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ランクレス・レガリア  作者: 下朴公脩
1章:太陽は影を射さない
34/40

落日 その3

 一方、ゲート付近。


「はぁ、はぁ……! 出口だ!」


 生徒たちがゲートに殺到する。

 先頭を行く観月は、背後のアンドロイドたちが全滅し、蔦の群れが迫っている気配を感じていた。


(まずい……! この距離だと、最後尾の生徒が追いつかれてしまう!)


 観月が、結界を展開して殿を務めようと振り返った、その時だった。


「……え?」


 迫っていたはずの蔦の群れが、突如として動きを止めた。

 それどころか、まるで川の流れが変わるように、ゲートには目もくれず、演習場の中央へと逆流し始めたのだ。


「先生! ゲートが開きました!」


「早く!」


 生徒たちの声に、観月は我に返る。


「え、ええ……急いで! 全員退避!」


 何が起きたのか分からない。

 だが、奇跡的に訪れた隙を逃すわけにはいかなかった。

 観月は、その奇跡が、たった一人の少女の献身によって作られたものだとは露知らず、生徒たちを外へと逃がしていった。


 ◇


 演習場の中央。

 巨大な植物のドームと化した【災厄の(カラミティ・)寄生木(ミストルティン)】が、一華のマナを糧に脈動している。

 その惨状を、遥か上空——校舎の給水塔の上から、灰色のローブを纏った男が愉悦の表情で見下ろしていた。


「……素晴らしい。実に素晴らしい」


 男は、ドームの中心で胎動する太陽を感じ、恍惚のため息を漏らす。


「太陽は堕ち、呪いと融合した。我々の『神殺し』の実証実験は、これ以上ない形で成功しましたね」


 彼にとって、この舞台の幕は既に下りている。あとは、哀れなエキストラたちが蹂躙されるのをエンドロール代わりに眺めるだけ——のはずだった。


「——おや?」


 男の目が、演習場の地面を這う、小さな障害を捉えた。

 逃げ惑う羊の群れから一匹だけ離れ、あろうことか狼の元へ走る、愚かな少女。


「三枝いと……。ふふ、逃げずに戻ってきましたか。恐怖で狂いましたか? それとも友情ごっこですか?」


 男は、まるで盤上の駒を見るように、冷ややかに、しかし興味深そうに観察を始めた。


「まあいいでしょう。シナリオにないイレギュラーも、また一興。……見せてごらんなさい。Cランクの君が、神の悪意にどう抗うのかを」


「はぁっ、はぁっ……!」


 いとは、全方位から迫りくる死の波に、たった一人で対峙していた。

 足が震える。逃げ出したい。

 だが、彼女の左の鎖骨に刻まれた聖痕が、その覚悟に応えて熱を帯びる。


「——実装(インストール)!!」


 いとは叫ぶ。


「——【因果の織糸(ネクサス・スレッド)】!!」


 瞬間、彼女の十指から、極細のマナの糸が放射状に放たれた。

 それはあまりに細く、頼りない。物理的な切断力も、爆発力もない。だが、その糸が周囲の空間に「接続(コネクト)」した瞬間、世界が変わった。

 迫りくる巨大な蔦の群れ。その一本に、いとの糸が絡みつく。

 彼女は、蔦を引っ張るのではない。ただ、指先を小さく動かし、その糸の「接続先」を、足元に転がっていた鉄骨の残骸へと結びつけた。


「——結べッ!!」


 物理法則を無視した現象が起きた。

 猛スピードでいとを貫こうとしていた蔦が、まるで「最初からそう動くつもりだった」かのように不自然な軌道を描き、自ら鉄骨に激突してひしゃげたのだ。


「ギギッ!?」


 怪物が困惑する。

 いとは止まらない。次は、天井の照明器具と、別の蔦を結ぶ。

 照明が落下し、蔦を押しつぶす。


「ほう……?」


 上空で見ていたローブの男が、感嘆の声を漏らした。


「物理法則で止めたのではない。彼女は……『原因』と『結果』を短絡(ショート)させているのか」


 いとの能力は、現象そのものへの干渉ではない。

