ー楽土の章 3- 波多野家の反乱
長篠での武田家との一大決戦を終えた織田家は、増えた領土の経営に本格的に着手する。
伊勢長島、北近江、大坂の半分近くはもちろんとして、堺の再掌握に乗り出したのであった。この間、大坂の本願寺顕如とは小競り合いはあったものの、それほど大きな戦にまでは発展しなかった。
それの一番の理由としては、三好三人衆が全員亡くなったことにより、かつて、畿内で権勢を誇った三好家は本州への足かがりを完全に失ったからだ。
しかし、織田家の各将たちが領国経営にいそしむなか、ひとりだけ、織田家の支配地を増やすべく奮闘する男がいた。
「ふひっ!波多野殿が裏切りとはどういうことでございます!?」
「光秀さま、ここは一旦、逃げるのでござる!このままでは城を枕に討ち死にでござる!」
明智光秀の配下である斉藤利三が光秀にそう進言する。彼らは京の都の北にある亀山城を信長から与えられ、そこから、丹波国の豪族たちを屈服させるべく、1575年8月に侵攻を開始していたのだ。
だが、ここで信長・光秀たちに誤算が起きる。先年、織田家に従属を誓った丹波の豪族のひとりの波多野一族が光秀と一緒に進軍をしていたというのに、いきなり裏切って、光秀軍を襲ったのである。
敵国の城のひとつを落とし、光秀は油断していた。そこを突かれたために、光秀はなす術なく、撤退を開始する。
「波多野殿、この貸しは高いのでございます。僕は必ず、あなたを捕らえ、八つ裂きにしてやるのでございます!」
光秀はそう捨て台詞を吐き、丹波から逃げ出すのであった。幸い、光秀の家臣たちで死んだモノはそう多くなく、再起不能とまではならなかったのが不幸中の幸いであったのだった。
光秀は京の都に戻り、波多野の裏切りを信長に報告するのであった。
「光秀くん、お疲れ様です。いやあ、波多野くんには困りましたねえ。従属すると言うのは、最初からこちらを騙すためだったんでしょう」
「ふひっ。奇襲を受けたとはいえ、せっかく手に入れた丹波の城を奪われてしまったのでございます。いかようにも罰を受けるのでございます」
「そんなに気にしなくても良いですよ。亀山城は死守できたんでしょ?亀山城まで失ったというのであれば、光秀くんに罰を与えていたかもしれませんがね?」
信長がそう言って、光秀を宥める。光秀は苦々しい顔で
「必ず、丹波を手に入れるのでございます!信長さま、引き続き、僕に丹波国攻略を任せてほしいのでございます!」
「ほほう。光秀くんにしては珍しいくらい、心が怒りに満たされているようですね?良いでしょう。丹波だけと言わず、丹後、但馬まで攻略をお願いします。もちろん、領地の支配に関しては光秀くんの切り取り次第とします」
「ふ、ふひっ!?そ、それは、丹波、丹後、但馬を僕が治めて良いということでございますか?3国も僕の領地となれば、織田家で1番の領地持ちとなってしまうのでございますよ!?」
信長の破格の待遇に光秀が驚くのである。
「はい。上手くいけば、光秀くんは確実に一益くん、秀吉くんを越える領地持ちとなりますね?」
「そ、それは、僕に次代の織田家の主力になれと言うことでございますか?」
光秀の問いに、信長がニヤリと笑みを浮かべる。
「先生、まだ、正式には皆さんには発表していませんが、越前を取り返せば、勝家くんを北陸方面指揮官に。秀吉くんを中国地方の指揮官に。そして、光秀くんには丹波、丹後、但馬を抑えてもらって、各地に支援を行ってもらう役目を担ってもらうつもりです」
「ひ、秀吉殿が中国地方の指揮官でございますか。僕はその補佐となるということなのでございますか?」
「補佐というわけではないのですが、秀吉くんの手助けをする程度だと想ってもらえば良いんではないですか?秀吉くんが山陽地方へ、光秀くんが山陰地方へ兵を進めるって感じになるのでは?と想っています」
「な、なるほどなのでございます。僕と秀吉殿を競争させるということなのでございますね?僕が想うに秀吉殿も中国地方の国は切り取り放題と約束するつもりなのでございますね?」
「さすが、光秀くんは察しが良いですね。まさに、先生が考えていることをずばりと当ててきましたか。さすが、丹波、丹後、但馬の支配者ですよ」
「ふひっ。そんなに持ち上げないでほしいのでございます。ところで、四国はどうするのでございます?」
「四国ですか。海を渡らないとどうにもなりませんからねえ。海戦となれば、織田家は九鬼くんくらいしか頼る将が居ませんし」
「うっほん。殿。渡りに船の話が来ているのじゃ」
「ん?貞勝くん。どうしたんですか?」
