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ランクレス・レガリア  作者: 下朴公脩
1章:太陽は影を射さない
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再会 その5

 その日の午後、B組では、また観月による「マナ制御基礎」の授業が行われていた。


「——はい、みんな席に着いてー」


 担任である観月 千里の、凛とした声が響く。

 維は、隣の席で緊張した面持ちの三枝いとに、小さく「頑張れよ」と声をかける。いとは「は、はいっ」と小さく頷き返した。


「いい? 神律武装(レガリア)に頼る前に、まず自分の演算領域のキャパシティを知ること。今日も実装(インストール)はせず、自分のマナだけで、ビーカーの水を別の容器に移しなさい。一滴もこぼさずにね」


 一見、地味な訓練。だが、これが適合者としての基礎であることを、俺は知っている。

 他の生徒たちが、苦戦しながらもなんとかクリアしていく。


「……次、三枝さん」


「は、はいっ!」


 いとが緊張した面持ちでビーカーの前に立つ。

 彼女は目を閉じ、指先にマナを集中させる。水が、ゆっくりと持ち上がり……。

 だが、彼女の演算領域が悲鳴を上げ、制御が揺らいだ。


 ビシャッ!と、水が勢いよくビーカーから溢れ、床を濡らした。


「あ……! あ……!」


「三枝さん。Cランクの演算領域で、Aランク級の出力を試みるのは無謀とも言えます。言ったでしょう、貴女が処理できる情報量を制御しなさい」


「は、はい……! すみません……!」


 いとは顔を真っ赤にして俯き、自分の席に戻ってからも、消え入りそうなほど小さくなっていた。

 維は、その姿を見ていた。


(……分かるぞ、その気持ち)


