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ヘンピ島3

 シルバーの帰還を祝いジエルを歓迎する宴が開かれた翌朝。

 島長(しまおさ)の屋敷の客間の1つがジエルに貸し出され、ジエルは寝泊まりをその部屋でおこなう事になった。ヘンピ島には枯れ草を編んで作る(たたみ)という文化があり、ジエルの部屋にも畳が敷かれている。


 朝、ジエルが畳に敷いた布団の上で寝ていると、使用人女性がジエルの部屋の前まで来た。使用人女性は扉を挟んで中にいるジエルに声をかける。


「ジエルさん、朝食の準備ができました」


 部屋の中からのジエルの返事はないが、使用人女性は役目は終えたと部屋の前から去っていった。

 寝たままのジエルの視界は目をつぶっているため当然真っ暗だが、視界の一部に表示されているワイプには肩から上の魔王の姿が映っている。ワイプとジエルの視界は二重構造になっていてジエルは同時に視認できるので、ワイプは邪魔にならない。

 ワイプの中の魔王はジエルに声をかける。魔王とジエルにしか聞こえない念話(ねんわ)だ。


『起きなさいジエル、もう朝よ』


 ジエルは魔王の声にまだ起きたくないと言いたげに身をくねらせた。ヘンピ島には寝間着(ねまき)浴衣(ゆかた)を着る風習があり、ジエルも浴衣を着て寝ていた。魔王は息を吸い込む仕草をすると、口を大きく開く。


『起きろ!』


 頭の中で響いた大声にジエルは飛び起きた。浴衣の前がはだけて胸元があらわになる。ジエルは頭痛を感じたように頭を押さえる。


『それやめてよぉ、びっくりするじゃないか』


『使用人が朝食ができたと言っていたわよ』


 魔王のその一言でジエルは機嫌を直す。ジエルは枕元に置いてある赤いリボンを見る、昨夜ブルーから貰ったリボンだ。長く青い髪の毛をジエルなりにリボンで結んでまとめると廊下へ出た。

 廊下を歩いている途中でジエルは浴衣の前が乱れている事に気が付くと身だしなみを直す。浴衣の柄は男物であり、身長が180cmあるジエルが着るとサマになっていた。

 ジエルは空気が冷たくなってきているのを感じた。ひんやりとした爽やかな朝だと思ったジエルの気分に水を差すような事を魔王は口にする。


『昨晩、シルバーとブルーは妙にあなたに友好的だったのは何でだと思う?』


 ジエルは頭に結んでいる赤いリボンに触れる。


『ブルーは赤いリボンをくれたけど、仲良くしてきたのがおかしいという事?』


『だってシルバーと出会ったのは数日前、ブルーに至っては先日顔を見たばかりなのよ? それなのに信用してますと言わんばかりに友好的なのはおかしい、超常者(ちょうじょうしゃ)を利用しようと媚びを売っているのでしょう。

 そして、おそらく万がイチの時にはアーサーがあなたを殺してくれるという安心感があるからこそ、あなたに対して友好的な態度で接している可能性がある。島民の笑顔に簡単に騙されないように用心しなさい』


 ジエルは昨夜のシルバーとブルーの態度は作り物だと言われ不愉快な気分になり、魔王の考えを否定したかったが反論を思いつかなかった。


 朝食の用意されている居間には屋敷に住む者達が座っていた。40代前半の島長、島長の息子で10代後半のシルバー、島長の娘で10代半ばのブルー、そして40代前半の超常者アーサーが既に食卓を囲んで食事を始めていた。

 シルバーは浴衣姿のジエルを見ると頬を染めた、ジエルが着ている浴衣はシルバーが貸したものなのだ。シルバーはジエルと同じく身長が180cmぐらいなので柄が男物な事を除けばサイズは合っている。


 居間にいる面々はジエルに朝の挨拶をしたが、ジエルは挨拶を返さない。ジエルの態度を見た島長とアーサーは眉をしかめ、シルバーとブルーは困ったような顔をした。シルバーが自分の隣の席にジエルを誘う。


「ここに座ってくれジエル、いま朝食を持って来させるよ」


 ジエルが言われた通りにシルバーの隣に座ると、使用人女性がジエルの分の食事を持ってきた。去り際、使用人女性は無礼な人だという目をジエルに向けた。ワイプの中の魔王がジエルに注意をする。


