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猛獣島2

 森の中。人型になったジエルは木に手をついて息を切らしていた。


『少しは落ち着いたかしら?』


 視界の一部にワイプとして表示されている魔王からの呼びかけに、ジエルは自分の触手を見てみる。太くなった触手は先端で5本に分かれており、それは人間の手にそっくりであった。

 ジエルは自らの全身を()で繰り回し唖然(あぜん)とする。


「ボクの体が変になっちゃった……」


 ジエルの視界の魔王のワイプが消えたかと思うと、魔王は霊体となってジエルの前に姿を現した。

 この状態ならば普段共有しているジエルの五感に加えて霊体部分の五感も感知する事ができる。魔王は今のジエルの姿を観察した。


『へぇ、こうなるんだ。人間のように手足があって、人型の魔物になった……とも思えるけど、実際にはその前段階といった所かしら』


 今のジエルは、スライムを人間の型に()め込んだような外見をしていた。


『体は半透明な青色のままだし、服のつもりなのか体と同じく青色で半透明な千切(ちぎ)れた布のようなものが何枚も体にくっついている。体から生えたもので触手と同じなのよ。スライムの要素が強すぎる。

 人型の魔物はこのような中途半端な存在ではない。この状態は人型の魔物ではなくて、スライムがただ人のような形状になっただけという捉え方が正しいわ。自分で見てみなさい』


 ジエルの右手が硬質化して鏡と同じく光を反射するようになった。ジエルは右手に自分の顔を映してみる。

 ジエルは鏡に映っている今の自分に見覚えがあった。すぐ目の前にいる霊体の魔王の顔を見た時にその既視感の正体が分かった。


「わぁっ! これボクの顔!? 魔王様にそっくり!」


 赤髪で赤い目をした魔王の顔と、全てが半透明の青色であるジエルの顔の形が似ていた。寸分違わず同じというわけでは無く顔立ちが僅かに異なっている。


『あなたが人型になる際に参考にしたのが私なのよ。スライムの分際で魔王である私の姿を模倣(もほう)するとは生意気だわ』


「嫌ならボクを元の体に戻せばいいじゃないか」


 ジエルは()ねたように頬を膨らませた。


『無理よ。私が能力を発動させてその形態にしたわけではないもの。元のスライムらしい姿に戻せるとしたらあなた以外にはできないわ。というか戻す必要はないわよ。人型の方が道具を使えて便利だから人型を目指すってスライム島で話したでしょう?』


「そうだけど、ボクはずっとこの形のままなのかぁ、不思議な感じだよ」


『生命力を吸収し続ければまた変化するかもしれないわ』


 生命力の吸収という言葉で、ジエルは兎たちとの戦闘を連想した。


「そういえば兎たちはどうなったの!? まだ近くにいるとか!? それなら早く逃げないと!」


 ジエルは怯えた顔で周囲を見渡す。


『落ち着きなさい。あなたが人型に変化した事で兎たちは驚いて攻撃を止めたわ。それに追撃されても森の中ならばあなたの方が有利なはずよ。触手刀(しょくしゅとう)は使えるでしょう?』


 ジエルの右手が増量変形して触手になり、先端に硬質化で刃が形成された。触手刀はジエルの意思のままに動かせる。


『障害物の多い所ならば兎たちの投げ槍攻撃は大した脅威にはならない。一方触手刀ならば攻撃の軌道を自由に変えられる。ツキミウサギの1匹あたりの戦闘力は狼と比べると高くない。森の中ならば殺されるのは兎たちの方よ』


「なら復讐してやる!」


 ジエルは右手は触手刀のままにファイティングポーズをとった。


『少し待ちなさい。ツキミウサギの身長は人間の腰程の高さ。人間大になった今のあなたなら体格で勝っているけど、その事は兎たちも目撃して知っているはず。

 あの兎たちは馬鹿じゃない。必ずまた待ち伏せをしているはずよ。考え無しに草原に行くとまた苦戦するかもしれない』


 霊体の魔王はジエルの体に入っていった。同時にジエルの視界に魔王の顔が映ったワイプが表示される。


『それにあなたは体が変わった直後。兎と再戦するにしてもその体に慣れてからよ。球体の時とは勝手が変わっただろうから』




 木の枝に1羽の小鳥が止まっていた。小鳥は外敵を警戒している。空から大きい鳥に襲撃される恐れがあるが、頭上には枝が入り組んでいて敵が空から来襲しても逃げるくらいの時間は稼げるだろう。