信長の傍らに控えていた村井貞勝が信長にとある書状を渡す。信長はそれを受け取ると、書状を広げ、中身を読むのである。
「ん?長宗我部家からの書状ですか?なになに?織田家と友好を結びたいと。えっ?なんで、土佐1国の支配者の長宗我部くんが先生にわざわざ友好宣言をしてきているんでかね?」
信長はそう疑問に想いながら、書状を読み進める。
「ははあ。なるほど。長宗我部くんは四国の領土を増やすためにも三好家が邪魔だと言うことですか。それで、三好家が長宗我部くんに手を出さないようにしてほしいと。さらに、四国に関しては切り取り自由としてほしいと。これは大きくでましたねえ?」
「噂では、長宗我部元親は姫若と呼ばれているようなのじゃ。そのため、家中での自分の権威を上げるためにも、殿に接近したのではないのかと、わしは予想しているのじゃ」
「なるほど。畿内のほぼ全てを手中に納め、戦国最強の武田騎馬軍団をけちょんけちょんのぎったんぎったんにした先生のふんどしを借りたいと言うことなのですね?しかし、土佐1国の支配者程度の元親くんが、織田家と同格に扱ってほしいと言うのはさすがにどうかと想うのですが?」
「ふひっ。どうなるかはわからないのでございますが、よしみを通じておいて損は無いと想うのでございます。長宗我部家が四国で暴れてくれれば、織田家が四国に上陸するのが楽になるのでございます」
光秀の言いに信長がふむと息をつく。
「うーーーん。長宗我部くんの言いには、ちょっと、カチンと来るところがありますが、彼が四国で暴れてくれれば、将来的に織田家は四国へ侵攻するのが楽になりますねえ」
信長は腕を組み、うむむと唸る。そして、3分ほど悩んだ後
「まあ、土佐1国程度の長宗我部くんに四国を切り取り放題の認可を与えたところで、たかが知れていることでしょう。光秀くん。丹波の攻略ついでに長宗我部家との折衝を任せて良いですか?」
「ふひっ。わかったのでございます。片手間程度で良いのでございますよね?」
「はい。適当にあしらっておいてください。兵を貸してほしいとか言われたら、やんわりと断っておいてくださいね?」
「では、兵の代わりに、僕の家臣と、元親殿の息子か娘と婚姻の話でも進めておくのでございます。長宗我部家を織田家と同格に扱うことはないと、暗に示しておくのでございます」
かくして、光秀の案を信長が採用し、長宗我部家に対しては甘々な裁定を下すことになったのであった。長宗我部家は織田家の了承を得たと喜び、自国の領土を広げることに邁進していくのである。
これが、信長にとって、誤算も誤算になることは彼自身はこの時、気付きもしなかったのである。
さらに時は進み、1575年11月7日。朝廷より信長に新たな官位が与えられることとなる。
「兼右近衛大将ならびに公卿補任ですか。ふむ。まあ、これ以上を望むのはなかなかに難しいんでしょうねえ」
「うっほん。右近衛大将と言えば、源頼朝と同じ官位なのじゃ。朝廷は暗に殿が幕府を開いても良いと言っているのと同じなのじゃ」
貞勝がそう信長に言う。
「幕府ですかあ。でも、織田家はまだまだ敵に囲まれている状況ですし、とりあえず、本願寺家と武田家をどうにかしたあとにでも考えたいところですね。てか、官位よりも、いっそ、将軍職を与えてくれたほうが、先生としてはやりやすいんですが?」
「まあ、足利義昭が存命中ゆえに、朝廷としても扱いに困っているのではないのかじゃ?だから、先に官位だけでも殿に与えたのだと想うのじゃ」
「ふむ。まあ、織田家の権威を高めるには、充分な沙汰だと想います。ですが、さすがに将軍を自称するわけにもいきませんから、朝廷からは将軍職を正式にもらいたいところですねえ?」
ここで、貞勝がむむむ?と唸る。
「ふと想ったのじゃが、殿に将軍職を与えなかったのは、わざとではないのかじゃ?」
「ほう。それは面白い見解ですね?貞勝くん。その心は?」
「今の段階で殿に将軍職を与えれば、この先、領土を増やして行こうとしている織田家に、この先、帝や朝廷が殿に譲れるものがなくなるのじゃ。だからこそ、出し惜しみしつつ、朝廷に対して、尊大な態度に出られぬように、殿に制限をかけているというわけじゃ」
「なるほど。帝や朝廷は、戦国最強である武田家を打ち破った織田家がのちのちに天下を取ることは明白であると考えているわけですね?それで、先生を飼いならすためにも、将軍職を餌にしていこうというわけですか。なかなかに賢い方法ですよ」
「それ故、殿が将軍職を帝から賜るのは、まだまだ先のことになりそうなのじゃ。殿が折れるか、帝が折れるかの勝負に成り代わっているのじゃ」