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猛獣島3

 ジエルの触手刀(しょくしゅとう)がキボリグマの首筋に切り込む。しかし毛が少し飛び散るだけで血は飛び散らない。

 熊が反撃とばかりに二足で立ち上がり、鋭い爪の生えた手を振るうと、恐ろしい風切り音と共にジエルの触手は切断された。


「全然切れない……!」


『キボリグマの毛皮は天然の防刃素材で簡単には切れないわ。打撃攻撃に移ってみなさい』


 魔王はジエルの右手の触手刀をいったん軟体に戻すと再び硬質化させる。ジエルの右手は拳状の鈍器の付いた触手になった。


「てやーっ!」


 ジエルは触手を高速で動かし、硬めた拳を熊の眉間に叩き込む。熊は少し怯んだが傷ついた様子は無い。攻撃が通用しないと分かったジエルは青ざめる。


「打撃も効いていない……!」


『攻撃が軽いんだわ』


 ジエルはどう攻めたらいいのか分からず手が止まった。熊はその隙を見逃さず二足歩行のままに一歩踏み込むと、あっという間にジエルの目前に迫る。熊が腕をしゃくりあげたかと思えばジエルの体は吹っ飛び、宙を舞っていた。

 草むらに落下したジエルは体勢を立て直そうとしたが左足に力が入らない。


 ジエルの左足はほとんど切断されていて、振り子のように千切れかけた足が揺れている。先程の熊の攻撃がジエルの左の太ももに当たったのだ。


 熊はジエルに追撃を加えるべく力強く地面を蹴ると、またもや一瞬でジエルとの距離を詰めた。


「くっ……!」


 熊の爪がジエルの左肩めがけて振り下ろされ、土や石が飛び散る。ジエルがいた地面がエグれていて、青色で半透明の右足が残されていた。

 ジエルは熊の爪が届く直前に左手の触手刀を伸ばして近くの地面に刺し、触手を引き戻す力で飛ぶように横に回避したのだ。完全には避けきれずに右足のヒザから下が切断されてしまった。

 熊は初めて見る不思議な生物に警戒をしているのか遠巻きにジエルを睨んでいる。風で先程の土煙が流されて熊とジエルの間に漂う。


『攻撃を絶対に頭には食らわないで! 一撃で殻ごと中枢が破壊されるわ!』


 ジエルの視界を共有して熊の攻撃力を知った魔王は冷や汗を流す。ジエルは両足を失っていた。魔王はすぐさまジエルの両足を生やしてあげる。

 スライムであるジエルは痛覚が鈍く、頭部にある硬い殻に包まれた中枢が無事ならば死ぬ事はない。傷もすぐに塞ぐ事ができる。だが精神的なショックは別だ。


「ひぃ……! ひぃぃ……!」


 ジエルは足が元に戻っても立ち上がる事が出来ずにいた。熊の強烈な攻撃を浴びた事で恐怖して腰が抜けてしまったのだ。


一旦(いったん)退きましょう! 逃げるのよジエル!』


 ジエルは震えてしまって立ち上がらない。熊の体が動く。


『立ちなさい! 殺されるわよ!」


 魔王に怒鳴られ我に返ったジエルはようやく立ち上がった。空気が動くのが分かりジエルは横に飛ぶ。熊が追撃をしてきたのだ。ジエルがへたり込んでいた地面は弾け、飛び散った石がジエルの顔にぶつかった。

