亀裂 その3
維がB組の教室を飛び出した後、東雲一華は止まらなかった。
「東雲さん! 待ってください!」
「そのような場所に行く必要はありません!」
制止する親衛隊を振り切り、彼女はB組の教室へと突撃した。そこには、まだ興奮冷めやらぬ様子で、維への罵詈雑言を吐き散らす生徒たちがいた。
「ちょっと! あなたたち!」
一華が机を叩くと、B組の生徒たちは一瞬で静まり返った。
「な、なんだよ……東雲さん」
「維くんのこと、悪く言うのはやめてよ! 彼は助けようとしただけかもしれないでしょ!?」
必死に訴える一華に、一人の男子生徒——最初に維に暴言を吐いた生徒が、鼻で笑って吐き捨てた。
「はぁ? 何言ってんすか、首席様は。あいつは『序列外』ですよ? 聖遺物もまともに扱えない欠陥品だ」
「そんなこと……!」
「大体、なんでそんなにあいつを気にかけるんすか? 命の恩人だか何だか知りませんけど、あんな不気味な奴、アンタが気にかけるようなレベルじゃないでしょう」
その言葉に、一華の中で何かが切れた。
「……レベル?」
彼女の脳裏に、あの入学試験の日の光景が蘇る。
燃え盛る街。絶望的な歪象。恐怖と負傷で動けなくなった自分。
そして——自分と化け物の間に割り込み、震える足で、それでも立ち向かった少年の背中。
その右手に輝いていた、見たこともない黒い聖痕。
「そんなの……友達だからって理由以外に、何か要るの?」
一華は、男子生徒を真っ直ぐに見据えて断言した。
「それにね、私は知ってるの。あの日、誰よりも恐怖に耐えて、誰よりも前に出たのが彼だったってことを」
「は……?」
「私は、彼ほど勇気がある人を知らない。レベルとか、序列とか、そんな在り来たりな物差しで人を見下すあなた達と彼とでは……根本的に違う!」
一華はそれだけ言い放つと、呆然とするB組の生徒たちに背を向け、廊下へと駆け出した。
(維くん……! 待ってて!)
彼女は確信していた。彼がそんなことをするはずがない。それを証明できるのは、自分だけだと。
◇
第一演習場の片隅。
誰もいないベンチに、維は一人、深く項垂れて座っていた。
クラスメイトたちの化け物を見る目と、『序列外』という嘲笑が、耳の奥で反響して消えない。
「……はは。まいったな」
自分の手を見る。いとを助けようとした右手。だが、結果として彼女を傷つけ、全てを奪ってしまった右手。
(俺は結局、何も守れないのか……何が「世界を変える」だ。友達一人、助けられないくせに)
「——ゆーいくんっ!」
泥のような自己嫌悪を、明るい声が切り裂いた。
顔を上げると、息を切らせた一華が立っていた。夕陽色の髪が、演習場のわずかな照明を反射して輝いている。
「……一華? なんで……」
「探したよー! もう、勝手にいなくならないでよ!」
彼女は努めて明るく振る舞いながら、維の隣にドサリと座り込んだ。
維は、反射的に身体をずらして距離を取る。
「……寄るな」
「え?」
「あっちに行ってくれ。ダメだ、俺と一緒にいるところを見られたら、お前まで……」
「言われる? 『序列外』の仲間だって?」
一華は、維の言葉を先回りして、フフンと鼻で笑った。
「上等だよ。私がそんな噂、全部ねじ伏せてあげる」
「お前な……自分の立場、分かってんのか? お前は首席で、英雄で……」
「英雄?」
一華の声色が、急に真面目なものに変わる。
彼女は膝を抱え、遠くを見るように呟いた。
「……ねえ、維くん。世間は私のこと『若き英雄』なんて持ち上げてるけどさ。本当は、全然違うんだよ」
「え……?」
「あの日。私は適合したばかりの力に浮かれて、皆を…君を守ろうとして……結局、失敗した。油断して、あんな一撃を貰って、地面に転がって……」
一華は、維の方を向き、その瞳を真っ直ぐに覗き込んだ。
「薄れゆく意識の中で、私はもうダメだと思った。でも……最期に見たのは、逃げ出す君の背中じゃなかった」
「……」
「ボロボロになった私の前に立って、震える足で、それでもあの化け物に立ち向かったのが……維くん、君だったんだよ」
「……それは……」
「私が一番よく知ってる。君のその右手が、人を傷つけるためのものじゃないってこと。だって、その手が、私を救ってくれたんだから」
一華は、維の固く握りしめられた右手に、そっと自分の手を重ねようとして——躊躇う維を見て、空中で止めた。
「いとちゃんのこと、助けようとしたんでしょ?」
図星だった。維が息を呑む。
「……失敗、したんだ。俺が未熟だったせいで、あいつを巻き込んだ。だから、あいつらが言うことは、あながち間違いじゃ……」
「間違いだよ!」
一華が叫んだ。
「結果がどうあれ、君は助けようとした! あの日、私が倒れた時と同じように、誰もが逃げ出す中で君だけが手を伸ばした! それができる人が、どうして『悪魔』なの!?」
彼女の瞳から、ポロポロと涙がこぼれ落ちる。
それは、悔し涙だった。自分の「命の恩人」が、こんな理不尽な悪意に晒されていることへの、彼女なりの怒りと悲しみ。
「私は、Sランクだとか首席だとか、そんな肩書きはどうでもいい。私は……」
彼女は、涙を拭いながら、力強く断言した。
「誰が何と言おうと、私を助けてくれた『一番のヒーロー』を信じるよ」
その言葉は、冷え切っていた維の心に、じんわりと温かい熱となって染み渡った。
学園中が敵に回ったようなこの状況で、たった一人。
最強の首席……いや、この状況で残ったただ一人の友達が、自分の価値を、自分の「善意」を、肯定してくれている。
「……ありがとう、一華」
維の声が震える。
「お前にそう言ってもらえるだけで……俺は、まだ立っていられる気がする」
維の瞳に、ようやく生気が戻るのを見て、一華はパァッと花が咲くように笑った。
「えへへ、やっと笑った! 維くんはやっぱり、辛気臭い顔よりそっちの方がいいよ!」
そして、彼女は維との距離を詰めるように、身を乗り出した。
「ねえ、維くん。この機会に聞かせてほしいの。君のその『力』のこと。……なんで、聖遺物のデータが無いの? ランクEなんて嘘、あの日の君を見れば分かるよ」
維は決意した。
この少女になら、自分の全てを話してもいい。いや、話したいと思った。
学園長との約束を破ることになるかもしれない。だが、これだけの信頼を寄せてくれる彼女に、これ以上隠し事はしたくなかった。




