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金髪幼女と黒髪仮面  作者: 樹上ペンギン
1/2

1:地の底へ往く

「シーファンの『迷宮蟲(ラビリンスワーム)』、『要塞蟲(フォートレスビートル)』、それとその他多数の討伐報告書です」


 どさり、と目の前の机に紙束を投げ出す。ややあって、呆れを隠さない声が聞こえた。


「わざわざ出さなくてもいいさ、報告は現地から別で来てるし」


 はあ、というため息が耳をつく。出所は、目の前の金狐族の女性だ。中性的で、ひどく整った顔立ち。右眼は眼帯で隠れているせいでうかがうことはできないが、しわの寄った眉間が如実に心情を伝えている。派手さはないが品のいい執務机に座りながら、残った左の瞳がこちらを見据えていた。髪と同じ金色の視線は、まるで仮面()を貫いてくるようである。


 彼女は右手で持っていた煙管を机に置くと、今しがた俺が差し出した紙束に惰性で手を伸ばした。げんなりと尻尾が揺れている。


「各地の『迷宮蟲』と羽化した『要塞蟲』の討伐、それに50ちょっとの『遺跡』の調査。アンタでももう2、3年かかると思ってたんだけどね」

「どうも」

「呆れてるんだよ、アタシは」


 再びのため息。今度は狐によく似た耳がぺたりと伏せられる。


「事情は分かってるけどね、そんなに生き急いでどうするのさ。これから何しようってんだい?」

「……特には、決まってません」


 俺の返事を最後に、部屋に長い沈黙が訪れる。目の前の女性———、キサラさんは、しかめっ面で討伐報告書に目を通している。おそらく読むのは二度目のはずだが、出された以上はとばかりに丹念に読み込んでいる。時折、耳と尻尾が不機嫌そうに揺れていた。

生真面目、というよりは、ほかにやることがないからだろう。ギルドマスターとしての仕事も、そのほとんどをサブマスターであるヤヨイさんに引き継いで、半ば隠居している状態だと聞いている。


 世界最大級の妖族系ギルド、『鏡月』。その本部の最上階に位置するギルドマスターの執務室こそが、俺たちが今いる場所だった。


「……どこも問題ないね。まあ、わかってたことだけどさ」


 報告書を読み終えたキサラさんの声が、沈黙を破る。


「では」

「……ああ。アンタの依頼、この『鏡月』が確かに承った」


 ああ、よかった。そんな安堵が胸の内に広がる。

 キサラさんの声を聴き終わるや否や、出口へと足を向けて踏み出す。いや、踏み出そうとした。

 しかし、凛とした声が俺の足をその場に縫い付けた。


「待ちな」

「……まだ、何か?」


 振り返ると、キサラさんは眉を寄せたままこちらをにらんでいた。金色の視線に射抜かれて、思わず立ち止まってしまう。


「どうせやることはないんだろう?最後に一個、頼まれてくれるかい」


 そう言って、一枚の紙を差し出してくる。

 なんとはなしに受け取り、目を通した。


「……地図?」


 知らない場所の地図。紙に描かれていたものは、たったそれだけだった。


「最近見つかった『遺跡』なんだけどね。どうにも手強くってさ、『鏡月(ウチ)』の支部長でもまるで歯が立たないようなのがゴロゴロしてたんだとさ」

「鏡月の支部長が?」


 ありえない。そんな言葉が喉の奥から飛び出そうになる。鏡月の支部長は、多少ムラはあれども全員がかなりの手練れだ。最高幹部ほどではないが、そこらの遺跡の調査程度ではてこずることさえあり得ない。ましてや、歯が立たない相手などそうそういない。そのはずだった。