「あそこに瓦礫がある原因」と「蔦が通る原因」を、糸で無理やり結びつけ、「蔦が瓦礫に激突する結果」を強制的に引き起こす。

 現Cランクの微弱なマナでも、キッカケというトリガーさえ引ければ、巨大な質量を操れる。


「ギギギギッ!!」


 苛立った怪物が、数百の蔦を一斉に放つ。回避不可能な面制圧。

 だが、いとは踊るように指を動かす。


「絡まって!」


 彼女は、右から来る蔦と、左から来る蔦の「因果」を結んだ。

 空中で蔦同士が激突し、互いに絡まり合って自滅する。その隙間を、いとは小さな身体で滑り抜ける。


「……なるほど。これは恐ろしい」


 ローブの男の独白に、狂気じみた熱が帯びる。


「単体では微力。だが……もし彼女の前に、敵を殲滅する『矛』がいれば? 彼女は敵の防御も、回避も、反撃の目さえも全て『事故』として処理し、矛を必中させる最強の『観測手(スポッター)』に化ける」


 Cランクという低い出力ゆえに見過ごされていた、凶悪すぎるサポート性能。

 どれだけ格付けされていたとしても、適合者が操るは『神の奇跡』。それそのものが人智を超える代物であると再認識させるには十分過ぎていた。


「惜しいですねぇ。君が()()()に来れば、幹部候補にもなれたでしょうに」


 しかし——限界は無慈悲に訪れる。


「——っ、あ……」


 いとの指先から血が滲む。

 いかに効率的に運用しているとはいえ、Sランク相当の怪物を相手に因果を書き換え続ける負荷は、Cランクの演算領域を焼き切る寸前にまで迫っていた。


(まだ……! まだ倒れるわけには……!)


 プツリと糸が切れる音がした。


「あ……っ!」


 ガス欠。マナの枯渇による、実装の強制解除。

 身体を支えていた糸が消え、いとは泥だらけの地面に崩れ落ちた。


「ギギギギギッ!!」


 目の前には、邪魔な羽虫を排除しようと鎌首をもたげた、巨大な茨の槍。

 死の影が、いとを覆い尽くす。


(ああ、終わり……だ)


 視界がスローモーションになる。

 痛みへの恐怖よりも先に、胸を締め付けたのは、どうしようもない後悔だった。


(ごめんなさい、東雲さん……)


 植物に飲み込まれた一華の姿が、脳裏に焼き付いている。


(私が弱かったから。私が焦ってしまったから……貴女をこんな目に遭わせてしまった。だから……せめて、私が償わなきゃいけなかったのに)


 涙が溢れて止まらない。

 償いたかった。

 守られるだけの「落ちこぼれ」じゃなく、胸を張って二人の隣に立てる「友人」になりたかった。

 また三人で、あの学食で、馬鹿みたいに笑い合いたかった。


(……天束、くん)


 最期に脳裏をよぎったのは、入学式の日、隣の席で優しく笑ってくれた少年の顔。

 そして、自分を信じてくれた、あの力強い言葉。


『三枝さんにしかできない戦い方がある』


(私……戦えましたか? 少しは、役に立てましたか……?……貴方たちの、本当の友達になれましたか……?)


 死の刃が、振り下ろされる。

 いとは、震える身体を抱きしめ、瞼を閉じた。

 誰にも届かないと分かっていながら。

 最後に、縋るように、その名を唇に乗せた。


「……助けて」


 吐息のような、か細い声。


「……天束……くん」


 その瞬間。

 鋭い破砕音が、絶望を消し飛ばした。


「え……?」


 来るべき衝撃が無い中、いとは、ゆっくりと目を開けた。

 目の前で、信じられない光景が起きていた。

 彼女を貫くはずだった巨大な蔦が、何かに触れた様子もないのに、根こそぎ抉り取られ、弾け飛んだのだ。

 切断ではない。圧倒的な質量の暴力によって、消し飛ばされた痕跡。

 舞い上がる土煙。

 呆然とするいとの横に、一つの影が落ちる。


「……天束、くん……?」


 涙で霞む視界。

 顔を上げると、そこには。

 黒い手袋を嵌めた右手を突き出し、いとを背に庇って立つ、天束 維の姿があった。

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