弟子入り その2
維は、震える足で立ち上がる。
今の痛みで、マナの感覚は掴んだ。見えなくとも、殺気とマナの「圧」で読むしかない。
(次だ……次は、反応する!)
学園長の指先が、わずかに動く。
(——そこだッ!)
維は、衝撃が来る一点に全神経を集中させ、腕を交差させて防御姿勢を取った。
「————」
再びの無音の衝撃。
だが今度は、吹き飛ばされなかった。靴底が摩擦で煙を上げ、ズザザザと地面を削りながら後退させられるが、耐え切った。
(マナの放出量じゃ勝てない。防御ですらジリ貧だ。なら……こっちだ!)
維は、丹田に意識を沈め、体内のマナを一気に脚部へと循環させた。
——身体強化。
通常、適合者は神律武装の補助を受けて身体能力を向上させる。だが、維は違う。
聖痕から溢れる莫大なマナを、武装を介さず、自らの演算領域だけで制御し、血液のように全身へ循環させているのだ。
「ほう……」
それを見た学園長の瞳が、驚きと歓喜に揺れた。
「神律武装に頼らず、純粋なマナを直接肉体に回したか。……誰に教わった?」
「誰にも……! 自分で、見つけたんだよッ!」
半年間の地獄。武装を禁じられた極限状態で、生き残るために維が独学で編み出した戦闘術。
それは、奇しくも目の前の始祖の魔導師と同じ、マナを直接操作する「魔導」の領域に片足を踏み入れていた。
「シッ!!」
地面が爆ぜる。
高ランク適合者の平均値に迫る、爆発的な加速。
一瞬で間合いを詰め、学園長の顔面目掛けて拳を突き出す。
「——悪くない」
乾いた音が響く。維の全力の右ストレートは、学園長の小さな掌によって、受け止められていた。
だが、学園長の足元にもヒビが入る。受け流されてはいるが、威力が届いている証拠だ。
「暫定でEランクにはしたが…なるほど、素質は悪くないのう。これほど濃密なマナ操作、並の適合者には不可能じゃ」
学園長は、不敵に笑う。
「おヌシ、やはり『こっち側』の人間か」
「言っている事の意味が、わかりま…せんッ!」
維は止まらない。
連撃。連撃。連撃。
維はマナを回し、身体機能を限界まで酷使して挑みかかる。
しかし、当たらない。届かない。受け流されてしまう。
「なッ……これでも!?」
「空手、柔道、合気……。この世の『武』と名のつくもので、儂が修めておらんものはないぞ」
学園長は、払った維の腕を掴むと、そのまま流れるような動作で関節を極め、地面に叩きつけた。
「ぐあっ!?」
「次」
維は即座に受け身を取り、跳ね起きる。
ならば蹴りだ。マナを脚に集中させ、上段回し蹴りを放つ。
だが、学園長は半歩下がってそれを躱すと、軸足の隙間に滑り込み、足払いをかけた。
視界が天地逆転する。
「がはっ……!」
「次」
何度も。何度も。維は立ち上がり、挑みかかる。
タックルを仕掛ければ、重心移動だけで宙を舞わされる。
フェイントをかけて背後を取れば、裏拳が死角から飛んでくる。
連撃を叩き込めば、その全てを最小限の動きで捌かれ、カウンターを叩き込まれる。
(なんだよ、これ……!)
維は戦慄した。
彼女は「魔導使い」という最強の鉾を持ちながら、接近戦においても一切の隙がない。
彼女もまた、当然のようにマナで身体強化を行っているのだろう。だが、その精緻さが違う。無駄な漏出が一切ない。
そして何より、打撃、投げ、関節技……あらゆる技術が、神業の域に達している。
「はぁっ……はぁっ……!」
息が上がる。全身が痛む。
(クソッ……! 届かないのか。一撃ですら!)
焦りが、思考を濁らせる。
(もっと速く……もっと深く踏み込めば!)
「——そこだッ!!」
維は一瞬の隙を見つけ、捨て身の覚悟で真正面から飛び込んだ。
防御を捨て、全マナを脚力と拳に叩き込んだ、全力の突撃。
だが、学園長は動じなかった。
それどころか、呆れたように溜め息をついた。それは学園長がわざと晒した「餌」だった。
「……功を焦ったな、小僧」
学園長の指先が、冷酷に動く。
「————」
「が、ぁ……ッ!?」
がら空きの胴体に、至近距離から不可視のマナの砲弾が直撃した。
肋骨が軋む音。維の身体は、ボールのように弾き飛ばされ、地面を何度もバウンドして転がった。
「あ……が……っ」
胃液を吐き出す。
脇が甘い。思考が甘い。通用しない。同じマナの操作でも、練度が、出力が、桁違いだ。
体術に固執させておいて、ここぞという瞬間に本職であるマナ攻撃でカウンターを取る。弄ばれている。完全に、掌の上だ。
「……ま、まだ……諦めて、たまるかよ……ッ!」
それでも、維は止まらなかった。
痛みで霞む視界の中、歯を食いしばり、よろめきながらも立ち上がろうとする。
まだだ。まだ24時間は始まったばかりだ。俺の身体強化は、まだ通じるはずだ。もっと速く、もっと鋭く——。
殺気立って顔を上げ、学園長を睨みつけようとした、その時。
「——どこを見ておる?」
耳元で、死神の囁きが聞こえた。
「……え?」
前方。さっきまで学園長が立っていた場所に、誰もいない。
音もなかった。気配もなかった。爆発的な加速の予備動作すら、一切なかった。
彼女は維の背後の死角へ瞬く間に移動していたのだ。
「おヌシのマナ循環は、漏出が多くて雑音だらけじゃ。精度が粗い」
背後から、冷徹な講評が響く。
「真の身体強化とは、こうやるのじゃよ」
「し、ま——」
抵抗する間もなかった。
同じ技術。だが、数段上の精度と密度で練り上げられたマナが、学園長の身体を神速の領域へと押し上げていた。
維の首に、細い腕が蛇のように巻き付く。頚動脈を正確に圧迫する、完璧な裸絞め。
「戦場において、一芸しか持たぬ者は二流。……そして、熱くなって周りが見えぬ者は三流じゃ。同じ土俵、同じ技術で負けた気分はどうじゃ? せっかく戦う術を編み出したと思っておったのじゃろう? 」
「ぐ……、ぁ……」
「悔しければ、覚えろ。盗め。死地の先にある僅かな勝機を掴み取れ。……おヌシには、その『素質』がある」
遠のく意識の中で、その言葉だけが、強烈に脳に焼き付いた。
(俺に……到達できるのか。この強さに……)
「出直してこい」
力が抜ける。視界がブラックアウトする。
世界最強の壁は、あまりにも高く、そして分厚かった。
「ふぅ、準備運動にもならん。……また、書類整理に戻らねばのぅ」
維の意識は、深い闇の底へと沈んでいった。




