ー長篠の章22- 長篠の戦 決着
武田勝頼の本隊は削りに削られた。殿軍である内藤が力及ばず、全滅したからである。5000いた勝頼の本隊は設楽原を脱し、長篠城の北を通るころには、残り3000まで減らされていた。
それでも、勝頼は必死に逃げる。武田軍の全ての兵士を討ち取られるような状況になろうとも、本国である甲斐に向かって逃げ続けたのである。
勝頼に従っていた近習は足を止め、迫りくる織田・徳川軍のほうに振り向き、うおおお!と無理やりに声を上げ、敵に向かって突貫していく。
「すまないんだぜ。俺がもっとしっかりしていれば、こんなことにはならなかったんだぜ!山県、馬場、内藤!俺を恨んでくれてもいいんだぜ!」
勝頼は泣いていた。父・信玄が鍛え上げた武田家の主将たちの半分以上を失ったことに涙を流す。だが、それでも、勝頼は生き延びるために走り続けるのであった。
勝頼が信濃の高遠城を越える頃には、付き従う兵は2000を切っていた。長篠城を攻めようとした時の10分の1まで減らされたのであった。
織田・徳川軍は勝頼を逃してしまったことに歯がみする。
「ちっ。勝頼の首級までは取れなかったか」
「ガハハッ。惜しかったでもうすな、信盛殿。しかし、これだけの大損害を出した武田家が復活することはまずありえないでもうす」
「ううう。せっかくの大勝利だというのに、たいした手柄をあげれません、でした。せめて、敵将の首級のひとつでもと想っていたの、ですが」
「秀吉、残念だったっすね。たぶん、敵のおもだった将は鉄砲でほとんど死んでいたみたいっす。しっかし、これだけ死体が転がっていると誰が誰なのかわからないっすねえ?」
滝川一益は突っ切ってきた設楽原の方を振り向いて、そう言うのである。
「たーらららーん。丹羽ちゃん、せっかく若狭から出張ってきたというのに、まったく活躍できなかったのですー。丹羽ちゃん、もしかして、いらなかったんじゃないですー?」
「丹羽さま、私も同じ気持ちなの、です。武田軍が馬防柵にまったく近寄れない状況になるなんて、想像もしてなかった、です」
秀吉が、がっくりと肩を落としながら、丹羽に同調するのであった。
「丹羽、秀吉。それは結果だけを視たらそうかもしれないけど、もしも、鉄砲があそこまで効果を発揮してなかったら、ひょっとすると、俺たちのほうが武田軍にけちょんけちょんにされてたかもなんだぜ?喜ぶことはあれど、意気消沈する必要なんかないだろうが?」
「ガハハッ!丹羽や秀吉が文句を言うのも仕方ないくらいの戦い方だったのでもうす。我輩ですら、ほとんど、槍合わせしなかったのでもうすよ?戦功は全て、一益殿が指揮した鉄砲隊に奪われたのでもうす」
「俺っちも、ここまで大勝できるなんて想わなかったっすよ。こちら側で死んだモノなんて、多分、ひとりもいないんじゃないっすか?それくらい出鱈目な大勝利っすよ?」
一益の言う通り、織田・徳川軍がこの戦いで命を落としたモノなど、両手で数える程度しかいなかったのである。それも、設楽原で戦ったモノたちではなく、酒井忠次が長篠城の周りの4つの砦を落とす際に、落命したモノたちだけなのである。
「さて、せっかくの大勝なんだし、殿としても、深追いして、いらぬ損害を出したくないだろうし、武田家との一大決戦はこれで終わりかなあ?」
「信盛殿。そうでもうすな。しかし、この死体の山から、武田家のどの将が死んだかを確認するのは骨が折れるでもうすなあ?」
「あっ。俺っち、ふと想ったんっすけど、この死体の山から敵将の首級を確保できなかったら、もしかして、信長さまっちから、褒賞をもらえなくなるんじゃないっすか!?」
「一益。気付いちゃいけないことに気付いたな?さあ、これから楽しい楽しい、首級実験だぜ」
「うわあああ。最悪っす。ざっと視たところ、2万近くの死体が転がっているっすよ?この設楽原に。この中から、敵将の死体を視つけなきゃならないなんて、ひどい話っすよ」
一益が辟易とした顔つきでそう文句を垂れるのであった。
「で、では、一益殿の代わりに、私が敵将の首級を拾って、きます!」
「ダメっす、秀吉。お前の魂胆はわかっているっす。手柄の横取りはダメっすよ?鉄砲隊のやつらに探させてくるっす。ほとんどの敵は鉄砲の弾に当たって死んだはずっすからね。秀吉、今回は馬防柵の建設だけの手柄で諦めるっす」
「そう、ですね。たいして活躍してない私が死体漁りなんかしてたら、鉄砲隊の皆さんに撃たれそう、ですね。わかり、ました。次の戦で功をあげることに、します」
