けては通れない。
「よし、行くぞ」
俺は意を決して、ギルドの扉へと向かった。
カエデも白い杖を強く握りしめ、俺の横に並ぶ。
彼女の表情は硬いが、瞳には決意の色がある。
重厚な木の扉を押し開ける。
中に入った瞬間、ムッとした熱気と、酒と汗の入り混じった独特の匂いが押し寄せてきた。
広いホールには無数のテーブルが並び、多くの冒険者たちが昼間から酒を飲んだり、大声で武勇伝を語り合ったりしている。
奥には長いカウンターがあり、数人の職員が対応に追われていた。
壁には依頼書らしき羊皮紙がびっしりと貼られた掲示板がある。
俺たちが入ると、近くにいた数人の冒険者がこちらをチラリと見た。
値踏みするような視線。
だが、すぐに興味を失ったように視線を外す。
弱そうな村人と、その連れの世間知らずな娘。
そんなふうに見えたのだろう。
好都合だ。目立ちたくない俺たちにとって、無視されるのが一番安全だ。
カエデが少し顔をしかめ、ハンカチで鼻を押さえた。
清潔好きな彼女にとって、この空気は少し刺激が強すぎるのかもしれない。
「……野蛮な雰囲気ですね。衛生状態もあまり良くなさそうです」
「まあ、我慢してくれ。用事が済んだらすぐに出よう」
俺たちはカウンターへと向かった。
空いている窓口を見つけ、前に立つ。
受付の女性職員が、事務的な笑顔を向けてきた。
彼女は手元の書類から顔を上げ、俺たちを見る。
「いらっしゃいませ。依頼の報告ですか? それとも買取?」
「いえ、初めてなんですけど。冒険者登録をしたいんですが」
俺が言うと、職員は少し驚いたように俺とカエデを交互に見た。
村人のような格好の俺と、どこか気品のあるカエデ。
ちぐはぐな二人組に見えるのだろう。
「登録ですか? お二人とも?」
「はい。そうです」
「分かりました。では、こちらの用紙に必要事項を記入してください。代筆が必要なら言いつけてくださいね」
職員が羊皮紙と羽根ペンを差し出した。
ここでも「言語理解」の恩恵が役に立つ。
俺は用紙を受け取り、記入を始めた。
名前、年齢、得意な武器や魔法。
カエデも隣で、達筆な文字でさらさらと書いている。
書き終わって提出すると、職員が内容を確認した。
「天道アタル様と、冷泉カエデ様ですね。……ふむ、カエデ様は水魔法が得意と」
「はい。少しですが」
カエデが謙遜して言う。
彼女は事前に決めていた通り、「大聖女」という仰々しい肩書きは伏せている。
ただの水魔法使い。
それが、ここでの彼女の表向きの身分だ。
「では、登録料として銀貨二枚になります」
「あ、その前に。手持ちの素材を買い取ってもらいたいんですが。それで払えますか?」
俺は森で拾った素材の入った袋をカウンターに置いた。
職員は「はいはい」と慣れた手つきで袋を開けたが、中身を見た瞬間、その目が点になった。
「こ、これは……!? それに、高純度の魔鉱石まで……!」
彼女の声が裏返る。
慌てて奥から鑑定用の道具を取り出し、一つひとつ確認を始めた。
「保存状態も申し分ないです。根まで綺麗に残っているなんて……。これなら最高ランクの査定がつきますよ」
職員は興奮気味に計算を始めた。
提示された金額は、俺たちの予想を遥かに超えるものだった。
登録料を払っても、当面の生活費どころか、ちょっとした贅沢すらできる金額が手元に残る。
「……資金不足が一瞬で解決してしまいました」
カエデが小銭で重くなった革袋を受け取り、呆れたように呟く。
「貴方の運には、本当に驚かされます。つまずいて転んだだけで、これだけの大金を稼ぐなんて」
「才能だな。褒めてくれてもいいぞ」
「呆れているんです」
資金の問題は解決した。
次は、いよいよ登録の手続きだ。
「では、簡単な魔力測定を行います。そちらの球体に手を触れてください」