 草原には木が点在して生えている。すぐ近くに木がある事に気付いたジエルは再び左手の触手刀を伸ばすとその木に刺し、樹上に飛び移った。

 熊は木の根本に来ると樹上のジエルを見上げた。


『このままでは……!』


 魔王は霊体となるとジエルから離れていった。ジエルに憑依している怨霊の魔王は、短い間ならば霊体となってジエルから離れられるのだ。


「置いていかないでよぉ!」


 ジエルは懇願するように魔王の霊体へ向かって叫ぶ。


『違う! 弱点を探しているの!』


 霊体状態の魔王はジエルの五感とは別に、霊体の五感でも周囲を感知する事ができる。魔王は熊をすり抜けたが熊は気付かない。幽霊なので見えていないのだ。

 木の根元にいる熊の背後に回った魔王はとある事を発見した。


『ヒザの裏は毛が薄い! ここなら刃が通るかもしれないわ!』


 ジエルの右手の硬質化された拳が一度スライムの軟体に戻り、触手刀が形成された。それとほぼ同時に熊が鋭い爪のついた大きな手を振り回す。

 木に大きな衝撃がしたかと思うとゆっくりと倒れていった。熊が太い木の幹を一撃で3分の2程削ったのだ。


 倒れた木にジエルは乗っていなかった。葉っぱや土煙が舞う中、熊はジエルの姿を探す。

 熊は背後に気配を感じた。その時にはもう熊の後ろ足の両ヒザの裏に、2本の触手刀が突き刺さっていた。


『よし! やっぱり通る!』


 背後から攻撃された事に気が付いた熊は雄叫びをあげながら振り返る。熊のヒザ裏に刺さった刃はそのまま残し、魔王はあえて触手の部分だけを切り離して新しい刃を両手の触手に形成した。

 熊はジエルとの距離を詰めようとするが、後ろ足に刃が刺さっている事で移動速度が遅い。その事に気が付いたジエルはあえて熊との距離を詰めた。熊の前足のヒザ裏に触手刀が届く距離まで近付いたのだ。


「仕返しだぁ!」


 熊は前足を振り回して鋭い爪でジエルを切り裂こうとしたが届かない。ジエルの両手の触手刀が、熊の前足の両ヒザ裏に突き刺さる。熊は4本の足全てに刃を突き刺された。

 熊はジエルに反撃をしようとするが、全ての足を負傷しているため動きは鈍くなった。


『よし、動きが鈍くなった。たたみかけるわよ』


 魔王の霊体はジエルの体へと戻った。ジエルの視界に魔王の顔のワイプが表示される。そのワイプはジエルの視界の邪魔をしないようになっていて、戦闘の邪魔にはならない。


「どうやって? 熊は硬くて頑丈でボクの攻撃は通用しない」


『兎のやり方を模倣するのよ。触手がギリギリ熊の頭に届く距離を維持しなさい』


 刃がヒザ裏に刺さり動きが鈍くなった熊は、なおもジエルに近付き爪で切り裂こうとする。ジエルは熊と一定の距離を保ち続ける。この状態では機動力はジエルの方が上であった。

 ジエルの右手の触手刀が一度軟体に戻り、再度変形して硬質化する。刃の代わりにトゲの付いた鉄球状になっていた。


『遠心力を生かして熊の頭へ叩き込みなさい』


「ふんっ!」


 ジエルは右手の触手をムチのようにしならせる。空気が裂かれるような音をさせながら、触手の先端に付いたトゲ付き鉄球が円を描いて飛来して熊の首筋にぶつかった。毛と一緒に血も飛び散る。


「やった! 血が見えた!」


 血を流され逆上したのか熊は前足を振り回す。鋭い爪でジエルの鉄球が付いた触手が切断された。熊はそのまま四足で地面を蹴ってジエルに向かってくる。魔王は切断されたジエルの触手を再生し先端に刃を形成した。


『穴の空いた所を狙いなさい』


 ジエルは片手の触手刀を横に伸ばし、引き戻す力で横に飛んで熊の突進をかわした。そのままもう片方の触手刀を動かし、先程の鉄球攻撃で少しだけ空いた毛皮の穴に刃を突き刺した。