 地面から攻撃される恐れもある。兎が木の枝などを投げて獲物を仕留める事を小鳥は知っていた。小鳥は枝のたくさん生えたの木の奥の方へ止まっている。地面から木の枝などを投げられても、周りの枝にぶつかって防がれるはずだ。

 空と地面のどちらから攻撃されても逃げるくらいの時間は稼げる。小鳥は自分の安全は確保できていると判断していた。


 1本の触手刀が何本もの木の枝を貫通して小鳥に当たり、小鳥の体は四散した。


『以前ならば枝で刃が止まっていて小鳥までは届かなかったはず。人型になり体重が増した事で攻撃に重みが出来たのよ』


「これじゃあお肉にはできないや」


 小さな細切れになった小鳥の死骸を見てジエルは落胆した。人型になって数日間、様々な動物をいろいろな状況で仕留めてみたが、とれる手段が増えて全体的な攻撃力が増したとジエルは感じていた。


『食料目的ならでかい獣を狩ればいいのよ。今日も何頭か獲るわよ』


 魔王は霊体となって姿を現し空中へと浮遊した。ジエルと長距離は離れられないが周囲の木より高くへは移動する事ができる。霊体になれば自分の五感でも周囲を知覚する事ができる。魔王の目は木々の間の1頭の(いのしし)の姿を捉えた。


『あの方向へいるわよ。早く仕留めなさい』


 魔王が指を差した方向へジエルは右手が刃状のまま走り出す。途中で細かい木の枝に何度かぶつかってしまうが、長い足と重心のバランスを取りやすい腕があるおかげで移動速度は増している。

 ジエルの足音に気が付いた猪が逃げ出すが、その時にはもうジエルの目が猪の姿を捉えていた。


「この距離なら届く、えいやぁっ!」


 ジエルの右手は刃状になっていて、手首のあたりが伸びたかと思うと次の瞬間には触手刀が猪の心臓を貫いていた。

 木の枝や木の葉が舞う中、猪は赤い血を噴出しながら倒れ込み絶命した。


 夜。焚火が何頭もの獣の毛皮と骨を照らしている。どれも血で汚れていた。焚火には獣の肉が何個もくべられていた。

 今日獲った獣の肉を全て食べ終わりそうだ。


「これだと食べられない。触手を引っ込めてよ」


 ジエルの背中からは何本もの触手が生えていた。ジエルはそのたくさんの触手を動かせない。


『球体だった頃から触手が多すぎると1本あたりの精度が下がって、戦闘に使えるレベルで動かせる触手は2本だけだったけど、人型になっても同じままか。人型である私が憑依している影響かしら。

 この体では戦闘で使用できる触手は両手から生やす2本だけ。及第点(きゅうだいてん)だわ』


 魔王がジエルの背中からたくさん生えていた触手を戻すと、ジエルは動くようになった手で串焼きにかぶりついた。


『大量に食べても少食でも戦闘には影響が出ていない。ただエネルギーを蓄積できるだけで放出量は変わらないのかしら? これなら今後の食事は人並みで良いのかもしれない』


「少ししか食べられないのは嫌だよ、たくさん食べたい。そろそろ兎が食べたいな。明日は草原に行ってみようよ」


『もう新しい体型には慣れたけど。ジエル、何故ウサギ達はあそこまでの連携が出来たのだと思う? 知能が高くて社会性のある生物なら連携は可能だけど、あの兎たちは鳴き声無しで連携してきたのよ』


 魔王は数日前、草原にて兎の統率された50匹程の軍に待ち伏せ攻撃された時の事を思い出す。今までに戦った狼などの獣と違って兎たちは鳴き声をあげていなかったのだ。


「仲良しだからじゃない?」


 ジエルは興味なさげに肉を頬張り続ける。


『ひとつ、推測した事があるのよ。初めて兎を殺した夜の事は覚えているかしら?』


「初めて兎を食べた夜の事だから覚えているよ。最初に子ウサギを殺して、次に槍を持った大人の兎を殺したんだ。2匹とも美味しかった」


 ジエルは食べ終わった串を舐めた。


『そう。その時に2匹の子ウサギを私達は狩る価値が無いとして逃がしたけど。大人の兎は死の直前に頬を動かしていた。たぶん鳴き声をあげて2匹の子ウサギに逃げるよう指示したのよ』


