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ー夢一夜の章13- 岐阜と天下布武

 稲葉山城陥落後、1週間が経っていた。尾張おわりからは美濃みのへ次々と資材が送られてきている。それは、美濃みのに新たな兵隊2万人用の長屋とそれに付随する町々の建設、それと稲葉山城を廃棄し、新しい城を建てるための資材だ。


 美濃みのの国は生まれ変わる。そう、美濃みのの民に予感させるほどの資材の量であった。資材が運ばれると同時に、楽市楽座、関所撤廃が発令された。尾張おわり同様の処置である。


「これからは、本拠地は、尾張おわりではなく、美濃みのに移ります。皆さん、その心づもりで準備を進めてください」


 本拠地が移ろうとも、尾張おわりの繁栄は変わらないだろう。その繁栄が美濃みのにも伝播していくだけである。


「ひさしぶりの引っ越しになるッスね。小牧山以来ッスか?」


 そう言うのは前田利家まえだとしいえだ。彼は前回の引っ越しではごねて、信長にあやうく実家を火だるまにされるところだった。


「今回も引っ越しごねたら、家に放火ッスか?信長さま」


「はい、当然です。今回は隣の国への引っ越しですから、ごねる人、多そうで楽しみです」


「信長さま、目が怖いッス…」


 ふふっふふっと笑いながら、かがり火を見つめる信長であった。この人はきっと火に魅入られてるッス。利家としいえはなるべく目を合わせないようにするのであった。


 急ピッチで稲葉山改造計画は進んでいく。尾張おわり美濃みのを合わせれば国土は2倍だ。単純に国力は2倍、兵力も2倍になる。


 兵力が2倍に膨れ上がるということは、織田家にとっては給金に使う金が2倍となる。織田家は兵農分離を実現するために、すべての兵に給金を払っている。今の美濃みののままではだめなのだ。金を産む土地にならなければならない。


「さて、楽市楽座を美濃みのでも広めるわけですが、まず商人も増やさなければなりません。そして、そのお客も増やさなければなりませんね」


「ん…。商人を増やすために何をすればいいのかな」


 佐々(さっさ)成政が誰に言うでもなく問う。


「うっほん。それは単純なのじゃ。今までの借金を棒引きしてやり、商売を行うものには年貢を納めなくてもよいようにするのじゃ」


 村井貞勝むらいさだかつが発言する。出番をくれというばかりにしゃべりだす。


「ん…。それってどういうこと。詳しく」


「うっほん。美濃みのは、織田家との戦いで民は疲弊しておる。多額の借金をしているものもおるじゃろう。そこを織田家が借金の肩代わりをすることによって、商売をやる気がおきる」


 佐々(さっさ)はふむふむと首を縦にふる。


「さらに、今、2万人の兵のための長屋と新しい城を建築しておる。そこで働いて給金をもらい、それを原資にすれば、商売ができるということじゃ」


「ん…。それと年貢を納める納めないとの関連はなに?」


「それはじゃな、美濃みのの地は次男、3男の分も年貢の納入義務があったのじゃ。その重税によって、戦費を稼いでいたわけじゃ」


「ん…。美濃みのの農民は大変だったんだね」


「その通りなのじゃ。商売をすれば、年貢を納める必要が無くなった次男、3男は、これで自由なのじゃ。他にも兵隊になって稼いだりもできるわけじゃ」


「ん…。うまく考えられてる。さすが信長さま」


「うっほん。こういうセンスだけは、殿とのは手放しで褒められるのじゃ」


 信長は、もっと褒めてくれてもいいのよとばかりに、こちらに目配せしてくる。無視しよう。


「ん…。そう言えば、お客はどうやって増やすの?」


「それは簡単ですよ。兵士が住む長屋の横に商人街を一緒に作るんです。ほら、小牧山でやったでしょ?」


 ああ、あれかと佐々(さっさ)は思った。単なるその場のおもいつきで小牧山城を作ったわけではなかったのか。


「ん…。稲葉山に住む兵士たちが、お客になるわけか」


「はい、その通りです。城の近くに長屋があることで、兵士たちを素早く動員できます。さらに商人街を近くに置くことで、商売も発展します。いいことづくめですね」


 楽市を信長以前に行っていた大名は確かに存在する。斎藤道三がその一例だ。だが、兵士を商売の消費者とした都市作りを行ったのは、信長以前にはいない。これこそ、信長が近代城下町の祖と言われるゆえんである。


「天下広しといえども、こんな馬鹿げた発想ができるのはうちの殿とのだけなのじゃ。いつもこうなら、苦労はないのじゃが」


「能ある鷹は爪を隠すものです」


「普段は、嫁どもの尻を追いかけているものが、こんな大それた計画を思いつくなんて、だれも思わないのじゃ」


 楽市楽座、兵農分離、関所撤廃の3要素が、がっちりとスクラムを組んだのは、ここ美濃みのの地が初と言ってよい。この3つが組み合わさって産みだされる金の量なぞ、だれが想像できただろうか。信長自身がその効果のほどに脅威を覚えたに違いない。