 触手刀を根本までずっぽりと熊の首筋に入り込ませると、ジエルは思いっきり触手刀を引き抜いた。熊の首筋から赤い血が噴き出る。

 熊は少しよろけてジエルの方を見た後に倒れ、何度か痙攣した後に動かなくなった。


「殺せた……?」


 ジエルはきちんと殺せたのか不安で、熊の首筋に何度も触手刀を突き刺した。それでも熊が動かないのを見て殺せたのだと安心できた。


『毛の薄いヒザ裏を刺して動きを鈍くして、遠心力を利用した触手鉄球で首筋の毛をエグり急所を作り、触手刀でトドメを刺す。キボリグマを倒すパターンは作れたわ。森の中では使えない手だけど』


「使えない? あ、そうか、森の中では触手鉄球が木とかにぶつかってしまうから。遠心力を利用した攻撃ができないんだ」


『そうよ。限られた空間でも熊を殺せるようになる事が、この島での最終目標になるわ。この島にキボリグマ以上に強い魔物はいないだろうから』


 魔物と普通の動物の境は曖昧(あいまい)で、知性が高かったり常識外れな生物は魔物と呼ばれる傾向がある。ツキミウサギとキボリグマは多くの人に魔物として捉えられている。


「この熊を狼みたいに殺せるようになるまでか……大変そう」


『熊をたくさん殺して生命力を吸収して強くなれば可能よ』


「このサイズをたくさんか、ボクでも食べきれるかな。そういえば兎はどうしよう? 巣穴の中にたくさん隠れていそうだけど」


『その問題は解決できていないわ。どうしたものか……!? ジエル後ろ!』


 今の魔王の五感は、ジエルと共有している五感しかない。ジエルの背後で急に気配が復活した時、初めて魔王とジエルはその事に気が付いた。

 殺したはずの熊が上半身を起こしていたのだ。


 予想していなかった事にジエルは無防備に後ろを振り返る。


 ジエルの額が弾けた。

 スライムの中枢のある頭部を爪で切り裂かれたのだ。


『ジエル!』


 最後の力を振り絞った熊は倒れながら絶命した。ジエルも続くように倒れる。魔王は霊体となってジエルの体から出て、ジエルの状態を確認した。

 額にはパックリとした傷口ができていて、中枢を包む硬い殻が砕かれていた。ジエルは目を開けたまま動かない。


『中枢を少しかすめた程度だわ。これなら生きているはず。私がこうしてジエルへの憑依を続けられているのがその証拠だと思いたいわ。ジエルが死んだら私はどうなるのかしら、成仏してしまうのだろうか』


 魔王は霊体である自分がジエルに憑依している状態を、自分の事ながら詳しく把握できていなかった。自分の事なのに分からないとは馬鹿な話だと魔王は思う。


『ジエル! 目を覚ましなさい! 魔王である私が命令しているのよ! 動きなさいったら!』


 魔王は呼びかけるがジエルは微動だにしない。


『死んでしまったの……? いえ、そのはずはないわ……』


 魔王はジエルの青色で半透明の髪に触れる。超常者になり、生命力の強化されたジエルは体温を持つようになっていて、魔王の手にはジエルの体温が伝わってきた。死んだ直後だからまだ温かいだけとは魔王は考えたくなかった。