「でも、あの時は鳴き声は聞こえなかったはずだけど」


『生物によっては聞き取る事のできない音の高さというのが存在するの。兎たちが私達の耳では捉えられない音域で意思疎通をしているのなら、草原であそこまでの連携を取れたのも納得がいく。

 聞こえない命令で集団を動かし奇襲が出来るって兎のくせに生意気な奴らだわ』


 草原での戦いの時、兎がジエルにも聞こえる鳴き声で味方と連携していたのなら、計画性がある事が伝わってきて、ジエルは背後からの奇襲を気付けたかもしれない。


『今にして思えば、最初に殺した2匹の兎は親子だったのかもしれない。それならば子供を殺された復讐として私達に襲い掛かってきたのだと分かるわ。そして逃げ延びた2匹の子ウサギが私達の存在を群れに伝えた。

 その夜から草原に出るまでに謎の気配を時々感じていた。あの気配は偵察役の兎が私達を調べていて、私達が群れにとって大きな脅威となると判断した。だからこそ草原であそこまでの攻撃に討って出たのよ』


「兎って頭良いんだ」


『ツキミウサギだけよ……というか私の知っているツキミウサギに比べたら知能が高すぎるのよ。投擲器を使ってきたし。何か理由があるのかしら』


 ふと、ジエルの食事の手が止まっている事に魔王は気が付いた。


『もう食べないの? お腹いっぱい?』


「槍を持ってボクに襲い掛かってきた兎は、子供を殺された復讐をしたのかもしれない。草原での戦いは仲間を殺された兎たちの復讐なのかもしれない。だとしたらボクは、悪い事をしているのかもしれないと思って……」


『何を言い出すかと思えば』


 ワイプの中の魔王が溜め息を吐いた。


『スライム島にいる時のあなたは虫しか食べていなかったようだけど、虫だって生物のひとつ。あなたは今までにたくさんの虫を殺して食べてきた。知性を得てからもたくさんの魚を殺して食べて、この島でもたくさんの獣を殺して食べた。

 生きていくためには他の生き物を殺して食べなければいけない。何も殺さずに生きていく方法は存在していないのよ』


 ジエルは納得がいっていないという顔だ。


「ボクが言いたいのは、食べる以外では無闇に殺す必要は無いかもしれないって事だよ。ボクは食事の量が少なくても生きていけるみたいだし、たくさん殺すのは悪い事のような気がするんだ」


 魔王は霊体としてジエルの前に現れた。赤い髪に赤い目の美しい人型の魔物だ。頭の前方には2本の角が生えている。今は怨霊なので体は透けている。


『ジエル。あなたまさか勇者への復讐を止めるって思っている?』


 魔王のその言葉にはトゲがあった。


『あなたが今後、生命力目当ての殺しを止めたらどうなるか教えてあげるわ。強くなる事ができずに、自分より強い生物と出会った時に殺されてしまうのよ。殺されるならまだ優しい方よ。

 生け捕りにされて奴隷として玩具にされて、苦しいだけの生活を送る事になるかもしれない。苦痛から逃れるための自殺すら封じられるかもしれない。あなたはそういう目に遭いたいの?』


 ジエルは自分を見下ろす魔王の目に釘付けになった。ジエルが初めて見る魔王の姿であった。


『勇者に仲間を殺された時の事を思い出し、憎悪しなさい。憎めば生物を殺すのが可愛そうという甘い考えを抱かなくなるわ。勇者に復讐するためにたくさんの生物を殺す事は、あなたの身を守る事にも繋がるのよ、ジエル』


 魔王の芯から震え上がる程の冷たい目と冷たい口ぶりに、ジエルの目に液体が溜まっていく。

 魔王はジエルが泣き出した事に気付くと、ジエルの体に溶けるように霊体の姿を消した。


『強い奴に負けて死ぬと、泣く事すら出来なくなるわよ』


「わかったよ……魔王様……」


 ジエルは両手で涙をぬぐった。


 夜が深まり、ジエルは眠っていた。人型になった事で地面にそのまま眠るのは辛くなったので仕留めた獣の毛皮に包まって寝ている。移動する際には持ち運ぶ必要があるのでリュックサックも自作していた。