『人間相手だけど挨拶ぐらい返してあげなさい』


『嫌だよ面倒くさい、挨拶ってする必要ないでしょ』


 ジエルも箸を持って食事を始めて口いっぱいにご飯を頬張っている時、味噌汁をすすった島長がポツリと口を開く。


「ジエルさん、先日の海賊退治をしたいという話だが」


 ヘンピ島の近海には最近海賊が頻出(ひんしゅつ)するようになっていて、ジエルは生命力の吸収のために海賊退治をしてまわりたいと申し出ていたのだ。ジエルは待ってましたという表情になる。


「ようやく行かせてくれる気になった? それなら海賊の隠れ家になっていそうな無人島の場所を教えてよ。それから船をちょうだい、1人でも動かせるように操作が簡略化されているやつ」


「条件があるんだ。海賊退治には是非とも行ってもらいたいが、ジエルさんを1人では行かせられない、息子を助けた恩人に何かあって欲しくはないからな。悪いが1人では情報も船も用意できない」


 ジエルは島長を睨む。弱いと言われたようで不快に感じたのだ。


「なにそれ、ボクが海賊ごときに負けると思っているの? 1人でもへっちゃらだよ」


 アーサーが島長の代わりに返答をする。


「1人だと不意討ちを食らえばそれでお終いだ、背中に目はついていないからな、島長の言う通り1人で行くのは止めておけ。それとも島長を無視して1人で海に出るか? その場合、海賊の隠れ家になっていそうな島の場所が分からず、海に出るための船もないがな」


 幼い子供と接するような態度のアーサーに、ジエルは苛立ちを覚える。


『ここは大人しく1人で海に出るのは止めておきましょう。情報は別の島に住む人間から貰っても良いけど、その島まで行く船がない。船を奪うという手があるけどアーサーにバレたら黙ってはいないでしょう』


 魔王にも説得され、ジエルは渋々1人で海賊退治をする事は諦める。


「わかったよ、1人で海に出るのは止める。それで、誰かと一緒に海賊退治をしろという事なわけ?」


 島長はアーサーの姿を一目すると答える。


「そうだ、ジエルさんにはアーサーと一緒に海賊退治をしてもらいたい」


 その島長の一言にジエルはこれでもかというほど嫌な顔をする。ジエルの反応が予想できていたのかシルバーは申し訳なさそうな顔をした。ジエルは島長の決定に異議を唱える。


「なにそれ、嫌だよ、絶対に嫌だ。何でこんな奴と一緒に行動しなきゃいけないのさ?」


 ジエルに悪口を言われたアーサーは表情を変えない。


「ひどい言われようだ、そこまで俺の事が嫌いか」


「きみがボクに何をしたと思っているんだよ、嫌って当然じゃないか」


 ジエルは自分の額に手をあてた。島に上陸した時に魔族の疑いをかけられてアーサーに(かぶと)の額部分を切られた事を示しているのだ、今は兜も鎧も着ていない。アーサーはその事に対して悪びれた様子がない。


「あの時のお前には魔族かもしれないという疑いがかけられていて顔を見せる必要があったのに、お前は兜を脱ぐ事を嫌がった。俺が責められる筋合いは無い」


「馬鹿にしてっ!」


 顔を真っ赤にして勢いよく立ち上がったジエルにアーサー以外が驚く。ジエルは座っているアーサーを心底嫌いだという目で見下ろした。アーサーは涼しい顔でジエルを見上げる。その態度にジエルはますます腹が立った。


『落ち着きなさい、今のあなたではアーサーには絶対に勝てない、分かっているでしょう?』


 魔王に止められたジエルは悔しさに顔を歪め、今にも泣き出しそうであった。隣に座っているシルバーがジエルに声をかける。


「ジエル、落ち着いて、食事の席だ、座って食事を続けよう」


 ジエルは唇を噛みしめ、両手を強く握りしめたまま動こうとしない。シルバーは少し恥ずかしそうに手を伸ばすとジエルの手首を握ったが、ジエルに睨まれると慌てて手を離した。

 ワイプの中の魔王はジエルを(とが)める。


『ジエル、子供っぽい事するんじゃないの。食事を止めて部屋に戻りたいの?』


『まだご飯は残っているよ!』


 元の席に座ったジエルは仏頂面(ぶっちょうづら)でご飯をかき込んだ。島長はジエルを見つめる。


「アーサーと一緒に海賊退治をするという事、認めてくれるのかな?」


「どうしてもアーサーと一緒じゃないと駄目なわけ? ボクの事を心配だというけどボクはその心配を望んでいない。海賊を倒すという目的が達成されるのならボク1人でも良いはずだ」


