弟子入り その1
「さて」
学園長は、空気を変えるように、新しいキャンディの包み紙を破った。
「これで最悪の事態には蓋をした。話は以上じゃ。……下がってよいぞ、小僧」
彼女はデスクに戻り、山積みになった書類に向き直ろうとする。
だが、維は動かなかった。
「……学園長。お願いがあります」
「なんじゃ」
「俺に……力の使い方を、教えてください」
学園長の手が止まる。彼女は書類から目を離さず、淡々と答えた。
「断る」
「……ッ」
「勘違いするな。儂は、おヌシを天秤から隠し、最低限の『器』を作る手助けはした。じゃが、それはそこまでじゃ。儂も暇ではない。全生徒の命と、世界の均衡を背負っておる」
彼女は冷たく言い放つ。
「それに、儂は『与えられる』のを待つだけの小僧には興味がない。……帰れ」
拒絶。それは、最もな正論だった。
だが、維は引けなかった。ここで引けば、また同じ過ちを繰り返す。いとを傷つけ、一華を壊した、あの無力な自分に戻るだけだ。
自分の力は「マナを操る」こと。ならば、この世界で唯一の「魔導使い」である彼女以上に、適任な師はいない。
「……帰りません」
「ほう?」
「あんたしかいないんだ。俺が、この呪いみたいな力を御して……償うためには!」
維は、その場に膝をつき、床に額を叩きつけた。
土下座。だが、それは謝罪のためのものではない。コンクリートのように硬い学園長室の大理石の床に、ゴツン、ゴツンと、血が滲むほど強く頭を打ち付ける。
「頼みます……! 俺を、弟子にしてください!」
「くどい」
「お願いしますッ!」
「……」
「お願いしますッ!!」
額が割れ、鮮血が床に滴る。
それでも維は、頭を上げない。痛みなど、心に空いた穴に比べれば痒くもない。
その異様なまでの執着と、狂気じみた必死さに、学園長はわずかに眉をひそめ——やがて、深く溜め息をついた。
「……まったく。おヌシ、その石頭と往生際の悪さはSランク級じゃな」
学園長は椅子を回転させ、維を見下ろした。その口元には、先ほどまでの厳格さとは違う、底意地の悪い笑みが浮かんでいた。
「……いいじゃろう。そこまで言うなら、機会をやる」
維がバッと顔を上げる。
「本当ですか!」
「うむ。ただし——試験に合格すれば、じゃ」
学園長はデスクから飛び降り、カツカツと維の目の前まで歩み寄ると、その小さな人差し指を突きつけた。
「勝利条件はただ一つ。この儂に、一撃を入れること」
「……え?」
維は耳を疑った。
相手は《始祖の魔導師》。世界最強格のSランクだ。対する自分は、実装も満足にできない落ちこぼれ。勝ち目など…ないのではないか。
「制限時間は24時間。手段は問わん。不意打ちでも、闇討ちでも、何でもありじゃ」
学園長は、楽しそうにキャンディを噛み砕いた。
「もし、かすり傷一つでも負わせることができれば、弟子にしてやる。……じゃが、できなければ、即刻退学。二度と儂の前に顔を見せるな」
理不尽すぎる条件。
だが、維に迷いはなかった。
「——やります」
即答だった。
「今、ここからでも構いません」
「クックッ……威勢だけはいいのう」
学園長は、獰猛な肉食獣のように目を細めた。
「じゃが、儂の仕事部屋が吹き飛ぶのは好かん。着いてこい」
場所は変わり、夜の帳が下りた第三演習場。
照明が煌々と照らすフィールドの中央で、維は学園長と対峙していた。
学園長は、腕組みをしたまま、あくびを噛み殺している。
「……いつまで待たせる気じゃ? 好きに来い」
開始の合図すらない。こちらを完全に舐めているのだろう。
だが、維の胸中には、恐怖と共に、僅かながら高揚感があった。
(相手は世界最強格。だが、俺だって……)
半年間の地獄を生き延びた。Aランク級の攻撃もシミュレーションで凌げるようになった。身体能力も、演算領域も、半年前とは別物だ。
今の自分が、この格上相手にどこまで通用するのか。試してみたいという欲求が、確かにそこにはあった。
(……行くぞ)
維は深く息を吸い込み、地面を蹴ろうと、右足に力を込めた。
その、一瞬の隙だった。
「————」
音はなかった。光もなかった。
予備動作など、あろうはずもない。
「が、ぁ……ッ!?」
維の鳩尾に、巨大な鉄球が亜光速で激突したような衝撃が走った。
思考する暇もない。身体が「く」の字に折れ曲がり、そのまま弾丸のように後方へ吹き飛ばされる。
数秒の滞空時間の後、数十メートル背後のコンクリート壁に、背中から叩きつけられた。
「ご、ぁ……ッ!?」
地面に崩れ落ちる。肺の中の空気が強制的に絞り出され、呼吸ができない。
激痛が脳を焼き、胃の腑が痙攣する。
「お、えぇ……ッ! げほッ、がはッ……!」
維は地面に這いつくばり、胃液と混じった血を吐き出した。
何が起きた?
マナの光は見えなかった。風切り音すら聞こえなかった。
ただ、「そこにいた」だけで、不可視の暴力に内臓を潰された。
「……ほう。吐いただけで済んだか」
遥か前方で、学園長が一歩も動かずに冷ややかに見下ろしている。
「少しはマシな『器』になったようじゃな。半年前の小僧なら、今ので胴体が千切れて死んでおる」
(……甘かった!)
激痛に悶絶しながら、維は自らの浅はかさを呪った。
通用する? 試してみたい?
笑わせるな。半年間「生き延びる訓練」をした程度で、自分が戦いの土俵に立てたと思っていたのか。
目の前にいるのは、そんな次元の存在じゃない。
「……まだやるか?」
「……ったり、前だ……ッ!」