職員がカウンターの上に置かれた、ガラスのような透明な宝珠を指差した。
またこれか。
この世界では、この手の球体が万能検査機として普及しているらしい。
王城の時では俺のスキルは表示されなかったが、ここのはどうなのだろうか。
「この測定器は、対象者の魔力量と属性の大まかな傾向を見るものです。詳細なスキルまでは分かりませんが、ランク決めの参考にさせていただきます」
なるほど、簡易版というわけか。
それなら安心だ。俺の『天運招来』がバレることもないだろう。
「まずはアタル様から」
俺は球体に手を乗せた。
ひんやりとした感触。
少し待つと、中心部分にぼんやりとした白い光が灯った。
蛍の光のような、頼りない輝きだ。
「はい、結構です。魔力は……一般人レベルですね。身体能力も標準的。Fランクからのスタートになります」
職員は淡々と言った。
予想通りだ。
俺の『天運』はステータスには反映されないし、そもそも戦闘能力ではない。
最下層からのスタート。
後ろで見ていた冒険者たちが、ひそひそと話す声が聞こえてくる。
「なんだ、ただの雑魚か」
「女の尻に敷かれてる荷物持ちだな」
「いい気なもんだぜ」
嘲笑混じりの言葉。
だが、俺は気にならなかった。
荷物持ち上等。
目立たず、期待されず、楽ができるならそれが一番だ。
「次はカエデ様」
カエデが前に出た。
彼女は少し緊張した面持ちで、白い手を球体に乗せる。
その瞬間だった。
カッ!
球体が、直視できないほどの強烈な青い光を放った。
ギルド内の照明がかき消されるほどの輝きだ。
衝撃波のような光の奔流が、カウンターを中心に広がる。
「ひゃっ!?」
職員が悲鳴を上げて仰け反り、椅子から転げ落ちそうになった。
周りの冒険者たちも、酒を吹き出したり、目を覆ったりして騒然となる。
「な、なんだぁ!?」
「すげえ光だぞ!」
「爆発か!?」
光は数秒間続いた後、ゆっくりと収束していった。
球体は、まだ余熱を持ったように青く明滅している。
「こ、これは……」
職員が眼鏡の位置を直しながらも、測定器の数値を確認する。
「魔力量が……測定限界を振り切っています!? それに、水属性の純度が異常に高いです! こんな数値、見たことがありません!」
ギルド内がざわついた。
さっきまでの嘲笑ムードは消え失せ、驚愕と畏敬の眼差しがカエデに向けられる。
「おい、あの子、ただもんじゃねえぞ」
「高ランクの魔法使いか?」
「王都の宮廷魔法使いじゃねえのか?」
カエデが困ったように俺を見た。
目立たないように、と言っていたのに、いきなりこれだ。
まあ、彼女のスペックが規格外なのは屋敷の掃除で知っていたことだが、ここまでとは。
「カ、カエデ様……貴女、一体何者ですか? これほどの魔力があれば、即戦力として上位ランクも狙えますが……」
職員が上ずった声で聞く。
カエデは一瞬言い淀んだが、すぐにすまし顔を作って答えた。
「田舎で独学で学びました。ただの水魔法です。毎日、川で洗濯と掃除ばかりしていましたので、そのおかげかもしれません」
「せ、洗濯……ですか?」
「はい。汚れを落とすことに関しては、自信があります」
嘘ではない。
彼女は本当に掃除と洗濯のエキスパートだ。
ただ、その規模が屋敷丸ごとだったりするだけで。
「そ、そうですか……。独学でここまでとは、恐ろしい才能です」
職員はまだ半信半疑のようだったが、それ以上深く突っ込むことはしなかった。
冒険者には過去を詮索しないという不文律がある。
それに助けられた形だ。
「と、とにかく、規定によりFランクからのスタートになりますが、実力があると認められればすぐに昇格試験を受けられます。期待していますよ」
職員は興奮気味に手続きを進めた。
銀色のプレート――冒険者カードが発行され、俺たちに渡される。