 全身が半透明な青色である事を除けば、ジエルは人間が野外活動をする際の姿に酷似していた。


 魔王は霊体化すると寝ているジエルの傍に座った。ジエルの顔を覗き込む。子供のような寝顔だ。

 魔王は手を伸ばすとジエルの頭に触れた。半透明で青色の髪を包むように撫でる。滑らかで柔らかい感触が魔王の手に伝わる。ジエルにこの感触は無い。霊体である魔王のみが感じている。


 突然ジエルが目を見開いた。魔王は慌てて手を離す。ジエルが目を覚ましたのは自分が触れたからだと魔王は思ったが、勘違いだとすぐに気が付いた。

 ジエルと霊体状態の魔王は同じ方向を見る。焚火の明かりが届くギリギリの所に、3匹のツキミウサギが槍を持って立っていた。


『他にもいるわよ、気配を感じるでしょう?』


「50匹ぐらい」


 目に見えている兎だけでなく、周辺の兎の気配をジエルは察知した。囲まれている。見えている3匹の兎はジエルに近寄って来ない。


「届くよ、そこ」


 ジエルの両手が触手刀に変形したかと思うと、右手の触手刀が伸びて1匹の兎の首筋を切り裂いた。

 赤い血が噴出して仲間が殺された事に気が付いた残る2匹の兎は一目散に暗がりへと逃げていく。

 伸びた触手刀はそのまま横に振られて兎の背中を撫でるように切り裂く。その兎が倒れると同時に触手刀が兎の脇腹に突き刺さった。トドメを刺したのだ。この攻撃をジエルは右手の触手刀のみでおこない、左手は温存した。


 仲間が2匹殺されているうちに、残る1匹の兎は暗闇への逃走に成功していた。


 ジエルは眠る前に魔王とした会話を思い出す。勇者への憎悪を保ち続け、たくさんの生物を殺し生命力を吸収する。そうしなければ弱いままで、強い者に全てを奪われる事になる。


「逃がすか!」


 ジエルは暗闇へ逃れた兎を追いかけ始めた。暗い中で自分より小さい逃げる兎を簡単には見つけられない。焚火から離れて辺りが暗くなったのを感じた時に、魔王は兎の狙いに気付いた。


『待ちなさい!』


 魔王がジエルを止めようと声をあげた時、突如として辺りが真っ暗になった。焚火が消えたのだ。ジエルは足を止めた。


「わっ、暗くなった」


『追いかけて焚火から離れた隙に消されたのよ、罠だったんだわ』


 ジエルが暗がりに逃げた兎を追いかけて焚火から距離をとった隙に、周囲に潜んでいた兎の一部が駆け寄ってきて、濡れた毛皮を焚火に被せるなどして消したのだ。

 焚火が消えた時に、ジエルは自分の置かれた状況に気が付いた。スライムは夜目が利かない。人型になっても同じままであった。


「何も見えない……」


『今日は半月だけど森の中だから月の光は弱い。足元さえロクに見えないわ。視界を封じられた』


 暗闇の中に小さな赤い光が点々と現れる。たくさんの赤い光がジエルを囲んでいた。ツキミウサギの目が光っているのだ。50匹の兎に囲まれているのだとジエルは分かった。

 以前魔王に教えられた事をジエルは思い出す。夜に目が光っている獣は月の僅かな光で辺りを見る事が出来るという。自分は兎の姿が見えないのに、50匹もの兎たちには自分の姿が見えている。

 見えない恐怖でジエルの背が冷たくなった。


「ここか!?」


 ジエルは暗闇の中の赤い光に向かって両手の触手刀を伸ばす。何かに刺さった感触があるが何に刺さったのか分からない。ジエルの頭の間近の空気が動いたかと思うと衝撃と僅かな痛みを感じた。


「ぎゃあっ!?」


 槍を投げられたのだとジエルは判断した。草原にて槍の雨を食らった時の事をジエルは思い出す。この何も見えない状況であの時のような攻撃を受けたらどうなるのか。そう考えたジエルは半狂乱で触手刀を赤い光に向かって連続で突き立てる。


