落日 その2
「——っ!?」
いとの首飾りの宝石が、突如として赤く眩い閃光を放った。
ドクン、ドクン、と、まるで心臓のように脈動し、爆発的なマナの奔流が渦を巻く。
「きゃっ!?」
いとが悲鳴を上げる。
一華は、そのマナの動きを見た瞬間、理解した。
(——これ、暴走する……っ!)
しかも、ただの暴走じゃない。この黒いマナは、より強い獲物を求めて、貪欲に牙を剥いている。
その矛先は——いとではなく、目の前の私だ。
(いとちゃんが、危ない!)
「——離れてッ!!」
一華は迷わなかった。
マナで強化された腕で、いとの首からペンダントを引きちぎる。
と同時に、いとの身体を思い切り突き飛ばした。
「え……?」
突き飛ばされ、無様に地面に転がるいと。
彼女が顔を上げたその時、世界は反転した。
一華の手の中で、引きちぎられたペンダントが砕け散った。
いや、違う。内側から「孵化」したのだ。
宝石の破片と共に溢れ出したのは、底なしの沼のような、ドス黒い粘液状のマナ。そして、そこから無数に伸びる、鋼鉄よりも硬く、蛇よりも敏捷な「黒い茨」だった。
「インスト——っ、ぁ……!?」
一華の悲鳴。
茨は、獲物を逃がさないとばかりに、一華の腕に、肩に、そして腹部に深々と突き刺さっていた。
鮮血が舞い、制服を赤く染める。
「し、東雲、さん……!?」
いとが息を呑む。
一華は、全身から血を流しながらも、逃げようとはしなかった。
背後のいとに被害が及ばないよう、その場に踏みとどまり、侵食しようとする茨を素手で掴んで引き剥がそうとする。
「逃げて……!」
「嫌だ……なに、これ……私の、せい……?」
「いいから……! お願い、逃げてッ!!」
一華が、痛みに顔を歪めながら叫ぶ。
その瞬間、さらに太い蔦が地面から隆起し、一華の華奢な身体を空中に吊り上げた。
耳を覆いたくなるような、湿った音が響く。
蔦は、ただ巻き付いているのではない。一華の傷口から、皮膚の下へと潜り込み、血管の中を這いずり、彼女の肉体とマナ回路を内側から食い荒らしながら侵食しているのだ。
「あ、ぐぅ……っ、ああぁぁぁぁぁっ!!」
強大なマナが、逆流する。
太陽のように輝いていた彼女のオレンジ色のマナが、黒い蔦に吸い上げられ、汚染され、禍々しい赤黒い色へと変貌していく。
「あ、あ……」
いとは、腰が抜けて動けなかった。
目の前で、憧れの人が、友達が、自分の「御守り」に食われている。
その事実に、思考が白く染まる。
「……だ、だいじょう、ぶ……」
吊り上げられた一華が、痙攣しながらも、いとを見て弱々しく笑った。
その顔の半分は、すでに黒い植物に覆われ、片目からは黒い涙が流れている。
「……まにあ、った……。こんどは、ちゃんと……」
かつて親友を見捨てた後悔。
維に救われた命。
その全てを、この瞬間のために燃やし尽くして。
「……友達の手は……離さな、い……」
不快な破砕音と共に、一華の全身が蔦に覆い尽くされた。
可憐な輪郭が崩れ、人間としての形を失っていく。
「あ、う……あ……アアアアアアアアッ!!」
最後に響いたのは、少女の悲鳴ではなかった。
Sランクのマナを糧に急成長した、捕食植物の歓喜の産声。
演習場の中心に、脈動する巨大な「華」が咲いた。
その花弁の中央には、白目を剥き、蔦と融合して半身を埋め込まれた一華の姿があった。
もはや彼女は「東雲一華」ではない。
学園最強格の宿主を得て顕現した、神殺し——【災厄の寄生木】そのものだった。
「……う、そ……」
圧倒的な絶望。
いとは、自らが招いた最悪の結末と、自分を庇って怪物に成り果てた少女を見上げ——。
「——東雲さんッ!!!」
喉が裂けんばかりの絶叫が、演習場に虚しく響き渡った。
いとの絶叫が響く中、演習場は地獄と化していた。
巨大化した【災厄の寄生木】が暴れまわり、無数の蔦が生徒たちを無差別に襲う。
「きゃあああっ!」
「逃げろ! 出口はどこだ!?」
パニックに陥る生徒たち。その混乱を切り裂くように、凛とした声が響いた。
「——落ち着きなさい! パニックになった者から死にますよ!」
観月千里だった。
彼女は自身の【遍く視る眼】を実装しながら、手元の端末を高速で操作する。
「演習用自律アンドロイド、強制起動! 生徒を守る盾になりなさい!」
ウィィン! という駆動音と共に、演習場の壁面に格納されていた数体の訓練用アンドロイドが起動し、生徒たちの前に立ちはだかって蔦の攻撃を受け止める。
「今のうちに! 第3ゲートへ急いで!」
観月は、へたり込んでいるいとの腕を掴み、無理やり立たせた。
「三枝さん、行くわよ!」
「あ……あぁ……」
いとは、虚ろな目で、植物に飲み込まれた一華の方を見ていた。
「私の……せいで……。私が、東雲さんを……」
「しっかりなさい!」
観月がいとの頬を両手で挟み、無理やり視線を合わせさせる。
「後悔するなら、生き残ってからにしなさい。……天束くんを見ていなかったの?」
「え……?」
「彼は、君の事故で絶望的な状況に追い込まれ、謂れのない非難を浴びせられた。……それでも彼は、諦めずに前を向いていたわよ」
観月の言葉が、いとの心に突き刺さる。
「君が尊敬している彼は、絶望で足を止めるような人だった? ……君は、どうなの?」
「私は……」
いとの脳裏に、維の姿が浮かぶ。
『Cランクでも、君にしかできない戦い方があるはずだ』
彼は、私を信じてくれた。
ここで私が逃げたら、私は一生、あの日失敗した「弱い私」のままだ。
「……はい。行きます」
いとは、涙を拭い、小さく頷いた。
「よし。みんな、私についてきて!」
観月は頷くと、先頭に立って生徒たちを誘導し始めた。
アンドロイドたちが時間を稼いでいる間に、生徒たちがゲートへ向かって走り出す。
いとも、その最後尾について走り出し——そして、立ち止まった。
(……ごめんなさい、先生)
いとは、前を行く観月の背中に、心の中で謝罪した。
そして、土煙と混乱に紛れ、誰にも気づかれないように列から離れた。
「みんなが逃げる時間を稼ぐ。……ううん、それだけじゃない」
彼女の視線の先には、植物の中心核に取り込まれた一華がいる。
「友達を見捨てない。二人に並び立つために……強くなると決めたんだから!」
いとは、恐怖で震える足を必死に押さえつけながら、自身のマナを限界まで練り上げた。
隠密性など捨てた、周囲の誰よりも目立つ、過剰なまでのマナ放出。
それは、マナに飢えた【災厄の寄生木】にとって、極上の撒き餌となる。
「来なさい……! こっちよ!!」
いとは脱出ルートとは真逆、演習場の中央へと駆け出した。