「何があったんです」

「さぁね。例の支部長含めて調査に行った奴らははまだ昏睡状態なのさ」


 キサラさんは頭が痛い、とでも言いたげにこめかみをもみ始めた。


「『三大天』や『六輪』なんかは他のことで手いっぱいだからね、今のとこ実害がない遺跡の調査には出せない」

「……だから俺、ですか」

「いいだろ?どうせやることないんだから。死に場所探すよりはまだ建設的だと思うけどね」


 投げやりな口調。普段はもっとピシッとしている人なのだが、どうにも今日は機嫌が悪いようだ。


「……わかりました」


他にやることがない、というのも事実である。


「遺跡全部の調査はしなくていい。とりあえず、遺跡の調査にあたって何が脅威となるのか、支部長クラスを倒せる存在ってのが何なのかだけわかったら帰ってきな」


 帰ってこい、か。その言葉に少しだけ胸がざわつく。

 地図を握りしめ、執務室を出ていこうとした、その時だった。


「アカツキ」


 俺の名乗り名(・・・・)を呼ぶ声に、再び足を止められた。いつになく真剣で、厳しくて、どこか優しい声。静かに、心を揺さぶってくる。


「アンタ、生きる理由をつぶすためだけに生きてるように見えるよ」

「……」


 振り向きさえしたならば、あの金色のまなざしが優しく射抜いてくるのだろう。

 それでも俺は、彼女の言葉に答えない。答えられない。


「この『依頼』にしたってそうさ。自分が死んでも大丈夫なように———、生きていなくてもいいようにしときたいんだろう?」


 やめてくれ。もう、それ以上は。どうしようもないってことくらい、あなただってわかっているだろう。


「ミナヅキが、アンタにそんな馬鹿な生き方してほしかったとでも思ってるのかい」

「……ッ」


 心臓を握りつぶされるような感覚に、思わず奥歯をかみしめる。正論だ。わかっている。それでも、土足で踏み入られたくはない場所だった。胸の中で、嫌な熱が駆け巡る。汚い言葉が、引き結んだ唇を何度も打ち破ろうとする。それでも、この人にそれをぶつけるわけにはいかない。


 結局、言い返す言葉が見つからなかった。


「……調査が終わったら、いつも通りに報告書を出しておきます」

「無理はするんじゃないよ」


 追い打ちのような優しい言葉に背を向けて、部屋を後にした。


◇◇◇


のっぺりとした仮面(・・)を着けた、黒髪の竜人———アカツキが部屋から出ていって数分。


「……だんまりかい」


 ため息を一つつきながら、どっかりと座り込み、右手を煙管に伸ばした。

 この前、シーファンで最後の『要塞蟲』が討伐されたと聞いた時から覚悟はしていた。が、実際に今のアカツキを目にするとやりきれない思いでいっぱいになってしまう。


「もう少し、うまくやれたらよかったんだけどね」


 何の意味もない後悔ばかりが頭をよぎる。


 そうこうしているうちに、新たな客が部屋を訪れた。


「今のは、アカツキ君ですか?」

「……ああ、ヤヨイ。廊下ですれ違ったのかい」


 ヤヨイ。アタシの跡を継いで、三代目の鏡月ギルドマスターになる予定の女郎蜘蛛だ。種族の特徴である下半身の巨大な蜘蛛は、アタシや先代に合わせて作られたこの部屋を簡単に埋め尽くしてしまう。


「ちょうどよかった、ライカに向けてひとつ伝令を出しとくれ」


 ライカなら実力的にも、活動地域的にも申し分ない。たとえ本人が忙しかったとしても、腕の立つ部下が多かったはずだ。


「ライカにって、まさか」

「ああ。アカツキの依頼だよ」


 アタシの言葉に、ヤヨイは目を見開いた。


「もう、ですか?」


 その声は震えている。

 おおむね、予想通りの反応。それだけ、この依頼を受けるにあたってアタシがアカツキに突き付けた条件は重いものだったのだ。


「アホみたいに早いだろ?もう少しゆっくりこなしても、バチは当たらないと思うんだけどねぇ」

「……それじゃあ、アカツキ君は、本当に……?」

「……ああ」


 ギリリ、と拳を握りこむ音がした。確認するまでもなく、目の前のヤヨイが発したものだ。


「周りに迷惑かけないように、ってことしか考えない。自分のことなんか後回しにしちゃってさ。師弟揃って似た者同士、ってやつなのかねえ」


 冗談めかして、努めて明るく言ってみるが、ヤヨイはうつむいたまま、顔を上げない。


 無理もないか。彼女もまた、一時期はミナヅキの下で働いていた。アカツキのことも随分とかわいがっていたように思う。

 やるせない気持ちが胸を突き上げて、知らずのうちにため息があふれ出る。


「死に急ぐのも大概にしろ、って話だぁね」


◇◇◇


「……ここか」


 キサラさんに遺跡の調査を頼まれてから、数日。地図にあった場所にたどり着いた。

 集落から遠く離れた荒野の岩山の陰に隠れるようにして、その遺跡の入り口はたたずんでいた。


 周りに魔獣がいる様子はなく、また、中から遺跡を守る魔獣やゴーレムの類が出てきているわけでもない。おまけに周囲の土地は荒れ果てていて、まるで使い道がない。鉱脈はおろか、魔力の流れる地脈といった資源すらないとくれば、確かに人を割くようなものではないだろう。