「うわあああ!」


『落ち着きなさい! 投擲器なしでは投げ槍の威力は低い! あなたの中枢を貫く事は無いわ!』


 兎が夜襲をしてきて今まで魔王は霊体状態のままジエルの横にいたが、引き戻されるようにジエルの中に入った。魔王は死んだ身ながら自分が消耗しているのが分かった。


『長い時間、霊体でいられない……』


 たくさんの赤い光は遠ざかっていく。逃げているのだ。


『兎たちは退いていく! この隙に火を起こすわよ!』


「逃がしたらまた何をされるか分からない! ここで殺すんだ!」


 ジエルは兎たちを追って走り出す。草原の時も今も、気が付けば兎が有利な状況にされていた。兎たちの知恵と集団を利用した襲撃はジエルに強い恐怖を植え付けていた。

 真っ暗な森の中をジエルは兎たちを追って走り続ける。


『止めなさい! 何も見えないのにどう戦うのよ!? 火を起こして光源を確保しろ!』


 魔王が止めるのも聞かずにジエルは走り続ける。木の枝が何度もジエルにぶつかったが懸命に兎たちの赤い目の光を追って足を動かす。

 角度の関係で、月の光が木々に遮られる事の無い場所にジエルは到達した。月の光がぼんやりと兎たちの姿を照らし、暗闇の中を逃げる兎の輪郭をジエルは見る事ができた。


「少し見える! チャンスだ! ここでなら!」


 ジエルは兎たちを追って走る。魔王はとある臭いが辺りに漂っている事に気が付き、(くすぶ)っているような赤い火を見た。ジエルは興奮状態なのかその事に気付かない。

 魔王は霊体となってジエルの前に出ようとしたがそのエネルギーが無かった。


『待ちなさい! 罠よ!』


 魔王がそう叫んだ時、ジエルの体が沈み込んだ。何本もの杭が自分の体に刺さる感触がジエルにはあった。穴の中に尖った杭が打ち付けられていたのだ。


「うげっ! 落とし穴!? それにこの臭い……」


 スライムであるジエルは痛みに対して鈍感だ。何本もの杭が体に刺さったのには問題だが、頭部にある硬い殻に包まれた中枢さえ無事なら死ぬ事は無い。

 ジエルが気になったのは杭より臭いの方であった。自分を包むようにその臭いはしていた。


『急いでそこから出なさい! 奴らの狙いは――』


 穴を覗き込む兎の顔が照らし出された。燃える枯れ草の塊を兎が持っていたのだ。兎はその松明(たいまつ)を穴の中に放り込む。ジエルは自分を包む臭いを知っていた

 ――獣の油の臭いだ。


 ジエルの落ちた穴の中は瞬く間に燃え上がった。


 夜の森の極一部だけが明るくなっていた。人間がすっぽり落ちるぐらいの穴の中で、勢いより炎が揺らめいていて周囲を照らしているのだ。

 獣の油は冷めると固まってしまうが、森で採れる材料と混ぜる事で液体の状態を維持でき、より燃えるようにできる方法を兎たちは知っていた。この島に棲むツキミウサギの知能はここまでも高かった。


 炎の周りに50匹近くの兎たちが集まっている。仲間を殺した謎の生物を見事に罠に嵌めて殺せたのだ。兎たちは上機嫌で穴の中で激しく燃える炎を眺めている。

 何匹かの兎の視線には憎悪が混じっていた。この生物に仲間や家族を殺されたのだ。カタキを殺した後も怒りが収まっていない。


 最初に子ウサギを殺され、それからその生物の様子を観察した結果、この謎生物は必ず殺さなければいけないと兎たちは判断した。調べた所、謎生物は狼を大量に殺していた事が分かったからだ。

 兎たちでも戦い方によっては狼を仕留める事が可能である。連携して獲物を仕留める事は兎たちにとっては日常だ。

 しかし1匹で大量の狼を殺す事は兎には出来ない。この謎生物をこのまま生かしておいては自分達も狼と同じように大量に殺されてしまうと兎たちは考え、討伐を決断したのだ。


 犠牲は出たが必要な事であったと兎たちは思っている。火の勢いが弱まったら黒焦げになっている謎生物の姿を見てやろう。

 兎たちがそうほくそ笑んだ時――


 穴の中から燃える杭が何本も飛び出してきた。


 獣の油に濡れて真っ赤に燃える杭は草木の上に落ち、その火が周辺の木々に燃え移っていく。夜の森を照らす炎の明かりが更に強くなった。


「これでよく見える」


『獣の油は冷えたら固まるはず、何かを混ぜたのかしら?』


 炎が揺らめいている穴から2本の触手刀が伸びたかと思うと、穴の縁に突き刺さった。その触手に引き上げられるようにジエルが姿を現す。半透明で青色の、美しい人間の女性のような姿をしたスライムだ。