「ジエルさん1人の感情の問題ではないんだ。ジエルさんは島長である私の息子の恩人、すなわちヘンピ島を代表する一族の恩人なのだ。恩があるにも関わらず1人で海賊退治をさせてしまうとヘンピ島全体が周辺の島々からの信頼を失ってしまう。

 王国からの覚えも悪くなるだろう。だからヘンピ島の将来のためにもジエルさんが1人で海賊退治をしてもらっては困るんだ。超常者として名の知れているアーサーと同行させたのならばヘンピ島も面目が立つのだよ。わかってくれたかなジエルさん」


 ジエルは(はし)の先端を噛みながらアーサーをちらりと睨むと黙り込んだ。ジエルのその反応に島長は困った表情を浮かべた。魔王がジエルに発言の指示をする。


『とりあえず考える時間をくれと言っておきなさい』


「とりあえず考える時間をくれ」


「わかった、後日返事を聞かせてくれ。ただ、助けてもらう身で申し訳ないが海賊は待ってはくれない。できるだけ早く決断して欲しい」


 ジエルは島長のその言葉に頷いてあげる。ジエルの隣のシルバーは、心配そうにジエルの横顔を見つめた。


 食事を終え、ジエルは自室に戻った。


 布団は食事中に使用人が片づけておいてくれている。扉を閉めて鍵をかけると、ジエルは座布団に飛び込み顔を埋めて悶えた。


『どうしよう……アーサーと一緒に行動するなんて嫌だ……』


『島長達はまだあなたが魔族ではないかと疑っている可能性がある。アーサーと一緒に行動させるのはいざとなったら殺すためかもしれないわ』


 魔王の推測にジエルは座布団を跳ね飛ばす。


『どうにかして1人で海賊退治する方法を考えないと!』


『ひとつ分からない事があるのよ。周辺に海賊が頻出している状態で超常者を2人とも島から出したら、留守中に海賊の襲撃を受けた場合大きな被害を受ける恐れがある。それなのに何故島長はジエルとアーサーを一緒に島から出すのかしら』


『そこを突けば事態を好転させられるかも!』


『突いたら島に残るのはあなたの方になるわよ、アーサーには銃の流出調査という名目があるから。2人とも島から出す状況で得をしているのは私達の方だわ』


 ジエルはどうすればいいんだと座布団を被り苦悩した。絶望した様子のジエルだが魔王は異なる考えを持っている。


『アーサーと一緒というのは軽視できない点だけど、その問題をクリアできれば海賊退治をして堂々と人間の生命力を吸収できる。あなたの身の安全を保障できるのならばアーサーと一緒に海賊退治しても構わないと私は判断する』


『ボクの安全を保障って、無理だよ。アーサーは隙あらばボクを殺そうとするに決まっている、今度は兜ではなくて中枢を切られてしまうよ』


 スライムは中枢を破壊されると死んでしまう。ジエルは頭部の中の殻に包まれた中枢がアーサーに簡単に切られる光景を想像する。

 ジエルにとってヘンピ島に上陸した際にアーサーに兜を切られた事は、時間が経つにつれて自分とアーサーの力量差を自覚でき、強い恐怖心が芽生え、今やトラウマとなっていたのだ。


『大丈夫よ、アーサーが無法者ではなく社会のルールに従うのなら、あなたの安全を保障する方法はいくつもあるはず。私はそのうちの1つを思いついている』


 魔王の言葉に希望を感じたのかジエルは座布団をから顔を出す。


『なにをするの?』


『シルバーとは出会って日が浅いけど。あなた、シルバーの事は好きかしら?』


 魔王に予想外の事を尋ねられ、ジエルは座布団を抱えたまま少し固まる。魔王に好きか嫌いかで言えばどっちだと追及され、ジエルは答える。


『好きか嫌いかでいえば好きだけど、なんで? シルバーがボクの安全とどう関係があるわけ?』


『よし、じゃあ少しぐらい胸を触られても問題ないという事だわ』


 魔王が何をしたいのか未だに分からないジエルは自らの胸を触って困惑した。


『そのためにも人間への擬態の作業を進めるわよ』


『え、まだ早いんじゃない? あれ、体の中を虫が()いずり回るみたいで好きじゃない』


 ジエルはその感触を避けたいように両手で自分の体を抱きしめるが、魔王はジエルの能力を発動させた。ジエルは思わず声をこぼしてしまう。


「ひゃんっ! ちょっとぉ」


『変な事出すんじゃないの、部屋の外に漏れたら不審がられるでしょうが。それと動くな、作業がしにくくなる、我慢しなさい』


 ジエルは島に上陸した日に開かれた宴にて、魔族である疑いを晴らすために手に偽の血肉を作って、わざと手を傷つけて血を流す事で人間だと思わせた。魔王はその構造を全身に作ろうとしているのだ。