 さらには地下に向かう洞窟タイプの遺跡であり、外からは見えにくい。今まで発見されなかったのもうなずける。


「ソレイユ文字、か」


 入口をかたどるレリーフに刻まれている文字。おおよそ五千年前まで栄えていた大帝国の文字だ。実は、この文字のことに関してはそれなりに研究が進んでいる。少なくとも意味が読み取れる程度には。

 この文字を産み出した国は非常に力が強かったらしく、当時のこの大陸で共通語のような扱いを受けていた、と推測されている。大陸各地でこのソレイユ文字を使った言語と、おそらくは現地の言語であろうと推測される言語の両方で記された文字資料が大量に出土しているのだ。

 その帝国がどこにあったのかということは、いまだにわかっていない。ただ、どの史料を見ても、『太陽の帝国』という言葉だけが残されていた。その帝国の名にあやかって、この文字はソレイユ文字、と名付けられたとか。


「近くに地脈もない。それに遺跡自体も相当古い、か。遺跡の機構はほとんど動作していないと見た方がいいな」


 鏡月の支部長がやられたというのも、おそらくは魔獣の類だろう。長く居つくのに向いた土地でもないし、おそらくは渡りの魔獣が寝床に使っていた瞬間に運悪く出くわしただけだろう。

 今回の調査は手早く終わりそうだ。


 念のため、周りに誰もいないのを確認してから、指先に魔力を走らせる。ほのかな熱が指の腹に宿ると同時に、小さな光球が現れた。指を引くと、明かりが指から離れてふわりと体の周りを漂い、足元を照らした。


「行くか」


 誰に話しかけるでもなくひとりごちて、目の前の暗闇へと足を踏み入れる。


 遺跡は地下に向けて広がっており、進めば進む程道が広くなっていく。横幅はもちろん、天井もどんどんと高くなっていった。

 しばらく歩くと、奥に光が見えた。


「出口?……なわけはないか」


 空気の流れや、音の響きからしても、この遺跡はまだまだ先まで続いている。

おそらく、光を発するタイプの魔獣や、活動期に入った小型のゴーレムだろう。腰に差した剣の柄に手をかけながら、慎重に進む。


 しかし、俺の予想は、あっさりと覆された。


「壁が、光っている……?」


 正確には、壁に張り巡らされた文様が。慎重に指先で触れてみると、魔力が流れている。


 ありえない。


 構造を見るに、明らかに人為的な魔術刻印だ。それはいい。入口の形状や入口に刻まれた文字からも、ここは古代の人々が居住していた遺跡であるとわかる。だから暗闇に明かりを供給する仕組みがあることは問題ではない。


 問題は、その動力源である。ソレイユ文字の存在や刻印に使われている魔術の傾向からしても、これは少なくとも五千年以上前の遺跡だ。よく見れば刻印もところどころ消えかけているところがあり、ここを使う人々ははるか昔にいなくなったことがうかがえる。魔術刻印は手入れを怠っても、付近に地脈のような存在があり、魔力が供給され続ける場合は千年単位で残ることが確認されているのだ。


 ただしそれは、魔力の供給がある場合である。

 この付近にはまるで魔力を感じなかった。大規模な地脈はもちろん、ほんの小さな魔力だまりさえ見受けられない。だからこの遺跡は発見が遅れたのだ。


 魔力がない以上、魔術刻印が動き続けているわけはない。


 知らず、手が汗で濡れていた。からからに乾いた喉の奥に、唾を無理やり送り込む。


 もしや、人がまだ生きている?しかし、ここに国があった、などということは全く知られていない。少なくとも、数千年単位でこの遺跡の存在は忘れ去られていたはずだ。そんなにも長い間、外界と隔絶したまま文明を維持できるのか?それこそあり得ない話だ。そもそも、この魔術刻印も、入口に刻まれていた古代文字もほかの遺跡ですでに発見され、解読されているものだ。

つまり、この遺跡に存在した文明は少なくとも一時期は他の遺跡との交流があった、ということである。そんな文明が、滅亡以外の理由で外界との交流を断絶するものだろうか?


