異物 その2
「おヌシはもう下がってよい。あとは儂が、この小僧と話す」
「は、はい!」
医師は慌てて病室を出ていった。
静まり返った部屋で、小さな学園長がベッドの傍らの椅子によじ登り、維と視線を合わせる。
その見た目に反した威圧感に維が黙り込んでいると、学園長はふっと雰囲気を和らげ、口に含んでいたキャンディの棒をくるりと回した。
「ま、起き抜けで悪いが、少し話そうかの。儂だけ自己紹介して、小僧はないというのは、ちと不公平じゃろう?」
そう言って、彼女は少し拗ねたように頬を膨らませる。その仕草は、年相応に見えた。
「……天束 維、です」
「うむ、維か。よろしく頼むぞ、小僧」
「小僧って…」
自己紹介を終えたところで、維はあの日の最大の疑問を口にした。
「あの……学園長は、どうしてあの場所に? あなたが、俺を……」
止めてくれたんですよね?
そう言いかけた時、病室のドアがコンコン、と控えめにノックされた。
「学園長、ご要望の資料をお持ちしました」
「入れ」
入ってきたのは、白衣を着た知的な雰囲気の女性だった。彼女は維の姿を一瞥すると、すぐに学園長に向き直り、持っていたマナデバイスを差し出した。
「先日、特例でデータを回収しておいた、彼の入学志願者データです」
「おお、ご苦労」
維が状況を飲み込めずにいると、白衣の女性がこちらに向き直った。
「あなたが天束 維君ね。私は観月千里。この学園で教師と、あとは戦術オペレーターをしているわ」
「あ、どうも……」
「独自にあなたのデータを調べさせてもらったの。あなたは、先日の入学試験……不合格だったのね」
観月の言葉に、維は唇を噛む。
「……はい」
「落ちた理由も確認したわ。適性検査の数値はどれもボーダーラインぎりぎり。そして何より——」
「聖遺物に選ばれなかった、か」
観月の言葉を引き継いだのは、学園長だった。
彼女はデバイスのデータを見ながら、どこかバツが悪そうに、バキッとキャンディを噛み砕いた。
「……あの場におる人間など、学園に用がある者か、試験に落ちた者か……どちらかじゃろうとは思っておったが。そうか、小僧、おヌシは落ちた側じゃったか……すまんのぅ」
申し訳なさそうに言う学園長に、維は何も言えなかった。
だが、観月は話を続ける。
「でも、それが不思議なの。あなたは試験では選ばれなかった。けれど、事件の瞬間、あの場所で、あなたは聖遺物と共鳴し、適合者となった」
観月は、維の右手を指差す。
「我々のデータベースに存在しない、未知の聖遺物とね。あなたの右手の聖痕は、その証拠よ」
「……まぁ、その件の調査については、小僧の身体が動くようになってから行うとするかの」
学園長はデバイスを観月に返しながら言った。
「観月、準備だけしておけ」
「はい。……それじゃあ天束くん、お大事にね」
観月はそう言い残し、静かに病室を後にした。
再び、学園長と二人きりになる。
カツン、と学園長が椅子から飛び降り、病室のドアに内側からロックをかける音がした。
「……さて。人払いは済んだ」
学園長が振り返ると、そこにいたのは先ほどまでの子供っぽい少女ではなかった。
キャンディを口から放し、その幼い顔に、全てを見透かすような冷徹な笑みを浮かべている。
空気が、変わった。
「小僧。歪象についてどこまで知っておる?」
「え……? 歪象……ですか?」
突然の質問に戸惑いながらも、維は受験勉強で得た知識を反芻する。
「……正体不明の災害。突発的に空間の歪みから出現し、マナを持つ人間や物質に惹かれる性質がある……。神律武装でしか対抗できない、人類の敵……。一般に公開されてるのは、それくらいです」
「ふむ。良く勉強しておるな」
学園長は感心したように頷く。
「では、これは知っておるか? あの日、小僧が遭遇した歪象は、Sランク相当の変異体じゃ。そこらの神律武装の使い手が束になっても敵わん相手じゃった」
維は息を呑む。
「学園側も、避難誘導に向かっていた小隊一つが全滅させられておる」
「え……」
「それを、ヌシは一撃で消し飛ばした。……やるのお、小僧」
(小隊が、全滅……?)
維の脳裏に、医師の言葉が蘇る。
——『死者は一名も確認されていないんだ』
——『東雲一華くんが、若き英雄として……』
「……待ってください」
維は、混乱する頭で学園長に問いかける。
「さっき、医者の人は、被害者は居なかったって……。まさか、学園長……あなたが、情報統制を……?」
その反応を見て、常世学園長の笑みが、確信へと変わった。
「……やはりか。小僧、憶えておるな?」
「ッ……!」
「憶えておるのだろ? 儂が『全滅した』と認識している、あの小隊のことも。そして——」
「友だちが……殺されたんです」
維は、震える声で絞り出した。
「佐藤も、武田も……目の前で……! 忘れられる訳がない……!」
「なのになんで、医者の人も、世間の報道も……! あの事件の最中もそうだった……! 俺も一瞬、忘れそうになったんだ……! 歪象って、一体なんなんだよ!?」
維の叫びを、学園長は静かに受け止めていた。
「……正体は儂らでも未だに判らぬ」
やがて、彼女は静かに告白した。
「儂らも永年闘い続けて、ようやく『マナに惹かれて現れる災害』くらいにしか情報を得られておらん」
彼女は、病室の窓から、最先端の街並みを見下ろす。
「だが、歪象の特徴として一つ、絶対の法則がある」
「奴等が喰らった無機物・有機物は、消える。物理的にだけではない。この世界から、この世界の人の記憶からも、『最初から無かったもの』としてな」
「それが、消えたと感じる事が出来るのは、これまで儂だけじゃった」
学園長は、銀髪を揺らして振り返った。その瞳には、研究者のような獰猛な光が宿っていた。
「どれだけ強力な神律武装の使い手でも、この法則に例外は無かった。儂以外で見たのは、小僧……おヌシが初めてじゃ」
「……俺が、二人目……」
「うむ。これは傑作じゃの」
学園長は、急に機嫌が良くなったように、フリルのついたスカートを翻す。
「ひとまず、この事実を論文にまとめて機関に提出せねばならん。忙しくなるわい」
ロックを解除し、ドアに手をかけながら、彼女はイタズラっぽく笑った。
「今日はこのくらいにしておくかの。次に相見える時は、おヌシのその右手について……もう少し詳しく話を聞かせよ、小僧」