『何を動揺しているのよ私、今もこうして五感を共有できている。ジエルは生きているわ』


 ジエルの動かない目を通して魔王は草原を見る事が出来た。ジエルが生きている確かな証拠を得て、ワイプの中で魔王は安堵した。


『ジエルはそのうち目を覚ますとして。この場所は不味いわ、兎の巣穴が近くにあるもの』


 ジエルが兎の巣穴を覗き込んでいる時に、熊が接近してきて戦闘が始まった。戦っているうちに巣穴から少しは離れたが、まだ巣穴は近かった。


『この状態のジエルを発見されたくはない。兎たちはジエルを恨んでいるはずだから殺されてしまうわ。他の獣にも言える事だけど。でも私ではジエルの体を動かせない』


 魔王はジエルの能力を発動できるがジエルの体は動かせない。霊体なのでジエルや周囲のものに触れて感触を知る事はできても、動かす事はできない。

 魔王はジエルの体を操作しようとした。霊体になってジエルの体から出て掴む事でジエルを移動させようともした。気合にも頼ってもみたが、やはりどちらも不可能であった。


『獣に発見されるにしても、能力を発動させる事で時間を稼げないかしら』


 魔王は少し考えた後。霊体として外に出てジエルの能力を発動させた。


『たくさんの生物を殺して生命力を吸収する事でジエルの能力の幅は広がっている。可能なはずだわ』


 ジエルは人型になったとはいえ元はスライム。頭部には中枢を包む殻があるが、他の箇所には骨格と呼べるものは無かった。

 魔王はジエルの能力の1つの硬質化を使って、ジエルの胴体と手足に不透明で青色の骨格を作っていく。実際に機能しなくても構わない。骨格があるように見えればいいのだ。


『骨格らしきものは作れた。ここまでは順調』


 一段落ついたので魔王は一度ジエルの体の中に戻る。霊体状態で外にいると死んだ身でありながらも消耗する感覚が魔王にはあった。

 霊体として外にいたのは、ジエルを客観視できた方が確認しながら作業できたからだ。やり慣れていない作業を触覚だけで おこなうのは難しい。


 ここからは手の込んだ作業をする事になる。一度ジエルの体に戻って自分の集中力を回復させたのだ。

 魔王は霊体としてジエルの体から出る。


『頭と首の間に、もうひとつの頭を作る』


 ジエルの首が膨れ、球体が頭と首の間に出来る。スペースがない場所に球体が現れたのでジエルの首は押されて折れ曲がっていた。


『予想通りにいってくれた。この球体を頭部に見せかけて、首が折れた事で死んだように見せかける』


 球体に人間のような目鼻立ちができていく。髪の毛も太くではあるが本物のように生やした。首が変な方向に曲がっていて髪の毛が太く、頭の上に本当の頭がくっついている事を除けば、普段のジエルの頭部に近い偽の頭が出来上がった。

 偽の頭部の中に、中枢を包んでいるような偽の殻を形成しようと思った時、魔王は自分の消耗を自覚してジエルの中に戻った。

 魔王は格好の悪い作業風景でも構わないと思った。最善の結果さえ残れば良いのだ。


『あともう一息』


 その時、ジエルと共有している五感で魔王は気配を感じた。獣が近付いてきたのかと魔王は動揺して、慌てて霊体としてジエルの体から出て周囲を警戒する。

 気配は空からだった。肉食のタカなどの大型の鳥が血の臭いに気付いて飛んできたのだ。


『熊の方へ行きなさい。そっちの方が美味しそうでしょう?』


 魔王の願い通りに鳥は熊の死体の上へ降り立つと、首筋の傷口をクチバシで突っついて食べ始めた。


『そのまま熊の方を食べていなさい』


 鳥たちが続々と集まってくる中、魔王は作業を続けた。偽の頭部の中に中枢を包んでいるような偽の殻を硬質化で作る。

 次に殻の中に脳のような構造物を形成していく。頭の中を覗かれても偽物だとバレにくいためにだ。


 偽の脳を作っている途中で、魔王は気配を感じた。今度のは空からではなく地表からだ。

 気配のした方を見ると草むらが揺れていた。揺れ方からしてシラガオオカミの可能性があると魔王は判断する。


『まだ作業は不完全だ。偽の脳は大まかにしか作れていない。この状態では偽物の頭部だとバレやすい。でも早く偽の頭部を切り離さなければ本物の頭部を発見されるリスクが高まる……』


 偽の頭部と本物の頭部を接合していた箇所が切断される。断面は髪の毛に偽造された。偽の頭部と再び繋がる方法は今の魔王には存在しない。もはや戻れない事をしたのだ。

 今や生首状態で、単独となった本物の頭部の目鼻立ちと毛髪が溶けたように無くなり、スライムらしい形状になった。それから頭部全体が硬質化をして、ジエルの生首は大きめの石の姿に変わった。