 いや、今はそんなことを考えている場合ではない。


 ここはおそらく、人が住むことを前提とした場所の遺跡だ。居住都市であれ、あるいは戦争の拠点であれ、人が住む以上、そこに住む人間を外敵から守る機構が存在するはずである。


 『鏡月』の支部長でさえ歯が立たない何か。そんなキサラさんの話を思い出す。


 ありえないことではあるが。もし、今もなおこの遺跡に魔力を供給し続ける存在があるとするならば。


 幼いころに聞いた、師匠(・・)の言葉がよみがえる。


———遺跡には、巨大なゴーレムがいるんだ。


 どうしようもなく嫌な予感が湧き上がる。


———小さいのは自分で魔力を生成する機構があって、休眠と活動を交互に繰り返すんだけど、大きいのはそうもいかない。遺跡から魔力を供給されないと動けないみたいなんだ。ま、都市としての防衛機構なんだろうね。


 どこか遠くから、かすかな駆動音が聞こえる。

 どうやって、はこの際問題ではない。どうにかして、それらの兵器を含む遺跡全体に魔力を供給する『何か』が存在してしまっている。ならば兵器たちは、まず間違いなく、今でも『外敵』の排除にいそしみ続けていることだろう。


———それでまあ、近くの地脈のせいで動いてるやつらと戦ったことがあるんだけどさ。


 腰に差した剣を握りしめ、体中に魔力を張り巡らせる。


———死ぬかと思うぐらい強かったよ。ま、ワタシは一応勝ったけどね。


 鏡月の支部長クラスが負けるとすれば、それしかありえない。


———比較的キレイに倒せた残骸は持って帰ってきてるんだ、カッコイイ形してたから。ワタシの自慢のコレクションなんだぜ?


 幼い日の記憶にしまわれた、見上げるような金属の塊。獣を模した、人造の神。ところどころ錆びついた、人を十人重ねてもまるで届かないようなその巨躯に、心底恐怖したのを覚えている。


 駆動音がどんどんと近づいてくる。もはや地鳴りのようにさえ聞こえる足音が、洞窟中に響き渡りながら俺の体を揺らし始めた。それも、一つだけではない。

体中に張り巡らせた魔力を足元から染み出させ、『影』を広げる。


 ———ほら、アカツキも見てごらんよ。これが……、


 ふつり、と記憶の中の世界から呼び戻される。いつの間にか、足音はやんでいた。代わりに、巨大な影が自分の体をなめるように覆っている。見上げれば、記憶にあった大きさをそのままに、機械仕掛けの神獣がこちらを見下ろしていた。


 『偽面神獣デミ・デウス・エクス・マキナ』。そう命名された、「神獣級」に分類されるゴーレム群。古代都市の最終防衛機構にして、最大の切り札とされている、機械仕掛けの大災害。


『『『オオオオオォォォォォォ!!!!』』』


 威嚇用に設定された、甲高く無機質な咆哮が頭上で次々と響きわたり、雷鳴のごとく世界を震わせた。


◇◇◇


「チッ!」


 舌打ちしながら、振り下ろされる巨大な脚から飛びのいてよける。先ほどの足音とは比べ物にならないほどの轟音が巻き起こり、地震かと思うほどの揺れが着地したこちらの足を襲った。


 まともに戦うべきではない。

 引くか?いや、無理だ。背を向けられるような相手じゃない。

 進むか?馬鹿を言うな、どうやって切り抜けるんだ。


 どうしようもない状況に、ごちゃごちゃとした思考が湧いては消える。


 それでも、こちらも素人ではない。数秒も経つと、浮足立った心が落ち着き、頭の血が下がり始めた。視界が開ける。


 敵は三体。シカをかたどったゴーレムが一体、サルをかたどったゴーレムが二体。シカが前衛、サルが後衛。サルがそこらのものを投げて隙をつくり、シカが角でとどめを刺しに来る。