『変色により体表と体内で色を変える事で人間のような皮膚と肉に見せかけて、硬質化で偽の骨格を形成した。あとは変形により体内に偽の血管を作り、体の一部を液状化させて赤く変色させた偽の血液を循環させれば、

 切られた時に人間のような傷口になって流血する事ができるようになる。人前で戦闘をする事を考えたら必要な事よ』


 偽の骨格、皮膚、肉の形成は終わり、あとは血管と血液を全身に張り巡らせれば作業は完了である。ジエルは全身を体内から撫で繰り回されるような感触に目を強くつぶって耐え、必死に動かないようにする。


『戦闘の時には鎧を着れば傷口を見られる心配はなくなるじゃないかぁ……何のためにしているのさ、これぇ……』


『魔族だとアーサーにバレれば殺されてしまうのに、鎧1枚に命を託すつもりなのかしら? それに常に鎧を着られるとは限らない、最善を尽くすべきよ』


『小まめにやられるよりは、どうせなら一変にやって欲しい……』


 魔王が短時間で偽の血肉を作ってしまわない理由は、今はジエルに蓄積できるエネルギーの量に限りがあるからだ。


『もし一度に全てを作ってしまうと体を動かすのに支障が出た場合、修復に多くのエネルギーを使う事になる。今は人間のふりをしていて大量に食事をできなくて得られるエネルギーには限りがあるのだから、

 こうやって少しずつ作って体を動かすのに問題がないか確かめながら作った方が最小限のエネルギー消費で済むのよ』


 偽の血肉の形成にひと段落が付き、作業は持ち越しとなった。魔王は慎重に作業をしていたのでいつの間にか昼近くになっていた。

 魔王からとある指示を受けたジエルは、一戦を終えたような疲れた顔をしながらシルバーの部屋の前までやってきた。先程の体の中を撫でまわされるような感触を思い出して身震いをする。ジエルは魔王の考えを不思議がる。


『本当に胸を触らせればシルバーはボクの言う事を聞いてくれるの?』


『そうなるはずよ、人間のオスなんてメスの体の事しか考えてないんだから。今のあなたの体の感触は人間とほぼ変わらない、特に胸は手間をかけて作ったから人間のメス以上に触り心地が良いはず、ちょっと触らせればシルバーは言う事を聞いてくれるわよ。

 アーサーは島長と親しくて島長の言う事を無視できない、という事は島長の息子であるシルバーの言う事も無視できないはず。シルバーがあなたの安全を保障する事をアーサーに約束させれば、アーサーはあなたに危害を加えにくくなる』


 ジエルはシルバーの部屋の前で呼びかける。


「シルバー、いるー?」


 呼びかけても中から返事がないので、ジエルはシルバーの部屋の扉を開けてみた。すると中にシルバーの姿はない。その光景を見た使用人女性がジエルに注意をする。


「シルバーさんの部屋を勝手に開けないで下さい、非常識ですよ」


「シルバーは今どこにいるの? 知っていたら教えてよ」


 使用人女性は眉をしかめたが、シルバーが今何をやっているのか教えてあげる。


「シルバーさんは今、村の見回りに行っています。次期島長としての仕事をしているのです」


 そう聞いたジエルが屋敷の外へ出ようとした時、背後から使用人女性の声がかかる。


「待って下さい、お礼の1つも言えないんですか? 先程も旦那様達が挨拶をしたのに会釈もしないで、食事の時にはいただきますもご馳走様も言わない、あなたは礼儀というものを知らないんですか?」


 ジエルは立ち止まり、振り向くと使用人女性を睨みつける。ジエルが超常者である事を思い出した使用人女性はたじろいだ。


『こんな人間の使用人ふぜいに構うだけ時間の無駄よ、シルバーを探しにいきなさい』


 魔王に言われた通りにジエルはシルバーを見つけようと屋敷の外へ出た。ジエルが出ていった後、使用人女性は溜め息を吐いた。


 屋敷の外に出たジエルはシルバーを探して歩く。しかし闇雲に歩いても見つかるわけがない。ジエルはその辺にいた人に聞こうとするが、島民はジエルの姿を見ると遠ざかってしまう。