『本物の石のような色に変えられて良かった。これなら転んだ拍子に石に頭をぶつけて死んだように見えるはず』


 ジエルの頭が石のように変化した直後、何頭ものシラガオオカミの群れが姿を現した。1頭の狼が警戒した様子で、倒れている青色で半透明の人型である偽のジエルに近付く。

 狼は前足で偽のジエルの体を軽く殴る。何度か殴ってそれでも動かないのが分かると、狼はジエルの偽の頭の匂いを嗅ぎ始めた。


『狼の嗅覚は鋭い、匂いでバレるか?』


 別の狼が近くに転がっている熊の首筋に噛みつき始めると、ジエルの匂いを嗅いでいた狼も熊の死体の方へ走っていった。熊肉に集まっていた鳥たちが狼の登場で逃げていく。


『熊の方が美味しそうだもの。私なら半透明で青色の肉を食べるのは嫌だわ』


 狼たちは熊の硬い毛皮を口と前足を使って器用に剥がすと肉を食べ始めた。時々ジエルの方を警戒して見るが、熊肉を食べる事を優先していてジエルに大した興味は示さない。

 やがてお腹いっぱいに熊肉を食べ終えた狼たちは、ジエルを放置して森へと去っていった。狼たちがいなくなった事で鳥たちが戻ってきて熊肉を食べ始める。


『狼たちは(しの)げた。早く起きなさいよジエル』


 魔王はジエルと五感を共有している。頭部を全て硬質化した状態では五感はほぼ封じられているが、音を微かに聞く事ができる。ジエルは生きていた。

 狼たちが去って魔王は胸を撫で下ろしたが、まだ脅威は続いている。熊の血肉の臭いを嗅ぎつけてたくさんの獣が集まってくるはずだと魔王は考えていた。


 その考え通りに、また動物の気配が近付いてきた。

 草むらから5匹のツキミウサギが姿を現した。手には槍を持っている。


『今度はツキミウサギ達か。巣穴が近いから来て当然だけど。さて、熊肉とジエルのどちらに構う?』


 兎たちは草むらに隠れながら遠巻きに倒れている偽のジエルを見ている。1匹の兎が槍を掲げるとジエルに向かって投げた。槍は偽のジエルに刺さる。

 偽のジエルがそれでも動かない事を知ると他の兎たちは草むらから飛び出して来て、偽のジエルの体を何度も槍で突き刺した。


『ジエルの方を構うか。憎いはずだし当たり前だわ』


 兎は繰り返し槍で偽のジエルを刺し続ける。偽のジエルの体が原型を留めないぐらい崩れてから、ようやく何度も刺すのは止めた。

 槍の1本に偽のジエルの頭部を刺し、偽の体に糞尿をかけ、槍に刺さった偽の頭を掲げながら兎たちは去っていった。


『本物の頭にも少し糞尿がかかってしまったわ。ジエルが目を覚ましたら洗わせないと』


 魔王は石に擬態しているジエルの本当の頭が汚れたのを見て自虐気味に微笑んだ。


 ジエルは一向に目を覚まさず。陽が落ちかけてもジエルの意識は戻らないままだった。ズタズタにされたジエルの偽の体は半分程溶けて地面に吸われていた。

 魔王はジエルと共有している聴覚で、微かに伝わってくる風で草が揺れる音を聞き続けていた。


『生きているのに、何故まだ目を覚まさないの?』


 魔王は霊体となってジエルを外から見つめた。熊にエグられた中枢の傷は深刻なものだったのだろうかと様々な可能性を思い浮かべる。


『今は蓄積されたエネルギーで生存できているけど、それが無くなったら死んでしまうわ。どうにかしてエネルギーが残っているうちにジエルには復活して貰わないと』


 ジエルは見かけによらず大量に食べる事ができ、数頭の狼を一晩で食べきる事ができる。余分なエネルギーはジエルの中枢に蓄積されていた。


『中枢の傷が深いのなら死んでいるはず。ジエルは私が憑依した事で知性を得たけど、それは(いびつ)な方法だわ。ひょっとして意識の復活方法が分からないのかしら?』


 魔王はどうやって自分がジエルに憑依しているのか自分の事ながら説明できない。同じく自分がどうジエルに影響を及ぼしているのかも分からない。可能性としては考えられる事だ。