 地獄の特訓で、観月から「並以下の演算能力でSランクの情報を処理しろ」と無茶振りされ続けた維には、彼女の失敗の原因が痛いほど分かっていた。



 放課後。

 維は、寮に帰らず、いまだに教室の机で落ち込んでいる、いとに声をかけた。


「……三枝さん。さっきの、惜しかったな」


「あ……! あ、天束くん……」


 いとは、慌てて顔を上げる。


「お恥ずかしいところを……。私、やっぱり才能がないみたいです。Cランクだし……東雲さんなら、きっとあんなの簡単に……」


 まただ。彼女は、すぐに自分と自分よりも上の存在を比べて落ち込む癖があった。


「…才能じゃないと思う」


 維は、あの地獄の半年間を思い出しながら言った。


「たぶん、観月先生の言う通り、演算領域の問題だ」


「え……?」


「三枝さんは、あのビーカーの水全部を一気に動かそうとしてただろ」


「は、はい。課題がそうだったので……」


「それが間違いなんだ」


 維は、自分の机の上にあったペットボトルのキャップに、残っていた数滴の水を垂らした。


「三枝さんの演算領域が、一度に処理できるのが『20』だとする。なのに、ビーカーの水全部である『100』を動かそうとしたら、そりゃ処理落ちして暴走する」


「あ……」


 それは、この一ヶ月、誰も彼女に指摘してくれなかった、明確な「原因」だった。


「だから、課題は一旦忘れるんだ」


 維は、キャップの水滴を指差す。


「まず、これ。たった『1』でいい。この『1』を、完璧に制御する練習だけをするんだ」


「『1』だけ……」


「そうだ。無理に『100』を出そうとして失敗するより、完璧な『1』を制御できる方が、よっぽど難しいし、役に立つ」


 それは、並以下の演算領域で地獄を生き延びた、維の実体験から来る、確かな実感だった。

 いとは、維の言葉に目を見開いた。

 他の生徒が才能の話ばかりする中、維だけが、自分と同じ低いスペックの視点で、的確な解決策を示してくれた。

 いとは、おそるおそる、キャップの水滴にマナを集中する。

 プルプルと震える。だが、さっきのように暴走はしない。

 そして一滴の水が、彼女の意思通りに、ふわりと宙に浮いた。


「——あ!」


 いとの顔が、ぱあっと輝く。


「で、できました……! 私にも……!」


 彼女は、次の瞬間、満面の笑みで維に向き直った。その瞳は、尊敬と、それ以上の熱を帯びている。


「天束くん……すごいです! すごすぎます! どうして、そんなことまで……!」


「いや、俺も……まあ、演算能力には自信ないから」


 維が曖昧に目をそらすと、いとは胸の前で両手をぎゅっと握りしめた。


「私、天束くんに、分かってもらえた気がします……! 私でも出来るんだって…背中を押してくれて、ありがとうございます!」


 その淡い好意と、自分を理解してくれた「友人」への絶対の信頼。

 それが、この一ヶ月で育まれた、二人の「絆」だった。


 ——そして、この絆こそが、数日後に起こる「事故」によって、最悪の形で裏切られることになる。



 ◇



 その日の夜。

 いとは、割り当てられた学生寮の自室で、多機能端末であるマナデバイスのディスプレイをぼんやりと見つめていた。

 画面には、学園の公式ランク掲示板が映し出されている。


(……すごい。東雲さん、また特進クラスのトップだ)


 A組のリストの最上段には、当然のように「東雲一華」の名前が輝いている。


(それに比べて、私は……)


 B組のリストですら、自分の名前は中程より下。適合者ランクC。それが、この学園における彼女の「現在地」だった。


(記念受験だったんだから、しょうがない……)


 そう言い聞かせようとしても、ディスプレイにポップアップする通知が、それを許さない。

 マナデバイスに届いた、地元の友人からのボイスメール。


『いと、すごいね! あの天照学園のエリートだなんて!』


『こっちは補欠合格もダメだったよー(泣)。私の分まで、立派な適合者になってね!』


『お母さん、近所の人たちに「娘は天照学園の適合者様だ」って、毎日自慢してるわよ!』


 ピッ、と再生を止める。

 悪意のない声援。純粋な期待。

 それらが、ランクCの彼女の肩に、鉛のようにのしかかる。


(……エリートなんかじゃ、ないのに)


(立派な適合者になんて、なれるはず、ないのに……)


 いとは、ベッドに顔をうずめた。

 彼女の脳裏に、あの学食での光景が、何度も蘇る。

 太陽のように輝く、東雲一華。

 Sランク。新入生総代。街を救った英雄。誰もが彼女に「期待」し、彼女はそれに「完璧に」応える。


(東雲さんは、期待されるのが『当然』の人なんだ……私とは、住む世界が違う)


 そして、天束 維。


(天束くん……)


 彼は違った。ランクや才能ではなく、演算領域の使い方という、自分と同じ視点でアドバイスをくれた。

 あの一瞬、自分を理解してくれたと思えた。

 その時、胸が温かくなったのは、嘘じゃない。


(でも……)


 いとは、ぎゅっとシーツを握りしめた。


(天束くんは、私と話している時よりも、東雲さんと話している時の方が、ずっと楽しそうだった……)


 自分には見せない、リラックスした、対等な友人としての顔。

 命の恩人という、自分には計り知れない特別な絆が、二人にはある。

 尊敬と、淡い好意。

 その裏側で、自分だけが何も持っていないという劣等感が、黒い嫉妬となって燻り始める。

 一華の才能にも、維が持つ特別にも、自分は追いつけない。


(どうして、私はCランクなの?)


(どうして、私は「期待」に応えられないの?)


(どうして、天束くんは、私じゃなくて……)


(このままじゃ、ダメだ)


 いとは、ベッドから顔を上げた。その瞳には、焦りの色が浮かんでいる。


(私だって、Cランクだって、できるって証明しないと)


(天束くんに、東雲さんに……期待してくれている皆に、顔向けができない……!)


 その強迫観念にも似た焦りこそが、数日後の実技授業で、彼女の演算領域のリミッターを外させることになる。

 彼女はまだ、その破滅的な結末を知る由もなかった。

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