異物 その5
「これは一体どういうことかな? 常世学園長」
「無断で機密エリアに踏み入るとは、見下げた根性じゃのう」
学園長が、冷ややかに言い放つ。
「緊急事態ゆえ、ご容赦願おう」
維の最悪の予想を肯定するように、リーダー格の監査官とでも呼ぶべき冷徹な目をした男が、解析ルーム全体を見渡す。
「我々《天秤》本部の監視を遮断し、コソコソと……。これは聖遺物憲章に反する、明らかな規約違反ではないかな?」
「趣味の悪いことじゃ、監視とは」
学園長は、面倒くさそうにキャンディを口の中で転がした。
「例の事件で出現した、未知の聖遺物の反応を追ってここに来た。……常世 時子、あの聖遺物をいったい何処へやった?」
《天秤》は、規格外のマナ反応があった未知の聖遺物が出現したことまでは掴んでいる。だが、それが一般人である維に適合したことはまだ知らない。彼らは、学園長が聖遺物そのものを隠蔽していると疑っているのだ。
「聖遺物? さあ、何のことかのう」
「惚けるな。この解析ルームの監視が貴女の権限で遮断された直後、例の聖遺物と酷似したマナ反応がここで計測された。……言い逃れはできんぞ」
監査官の視線が、スキャナーの傍に立つ維に向けられた。そして維の右手——聖痕が刻まれた甲に突き刺さる。
「……あの日、現場で観測された未知のマナ反応。その発生源がこのエリアだと掴んで来てみれば……データベースに未登録の聖痕を持つ適合者がいる。これは、どういうことかな?」
彼らはまだ確信してはいない。だが、消去法で維に疑いを向けているのは、誰の目にも明らかだった。
「常世 時子。彼のパーソナルデータと、聖痕の解析データを要求する」
「……断る」
学園長は、即答した。
「学園生徒の個人情報じゃぞ?いくら本部直属といえど、開示する義理も道理もない」
「義務がない、と?」
監査官は、侮蔑を隠さずに鼻を鳴らした。
「その少年が事件の現場に居合わせていたことは、コチラでも掴んでいる。単なる偶然にしては、出来すぎていると思わんかね?」
監査官が、一歩前に出る。
「協力を頂けないのであれば、もはや『生徒』ではない。『重要参考人』として、本部までご同行願おうか」
「!」
監査官の合図で、両脇の回収チーム員が維の腕を掴もうと迫る。
「——やめんか」
学園長の、地を這うような低い声が響いた。
次の瞬間、その小さな身体から、先ほど維のマナを無力化した時とは比較にならないほどの、膨大なマナの奔流が解放された。
それは物理的な暴風となり、解析ルームの空気を震わせ、回収チームの男たちを金縛りにあったかのように押し留める。
「ぐっ……!」
「な……!?」
回収チームの何人かが、抵抗して自らの神律武装を実装しようと構える。
「——抑えろ! 貴様らでは彼女には勝てん!」
監査官の怒声が飛んだ。部下たちは、その言葉に驚愕し、動きを止める。
学園長は、険しい顔で、まるで汚物でも見るかのように監査官を睨みつけた。
「……貴様らは、本当に変わらんな」
その呟きは、維には聞こえないほどの、深い憎悪と諦観が入り混じった声だった。
「一度しか言わんぞ、若造が」
マナの圧が、さらに強まる。
維は、その絶対的な力の奔流を間近で感じ、戦慄していた。
(これが……Sランク……!でも、あの時の彼女の力とは、まるで質が違う。桁が違う。これが、世界最強格……!)
「……学園長!貴女のその独断が、我々本部への背信行為と分かって……!」
「構わぬ、と言っておる」
学園長の小さな身体から、先ほどとは比較にならないほどの膨大な圧力が放たれる。
「儂の生徒に指一本でも触れてみよ。その時は——容赦はせんぞ」
一触即発。
膠着すると思われたが、監査官は、その圧倒的な「格の違い」を前に歯軋りし、やがて苦々しく手を挙げた。
「……その判断、必ずや本部に報告させていただきます。……撤収する!」
回収チームは満身創痍のように踵を返し、嵐のように去っていく。
その後ろ姿を見送りながら、観月が心配そうに学園長に尋ねた。
「学園長……よろしいのですか? 組織内での貴女の立場が……」
「構わぬ。あやつらの好きにはさせん」
学園長は、ふう、と溜め息をつくと、緊張で固まっていた維に向き直った。
「さて、小僧。聞いた通りじゃ。奴等に気付かれたが最後、おヌシの身柄は『重要参考人』という名の『実験台』にされる結末が見えておる」
「……っ」
「ならば、道は一つじゃ」
学園長は、ニヤリと笑った。
「奴らが手を出せんよう隠した通した上で、その力をコントロールし、『危険性を無くした状態』まで鍛え上げるしかない」
学園長は、新しいキャンディを口に放り込む。
「でなければ、おヌシは《天秤》に解剖されるか、力に呑まれて自滅するか、二つに一つじゃ」
「じゃから、儂が直々に鍛えてやる」
「え?」
「入学は、約半年後じゃ。それまで、おヌシは家に帰ることは許さん。この学園の施設で、その『器』を鍛え直せ。おヌシが生き残り、その力を制御するための、最低限の道じゃ」
「家族には……」
「学園から『無事合格した』と伝えておく。……それと、天照学園では、入学予定者に半年間の基礎合宿を課すのが通例となっておるのは、知っておるな?おヌシの家族には、そう説明するわい」
学園長は、維の右手を指差す。
「そして、その『器』が出来上がるまで、小僧の神律武装の使用を固く禁ずる。よいな?」
「……でも、それじゃあ……」
「心配するな。『実装禁止』は、他の合宿学生も全員同じ条件じゃ。スタートラインは皆同じ。実力が開くことなどないわ。それに、奴らにも勘付かれたくはないじゃろ?」
それは、命令だった。
だが、維はその厳しい言葉の中に、自分を《天秤》から守り、導こうとする指導者としての覚悟を感じ取っていた。
半年間にわたる地獄の特訓が、静かに幕を開けた。




