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ランクレス・レガリア  作者: 下朴公脩
1章:太陽は影を射さない
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悪意の種 その1

 夜の帳が下りた第三演習場。

 冷たいコンクリートの床で、維は意識を取り戻した。


「……っ、づ……ぅ……」


 身体を起こそうとして、全身を走る激痛に顔を歪める。

 肋骨が軋み、首には絞められた跡が熱く残っている。

 完敗だった。手も足も出ないとは、このことだ。


「……化物め」


 維は、仰向けのまま夜空を見上げた。

 悔しさが、奥歯を噛み砕きそうなほど込み上げてくる。

 半年間の地獄を耐え抜き、高ランクAIの攻撃すら凌げるようになった自負は、たった数分で粉々に粉砕された。

 だが、心は折れていなかった。


(力じゃ勝てない。技術でも勝てない。スピードだって、向こうが上だ)


 まともにやり合えば、100回やって100回負ける。

 相手の攻撃の回避も自身の技量から客観的に判断して不可能だろう。攻撃を当てようとしても、その前に不可視のマナ弾で吹き飛ばされるか、体術で転がされるのがオチだ。

 維は、震える右手を空にかざす。黒い手袋に覆われた、忌むべき聖痕。

 観月先生は言っていた。『聖痕に内包されているマナの総量は、学園長と同等レベルだ』と。


(……そうだ。俺には「技術」はない。あるのは「量」だけだ)


 学園長の「不可視の一撃」を思い出す。あれは、純粋なマナの塊だ。

 あれを食らって吹き飛ばされるのは、俺の身体が軽いからだ。防御が薄いからだ。

 だったら——。


「全部、回せばいいんじゃないか?」


 攻撃も、回避も、考えるな。

 聖痕から溢れる膨大なマナの全てを、筋肉、骨格、皮膚の強度を上げるためだけに循環させる。

身体強化(フィジカル・ブースト)」ではなく、「身体硬化(フォートレス)」でなら。


(吹き飛ばされなければいい。痛みは……耐えればいい。骨の一本や二本、くれてやる。その代わり……一歩も下がらずに突っ込んで、その腕を掴んでやる)


 それは、攻略法と呼ぶにはあまりにも泥臭く、無謀な特攻だった。

 だが、今の維に残された武器は、その頑丈さと、諦めの悪さだけだ。唯一残された勝機である体格差を活かすために、勝利以外の要素は全て捨てる。


「……上等だ。やってやるよ」


 維は、痛む体を無理やり起こした。

 夜明けまでの残り時間、彼は一人、マナを極限まで圧縮して身体を鋼鉄に変え、イメージトレーニングに没頭し始めた。



 ◇



 時は少し遡る。

 維が学園内で「序列外(ランクレス)」と蔑まれ、孤独に耐えていた頃のことだ。

 学園内の高度医療センター。

 プシュウウウ、という排気音と共に、最新鋭の医療用カプセルが開いた。


「……ん」


 中から身体を起こしたのは、三枝 いとだった。

 演習場の壁に叩きつけられ、全身を骨折していたはずの彼女の身体には、傷一つ残っていない。


「気がついたわね、三枝さん」


「観月、先生……?」


「気分はどう? 学園が誇る最新医療カプセルよ。肉体的な損傷は、完全に修復されたと思うわ」


 いとは、自分の手を見つめ、握りしめる。動く。痛みもない。

 だが、胸の奥の痛みだけは消えていなかった。

 記憶にある最後の光景。自分を助けようと手を伸ばし、そして黒い稲妻に焼かれていた湊の姿。


「あ、あの……天束くんは……!彼は、無事なんですか!?」


 いとはカプセルから身を乗り出して問い詰める。

 観月は、一瞬だけ痛ましげに目を伏せたが、逃げずにいとを見つめ返した。


「……身体は無事よ。あなたのおかげでね。命にも別状はないわ」


「よかった……。私、すぐ彼に謝りに……」


「待ちなさい」


 観月がいとの肩を抑える。その表情は真剣だった。


「今の彼に会うのは、推奨しないわ」


「え……?」


「あの事故の後、学園内では『天束君が暴走してあなたを攻撃した』という噂が、事実として定着してしまっているの。彼は今、全校生徒から『序列外(ランクレス)』と呼ばれ、徹底的に孤立させられているわ」


「そんな……! 違います! 彼は私を助けようとしてくれたんです! 私が、みんなに説明すれば……!」


 いとはベッドから降りようとするが、観月は悲しげに首を振った。


「もう…遅いのよ」


「え……」


「人は、信じたいものを信じるわ。特に、得体の知れない異物を排除したいという集団心理が働いている今、当事者のあなたが何を言っても、『脅されている』か『マナの影響で混乱している』と都合よく解釈されるだけ。……火は、もう燃え広がってしまったの」


「……私の、せいで……?」


 いとの顔から血の気が引いていく。

 自分の弱さが、彼を傷つけただけでなく、彼から居場所まで奪ってしまった。

 その絶望が、いとの小さな身体を震わせる。

 ふと、サイドテーブルに置かれた小さなバスケットが目に入った。お見舞いのフルーツだ。添えられたカードには、見慣れない文字と、見慣れた綺麗な文字が並んでいた。


『早く良くなれよ。また飯行こう、待ってる ——天束 維』

『待ってるよ! 元気になったら三人で特訓だ! ——東雲 一華』


「あ……」


 本来なら、涙が出るほど嬉しいはずの励ましだった。

 だが、今のいとの心には、複雑な感情が滲んだ。


(二人の名前が並んでる……。私が寝ている間に、二人は会っていたんだ。……いいな。私も、そっちに行きたいな……)


「……三枝さん?」


 観月は、震えるいとの背中にそっと手を置いた。


「今の精神状態で彼に会っても、あなた自身が耐えられないわ。それに、神律武装(レガリア)の暴走は心に深い傷を残してしまう。このままでは、二度と神律武装(レガリア)を使えなくなる可能性もある」


 観月は、一枚の紹介状をデスクから取り出した。


「まずは、あなたの心を治しなさい。それが、結果的に彼を救うための第一歩になるわ」


「心を……?」


「ええ。私の信頼している、とても優秀なスクールカウンセラーがいるの。一度、話してみなさい」

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