表面には名前とランク、そして登録番号が刻まれている。
「これがギルドカードです。身分証にもなりますので、無くさないようにしてくださいね」
これで晴れて、俺たちは身分証を手に入れた。
フロンティアでの市民権を得たも同然だ。
宿に泊まるのも、街を出入りするのも、これがあれば怪しまれない。
「あと、これからの活動についてですが、パーティを組むことを強くお勧めします。特にお二人のような構成だと、前衛が不足していますから」
職員がカードを渡しながら、親切にアドバイスしてくれた。
「前衛?」
「はい。アタル様は武器をお持ちでないようですし、カエデ様は後衛の魔法使いタイプです。魔物と戦う際、敵を食い止める盾役がいないと、魔法を使うための詠唱や集中の隙が作れません」
なるほど、理にかなっている。
俺は戦う気はないし、戦えない。
カエデも攻撃魔法よりは支援や浄化が得意だ。
もし森で凶暴な魔物に出会ったら、逃げるしかない。
俺の運で回避できるかもしれないが、毎回それに頼るのも心許ないし、カエデを守りきれる保証もない。
「確かに、壁役……じゃなくて、守ってくれる人は欲しいな」
「ええ。私たちが安心して素材採取をするためにも、護衛は必要不可欠です」
カエデも同意した。
彼女も、自分の魔法が発動するまでの無防備な時間を守ってくれる存在の重要性は理解しているようだ。
「ギルド内の掲示板でメンバー募集もできますので、検討してみてください」
「ありがとうございます。考えておきます」
俺たちは礼を言ってカウンターを離れた。
手の中には、冷たい金属のカードがある。
Fランク冒険者。
響きはショボいが、ここが俺たちの新しいスタートラインだ。
ギルドを出ると、外の空気は相変わらず活気に満ちていた。
だが、俺たちの足取りは来る時よりも軽い。
「とりあえず、第一目標は達成だな。金もできたし、身分証も手に入れた」
「はい。これで最低限の社会生活は営めます」
カエデがほっとしたように息を吐く。
だが、すぐに表情を引き締めた。
「でも、あの職員さんの言う通りです。私たちには戦力が足りません。森の奥で生活する以上、魔物との遭遇は避けられません。貴方の運頼みだけでは、いつか限界が来ます」
「痛いところを突くな。でも、誰でもいいってわけじゃないだろ?」
「当然です」
カエデはきっぱりと言った。
「私の……いえ、私たちの生活空間に招き入れるのです。不潔な人や、礼儀知らずな人は論外です。信頼できて、腕が立って、そして私たちの事情を詮索しない人。そんな都合のいい人材が必要です」
彼女はギルドにいた荒くれ者たちを思い出したのか、少し嫌そうな顔をした。
確かに、あの中でカエデの合格ラインを超える人間を見つけるのは、砂漠で針を探すようなものかもしれない。
「清潔で、強くて、口が堅い、か。ハードル高いな」
「妥協はできません。住環境の質に関わりますから」
カエデの譲れないこだわりだ。
しかし、そんな理想的な人材が、そうそう転がっているわけがない。
……いや、待てよ。
俺には『天運招来』がある。
今までも、必要なものは向こうからやってきた。
家も、食材も、金も。
だったら、仲間だって、俺が「欲しい」と思えば、運命が勝手に連れてきてくれるんじゃないか?
「ま、焦ることはないさ。そのうち、向こうから転がり込んでくるかもしれないしな」
「また貴方のその根拠のない自信ですか。まあ、貴方のは、本当にそうなってしまうから恐ろしいものです」
カエデがくすりと笑った。
彼女もまた、俺の悪運の強さを信じ始めているようだ。
「さて、次は買い物だ。市場へ行こう。美味しいものと、柔らかいトイレットペーパーを探しにな」
「ふふ、そうですね。それが一番重要です」
俺たちは顔を見合わせて笑い、賑わう市場の方へと歩き出した。