「ふふっ。金山をひとつ所有するよりも、金を産む鶏となるでしょう。この美濃みのの地は」


 だがそれを実感するのはもう少しあとだ。今はまだ建築段階であるのだから。



 それから、また1週間経ち、信長が今、思いついたかのように言い出す。


美濃みのの地の主君が変わったのですから、わかりやすく地名を変えちゃいましょうか!」


「馬鹿、この馬鹿、何言ってやがる。今まで、ひのもとの国の歴史で、地名を変えたのは天皇か、皇族なの、わかってる?言ってる意味」


 佐久間信盛さくまのぶもりは、さすがにこの案には乗ってこない。


「ええ。わかっていますとも。天下に名のりを上げる意味を込めるには、うってつけじゃないですか」


「いや、そうだけどもよ。地名を変えていいのは皇族かそれ以上だぞ。それが慣習ってやつだ」


「やだなあ。あなた、だれの家来を何年やってるんですか」


 あちゃあと信盛のぶもりは思う。余計に焚き付けちまったと。


「本当に変える気か?もしかしたら、やんごとなきひとたちに喧嘩売ることになるんだぞ」


「そこまで了見の狭い人たちじゃないでしょ。ただ慣例だから誰もやってなかっただけでしょ?」


 ふむと、信盛のぶもりは息を吐く。言われてもみればそうだ。ただ単に慣習でそう思い込んでいたのかもしれない。


「わかった。殿とのの言うことには一理ある。でだ、なにかいい候補名があるのか?」


「そうですね。天下への岐路に立つという意味を込めて、岐府というのはどうでしょう」


「大宰府みたいな役所ってところか。んー。役所というよりは」


 信盛のぶもりは稲葉山を見つめて言う。


「山かな。岐山ってはどうよ」


「キザンですか。悪くはないですね」


 信長と信盛のぶもりが楽しく会話をしているところに、僧がひとりやってくる。


「おや、楽しそうな話声が聞こえたので、寄らしてもらったところ。どういった話ですかな?」


 僧は美濃みの攻略完了の祝いにきたとのことだった。その僧も交え、3人は談笑を行う。


「岐山といえば、遠く唐の国での遥か昔のこと、そこで天下をとる男が拠点にしていたという逸話がありもうす」


 僧はそういう。


「ほう。あの国にも、わたし並の発想の持主がいましたか。感心感心」


「なにが感心だよ。岐山じゃ、ぱくりになっちまう」


「そうですね。ぱくりはいやですね。ううん、では、稲葉山など丘にすぎぬということで、岐丘というのはどうでしょうか」


「キオカかあ。なんか語呂が悪くないか?」


「拙僧のなけなしの知識によりますと、丘という字は、唐の国では【阜】というらしいのです」


「キフですか。いい線いってますね。もうひとひねりして、岐阜=ギフというのはいかがでしょうか」


「ギフか、ギフ。いいね。殿との、それで行こう」


「ほっほっほ。お決まりのようでさいわいです。では、拙僧はこれにて」


「ありがとうございます。名もしらぬ僧の方。助かりました」


 信長と信盛のぶもりが一礼をする。しかし、頭をあげるとそこには誰もいなかった。


「あれ。あの坊さん。どこいったんだろうな」


「ふむ。名前を聞きそびれました。まあ、たたずまいからして、高名な方でしょう。いつかまた会えるとおもいます」


 しかし、かの僧が再び二人の前に現れるのはずっと先のことであった。



 日を改めて、正式に美濃みの岐阜ぎふと変更された。特に朝廷からは何か言われることはなく、信盛のぶもりの思い過ごしであったようだ。


「本当に地名を変えれちまうとは、思わなんだわ。慣習ってこわい」


「ね、言ったでしょ。大丈夫だって。意外と人間、慣習でやってることが多いのです」


 確かに殿とのは慣習を打ち破るのは多い。楽市楽座、関所撤廃、兵農分離でもその才は見受けられる。


「しかも、毎度、いい方向に慣習を破るんだよな、殿とのは。何か持ってるの?そういう何か」


「さあ、わたしには、持ってるかどうかはわかりません。ただ」


「ただ、何よ」


「ただ、民のためと思うと、あいであが湧いてくるのです。いけないことでしょうか」


 信盛のぶもりは高い空を見上げ言う。


「いいんじゃねえの。昔から殿とのは民が大好きなんだ。その大好きな民が笑ってくれる世の中を作れてるってことだろ」


 信長は、ふふっと笑う


「そうですね。いいことやってるんですね、先生は」


「おう。その点だけは自慢していいぞ。その点だけはな。殿とのは普段、ちゃらんぽらんで困るしな」


いくさのときも、真面目ですよ。こう見えても」


 ははっと信盛のぶもりは笑う。


「やっと美濃みのが取れたな。殿との。これで夢に一歩ちかづけたのか、俺たち」


「夢を叶えるための下地は整いました。あとは前進あるのみでしょう」


「やっと下地かあ。先は長いなあ」


 信盛のぶもりは一つ、ため息をつく。だがと思う。


「桶狭間から7年だ。7年経って、やっとここまできたんだ。がっかりさせんじゃねえぞ」


「大丈夫ですよ。ほら、ここに天下布武の印鑑もつくりましたし」


天下布武と刻まれた印鑑をどこからともなく、信長は持ち出してきた。


「そういうところがダメなんだろ。殿とのは」


「ちょっとした茶目っけじゃないですか。天下布武じるしです。ばんばん使って行きますよ」


「おい、それ、公務につかうのかよ!」


「ダメですか?面白い、あいであだと思うのですが」


 ったくと信盛のぶもりは思う。まあ、そういうところが殿とのの良いところの一つなのかもしれない。


「まあ、いいんじゃねえの?でも、あとで恥ずかしくなって取り消そうとしても遅いからな」


「ははっ。後世のひとにはどう思われるんでしょうね」


「馬鹿だなこいつって思われるだけだろ」


 そうかもしれませんねと、信長も空を見上げる。稲葉山を桜が彩る。1567年3月のことであった。

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