ー楽土の章17- 第二次木津川沖合戦
黒船の横っ腹に次々とほう烙火矢が投げ込まれていく。これは余裕勝ちだぜえええ!と想った村上武吉であったが、次の瞬間、その考えを改めることとなった。
「な、なに!?あの黒船は、なんであんなにほう烙火矢を喰らって、火が船体全体に回っていかないんだぜええええ!?いったい、どういことなんだぜえええ!?」
村上はこの時点でも何故、火が船体全体に回っていかないのか、わかっていなかった。それは船体全体を黒塗りにしていたために、その塗料の下に鉄板が隙間なく貼りめぐされていることに気づかなかったのだ。
それが村上水軍が大敗するには充分な理由であった。ほう烙火矢さえつければ大勝できると踏んでいたために300隻のうち、半分ものの船を一斉に黒船に近づけさせていたのである。
「うまいこと、近づいてくれたのだオニ!大筒を装備したと言えども、飛距離には自信がなかったのだオニ!両舷ともに大筒を発射体勢にするのだオニ!これだけ、敵船が近付いてくれているオニ!絶対に外すなオニ!」
九鬼嘉隆が8隻全ての鉄甲船に大筒の一斉発射を命じる。その命令が届いた鉄甲船からは次々と轟音が鳴り響き、鉄甲船の周りにいる村上水軍の船を次々と破砕していくのであった。
ドゴオオオン!ドゴオオオン!16門の大筒が轟音を立てるたびに、村上水軍の船は10隻近くが砲弾に穿たれ、海の底に沈んでいく。それに戦慄したのは、村上水軍であった。最初の一斉射で黒船の周りの150隻近くいた船の3分の1が航行不能のダメージを受ける。続く第二射で完全に船体は破壊される。
「退けっ!退くんだぜえええ!こんなの戦でもなんでもないんだぜえええ!ほう烙火矢が効かない時点で俺様たちの負けだったんだぜえええ!」
村上は黒船の第5射目の音を聞いた時にはすでにこの戦が村上水軍側の負けだと悟る。だが、いくら手漕ぎ船であろうが、転進には時間がかかる。さらには村上水軍側にとって運が悪いことに潮目が変わるのであった。
海流は瀬戸内から木津川沖へと潮が流れる。それにより、村上水軍の船はもろに影響を受けて、逃げることができなくなったのだ。何故、こんなことになったと言えば、最初は木津川沖から瀬戸内への流れにより、織田水軍の船を沖にまで出させて、追い立てるタイミングで潮目が変わるように計算していたのだ。
その村上の目論見が完全に裏目に出る。そもそも、負けるなど想っていなかったのだ、村上は。だからこそ、自らの策で、自分の罠にはまったのである。
鉄甲船はその船体の大きさ、そして重さのために潮流に流される量は少なくて済んだ。ゆっくりであるが潮流に逆らい、転進を開始していた村上水軍に近づいていく。
「敵は浮足立っているオニーーー!ここで、逃がすわけにはいかないんだオニーーー!全ての船を大筒で破砕するオニーーー!」
鉄甲船は両舷の大筒から火と弾をまき散らしながら、次々と村上水軍を破砕していく。黙ってやられてたまるかと、船体を破壊されながらも、ほう烙火矢を黒船の側面に叩きつけるモノも居た。だが、それも全て無駄に終わる。
なぜ、あの黒船には火がついて、船体全体に火がまわらないんだべえええ!と泣き叫びながら、村上水軍の兵たちは木津川沖に沈んでいく。
村上が船の転進を完了させたとき、彼は後ろを振り向いた。海面のそこら中に船の残骸がぷかぷかと波に浮かんでは消えていく。
「くううう!誤算も大誤算なんだぜえええ!すまねえええ!俺様がもっと早く気付くべきだったんだぜえええ!」
村上は涙を流しながら絶叫した。だが、その絶叫は海底に沈んでいく自分たちの兵に届くことはなかったのだった。
村上水軍は持ってきた300隻の船の9割以上をこの1戦で失うこととなった。これにより、毛利家の水軍力は一気にガタ落ちすることになった。それもそうだ。毛利家の保有する船の8割を失ったのだ。軍船としては9割近くなのである。残されたのは商船くらいなものだ。
「や、やったんだオニーーー。散々にほう烙火矢をぶち当てられた時は、ダメかと想っていたんだオニーーー。まさか、鉄張りの船がここまで強力だとは想っていなかったのだオニーーー」
織田水軍を率いていた九鬼は、戦闘中、生きた心地がまったくしなかったのだ。いくら、総鉄張りの鉄甲船であっても、もしかしたら、ほう烙火矢の炎は鉄甲船の装甲を貫くのではないかという疑念を払拭できていなかったからだ。
九鬼は掃討戦を終えた後、鉄甲船の船団を堺の湊へと入港させる。そこで満面に笑みを浮かべた信長が下船した九鬼に飛びつき、その九鬼の潮と太陽で赤黒くやけた頬をちゅっちゅっ!と何度も唇ですいつくのである。
「いやあああ!九鬼くん、素晴らしい大戦果ですよ!いくら鉄甲船を用意したからといって、村上水軍のほぼ全てを打ち倒すまでとは想いませんでしたよ!?」