 厄介なのは、サルの援護。奴らにとってはこぶし大の石ころでも、こちらにとっては身の丈を超えるような大岩である。そんなものがポイポイと遠慮なしに飛んでくるのだから、たまったものではない。もちろん鋭利かつ巨大なシカの角も一撃必殺の脅威である。


「フッ!」


 広げておいた影から、無数の鎖を飛び出させ、飛来してきた巨岩を投げ返す。体中の魔力が抜け落ちていく感覚。やはり影魔法(・・・)は燃費が悪い。こんな、魔術刻印のせいで明るい場所ならなおさらだ。短期決戦で行くべきだろう。


 攻撃は、極力剣で流す。


 真正面から突き上げるような角の一撃。地面をえぐり取ってなお勢いが衰えぬその巨大な角に、剣先を這わせる。右手に剣を握り、左手には鞘を。そのまま右手に力を籠め、角の上を剣ですべるようにしてやり過ごす。


「ぐっ……!」


 いくら受け流したとはいえど、大きさ、重さ、膂力のどれもが桁違いである。ほんの少し剣先をかすらせただけで、右手がひどい痺れに襲われる。

 体中に降りかかる石片を払う余裕さえない。


 それでも、シカはもう攻撃を終えた直後である。体は伸び切り、隙をさらしている。さらにはその巨体があだとなり、サルの攻撃はシカの体で遮られるようになっている。


 好機。


 影の鎖を束ね、槍のように突き出す。『鎖』ではいくら数を束ねたところで『偽面神獣』の頑強な外殻を貫くことはできないが、外殻同士の継ぎ目に差し込むことはできる。内部に干渉さえできるなら、制御の中枢であるコアを破壊することで動きを止められる。


 影の鎖を張り巡らせ、シカの体内の魔術回路をたどっていく。


 早く。早く。早く。

 急げ。急げ。急げ。


 シカに隙ができたとはいっても、そんなものはほんの十秒にすら満たない。上へと伸び切った体は、今まさにこちらへ振り下ろされようとしている。

 

 一秒が永遠にも感じる中、影の鎖は一つの球体にたどり着いた。全身の魔力回路とつながる場所。間違いない。ここがコアだ。そのまま影の鎖に魔力を籠め、コアと思しき球体を締め壊した。


 刹那、シカの眼から光が失われ、伸び切った体が力なく崩れ落ちる。


 洞窟が崩落したのではないかとさえ思えるような轟音が辺りを震わせ、土煙が舞い上がる中、ようやく俺はこの難敵のうちの一体を打ち破ったことを知った。


 安堵している場合ではない。まだサル型の二体が残っている。

 

 どこだ?


 土煙のせいで視界が悪い。シカの体の隙間に潜り込み、土煙が晴れるのを待つ。同時に、影を広く展開していく。土煙のおかげで光が幾分さえぎられている。影魔法の展開がしやすくなった。晴れる前にもう一体処理するべきだ。


 嫌な倦怠感が体を襲う。想定以上のペースで魔力を消費している。

死ぬかもしれない、という恐怖と、それでもいいかもな、というあきらめにも似た気持ちに思考が奪われそうになる。しかし、そんなグダグダな心中はすぐに脇へ追いやることになった。


「……見つけた」


 それも二匹。どうにも運がいいようだ。

 先ほどと同様に影を体内に潜り込ませ、コアを破壊する。


 土煙が晴れたころには、三つの巨大な金属塊が転がっていた。


「搦め手が効く相手でよかったよ」


 口先だけの言葉。ここで死ねばよかったのに、と心のどこかで思ってしまう。


「……進むか」


 迷いを払うために、自分に言い聞かせた。


 と、そのとき。奥から、またかすかな駆動音が聞こえてきた。ひどく遠い。嫌な予感、などという曖昧なものはもはや湧いてこなかった。


「まさか……、なんてな」


 力なく笑う。

 当たり前だ。たった三機で都市の防衛など務まるものか。


 ———脅威の正体だけ分かったら、帰ってこい。


 キサラさんの声が、ふと頭をよぎる。わかっている。引く方が賢明だ。連戦できるような相手じゃない。師匠ですらてこずった相手だぞ。


 ああ。それでも。生きて帰って———、一体何をしろというのだ。もはや、生きているだけ不都合しか残らない。そんな身の上なのに。

 それに、この遺跡なら俺が死んでも問題ないのではないか?何の役にも立たぬ土地。中には数多の偽面神獣が闊歩しており、生半可な者では踏み入れることさえできはしない。俺が何になり果てたとしても、誰にも触れられることはないだろう。


