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始まりの日 その3

本日もよろしくお願いします。

 観月の額から、一筋の冷や汗が流れ落ちる。

 彼女があまりに重い決断を下そうと、唇を震わせた、その瞬間。

 ――その全ての葛藤を嘲笑うかのように。

 のんびりとした声が、彼女の背後から響いた。

 玉座のような椅子に腰掛け、ゴシックロリータのドレスに身を包んだ、銀髪の少女。

 天照学園、学園長。常世 時子(とこよ ときこ)その人であった。


「――やかましいのう、お主ら」


 その、場違いなほどのんびりとした一言。

 それだけで、オペレータールームの全ての混乱が、ぴたりと静まった。


「……戦力が足りぬ。状況が最悪。……だから、どうしたと言うのじゃ?」


 時子はキャンディーを口から離すと、その赤い先端で、スクリーンを一つ、一つ、指し示しながら、矢継ぎ早に、しかしどこまでも冷静に、指示を出す。


「観月。第四小隊に命令じゃ。『最優先事項は、合格者と報道陣の警護。次に、一般市民と受験生の避難誘導』。戦闘は許可せん。あくまで、防衛線を構築し、時間稼ぎに徹せよ、と伝えよ」


「り、了解ッ!」


 観月が、即座に通信回線を開く。

 すぐに現場に到着した、第四小隊の岩田隊長から応答があった。


『――こちら、岩田! 命令、受領しました! ですが学園長! 我が小隊は、たったの六名です! 「警護」と「避難誘導」、二つ任務を同時に遂行するには、あまりに数が足りません!』


 その悲痛な報告に、時子は眉一つ動かさない。


『部隊を、二つに分けます! 二名で警護対象を! 残り四名で、民間人の避難誘導を! しかし、これでは……!』


「分かっておる。だからどうしたと言うのじゃ。やってみせよ、岩田。それとも、ワシの命令が聞けぬと?」


 その、あまりに冷徹な言葉。

 岩田隊長は、一瞬だけ絶句したが、すぐに「……いえ! 命令通り任務を遂行します!」と、その通信を切った。

 その非情なやり取りに、観月が食ってかかった。


「学園長! お待ちください!」


 観月の声には、焦りと、そして僅かな怒りの色が滲んでいた。


「第四小隊の数名で、あの数の民間人を避難させるなど、不可能です! このままでは、必ず犠牲者が……!」


「何を言うておる、観月」


 時子は、まるで物分かりの悪い子供を諭すかのように、メインスクリーンを指さした。


「……よく見やれい」


「……え?」


 観月は、そのスクリーンに映し出された広場の光景に、息を呑んだ。

 数分前まで、パニックで逃げ惑う人々で溢れかえっていたはずのその場所が。

 いつの間にか、不自然なほど()()()()()()()()()

 まるで、その一角だけ、ごっそりと人間が消えてしまったかのようだ。


「見よ。民間人というのは賢いのう。自らが危険だと判断すれば、蜘蛛の子を散らすように、勝手に逃げてゆくものじゃ。……問題ない」


 時子の、あまりに達観した言葉。

 だが、観月は納得できない。


(そんな、はずは……! いくらなんでも、避難の速度が速すぎる……!)


「――ですが……! でしたら、尚更残った方々の救助を……! 近隣を巡回中の『天秤』のパトロール部隊に、救援を要請します!」


 観月が、別の通信回線を開こうとする。

 その必死の姿を、時子はただ静かに一瞥した。


(やれやれ。この程度の騒ぎは、日常茶飯事じゃというのに。……まあ良い。戦力は確かに少ないが、あの上級ノイズ一体。第四小隊でも、時間稼ぎくらいはできよう)


 彼女は、そう結論付けると、再び玉座に深く腰掛け、興味を失ったかのように目を閉じた。


 ――その時子の完璧な「予測」を、そしてオペレータールームの張り詰めた静寂を切り裂いたのは、一人の、若いオペレーターの絶叫だった。


「――ば、馬鹿な!? ゲート前広場に、新たな高エネルギーのマナ波長を検知! 『神律武装(レガリア)』が、実装(インストール)されます!」


 その報告に、観月が弾かれたように顔を上げた。


「なんですって!? 誰が!? 第四小隊には、まだ交戦許可を出していないはずです!」


 彼女は自らのコンソールに、件のマナ波長のデータを呼び出す。

 そして即座に、学園のデータベースとの照合を開始した。


「照合パターン、計測……! 一致! ……そん、な……!」


 観月の常に冷静だったはずの瞳が、信じられない、という色に見開かれる。


「――Sランク武装! 『八咫鏡(ヤタノカガミ)』です! ……って、ええっ!?」


八咫鏡(ヤタノカガミ)』。

 それは、先ほど首席合格者として発表されたばかりの、あの天才少女――東雲一華の神律武装(レガリア)

 それが、戦場にいきなり顕現した。

 その事実が意味することは、ただ一つ。

 彼女が自らの意志で、あの地獄のど真ん中へと、その身を投じた、ということ。


(合格早々に自力で実装(インストール)を……!? なんというポテンシャル……!)