「ボクは体に水分を溜めておく事が出来るんだ。そのおかげで数日間水を飲まなくてもボクは干からびる事がない。この体質のおかげで助かったよ。水の塊を燃やすのは無理だもの」


 火で焼かれない生物がいる。信じられない光景を見た兎たちは硬直した。触手で穴から脱出したジエルは兎たちの前に降り立つ。

 このままだと殺されるとイチ早く1匹の兎が気付く。群れに命令をしようと頬を揺らした直後に、その兎の喉には触手刀が突き刺さっていた。


「きみが指揮官なんでしょう? 仲間にしか聞こえない声で指示を出すってズルいよ。不意討ちに便利じゃないか」


 行動をその兎に依存していた他の兎たちの動きが一時止まった後、兎の集団はジエルに向かって槍を構える兎と、その場から逃げ出す兎の2種類に分かれた。ジエルと戦うつもりで残った兎の数は30匹程だ。

 槍を向けている兎たちを見て、燃える穴を背中にジエルは不敵に笑う。


「逃げないでくれるのなら嬉しいな。狼も隠れるようになってからは殺しにくくなったから」


 兎たちは槍を握り締めると、頬を震わせながら一斉にジエルに襲いかかった。




 翌朝には森の木々を燃やしていた炎はすっかり消えていた。水気の多い森なので火は大して燃え広がらず、島全体で見れば焼失は無いも同然である。

 川には何十匹もの兎の死骸が浸けられている。昨夜ジエルは兎たちを殺した後、もう眠かったので食べる事より寝る事を優先して、兎の内臓を取って血抜きを兼ねて川に浸しておいたのだ。

 地面に狼の毛皮を敷いて寝ていたジエルが目を覚ます。


「ふぁぁ……昨晩はいろいろあってよく眠れなかった」


『野生ならばそういう夜もあるわ。常に万全の体調で戦えるとは思わない事よ』


 ジエルは仕留めた兎たちを全部食べ終えると、その日は草原に行く事なく過ごした。中途半端な時間に草原に行くと、陽が落ちた後に兎の夜襲を受けるかもしれないからだ。

 翌朝、陽が昇り明るくなる兆しが見えた頃にジエルは草原に向かって歩き出した。草原に辿り着いた時には朝日が昇っていて、明るい草原にジエルは立っていた。陽が落ちるまでに時間はたっぷりある。草原の向こうには険しい山が見えた。


 ジエルが川に沿って歩いていると、槍を持った兎が何匹かいるのが見えた。兎たちはジエルがやって来た事に気が付くと慌ただしくなった。


「待ち伏せ……」


 魔王は霊体となって上空に飛んだ。


『他にも理由があるようだわ。兎たちの背後を見てみなさい』


 ジエルが手を触手刀にしたいと思った時に魔王は察知できるようになっていた。魔王により両手を触手刀にしてもらったジエルは触手刀を地面に刺すと伸ばして体を持ち上げる。木ほどの高さにジエルの体が昇った。ジエルは上から兎たちの背後の草原を覗き込む。


「あれは……巣穴?」


 兎たちの背後には丘があり、その丘の中腹に兎が通れそうなぐらいの大きさの穴が空いている。兎が穴を行ったり来たりしているので兎の巣穴なのだとジエルは分かった。


『川の近くに巣を構えるって見つけて下さいって言っているようなものじゃない。群れの規模が大きいから水辺の近くに巣穴を掘るしかなかったのかしら。何にせよ巣を見つけられたのはラッキーだったわ。皆殺しにするわよジエル』