『なにあの態度、ムカつく』


『閉鎖的な環境で生きている人間はああいうものよ、超常者を恐れているのでしょう。まずは高台に登って村の全体的な地理を把握しましょうか、あそこの丘がいいわ、登ってみなさい』


 村と隣接するようにひと際高い丘があった。ジエルは魔王に言われた通りにその丘を登り始める。


『ボクは例えアーサーがボクに手を出さないと約束しても、アーサーと一緒に行動するのは嫌だよ。だって絶対に手を出されない保証ではなくて、殺される可能性は残るんだから』


『駄々をこねないの、ある程度の危険は割り切りなさい。そうでないとこの世の中で何もできないわよ』


 ジエルが丘を登り切ろうとした時、頂上にシルバーの姿を見つけた。丘の上からは村が一望できる。ジエルはシルバーを探す手間がなくなったと喜ぶ。シルバーはジエルの姿に気付くと微笑みを向ける。


「散歩かい? ジエル」


「シルバーを探していたんだよ」


「私に何か用があるのかな?」


「うん、ボクの胸を触ってもらおうと思って」


 ジエルのその宣言を聞いたシルバーは驚きと困惑が混ざったような顔になった。シルバーは顔を赤らめてジエルの胸元を見ると、慌てて視線を景色へと戻す。魔王はジエルの誘い方に呆れる。


『あなたには色気というものがないわけ? その言い方だと人間のオスだって興奮しないで逆に萎えるわよ』


「……風でよく聞こえなかった、もう一度言ってくれるかい」


 魔王の言った通り、シルバーは喜ぶどころか状況が分からないという冷めた顔になってしまった。魔王はジエルには色気のある誘い方は無理だと判断し、自分の考えた台詞をそのまま言わせる事にする。


「ボク、怖いんだよ、アーサーと一緒に旅をするのが。島に上陸した時にアーサーにされた事を見ていたでしょう? だから島長の息子であるシルバーにボクの事を守って欲しいんだけど、駄目かな?」


「アーサーさんは悪気があってやったわけではないと思うが、怖がって当然だとも思う。ジエルは私の恩人だから力になりたい、私にできる範囲でなら全力でジエルを守るよ」


 そう告げたシルバーは少し頬を赤らめていたが、ジエルには興味のない事であった。


「ありがとう、じゃあアーサーがボクに危害を加えられないようにして欲しい。ボクに何もしない事をアーサーに約束させて欲しいんだ」


 シルバーは納得したように小さく頷く。


「島長の私が約束させればアーサーさんも簡単には破れないと思ったわけか。わかった、アーサーさんと話してみるよ」


『ついでに何故島長が超常者を2人とも島から出そうとしているのか聞いてみましょうか、島長の息子なら何か知っているかもしれない』


「あと、聞きたい事があるんだけど、なぜ島長は超常者を2人とも島から出す判断をしたのかな。2人とも留守の時に海賊が襲撃したら面倒な事になると思うんだけど」


 ジエルの問いにシルバーは表情を曇らせ、丘から見える村へと視線を移す。


「面倒どころか、島は無傷では済まないだろうな。この時に超常者を2人とも海賊退治のために島から離れさせる父の考えを私は知っている。聞いた上で私も父の決定に同意した」


「どうして? 島が海賊に襲われても構わないと思ったの?」


「まさか、嫌に決まっている。でも長い目で見れば超常者に戦いを全て押し付けた方が島への被害は大きくなるんだ。外から来た超常者に依存して島民は留守番もしない、そう周囲に思われると更に海賊に狙われやすくなってしまうし、周辺の島々からの信頼を失うと交易などに悪影響が出る。

 だから例え犠牲が出ようとも、超常者の留守中は島民達で自衛しなければいけない。この時期にジエルとアーサーさんを同時に島から出す決定を父が下したのはこういう理由からだ」