「我は運が良かったんだオニー。敵が油断してくれたこと、良いタイミングで潮目が変わってくれたことに神仏へと感謝の念を伝えたいんだオニー」
「またまたー。九鬼くんは謙遜がすぎますよ?さて、これだけの大功をあげてくれたのです。九鬼くんには約束通り、領地を加増します。堺周辺を予定しています。飛び地になりますが、問題ないですよね?」
信長が確認のために、九鬼に意見を求める。九鬼はううんと唸り
「信長さま。それって、我にこの先ずっと、毛利家が石山御坊に海から救援できないようにしろってことオニよね?」
「はい、その通りです。九鬼くんほどの水軍力を遊ばせておく理由なんてありませんからね?九鬼くん自身は堺に滞在してもらいます。いつでも、海に出られるように待機していてください?」
「やっぱりかオニ。わかったんだオニ。志摩の領地には代官を置くオニ。嫁と子供を堺に呼び寄せなければならないオニ。栄転は栄転だけど、故郷から離れて暮らすのは少し、寂しい気分だオニ」
「嫌が応にも、そこには慣れてもらいますよ?本願寺家、毛利家との決着がつけば、九鬼くんにはもっと西の湊街に配属してもらうことになりますからね?」
「えっ?それってどういう意味オニ?九州の地を攻めるのに、我も参加しろということオニ?」
「まあ、そういうことです。ですので、生まれ故郷のことなど、すっぱりと忘れてしまいなさい。織田家は引っ越しが当たり前なんです。九鬼くんのような能力あるモノを遊ばせてるわけがありませんからね?」
信長の言いに九鬼がはあああと深いため息をつく。
「わかったんだオニ。我の身と命は信長さまに捧げているんだオニ。好きに使ってくれて良いのだオニ」
九鬼は諦めた表情で信長にそう告げるのであった。後々、九鬼は織田家が領地を拡大していく中で、その水軍指揮力を存分に発揮していくことになる。それにより九鬼がもらえる領地もまた増えていき、元・海賊の身でありながら、1国1城の大名として成り上がっていくのであった。
第二次木津川沖合戦と呼ばれた戦を最後に1577年は終わりを告げる。色々なことがあったが、織田家全体の領地は少しづつであるが拡大の一途を遂げるのであった。
そして、年が明けて、1578年になると、織田家は正式に別所家とその周辺の豪族たちと敵対関係となる。昨年、毛利家が浦上家を従属化させることに成功したことにより、実質、別所家と領地を隣り合わせになったからだ。
毛利家は海戦において、織田家に大打撃を受けたことにより、今度は陸地から別所家を支援する形で動くことになる。それにより、信長によって、中国地方の指揮官として任命されていた秀吉は年明けからすぐに戦の日々に明け暮れることになる。
秀吉はまず、別所家に味方する豪族たちの城や砦の攻略へと乗り出す。秀吉が率いる兵は1万5千程度ではあったものの、その軍を竹中半兵衛、黒田官兵衛、そして自分と3軍に分け、播磨の地を次々と侵略していく。
秀吉たちの進軍速度は信長にとっても誤算と言うべき速さであった。3日で1つの砦を落とすほどの勢いを保ち続け、別所家との戦端が開かれた1カ月後にはなんと、別所家の居城とその周辺の支城しか残っていなかったのであった。
「ふう。ここまでは順調すぎて怖いくらい順調、です。残り、三木の本城とその支城が5つとなり、ました。さすが、半兵衛殿と官兵衛殿なの、です」
「もしかして、僕たち、いらない子なんじゃないんだぶひい?半兵衛、官兵衛共に全て任せておけば良い気がしてきたんだぶひいよ?」
「田中、奇遇だな。俺もそう想ってた。ひでよしさま自身も鬼神の如くの采配だしよ。本当、俺たち、いらない子だよな?」
「オウ。彦助さん、田中さん。そんなに悲観することはないのデハ?弥助たちも弥助たちで砦に火をつけまわったじゃないデスカ?」
「弥助くん?田中くんと彦助くんの言いたいことはそうじゃないんやで?ぽっと出の官兵衛くんに1軍を任せているのに、わいらはひでよしくんのお側付きなだけやと。わいらにも1軍を任せてくれてもええんやで?って嫌味やで?」
「オウ。そういうことデシタカ。これは弥助の気が回っていなかったのデス。というわけで、ひでよしさん。弥助たちにも1軍を率いさせてほしいのデス」
「えええ?これは電撃戦なの、ですよ?あなたたちに1軍を任せたら、ボケにボケて、進軍速度が遅れそうな気がするん、ですけど?」
「ひでよしさま。じゃあ、俺たちには毛利家からの援軍がやってこれないように、あちらのほうの抑えをさせてくれよ?それなら、心配ないだろ?」
「うーーーん。それもそう、ですね。わかり、ました。彦助殿、田中殿、弥助殿、ついでに四殿。西に兵3000を連れて、毛利家の援軍を防いで、くださいね?」