幕間 014 アーネストとユリン
「この絵は……一体……」
地下水道の、奥深く。
少し開けた空間の広い壁には、古い壁画。
薄れゆく壁画の前に、薄汚れたユリンは立っていた。
「イサナ様に……聖王様……これは……人、魚?」
壁画の空を舞うのは、巨大なクジラ。
城と思われる高い建物のシルエット、その前には向かい合う、人と魚の亜人。
地面には、無数の瓦礫が描かれている。
≪カツンッ≫
「誰ッ!?」
不意に聞こえた物音に、臨戦態勢を取るユリン。
音がした方向の通路には、一人の男が立っていた。
「それはこっちのセリフだよ。誰? キミ」
壁画の間にやって来たのは、この絵の研究をしている魔導学園の教授アーネスト。
アーネストはユリンの事など気にせず、壁画に近づく。
「来るなっ!!」
「はあぁぁぁ……面倒くさ」
深いため息と共に、アーネストは悪態をつく。
そしてしぶしぶと右手を胸に当て、自己紹介を始めた。
「僕はアーネスト。魔導学園の教授で、そこの壁画の研究をしている」
「この壁画の?」
「そう、だからそこを退いて欲しい。キミに興味はない」
自己紹介を終えると、責任は果たしたとばかりにアーネストは壁画へと進む。
しかしユリンは、攻撃姿勢を崩さない。
それどころか、更に敵意をむき出しにしたのだ。
「この忌々しい壁画は……魚の亜人は何なのだ!?」
「……はぁ。本当に面倒」
ため息をつきながら、アーネストは眼鏡をかけなおす。
「わかった。魔導学園の教授として、義務を果たそう」
アーネストは姿勢を正し、ユリンと向き合った。
そして彼女の眼を真っ直ぐに見て、言い放つ。
「その魚の亜人は、イサナの星巫女だ」
「嘘をつくなっ!!」
激昂したユリンは瞬時に距離を詰め、アーネストの首筋にナイフを突きつける。
その言葉は彼女の信仰を、信念を、敬愛を――生涯の全てを否定したのだ。
「イサナ王国の巫女はイサナ王国の血族だっ! 亜人などではないっ!!」
ナイフと突きつけられてなお、表情を変えないアーネスト。
恐れることもなく、ゆっくりと答える。
「キミたちの教義が何と言っているかは知らないが、壁にはそう描いてある」
凶器にも怒気にも、アーネストは気圧されない。
彼の落ち着いた様子に、ユリンの動揺が高まっていく。
「……貴様はなぜ、このような壁を調べている? 王国を陥れるためか!?」
「はははっ、まさか! まるで興味が湧かないよ」
あまりにつまらない質問に、高笑いをするアーネスト。
ユリンは、ますます訳が分からなくなっていく。
「愚かな男……そんな研究をして、何になると言うの……」
「……愚か、か」
琴線に触れたのか、アーネストから表情が消えた。
そしてユリンの瞳を真っ直ぐに、捕らえる。
「じゃあ僕を手にかけるかい? あの星巫女の娘にしたように」
「なっ……」
危機を察して、身を引くユリン。
だが間に合わず、ナイフを持つ腕をアーネストに掴まれる。
「放せっ! 貴様、何を……」
アーネストはユリンの腕を掴んだまま、その手のナイフを首筋に滑らせた。
鋭利な彼女のナイフは、しなやかに首の皮を割いてゆく。
「ひっ……やめ……」
自由を奪われたユリンの手に、ぬるい鮮血が伝う。
死の恐怖と確信で、全身が震えだすユリン。
「やめてっ!!」
≪カランカランカラン――≫
手放されたナイフが、地面を打つ。
全身の力の抜けたユリンが、膝から崩れ落ちた。
ユリンが戦意を失ったと判断して、アーネストは手を離す。
「――覚悟も無いのに構えるからだ」
「…………」
「だからそんなボロボロに、なるんだよ」
「っ………………ぅ……ぁぁ……」
小さくうずくまったユリンが、静かに泣きだす。
ナイフで切った首筋に回復魔法をかけていたアーネストは、渋い顔になる。
「――本当に、面倒だな」
今日は研究が出来ないと観念して、ユリンの隣に腰を下ろすアーネスト。
うずくまったままのユリンを、どうしたものかと眺める。
「キミに興味はない。僕の研究の邪魔をしないなら、好きにしてくれ」
「…………」
「…………」
顔も上げず、返事も無いユリン。
アーネストはバッグから、お茶のボトルとカップを取り出す。
そしてカップとボトルの蓋にお茶を注ぐと、カップをユリンに差し出した。
「お茶、どうぞ」
「…………いただき、ます」
ユリンはカップを受け取ると、ゆっくりとお茶をすする。
「あったかい……」
ただお茶を口にしただけであったが、ユリンの緊張がほぐれていく。
しばらくすると、彼女は壁画を見上げる。
ただ見上げて、じっと見つめていた。
「――僕がこの壁画を研究をするのは、ただ知りたいから」
「…………」
空虚なユリンの耳に、アーネストの声が響く。
「人魚の星巫女の時代を、いかにして人間が生き延びたのかを――」
ご愛読いただき、ありがとうございます。
今回は少し暗いお話でしたが、アーネストとユリンの今後をご期待ください。
『いたりあ食堂ピコピコ』の1巻発売を記念して
イラストレーターの伊勢田ヒロユキ先生が、鉄板ナポリタンのイラストを描いてくださいました。
イラストには、作者監修のレシピも掲載されています。
詳細は活動報告に掲載しております。
また、今後も作中レシピのイラストが増えるかもしれないので、興味のある方は伊勢田先生のXアカウントをチェックしてみてください。
今後とも、本作をよろしくお願いいたします。