「……冒険者失格だな」


 心の奥底で引き留める声がする。それをわざとらしい言葉で振り切って、奥へと踏み出した。


◇◇◇


 偽面神獣の群れを何とかやり過ごしながら、狭いわき道を通り抜けて奥へ奥へと進んできた。奥へ進むにつれ、活動状態の比較的小さなゴーレムとも戦闘しなければならない場面が増えた。偽面神獣だけは極力戦いを避けて進んできたが、それでもまた二、三体とは戦わなければならなかった。いくつか深い傷も負い、止血が間に合っていない箇所がある。

 血を流しすぎた。正直、もう限界である。魔力、体力ともに。体中に鈍い痛みが充満している。体がひどく熱を持っていて、なんだか四肢が変に膨らんでいるような感覚に襲われる。 狭い路地を進みながら、崩れ落ちそうになる足に活を入れる。死ぬならば、できるだけ奥で。決して他人の目に触れぬ場所で。そんな考えだけが足を動かす原動力だった。


 ふと、前方にひときわ明るい空間が見えた。なんだろうか。疲れ果てた精神の中に、かすかな好奇心が芽生える。

 どうせ死ぬなら、あれを確かめてから死のう。そんな子供じみた考えに足を運ばれ、体を前へ前へと進ませる。


 一歩踏みしめるごとに、自分の影が濃くなっていく。茶色だった床が、強く照らされ白へと変わっていく。


 ふっ、と視界が開けた。仮面越しでさえ眩しい光量に、思わず目を細める。


「……は、は」


 目が慣れると同時に、妙な笑いが漏れた。


 無理もない。目の前には、地上でさえめったに拝めないような大都市が広がっていたのだから。

 巨大なドーム状の空間には、石造りの街並みが所狭しと並んでいる。都市の中心部には、太陽のレリーフがあしらわれた大聖堂がたたずんでおり、都市の入り口からでも一目でわかるほどの巨大さと荘厳さを誇っていた。頭上から降り注ぐ光は、地上の太陽と比べても何ら遜色なく、眼下の街に張り巡らされた水路に反射して、美しい光が至る所に満ちている。ところどころでしぶきを上げる噴水には、虹さえ見て取れた。

 楽園。そんな言葉が、脳裏をかすめた。


緊張が解けて、体中の力が抜ける。


「とんでもない、大発見だな」


 五千年前にこれほど栄華を極めた都市がある、などという話は聞いたことがない。これが『太陽の帝国』だろうか?たとえそうでなくとも、間違いなく、これまでの歴史を覆す大発見だ。

 伝えに帰ることは、できないだろうけど。

 いっそすがすがしい気持ちで、地面に寝転がる。


「ふふ、ふふふ」


 見上げれば、巨大なドームのような地下空洞の壁面に、びっしりと光を供給する魔術刻印が施されているのが見えた。天井には、複数の大穴が開いている。あまりにも遠すぎるせいで、どれぐらい大きいのかはつかめないが。おそらくは通風孔の類だろう。


 こんな最期も、悪くない。子どもっぽい高揚感に包まれながら、目を閉じる。

 ここで死ねるなら、本望だ。


 どうせ、ここから抜け出すような気力も体力も残っていない。何より、地上に戻って生き延びなければならないような理由もないのだ。


 ああ。それでも。


 ———ミナヅキが、アンタにそんな馬鹿な生き方してほしかったとでも思ってるのかい。


 ふと、キサラさんの言葉が頭をよぎった。

 そうだ、たとえ生きたい理由が残っていなくとも。胸に、引っかかるものはある。


「———申し訳ありません、師匠」


 そんな、諦めとともに放った言葉に。


「シ、ショー?」


 予期せぬ答えが、返ってきた。

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