ー長篠の章20- そして全ての命が消えていく
設楽原の南に展開していた、山県昌景と原一族は鉄砲隊の一斉射撃を喰らい、全滅するのであった。
内藤昌豊は武田家の中でも最強の山県の隊がなすすべもなく全滅したことに恐れおののき、鎧の下のズボンを自分の小便で濡らすことになったのである。
「や、山県殿?山県殿?山県どのおおお!」
内藤は悲痛な叫び声をあげる。だが、それと同時にまたもや織田・徳川軍が鉄砲を射撃する。内藤の悲痛な声すらもかき消されるのであった。内藤は恨めしく、目の前の馬防柵の奥に居る鉄砲隊を睨みつける。
だが、彼の恨みの籠った視線に対して、返ってくるものは1000を超える鉄砲の銃口だけであった。内藤は鉄砲に対抗するために足軽隊にあるだけの矢盾を準備させるのである。山県の仇を取るために突撃の準備を進めるのであった。
一方、設楽原の北に展開する馬場信春と真田信綱、真田昌輝たちと言えば
「おおおおおお。おおお、おおお!」
馬場が声にならぬ声で泣き叫んでいた。先行させた真田一族の騎馬隊が織田の鉄砲隊の一斉射撃により壊滅したのである。さらに、真田信綱、真田昌輝は落馬したあと、馬場の元に戻ることもできずに、その途上で枕を並べて討ち死にしたのであった。
馬場の敷いた陣は少し小高い丘の上にあったために、真田一族が次々と凶弾に倒れていくのをただただ眺めさせられたのだった。
馬場は真田一族を救援しようと考えはしたのだが、実行には移せなかった。それは馬場隊の騎馬軍団が全て機能不全へと陥ったいたからである。動きたくでも動けなかったのだ。
「すまないのでござる!信綱殿、昌輝殿おおお!拙者はお前たちを無駄死にさせたのでござるううう!ううう。本当にすまないのでござるううう」
馬場は力なくうなだれ、ひざを地面につき、四つん這いになって泣いた。その悲しみにくれるのを邪魔するが如くに、延々と、1キロメートル先から雷鳴に似た音が連続して聞こえてくる。
馬場の心は悲しみから怒りの色に染まって行く。この鉄砲の射撃音がほとほとに憎く感じるのである。
「こんな一方的な戦いがあって良いのかでござる!これはもはや戦ではないのでござる!槍合わせもせずに、ただ、馬防柵の奥に引き籠り、そこから鉄砲を撃ち続けて、貴様ら、何が楽しいのでござるか!!」
馬場は両目から血の涙を流していた。全ての戦のあり方を否定する、信長の戦い方に嫌悪感が湧く。身体の中から、信長に対しての憎悪が噴き出てくるのである。
「全軍。我に続けでござる!馬を捨て、自らの足であの馬防柵を打ち砕くのでござる!木杭を準備しろでござる!」
馬場の命令を受けて、馬を使えぬ兵たちは、丸太1本を3、4人で抱え上げる。
「矢盾を準備しろでござる!最前列の矢盾隊は木杭を持ったモノたちを守りぬけでござる!」
馬場もまた、矢盾を両手に持って、丸太を担いだ兵たちの前に出る。
「全軍突貫でござる!武田家は騎馬軍団だけが取り柄でないところを、織田・徳川軍に見せつけるのでござる!もし、拙者が死んだとしても、その死体を踏んで超えていけなのでござる!」
馬場は残った兵1000にそう激を飛ばす。彼に従う兵たちは、うおおお!と鬨の声を上げる。彼らの魂に馬場が火をつけたのであった。彼らは一丸となり、目の前に広がる馬防柵を壊すべく、真正面から突っ込んでいく。
「うおおお。あいつら、何なんっすか!?馬が使えないから、走ってきているっすよ?しかも、どうやら、前面に矢盾隊を配置しているみたいっすね。でも、馬鹿っす。勝負の結果が視えていないんっすか?それはただの自殺行為っす!」
そう言うは滝川一益であった。彼は手に持った金砕棒で銅鑼をがっごおおおん!と打ち鳴らす。その音と共に再び、3000丁を超える鉄砲の一斉射撃が始まったのであった。
北は馬場率いる1000の決死隊が、南では内藤が率いていた足軽隊の半数に及ぶ、3000の兵を、織田・徳川軍に向けて、突っ込ませたのである。
どちらも前面の兵に矢盾を構えさせていた。だが、無情なるかな。矢盾は鉄砲の1射目と2射目をなんとか防ぐことは可能であったが、3射目には耐えきれず、ことごとくが破壊されることとなる。
しかも、騎馬軍団とは異なり、所詮、自らの足を使っての進軍だ。彼らの自慢の機動力は一切を封じられ、さらには矢盾すらも失った。あとは、一方的な虐殺が始まっただけであった。
織田・徳川軍の鉄砲による射撃音が1回、設楽原に響くたびに、戦場から武田軍の100から200の命が消えていくのであった。矢盾を構えていたものたちがまず、その身を盾にして、木杭を持つモノたちへ銃弾が届かぬようにした。