 島民も少しは戦う姿勢を見せないと周りから見下されるという事はジエルにも分かった。しかし疑問に思っている事がある。


「危険があるかもしれない状況を自ら作り出して、きみは怖くないの? また海賊に誘拐されてしまうかもしれないし、今度は殺されてしまうかもしれない」


「もちろん怖いさ、次があったら勇敢に助けてくれる人が現れるという幸運は訪れないだろう……でも私は必要な事のために、この恐怖と危険を割り切る事にしたんだ」


 そう言いのけたシルバーの横顔を、ジエルは食い入るように見つめた。


「私にできる事なら喜んでジエルの力になる。だから見返りとして体を触らせようとするのは止めてくれ。ジエルには……そういう事をしてほしくない」


 伝えるべき事はもう終わったと丘を降りようとするジエルを、シルバーが呼び止める。


「ジエル、私はいま島の見回りをしているのだが、案内を兼ねて一緒に回らないか? 今日のジエルは確か予定がなかったはずだから」


『万がイチの時のために島の地理は把握しておきたい、誘いに乗ってあげなさい』


「構わないよ、今日どころかやる事がなくて暇だから」


 魔王に勧められた事もありジエルはシルバーの申し出を受け入れた。ジエルの返事を聞いたシルバーは露骨に明るい顔を見せる。


 海風が吹き付け、木々が揺れて葉が揺れる中をシルバーとジエルは肩を並べて歩いている。2人が一緒にいる所を見た島民の中には眉をしかめる者もいた。島民達の反応にシルバーは心配になりジエルの様子を伺うが、気にしてないジエルの態度に笑みを浮かべた。

 風が少し冷たい事にシルバーは気が付く、秋が近いのだ。ジエルは寝間着の浴衣のまま外に出ていた。シルバーはジエルが寒くないか心配になる。


「ジエル、寒くないかい? もう秋が近いのに浴衣のままで」


「そう言われてみれば少し寒いかも、でも平気だよ」


 スライムであるジエルは痛みには鈍感だが、寒さや暑さは人並みに感じる。火に入れられるなどの過剰な温度変化は痛みとなって鈍く感じるようになる。猛獣島で穴の中に落とされ燃やされた時は大した苦痛は感じていなかった。


「そうか、寒くないのなら良いのだが……そういえば屋敷にはジエルのサイズに合う女物の服がなかったな。恩人である女性に男物の服しか用意できないというのは問題だ、私がジエルの服を用意してあげよう、ついてきてくれ」


 シルバーに言われるままにジエルは後を付いていって村の中を歩いた。やがて服の模様の看板を掲げている家に辿り着く。島長の家に比べると小さいとジエルは思った。シルバーが家の戸を叩き呼びかけると、中から30代の女性が現れた。


「シルバーさん、何か御用で?」


「ジエルの事は知っているかな? 彼女に服を用意してあげたいんだ、恥ずかしながら屋敷には彼女のサイズに合う服がなくてな」


「シルバーさんを助けた島の恩人ですからもちろん知っていますよ、背の高い女性ですから合う服がないのは仕方ありません。さあ、中に入って下さい、採寸しますから」


 服の女性職人とシルバーに促されジエルは警戒しながら家の中に入った。室内には1人の10歳ぐらいの女の子が座っており針と布を持って作業をしている。少女はシルバーとジエルに会釈をすると黙々と針仕事を続けた。その態度に女性職人は怒る。


「こら! 島長の息子さんに向かってその態度は何だい! 立って頭を下げなさい!」


 注意された少女は慌てて立ち上がるとシルバーに向かって頭を下げた。シルバーは少女に向かって微笑みを返す。


「きみは確か今年で10歳になったのだったか?」


「そうです、この前10歳の誕生日を迎えました」


 少女は恥ずかしそうに自分の髪の毛をいじった。長い髪の毛を風変りな編み方をしている。女性職人は少女の髪型を見て恥ずかしそうな顔をする。


「娘の歳を覚えていてくれて嬉しいです。娘は奥に下がらせます、毎日変なふうに髪を編むんだから、もう」


 少女は母に言われた通りに布と針を持って奥の部屋へと移動するが、途中でシルバーに髪型似合っているよと言われると顔を真っ赤にした。


「では体のサイズを計りますのでじっとしていて下さい」


 メジャーを持って近付いてきた女性職人を見てジエルは驚き飛び退いた。


「それで首を絞めるつもり!?」


『違うから動かないでおいてあげなさい』


 女性職人はジエルなりの冗談だと思ってくれたのか愛想笑いを浮かべる。


「海賊100人を倒せる人相手に何もしませんよ、すぐ済みますので動かないで下さい」


「わかった、脱いだ方が測りやすいと思う」


 そう言ってジエルは浴衣の帯を解いた。開かれた浴衣を正面から見る事になったシルバーは仰天する。ジエルはパンツは男物を履いているがブラジャーは着けていないのだ。隠れて覗いていた先程の少女も驚いて作業中の布と針を落とした。

