太陽は影を射さない その1
維は、ゆっくりといとの方へ振り返る。
その瞳には、憐れみも、怒りもない。
あるのは、傷だらけになりながら、たった一人で責任を果たそうとした戦友への、深い敬意と感謝だけだった。
「聞こえた。……遅れてごめん」
「ぇ……?」
維は、震えるいとの肩に、そっと手を置いた。
「一人で、ここまで耐えたのか? ……凄いな。三枝さんが時間を稼いでくれたおかげで、最悪の事態は免れた」
「あ……ぅ……」
維の言葉が、いとの心の堤防を決壊させる。
怒られなかった。呆れられなかった。
彼は、私の戦いを、私が示したかった「価値」を、認めてくれた。
「……ありがとう。あとは俺に任せて、ゆっくり休んでいてくれ」
いとの瞳から、大粒の涙がこぼれ落ちる。
「……はいっ……! うぅ……はいっ……!」
維は頷くと、前を向く。
その右手には、師から自力で掴み取った、不可視の弾丸——純粋なマナの塊が、静かに、しかし凶悪に収束していた。
「——一華ッ!! 聞こえるか!!」
維は叫びながら、巨大な蔦の嵐を回避し続けていた。
「クソッ……!」
耳元の通信機に向けて怒鳴る。
「おい! 聞こえてるか! 状況報告を……!」
『ザザ……ッ、——イズ……! 通信、不能……!』
ダメだ。マナの密度が濃すぎて、通信が遮断されている。
「ギギギギッ!!」
全方位から襲いかかる蔦の槍。
維は、「不可視のマナ弾」で迎撃するが、焦りが精度を狂わせる。
(弾切れだ……! コントロールが追いつかない!)
マナの総量はあっても、それを弾丸として練り上げる「技術」が、付け焼き刃の維には不足していた。
「なら……!」
維は、迫りくる蔦の一本に右手をかざした。
「——【模倣】!」
相手のマナを奪い、利用する。それなら少しは楽に戦えるはずだ。
だが。
「ぐあッ!?」
維の手が、強烈な拒絶反応と共に弾かれた。
吸えない。奪えない。感覚が全く違う。
いつもの神律武装の透き通ったマナとは違う、ヘドロのような粘着質の悪意が、維の干渉を拒絶したのだ。
「……おや?」
頭上から、押し殺したような声が降ってきた。
「今のは……何です? 攻撃ではない、防御でもない……」
ヒラリ、と。
灰色のローブを纏った男が、重力を無視して維といとの前に舞い降りた。
その目は、維の右手と、震える蔦を交互に見比べ、底知れぬ好奇心で爛々と輝いている。
「君は今、何をしようとしたのですか?」
男が、値踏みするように首を傾げる。
「ただのマナ干渉にしては、反応が異質すぎる。……まるで、異物が混ざり合おうとして、世界に拒絶されたような火花だ」
男は、狂気じみた笑みを深め、維に歩み寄る。
「面白い。やはり君は、こちらのシナリオにない最高で最悪のイレギュラーだ。……もっと近くで、見せてくれませんか?」
「あんたは……!」
維が睨みつけるが、男は意に介さない。
「無駄ですよ。彼女——東雲 一華は、すでに【災厄の寄生木】の一部となりました」
男は、巨大な植物の核を愛おしげに見上げる。
そこには、変わり果てた一華のような形代が悪意を垂れ流していた。
「あれが……一華だって言うのか!?」
「精神も、肉体も、マナも。全てが溶け合い、新たな神話の糧となった。……残念ですが、彼女はもう、この世にはいません」
「……ふざけるな」
維は、泥だらけの顔を上げた。
「いるさ。……まだ、感じるんだ」
維は、弾かれた右手を握りしめる。
「この蔦の奥底から……一華のマナを感じる。微かに呼んでるんだ!」
「ほう?」
男は眉をひそめ、そして嘲笑った。
「では、どうやって助けると? 仮にまだ同化されていなかったとして、時間の問題ですよ。そもそも、聖遺物と完全に融合した人間を引き剥がす術など、この世界のどこにもありはしません!」
「あるかないかは、俺が決める!」
維は、蔦の中心部に向かって叫んだ。
「一華! 俺だ! 聞こえてるなら返事をしてくれ! お前はまだ、そこにいるんだろッ!!」
いとも、維の背中を追うように叫ぶ。
「東雲さん! お願いします、戻ってきてください!」
二人の、諦めの悪い叫び。
それが、植物の奥底で眠る「何か」を刺激したのか、蔦の動きが一瞬だけ鈍る。
「……チッ。醜いですねぇ」
ローブの男の表情から、笑みが消えた。
「往生際が悪いエキストラは、舞台の邪魔です。……シナリオはこれにて終幕」
男が手を掲げる。
それに呼応し、演習場を覆っていた無数の蔦が、束ねられ、一つの巨大な奔流となって鎌首をもたげた。
「飛び入り参加のお二人には、ご退場願いましょう。——この世界からね!」
津波のような蔦の壁が、維といとを飲み込まんと迫る。
回避不可能。防御も不可能。
「——うぉぉぉぉぉぉぉぉぉッ!!」
維は、逃げなかった。
全身のマナを「身体硬化」と「身体強化」に全回しし、真正面からその奔流を両手で受け止めた。
「ぐ、ぬぅぅぅぅぅぅッ!!」
ミシミシと、全身の骨が悲鳴を上げる。
足が地面にめり込み、後退させられる。
いとを背に庇い、たった一人で、厄災そのものを支える。
衝撃に耐えきれず、右手の黒い手袋が弾け飛び、宙に舞った。
露わになる、黒き聖痕。その輝きがかつて無いほどに眩く瞬く。
「まだだ……! 俺は、諦めないッ!!」
維は、圧し掛かる絶望の壁の向こうにいる、大切な友人に呼びかけ続ける。
「一華ぁぁぁぁぁぁぁッ!!」
最後の賭け。
維は、聖痕を蔦に押し当て、限界を超えた【模倣】を起動する。
奪えなくてもいい。届かなくてもいい。ただ、想いだけは繋げ!
その瞬間。
維の身体から、彼自身のものではない——鮮やかなオレンジ色のマナが、陽炎のように吹き上がった。