『眠りから自力で起きられないのなら、誰かに起こしてもらうしかない……試してみるしかないわ』


 魔王はジエルの体の中に入り込む。今は真っ暗であるジエルの視界に魔王の顔が映ったワイプが表示される。いつもならばその時点で止めているが、魔王は更に先へ進んでみた。

 ジエルの意識の中に魔王の意識が入っていった。





『よし、ジエルの意識の中に入れたわ。さて、あのグズはどこかしら?』


 ジエルの心象風景(しんしょうふうけい)は青空の下の孤島に変わった。大海原の中に存在するその島の地形に魔王は見覚えがあった。ジエルの故郷であるスライム島だ。魔王は島の上空を飛んでいた。

 その島の砂浜に1匹のスライムがいるのを魔王は見つけた。青色で半透明で、軟らかいそうな球体のスライムだ。

 魔王は砂浜に降り立ち、スライムに近付く。


『ジエルでしょ? その姿でもアホ面で分かるわ』


 スライムには元々わかりにくいが目鼻立ちがある。今、魔王の前にいるジエルはスライム島にいた姿のジエルであった。


『目を覚ましなさい。このままでは熊に中枢を砕かれるか栄養不足で確実に死ぬわよ』


 球体の姿のジエルは何も答えず、身動き1つしない。魔王は苛立った顔をするとジエルを鷲掴みにして持ち上げた。ジエルの体が水風船みたいに垂れる。


『起きなさい。私の命令を聞きなさい』


『――嫌だよ。起きたらまた怖い目に遭う』


 ジエルの考えが魔王に伝わってきた。魔王は掴んでいるジエルを覗き込む。


『つまりあなたは。生きるのを止めて。勇者への復讐も止めて。眠り続けるつもりなわけ? 勇者に対する憎しみを忘れてしまったのかしら?』


『昔のボクなら誰かを憎める程の知性を持っていないから復讐を考えない。痛い事を怖いと思わないし、熊にまた殺されかけるかもと恐れる事も無い。だからボクはこの状態のボクで構わないんだ』


 魔王は呆れた顔をしてジエルから手を離した。砂浜にジエルは落ちる。


『なるほど、熊に中枢をエグられた恐怖で、昔の知性が低かった頃の意識に逃げたんだ。そうする事で恐怖から目を逸らしたわけだ。目を覚まさなかった理由も分かったわ。単純なスライムの意識で複雑な人型の体を動かせるわけがないもの』


『ボクはもう怖がりたくない。まおう様には悪いけど、もうボクは今のボクには戻らない。このまま何も分からないボクのままでいるんだ』


 魔王はジエルの上に座り込んだ。ジエルはソファーのように少しへこむ。魔王は尻の下のジエルに語り掛ける。


『誰だって死ぬのは嫌で。死ぬような目に遭えば強い恐怖を抱いて。危険からは逃げて隠れていたい。理屈は通っているわ。でもジエル――』


 魔王は大海原の水平線を見渡す。


『昔の小さいままのあなたで本当に良いの? 虫しか食べられなかったあなたが魚や獣を食べられるようになった。別の島へ行けるようになって人型にもなった。出来る事が増えて楽しいとは思わなかったのかしら?』