 シルバーは慌てて顔を真っ赤にしながら壁につま先を向けて立つ。女性職人は呆れた顔をして開かれたジエルの浴衣を閉じた。


「着たままでも測れますよ! 超常者というのは常識を知らないんですか、まったく……」


 採寸が終わり値段交渉に入った。シルバーは算盤(そろばん)を見ると(うめ)き声にも似た声をあげる。


「……意外と値が張るものだな」


「全身1式を10着ですから、安い布を使えば値段を下げられますが」


「命の恩人に対する礼なのに布のレベルを下げるのは駄目だ。だがこの値段はさすがに私個人としては払えないな……」


 苦虫を噛みしめたような顔をしているシルバーを見て、ワイプの中の魔王は面白そうに嘲笑う。


『きっと父親から貰っているお小遣いでは足りないのよ、格好をつけていたのに無様なものだわ』


 魔王からお金という概念を教えてもらっていたジエルは、シルバーが手持ちのお金では足りなくて困っている事が分かった。


「シルバー、無理しなくて良いよ。服ならシルバーに貸してもらった寝間着用の浴衣を今みたいに着続ければ良いし、戦う時は鎧を着れば良い。それでも服が足りないようならシルバーの服を貸してくれれば良いんだよ。ボク、シルバーがいま着ているズボンの方がスカートより動きやすそうで好きだな」


 ジエルは本心から言った事であった。島の女性の多くが履いているスカートより男物のズボンの方が動きやすいと思っていて、鎧の下は全裸で構わないので最低限浴衣さえあれば人間らしく生活していけると考えているのだ。


 しかし女性職人はそんな事を言うのかという顔をジエルに向けて、シルバーは先程ジエルの裸を見た時よりも顔を赤くしてしまっていた。シルバーは自分は何と情けない男なのかと下唇を噛みしめる。

 女性職人は年上の温かみのある笑顔を浮かべてシルバーのフォローをする。


「10着全てを作ろうとはせず、手持ちで無理のない分だけ作ってはどうですか? ジエルさんもその方が罪悪感なく喜んで受け取れる事でしょう」


「う、む……」


 シルバーは力無くその提案に乗る事にする。


「そうだな、そうするしかないな……すまないジエル、命の礼だというのに私が情けないばかりに」


「だから苦しいなら無理して買ってくれなくて良いって言っているじゃないか、どうしてやらなくて良い事をやって苦しんでいるわけ?」


 ジエルの返事に女性職人はまたもや呆れたような目をジエルに向ける。


「少しは男を立ててやったらどうなんですか、それじゃあ嫁の貰い手に困るかもしれませんよ?」


 ジエルは自分が馬鹿にされたのだと感じたが、不思議と怒る気にはなれずに首をかしげた。


 やがて陽が落ちかける頃になって、シルバーとジエルは屋敷に戻った。出迎えた使用人女性はシルバーとジエルが一緒だった事に眉をひそめつつ、夕食の準備ができている事をシルバーに向かって告げた。

 シルバーの到着を合図に夕食は食べられ始めた。食卓を囲む顔は朝と同じだ。


 島長は味噌汁をすするとジエルに声をかける。


「ジエルさん、昼間にシルバーに頼んだ件だが」


 ジエルの箸が止まる。昼間の件とはアーサーがジエルに危害を加えないように約束させてくれとシルバーに頼んだ事だ。アーサーは表情を変えない。島長から話は聞いているのだろうとジエルは思った。


「アーサーは無闇にジエルさんに危害を加えないと約束してくれるそうだ」


「約束するよ。と、いっても、わざわざさせる必要のない事だがな、俺は無実の人間を傷つけたりはしない」


 ジエルは自分が小馬鹿にされたと感じ、箸の先をくわえてアーサーを睨みつける。ジエルの態度にシルバーとブルーは苦笑いを浮かべた。アーサーは不機嫌に気付いていないようにジエルに尋ねる。


