太陽は影を射さない その3
維が右手を軽く振る。
すると、空中に浮遊していた【八咫鏡】が自律起動し、超高速で維の周囲を旋回した。
鏡が、迫りくる蔦を弾き、受け流し、あるいはその運動エネルギーを吸収して停止させる。
鉄壁の防御。一華の護りの力が、維の意思に応えている。
その隙に、維は背後のいとへ駆け寄った。
「あ、あの、天束くん……その手……」
「話は後だ」
維は短く告げると、自身の胸に右手を当てた。
「——【模倣】」
維は、いとへマナを譲渡する為に、自身の膨大なマナを汲み上げる。
だが、そのままでは他人の身体には馴染まない。適合者は空気中に漂うマナを呼吸と共に体内へ吸収・貯蔵し、演算領域によって自らの身体に馴染ませる。このままでは、毒になるだけだ。
だが、維にはこの左手がある。これが思った通りのチカラなら、こんな事も出来るはずだ。
「——【再構築】」
維は右手を、いとの肩に触れさせた。
右手で、いとの枯渇したマナの波長を演算領域から読み取り、左手の力で、自身の摘出したマナをいとの波長と完全に同調するように創り変える。
そして、加工された純粋なマナを、左手で、いとの体内へと流し込んだ。
「……ぁ、っ!」
いとの身体が跳ねる。
空っぽだったガソリンタンクに、燃料が満たされていく感覚。
動かなかった指先が、足が、熱を取り戻していく。
「な……ッ!?」
それを見たローブの男が、目を見開き、金切り声を上げた。
「マナの譲渡だと!? 他者のマナを、拒絶反応なしに循環させたというのか!? あり得ない! そんな芸当、理論上不可能なはずだ!!」
適合者にとって、マナは血液のようなもの。別の血液型を輸血すれば溶血が起きるように、マナの譲渡など本来はできない。
だが、維はそれを左手の能力を駆使してやってのけた。
「……三枝さん。立てるか?」
「は、はい……!」
いとが、維の手を借りて力強く立ち上がる。その瞳に、もう迷いはない。
「力を貸してくれないか。一華を助けるために」
維は、巨大な植物のドームを見据えて言った。
「この左手があれば、あいつを引き剥がせる。……俺を、あの中枢の核まで届けてくれ」
「……分かりました」
いとは頷き、自身の聖痕に意識を集中する。
体内を巡る、維から受け取った温かいマナ。
だが、それだけじゃない。胸の奥底から湧き上がる、熱い感情が、そのマナをさらに燃え上がらせていく。
(もう、間違えない。嫉妬も、後悔も、全部背負って……。私は、あの二人の隣に立つんだ!)
「天束くんには、指一本触れさせません!」
二人は並び立つ。
「その力は危険です……! 大変興味深いのですが、ここで死んでもらいましょう!!」
ローブの男が腕を振り下ろす。
ドーム全体が脈打ち、数千の蔦が、荒波のように二人を飲み込まんと迫る。
「——実装!!」
いとの叫びと共に、彼女の全身からマナが噴き上がった。
それは、本来のCランクの出力ではあり得ない輝き。
想いの強さが、演算領域のリミッターを強制的に解除していた。
「——【因果の織糸】!!」
三枝いとの神律武装が形を変える。いや、これこそが彼女の武装の本来の形。
両手に装着された、肘まで覆う薄紫に白と金のラインが入ったロンググローブ。布ではなく、極薄のセラミックや、半透明の光るシルクが何層にも重なったような、硬質かつしなやかな素材で出来ているようだった。
「……これが……私、の?」
「すごいな。俺はちょっとキッカケを与えただけだったんだけど……神律武装は…神の奇跡は、俺たちの意志に明確に反応してくれる。三枝さんが勝ち取ったチカラだよ」
「っ……はい! ありがとうございます、天束くん!」
いとは強く拳を握り締める。
「……いこう、二人で。あいつを助けるんだ!!」
「はい!!」
その指先にある指貫にも似た部分から、白熱し、明確な「意思」を帯びて輝く極太の光の糸が無数に弾き出される。
「そこ……邪魔ですッ!!」
いとが腕を振るう。
本来なら「小さなきっかけ」を結ぶだけの能力が、今の彼女には「運命をねじ伏せる鎖」となっていた。
彼女は、数千本の蔦が持つ「殺意の因果」を、自分の「護るという意志」で強引に上書きしたのだ。
「接続……道を開きます!」
維へ殺到していたはずの蔦の群れが、まるで見えない巨人の手で薙ぎ払われたかのように、左右へと大きく抉じ開けられていく。
物理的な干渉ではない。いとの想いが、「維が通る道」以外の未来を拒絶したのだ。
「な……!? Cランクごときが、私の支配権に割り込むだと!?」
ローブの男が驚愕する。計算外の現象。感情という不確定要素が、性能差を覆していた。
植物の海の中に、一本の道が拓かれる。
その道の先には、悪神に抱かれた核が…一華がいる。