 ジエルは少し沈黙をする。


『……思わないよ。ボクはスライム島にいた頃のボクが1番楽しかった。変わった後のボクを楽しいとは思っていない』


『嘘つくんじゃないわよ楽しいと思ったんでしょ。最初は魚さえ満足に獲れなったのに狂暴な熊を仕留めらえるようになる。弱かった自分が強くなっていく。楽しい以外の感情は存在しないに決まっているわ』


 ジエルは不満そうに頬を膨らませる。


『まおう様に何が分かるのさ。まおう様の強さは知らないけど、まおう様と言うぐらいだから強いんでしょ。弱いボクの気持ちが分かるわけないよ』


『……私が超常者(ちょうじょうしゃ)という事は出会った時に話した。超常者はたくさんの強い生物を殺す事で強くなっていくけど、最初から強い超常者は存在しないのよ』


 ジエルは少し驚いた様子で頭の上に座っている魔王を見上げる。


『それって……まさか、まおう様も……』


『まあ私は最初から強かったけど。そこいらの超常者と一緒では無いのよ』


 ジエルに座っていた魔王は離れた。そのまま腕を組んで水平線を見つめる。ジエルは遠くを見る魔王の横顔を見上げた。


『楽に強くなる方法を教えてあげるわ。怖い事を楽しみなさい。自分が世界中の怪物たち相手にどこまで戦えるかで心を躍らせるの。そうすれば戦いの中で死んだとしても楽しかったと思えるわ』


 魔王の体は浮いて空高くに飛び上がっていく。ジエルの深層意識から離れているのだ。


『待っているわよジエル』


 大海原の中のスライム島は魔王から離れていった。




『ん……』


 ジエルの意識の中から戻ってきた魔王は、深い睡眠中に無理やり目を覚ましたかのような倦怠感(けんたいかん)を味わった。今のジエルの状態を確認しようと霊体となって外に出た魔王は、その異変を目撃する。

 ジエルに殺されたキボリグマを、別のキボリグマが食べていたのだ。


『共食いをするんだこいつら』


 熊は同族の肉を食べていたが、満腹になったのか死体から離れた。

 次に、熊は周囲にある岩を爪で砕き始める。


『爪とぎをしているの? 不味いわ、硬そうなものを好むのだとしたら……』


 熊の目が硬質化で石に擬態しているジエルの頭部を捉える。熊がジエルの頭部を目がけて歩いてきているのを、霊体の魔王は見た。

 先ほど、キボリグマの爪がジエルの中枢を包む殻を砕いたのを魔王は見ている。殻は硬質化された部位よりも硬いはずなのにだ。


『やっぱり! こいつジエルの頭で爪とぎをするつもりだわ! ジエルの中枢が破壊されてしまう!』


 魔王はジエルの頭が熊の爪で砕かれ、中にある中枢が破壊されてジエルが死ぬ光景を想像した。ジエルが死ねば憑依している霊体の自分もどうなるか分からない。


 ――その時、魔王にとある感覚が伝わってくる。


 熊は爪とぎに手頃そうな石を見つけ、爪をその石に叩き付けた。怪力により地面が弾ける。クレーターのようになった地面には崩れた軟らかいスライムの体しかなかった。


 短い足を生やした石が宙を舞っている。

 石は着地すると、下部から人間のような胴体を見る見るうちに生やしていく。奇妙な光景に熊は驚き、その謎の現象と距離をとる。熊の目に今まで見た事のない生物が映る。


 毛髪を含めて全てが青色で半透明な、人の形を模したスライムが立っていた。


「お腹空いた」


『擬態に大量のエネルギーを使ったからよ。食べたければ殺しなさい』


 ジエルがやりたいと思った事は魔王に伝わる。魔王は先ほど伝わってきた感覚に応えた。ジエルの両手の形が変わって鋭く硬い刃が形成され、手首が伸びて刃の切っ先が熊に向けられた。


「きみを殺してお肉と生命力を貰うよ」


 ジエルは自分を一撃で殺せる熊を前に、不敵な笑みを浮かべた。

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