秀吉はそう言うと、はあああと深いため息をつく。一益は秀吉を宥めるためにも、ぽんぽんと秀吉の両肩を自分の両手で叩くのであった。
彼ら織田の主将たちが、勝頼を追うのを諦めて、設楽原をまた横断し、信長の元へと参集するのであった。信長は彼らを満面の笑みを顔に浮かべて出迎えるのであった。
「いやあ。一益くんを始め、皆さん、よく戦ってくれました。って?あれ?皆さん、あんまり嬉しそうではないみたいですね?」
「うっす。これから、この死体の山から、武田の将を視つけ出さないといけないと想うと、戦勝の喜びが吹っ飛びそうっす」
「一益、頑張れよおおお?俺は家康殿の援護をしていただけで、なんの活躍もしてないから、死体漁りをする権利すら持っちゃいないからなあ?」
信盛の言いに一益が、ちっ!と盛大に舌打ちをする。
「ガハハッ!一益、いい加減、観念するのでもうす。我輩も信盛殿同様、ほっとんど活躍してないから、死体漁りの権利を有していないでもうす。ああ、手伝いたいのはやまやまでもすうが、鉄砲隊の手柄を横取りするわけにはいかないでもうすしなあ?」
勝家がそう言いながら、ニヤニヤと笑うのであった。一益は、ぐぬぬぬ!と唸り
「わかったっす!やればいいんっすよね?でも、鉄砲隊の兵以外には、死体漁りはさせないっすからね!?」
「はははっ。一益くん。そんなに大声を張り上げなくてもいいじゃないですか?武田との一大決戦は終わりました。白骨化する前に、武田の将を見つけ出してくれれば良いんですよ?」
「それって、2、3か月かけてでも良いから探しだせってことっすね。信長さまもなかなかにひとがわるいっす」
「いやあ、すみません。悪気があって言ったわけじゃないので、気を悪くしないでくださいね?一益くん。敵将の死体を視つけたモノには特別褒賞を出すと兵士たちの皆さんに伝えておいてください。そうすれば、少しは士気が上がるでしょうからね?」
「わかったっす。利家っちや、佐々っち、それと塙殿っちにも働いてもらうっす」
「あっ。塙くんは大坂で顕如くんと相対してもらうので、塙くんは連れて帰りますよ?野々村くんとか福富くんを使ってくださいね?」
「マジっすか。同じ鉄砲奉行の塙殿っちだけ、優遇されすぎじゃないっすか?俺っちだって、北伊勢に戻って、ゆっくり領国経営をしたいっすよ!」
「まあまあ。そんなに怒らないでくださいよ、一益くん。敵将の死体を視つけてきたら、褒賞で茶器をあげますから?」
「茶器より領地のほうが欲しいっすけど、今回の戦で土地が増えたわけじゃないっすからね。しょうがないっす。信長さま、とびっきりの茶器がほしいっす。感状はいらないっす」
「ううん。今回の戦は大勝利ですけど、織田家の火薬と鉄砲の弾の三分のニは使いましたからねえ。できれば、感状で済ませたい気もしますが、まあ、適当に茶器に値をつけてもらいますかね、利休くんに」
信長からの褒賞のひとつとして、大名からの感謝状、いわゆる感状のかわりに家臣たちには、茶器、それも茶碗を贈るということをしていた。適当に見繕ってきた茶碗に茶道の開祖である利休に高値をつけさせるのである。
利休のおすみつきとなれば、それまでニ足三文の茶碗が10貫や20貫、ものによれば100貫に化けるのである。信長の家臣たちから視ても、ただの紙切れ1枚の感状をもらうようりかは遥かにマシだったのだ。
「さて、武田家もこれで大弱体ですし、あとは家康くんにでも頑張ってもらいましょうか。遠江を奪い返すだけじゃなく、駿河までをも奪取してほしいところですねえ」
「武田が弱体したと言っても、北条氏政と同盟しているからなあ。駿河までは厳しいんじゃねえの?殿」
「そこは家康くんの頑張り次第ですよ。今まで通り、織田家からは資金と兵糧の援助くらいはしますけど、さすがに兵まで貸してしまっては、家康くんにとって返しきれない貸しを作ってしまいますしね?」
「まあ、この設楽原の地での戦いも、どっちかとういうと、徳川家を織田家が救うって形になっているもんなあ。家康殿としては、織田家とタメを張っていくにはどうしても、独力で成し遂げなきゃならんってところかあ」
「まあ、そういうことです。それに織田家も越前を取り返すという仕事がありますからね。そろそろ、勝家くんに1国1城の主になってもらわないと、困りますから」
「ガハハッ!そんなに我輩に気をつかわなくてもいいでもうすよ?しかし、治める土地が増えるのは嬉しいことでもうす。さあ、帰って、たらふくメシでも喰らって、次に備えようでもうす」