 その天才ぶりに戦慄するよりも先に。

 観月は、指揮官としてやらなければならないことがあった。


「岩田隊長! 聞こえますか!? 誰でもいい、応答してください! 危険です! 彼女を止めてください!」


 彼女は、必死に第四小隊との通信を試みる。

 しかし返ってくるのは、耳障りなノイズだけ。

 何より、学園の宝。いや、この国の未来そのものであるSランクの適合者を、こんな場所でむざむざ死なせるわけにはいかない。

 あまりの焦燥に、観月が唇を噛み締めた、その時。


「――あの小娘め……! 先走りおって……!」


 背後から聞こえてきたのは、これまで聞いたこともない、地を這うような低い声だった。

 その表情には、いつものニヒルな笑みはない。

 ただ、自らの完璧な「脚本」を台無しにされたことへの静かな「怒り」と、その脚本を超えてきた、若き天才への歪んだ「楽しさ」が入り混じっていた。

 時子は、玉座から立ち上がった。

 その小さな身体から放たれるプレッシャーに、オペレータールームの空気が歪む。

 観月が、そのただならぬ気配に呼び止める。


「学園長!? どちらへ……!?」


 時子は振り返らない。

 ただ、一言だけ告げた。


「――儂が征く」


「……!」


「ヌシらは学園の結界を、現場付近に最大限展開せよ! あれ以上の被害を出すでないぞ!」


 その言葉を最後に。

 彼女の小さなゴスロリドレスの姿は、まるで闇に溶けるように、オペレータールームから掻き消えていた。

 しかし、学園長が去った、まさにその直後だった。

 先ほどとは比較にならない凄まじい絶叫が、オペレータールームを再び震撼させた。


「――主席! さ、さらに、新たなマナ波長を検知! 『神律武装(レガリア)』が実装(インストール)されます!」


「なっ……!?」


「エネルギー出力、計測不能! Sランク武装と同等……いえ、それ以上です!」


 その信じられない報告に、またもや観月は弾かれたように、自らのコンソールへと向き直る。


(学園長が、もう動いたとでも……!? いえ、違う!)


 彼女は、即座に未知のマナ波長のパターンを、データベースと照合させる。

 しかし、返ってきたシステムメッセージは、彼女の背筋を凍りつかせるものだった。


【――エラー:パターン不一致。分類不能】


「……照合、できません……!」


 観月は呻く。


「完全な、新規パターン……! 未発見の『聖遺物』……!?」


 そんな馬鹿なことがあるものか。

 この、緊急事態の土壇場で。

 あの、地獄絵図のど真ん中にいる、誰かが。

 今、この瞬間に適合し、そして実装までしたとでもいうのか。


(合格者の中に……? いえ、あり得ません! 合格者のデータなら全て登録されている!……という、ことは)


 観月は、一つのあまりに荒唐無稽な可能性にたどり着いた。


(入学試験を行っていない、一般の民間人の中に……? このマナ文明の管理社会の中で、我々の知らない、こんな特異な『イレギュラー』が、まだ眠っていたとでも……!?)


 だが。

 彼女は、プロだった。


(……いえ、そんなことは、今はどうでもいい)


(この照合不可能な聖遺物の出所も、この際どうでもいい!)


(もし、この規格外の力が、この絶望的な状況を、打破できるというのなら……!)


 観月は、ヘッドセットのマイクを掴んだ。


「オペレーターの一人は、今のこの情報を、すぐ学園長へ! 残りの人員は、引き続き結界の展開を!急いでください!」


 そして、彼女は再びメインスクリーンへと向き直る。

 そこには、一体のノイズを、圧倒的な光の奔流で消し飛ばす一人の少年の姿が映し出されていた。

 その右手の甲には、これまで見たこともない黒い聖痕が、禍々しくも美しく輝いている。


「…………一体、何者なのですか……? あなたは……」


 観月の静かな呟きだけが、混沌のオペレータールームに響き渡っていた。

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