 ジエルは触手を曲げて体を沈み込ませると、足で飛ぶ時と同じようにジャンプをする。カエルのように何度も跳躍をするとジエルは最終的に兎の巣穴のある丘の頂上に着陸した。

 兎たちが慌てて頬を動かすと巣穴から続々と槍を持った兎たちが出てきて、丘の上にいるジエルを囲むように10匹程の兎が2匹1組で点在した。

 別の10匹程の兎の集団は巣穴から離れていく。その兎たちは槍の束を抱え、投げ槍の威力を上げる投擲道具アトラトルを持っている。


『距離を取って投げ槍をする気よ、まず巣穴の近くの兎を殺していきなさい』


 ジエルは触手刀を兎に向けて丘を駆け降りる。ジエルはあっと言う間に2匹の兎を血祭りにあげた。兎たちがジエルの背後に回り込もうとするがジエルは触手刀のリーチと自由度で返り討ちにする。

 触手刀が届く距離で、致命傷を与えられるだけの必要最小限の動きが出来るジエルは兎たちに対して圧倒的に優勢で、ジエルは短時間で丘にいる10匹の兎たちを全部殺した。


 ジエルから距離をとった兎たちがアトラトルを用いた投げ槍攻撃を開始する。人間の半分程の大きさしかないのに腕力は人間以上の兎たちが、テコの原理を利用したアトラトルで投げる槍の威力は凄まじく、野生の勘なのか命中率も高かった。


『端から殺していきなさい』


 ジエルは魔王の指示通りに端の兎に狙いをつけて走り出す。兎たちはジエルに向かって槍を投げるが、槍を渡すための後列と槍を投げるための前列に分かれているため連射性はあるが一度に飛んでくる槍の数は2、3本だ。

 この数ならばジエルは触手刀で槍を簡単に弾く事ができた。触手刀が届く距離まで詰めると端から順番に兎の首筋を切り裂いていく。前列を殺し終えると後列の兎も順番に殺していく。

 開戦から大した時間をかけずにジエルは兎たちを皆殺しにした。


 仕留めた兎から内臓を抜いて川に浸けた後、ジエルは兎の巣穴を覗き込んだ。中からは時折り足音が聞こえてくる。


「まだ中にいるようだけど、この穴にボクが入るのは大変そう」


 巣穴は大人のツキミウサギがようやく入れるぐらいの大きさで、ジエルの体の大きさでは立ったままでは入れない。


『頭さえ入れば体を変形させて進めるけど、その方法だと頭部を無防備に晒す事になって危険よ。中の兎たちを殺す別の方法を考えないといけないわ』


 ジエルは兎の巣穴の前に座り込んでどうすれば中の兎たちを皆殺しに出来るかを考える。


「アリの巣みたいに水を注ぎ込むのは無理なの?」


『巣穴の位置は川より高い。雨で水位が上がっても水没しないようにしているんだわ。水をこの高さまで引くのは手間がかかりすぎる』


「うーん、じゃあ煙で(いぶ)すとか?」


『内部で空気が循環できるように掘られているのなら煙が入っていくけど、別の所にも出口があったらそこから逃げられて面倒だわ。どうしたものかしら』


 ジエルと魔王が頭を抱えていると、近付いてくる1つの気配に気が付いた。その気配の濃さをジエルは警戒する。


「何か来る……大きい」


 ジエルが気配のした方を見ると、既に近くまでその気配の主は来ていた。1頭の熊が高速で走ってきていたのだ。熊が地面を踏みつける度に振動がジエルまで伝わり体がぷるりと震える。


「てやぁっ!」


 ジエルは触手刀を伸ばして熊の首筋を切り裂いた――つもりだったのだが首筋の毛が少し切れただけで熊は止まらない。間近に迫った熊は二足で立ち上がると鋭い前足の爪を振るう。

 ジエルは後ろへ飛んでその爪をかわした――つもりだったが、ジエルのお腹がパックリと切り開かれていた。


『速い! それに硬い!』


 ジエルのお腹の傷は瞬く間に塞がった。体験した事のない光景に熊は驚いたのか、遠巻きにジエルを睨みつけている。ジエルも触手刀を構えたまま熊を見据える。その顔に一筋の汗が流れた。


『こいつはキボリグマ。何故この島のツキミウサギ達の知能が他と比べて高いのかが分かったわ。こいつに対抗するために兎たちの知性が高まっていたのよ』


 キボリグマは遠吠えをあげた。それはジエルがこの島に到着した時に、山から聞こえてきた獣の遠吠えと一緒であった。

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