「それで、俺と一緒に海賊退治をしてくれるのかい? 青い鎧のお嬢ちゃん」


「ボクにはジエルという名前があるんだ! きみが1人で海賊退治をするのが怖いのなら、仕方ないからボクも付いていってあげるよ」


 ジエルの強がりをアーサーは鼻で笑いもしない。島長は話がまとまったと自らのヒザを軽く叩いた。


「ではさっそく出航の準備を整えさせよう、時間が経つほど海賊の被害が増えるから明後日の朝には出航できるようにするつもりだ、よろしいかな2人とも」


 アーサーは了承し、ジエルも問題ないと同意した。


 食後、ジエルは屋敷の裏にある温泉に入っていた。

 ジエルは昼間は寒くはないとシルバーに言ったが、夜だとお湯との温度差もあって寒く感じると思った。島長の屋敷の敷地は広く、温泉は壁で囲まれているので覗かれる心配はほぼ無い。

 ジエルが夜空を見上げると月が見えた。温かなお湯と穏やかな景色にジエルは極楽という息を吐く。ジエルと五感を共有している魔王も温泉を楽しめている。


『あなた、昼間はアーサーと一緒の海賊退治は絶対に嫌だと言っていたのに、さっきはいやに素直にアーサーの同行を認めたけど心変わりするような事があったの?』


 ジエルは両手でお湯をすくうと自らの顔にかけた。


『昼間、あの丘の上にて、シルバーは超常者が留守の間に海賊に襲撃されるかもしれないという危険と恐怖を、必要な事のために割り切ると言っていた、ボクも同じようにアーサーに殺されるかもしれないという危険と恐怖を生命力吸収のために割り切ろうと思ったんだ』


『ふーん……』


 ワイプの中の魔王は微笑ましいものを見る目をした。ジエルはとある事を思い出して自らの胸を触る。


『昼間といえば、シルバーはボクの胸を触る事を拒否したけど、人間のオスなのにボクの胸に興味がないのか』


 ジエルのその発言を聞いた魔王は笑い声をあげた。


『逆でしょ』



 2日後。アーサーとジエルが海賊退治に出航する朝になった。

 島長は宣言通りに2人が出航できるように物資を集めて船に詰め込んでいた。あとは2人が船に乗り込んで帆を張って大海原に乗り出すだけだ。船の前には大勢の島民が出航を見送るために集まっている。見送りには島長とシルバーとブルーの姿もある。


 人だかりが分かれて道ができたかと思うと、アーサーが飄々(ひょうひょう)とした態度で歩いてきた。これから海賊と殺し合いをする気負いが見られないと島民達は思った。アーサーは島長と目を合わせ、互いに無言で頷くと船に乗り込んだ。


 島民の人だかりが分かれて、もう1つの道ができる。青い鎧で全身を包んだジエルが周囲にいる島民達の顔をしきりに見ながら歩いてきた。兜の額には傷がついている。

 ジエルが船まで向かう途中にシルバーがいて、ジエルはシルバーの傍で立ち止まると兜を脱いで顔を見せてあげる。長く青い髪はブルーから貰った赤いリボンで乱雑にまとめられていた。


「じゃ、海賊を皆殺しにしてくるから」


「無理はしないでくれ、武運を祈っている。男物の服しか用意できなくてすまない」


「スカートだと戦い辛いだろうからズボンの方が良いよ、服を貸してくれてありがとう、なるべく破かないようにするから」


 ジエルは鎧の下にシルバーから貸してもらった服を着ていた。


「服の事なんて気にしないでくれ、それで怪我をして欲しくはない。島に戻ってきた頃にはジエル用に仕立てた女性服が出来上がっているはずだ」


「お金を出すのが大変そうだからいらないって言ったのに」


「島で作った服をジエルに着て欲しいんだよ」


 シルバーは心配だから行かないで欲しいという顔を笑顔で隠した。ジエルが兜を被ろうとした時、ブルーが呼び止める。


「待ってジエルさん、髪のまとめ方が雑だよ、やってあげる」


 ブルーは手際良くジエルの髪を赤いリボンで綺麗に縛ると、ジエルの両肩を後ろから軽く叩いた。


「無事に戻ってきて、美味しい料理を用意して待っているから」


「今から用意してたんじゃあ腐ってしまうよ」


 そう言いながら兜を被ったジエルに島長一族は笑顔を向けた。ジエルは船に向かって歩き、海岸と船を繋いでいる板切れに足をかける。見上げると無愛想で待っているアーサーと目が合った。


「海賊との殺し合いは陰惨(いんさん)なものだ、場合によっては死ぬより酷い目に遭うかもしれない。本当に出発して良いのか青い鎧のお嬢ちゃん」


 ジエルは兜の中からアーサーに向かって決意の籠った目を向けると、船に乗り込んだ。

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