「——今ですッ!!」
いとは、指先から血を流しつつも、それでも笑顔で叫んだ。
「お願い! 行って、天束くん!!」
いとの叫びを背に、維は地面を蹴った。
真正面。左右から迫る蔦は、いとが全て逸らしてくれている。
「おおおおおおおッ!!」
維は、道を塞ごうとする太い蔦を、逆に足場にして駆け上がる。
【八咫鏡】を盾に、枝葉を弾き飛ばし、一華を飲み込んだ巨大な「花」の中心部へと肉薄する。
「返してもらうぞ……ッ!!」
維は、左手にありったけのマナを集中させた。
白き輝きが、演習場を照らし出す。
「そこだァァァァァッ!!」
維は跳躍し、怪物の頭上から、光り輝く左手を——その中枢に向けて、思い切り叩きつけた。
◇
【災厄の寄生木】の内部。
そこは、底なしの暗闇と粘着質な絶望のマナで満たされた、一華の心象風景だった。
「……あ、ぅ……」
一華は、暗闇の中で膝を抱えていた。
全身に蔦が食い込み、マナを、生命力を、そして「希望」を吸い上げていく感覚。
意識が溶けそうになる中、彼女の脳裏に、封印していたはずの「罪」が走馬灯のように駆け巡る。
『助けて……痛いよぉ……』
『なんで見捨てたの? 英雄なんでしょ?』
入学試験の日に消えていった人々の、怨嗟の声。
彼らは知っているのだ。一華が足が竦んで動けなかったことを。
そして、あの日。半年前の記憶。
『……来ないで! 化け物!』
親友のあゆみが、一華の差し伸べた手を拒絶し、恐怖の表情で歪象に喰われる瞬間。
あの子は最期に、私のことを見ていなかった。私という「異物」に怯えて、死んでいった。
「ごめんなさい……ごめんなさい……!」
一華が耳を塞ぐと、今度は目の前の闇が揺らぎ、見知った少年の姿を形作った。
ボロボロに傷つき、血を流した維の幻影だ。
『……信じてたのに』
幻影の維が、冷徹な瞳で見下ろしてくる。
『俺は、お前だけには真実を話した。世界中が敵でも、お前なら分かってくれると思った。……なのに、お前は俺を拒絶した』
「ちがう、私は……怖くて……!」
『怖かったから、俺を見捨てたのか? 俺を親衛隊に襲わせて、自分だけ安全な場所に逃げたのか?』
維の幻影が、傷だらけの手を一華に突きつける。
『結局、お前は口先だけだ。「友達」だの「ヒーロー」だの、綺麗な言葉で自分を飾って……本性は、自分を守るために友達を切り捨てる、最低の臆病者だ』
「やめて……! 言わないで……!」
さらに、闇からもう一人、少女が現れる。三枝いとだ。
彼女は最初はニコニコと笑っていたが、次の瞬間、その表情がスッと能面のように凍りついた。
『私は信じてます、友達ですから』
いとの幻影が、首を傾げる。
『……でも、そんな友達を、貴女は裏切ったんですね。私の大好きな友達を傷つけて、私を見殺しにして……。貴女がSランクだからですか? 特別だから、友達を踏み台にしてもいいんですか?』
「違う……! 私は、あなたを助けたくて……!」
『助ける? 貴女が?』
いとの幻影が、嘲笑うように嗤う。
『私の友達を……私の大切な居場所を壊したくせに! 貴女なんていなければよかったんです!』
「いやだぁぁぁぁぁっ!!」
一華は悲鳴を上げる。
さらに、顔の見えない無数の群衆が、彼女を取り囲む。
『さすがSランク!』『英雄だ!』『期待してるぞ!』『義務を果たせ!』
称賛の言葉。期待の眼差し。
それらが今は、何よりも鋭い刃となって彼女を切り刻む。
(ああ、そうだ。みんな正しい。私は英雄なんかじゃない。友達一人救えない、それどころか友達を犠牲にして生き延びる、ただの化け物だ)
「……もう、嫌だ」
一華は、暗闇の底で蹲った。
「私が掲げていた『義務』なんて、間違ってた。強さも、笑顔も、全部嘘だった。……何もかも、間違ってたんだ」
彼女は、自分自身の存在を完全に否定した。
生きていてはいけない。私がいるだけで、周りの人が不幸になる。あゆみちゃんも、維くんも、いとちゃんも。
「私にはもう、何もない。……許されるのなら、この影の中で…ずっと……」
『——本当に、そう思うのか?』
不意に、暗闇に声が響いた。
一華は顔を上げる。だが、誰の姿も見えない。
『キミは間違ってなどいない。キミが護りたかった想いも、流した涙も、嘘なんかじゃない』
「嘘よ……! 私は失敗した! 誰も救えなかった!」
『失敗したから、終わりなのか? 間違えたら、もう立ち上がれないのか?』
声は、優しく、しかし力強く否定する。
『違う。人は何度でも書き換えられる。……キミが自分を許せなくても』
声の主が、変わる。
よく知っている、ぶっきらぼうで、誰よりも温かい少年の声に。
「——消えるなんてそんな事、俺が絶対に許さない!!」




