プロローグ1『ヒロトの回想』
──魔法学園、セコンディアスペイリア。
あらゆる若者が魔法の腕を磨きあうこの場所では、一人の青年の物語が動いて…──いや、止まっている。
「はァ…」
多くの生徒が往来する廊下で、人の流れに押されながら、青年は一人ため息をついていた。
「(今日も、魔法の授業か…)」
彼の名は、弥上ヒロト…──尋常ならぬ身体能力、堅実さ巧妙さを併せ持つ元日本人で、交通事故をうけ、気づけばここに強制転移されていたという過去を持つ。
そんな嘆息を漏らす彼は、今どのような状況にあるのか──新章開始に先立て、改めて今までの粗筋を説明しよう。
※
ヒロトの学園生活を語る上で、彼を取り巻く仲間たちの存在は欠かせない。
彼がここで出会った人間達の中でも、かなりの存在感を放つのが、ある一人の少女である。
初めて彼女を見たのはホールの壇上、初めて話したのは生徒指導室であったろう。
だが、初めて話した時の印象は良くはなかった。それもそいつは、こんなことを言うのだ。
『──とにかくヒロトさん、あなたの実力はこの魔法学園では通用しません。第一、なぜあなたが生徒として生き残ったのか理解に苦しみます』
魔法学園に強制転移された身なのに、こんなことを言ってくる彼女に、ヒロトは当初は相当イライラしていた。
それが、ムーン家とかいうエリート魔術師の家系の末裔──ラビット。
その後は余計関係が拗れるようなことがないといいなと思っていたが、その後二人が同じ部屋で、シャワー中に押しかけ、裸を目にして、モラルに欠けたフォローでさらに拗れる結果になるとは誰も思うまい。
当然、そこからは彼女に因縁をつけられる羽目になった。
…だが今思えば、彼女の存在こそが、この学園に来たヒロトの運命を大きく左右したと言ってもよいとさえ、本人も思っていた。
そう思わせた決定的な証拠は、その初対面の丁度次の日──あの北校舎での一件である。
旧10組担任が、ラビットを相談と題して北校舎へ誘い、毒牙にかけようとしたことがあった。
その後学園は、突如現れた異質な魔力でパニックに陥っていたが、結局は何もなかった。
だがそこで、生徒会長からラビットがいないことを告げられる。
ラビットの失踪を簡単に察知したヒロトは、北校舎へと猛ダッシュで向かう。
「くそっ、世話かけさせやがって!」
だが、その先でヒロトを迎えた洗礼は、まさに地獄のものであった。
北校舎の廊下に迸る異質な恐怖、催眠で行動の自由を奪われるラビット──そこまでならまだかわいいところであった。
何よりの脅威は間違いなく、唐突に出現した魔物だ。
魔物とは、魔力を受けた影響で驚異的な変化を遂げた動物であり、人間はおろか生態系にも重大影響を及ぼす。
何故こんな場所に現れたのかは知らないが、襲われつつもヒロトはラビットを救出。
だが、魔物に恐れをなした担任は逃げ出し、校舎を繋ぐ橋までを繋ぐドアの鍵をかけられたことで、二人は逃げ場を失う。
それでも、ラビットとの共闘もあって現状を覆すことには成功した。
しかし、二人を襲う魔物の脅威は、尋常ではなかっった。
「──がぁっ…ぁああああッ!!」
「ヒロトさんッ…!?」
あの北校舎でうけた、噛みちぎられた腕から鮮血が噴き出す感覚を、ヒロトは忘れる筈も無い。
ラビットの目にも、それは強く焼き付いたはずだ。
最初に戦った猿の魔物15匹で疲弊していたにも関わらず、なお、そこから猛毒蛇に、それの比でない強さの巨大なトカゲにまで襲われ、ヒロトは簡単に死を悟った。
だが、絶体絶命のピンチの中、ヒロトを救ったのはラビットであった。ヒロトが腕を失ったのは、ラビットを庇ったため──恩を感じずにはいられなかろう。
だが、絶望はすぐに追いついてきた。
トカゲからヒロトを連れて逃げ、彼の腕の出血を治癒魔法で止めたラビットは、魔力の甚だしい消耗によって、意識はすでに朦朧としていた。
だが、ヒロトの血を辿ってきたトカゲに、再び襲われる。
今度こそ後はない…自分は死ぬのだと、短い一生を思い出しながら、瞼を閉じたラビットだったが…。
──意識がないはずのヒロトが、ラビットの前にまたもや立っていた。
「何を…して」
ラビットがそう聞くやいなや、ヒロトに変化が訪れる。
彼が上着を取っ払うと、その背中には赤い刺青──厳しい鬼神の形相があった。
ラビットがそれに目を奪われていると、彼の体を赤いオーラが包みだした。
そしてそのオーラは、特に背中に濃く密集すると、巨大なヒト型になった。
真っ赤な筋骨隆々の鬼神が、なかなかに大きい廊下を塞ぐようにして、トカゲを睨みつけるのだった。
そのまま睨みつけられたトカゲは、鬼神により与えられた鮮明な恐怖でショック死した。
ラビットも謎の影も、それを驚いて見ていた。
これが、ヒロトの力…──鬼神のオーラである。
…だが、さっきも言ったように、これは魔法ではない。8年前の夜、当時6歳の彼は、両親をヤクザに目の前で殺され、強い怒(いか&りによってその力を覚醒させたのだ。
そう、この力を使うのは、およそ5年ぶりである。
ヒロトが幼い頃に経験した悲劇は、彼がこの力を使うのを自発的に止めさせていた。
…この力を使うことで、傷つく人間が出てきてしまうからである。
しかし、ヒロトはこの世界に来て、オーラが魔法の代用になると確信し、生徒会の下で修行を重ねた。
身体能力強化、威嚇、自己治癒(自己ちゆ)にいたるまで、元よりヒロトが持っていたオーラの効果は、急激な進化を遂げていた。
オーラは順調に成長し、彼はその力を持ってあらゆる障害を退けた。
救ったものも多く、仲間もたくさんでき、ラビットとはライバル関係を気づき、アツいシノギを削っていた。
だが、彼にもうその力はない。
ヒロトはある時、森で狂気的で残虐な敵への強い怒りに目覚め、オーラの制御を誤った。
止まることはできず、そのままオーラに自我を飲まれ、ゆくゆくは死ぬ。
だがそこから生き返るに、ヒロトのオーラを全てかける羽目になった。
ヒロトのオーラは、消えたのだ。
そして…消えたのはオーラのみではない。
「(…ラビット…)」
オーラが消えたヒロトに幻滅したからか、彼女の心機一転からかは知らないが、彼のライバルであるはずのラビットは、ヒロトと距離を置くようになった。
「…」
ヒロトにはわからなかった。
彼女が自分を見るときの、恐れるような目。前まではそんなことはなかったし、出会いはじめの目もそんな様子ではなかった。
「どうしちまったんだよ…ラビット…」
ヒロトは心を締め付けられながら、気になって仕方がなかった。