だが、そのモノたちも4射目、5射目には、矢盾を構えていたモノたちのほとんどが命尽きて、その場で地面に倒れこむのであった。だが、その仲間たちの死体を踏みつけて、木杭を持ったモノたちは、目の前に広がる馬防柵に向けて走って行った。
そして、続く6射目、7射目で木杭の前の方を持っていたモノのほとんどが力尽きる。それにより、兵たちは木杭を次々と地面に落としてしまう。その地面に堕ちた木杭を拾い上げようと、生き残った兵たちが集まりだし、互いに力を合わせようとする。
だが、無情にも、必死に抗おうとする武田の兵たちをあざ笑うかのように、8射目、9射目が叩きこまれることになる。
連続射撃も15射目に入るころには、武田側の兵で動けるモノは誰一人、居ない状況となったのであった。
設楽原に静けさが戻ってきていた。武田勝頼が全軍に突撃命令を出してから、早3時間が過ぎようとしていた。
この時点での戦死者は両軍合わせて8000を数えることとなる。だが、織田・徳川軍の戦死者は0人である。戦死者が武田軍のみにしか出ないという、明らかに戦でもなんでもない、ただの虐殺が起きていたのである、この設楽原の地では。
将で戦死したモノは、武田軍は四天王である馬場信春、山県昌景がこの時点で討ち死にしていた。さらに、真田一族、原一族、さらには中央から突撃を敢行していた土屋一族が討ち死にしていたのである。
武田家は有能なる将の開戦から2時間の時点でほぼ全てを討ち取られてしまったのであった。
「ふふっ、ふふっ、あーはははっ!これは、とんでもないことになりましたよ!?先生、ここまで策がはまったことなんて産まれて初めてですよ!これは気持ち良すぎて、つい、失禁してしまったくらいですよ。まさに嬉ションしてしまいました!」
「ガハハッ!つっこんできた武田軍が全滅したでもうすな!これは、さすがにドン引きでもうす!少なくとも1万は死んだのではないのでもうすか?」
茶臼山に本陣を置いていた信長は、設楽原に起きた現象ともいうべき状況に柴田勝家ともども、歓喜していたのである。
「よおおおし、先生。もっと殺し尽くしてしまいますよおおお!?本陣を馬防柵手前まで移動させましょう!もっと、近くで、武田の兵たちが死んでいくのを視たくなりました!」
「ガハハッ!殿は悪趣味でもうすなあ?殿、顔がにやついているのでもうすよ?しかし、これだけの大戦果、望んでもなかなかにして、手に入るものではないでもうすから、致し方ないでもうす?」
「そういう、勝家くんだって、顔が不気味な笑顔で崩れていますよ?いやあ、ほんっと、信玄くんの裏切りには腹が煮えくりかえっていましたけど、これで少しは気が晴れましたよ?でも、もっともっと、苦しんで死んでもらいましょうか!本陣を動かします!馬防柵の手前まで移動しますよ!」
信長は設楽原の状況を確認する意味でも本陣を茶臼山から移動させる。そして、織田鉄砲隊と信忠・松平信康の間に割って入るのである。
「うひょおおお。これはすごい音ですねえ。茶臼山に居た時も、とんでもない大音量の射撃音でしたが、この場に居るだけで難聴になりそうですよ!」
「ガハハッ!鉄砲がやかましすぎて、殿が何をしゃべっているのか全く聞こえないので候!しっかし、馬防柵の手前100メートルで武田軍は死体の山となっているので候!これでは、射撃の邪魔になるので候!」
「えええ!勝家くん、何を言っているんですか?全然、聞こえないんですけどおおお!武田軍の突撃も、一旦、終わったみたいですし、ちょっと、休憩に入ってもらいますかあああ!」
「殿おおお!?何をしゃべっているのでごわす?ああ、もっと撃ちまくれでごわすな?ガハハッ!殿は本当に情け容赦ないのでごわす!」
織田・徳川軍の鉄砲隊としては、武田軍の騎馬軍団の突撃に対して、恐怖しかもっておらず、そのため、いつまで経っても連続射撃をやめようとはしなかったのである。
そして、そのことが影響し、信長並びに、滝川一益の発射停止命令を無視し、延々と射撃を繰り返す。そのため開戦からたった3時間ほどで用意していた弾薬と火薬の半分を使用することになる。
ようやく、射撃を終えた兵士たちが、落ち着きを取り戻す頃、彼らの目の前には死屍累々となっている武田軍の兵士と馬を視ることで、心の中から恐怖が取り除かれることとなったのだった。
「す、すごいだっぺ。鉄砲がこれほどの戦果を上げるなんて想ってみなかったべ」
「そうだぎゃ。こんな雨が降れば使い物にならない欠陥武器で、あの戦国最強と謳われた武田軍が崩壊しただぎゃ!」
「お、おらたち、勝ったんだっぺよな?もう、怖い眼にあわなくてよくなっただっぺよな!?」
「お前たち、よく撃ち続けたッス!俺も武田の騎馬軍団が間近まで迫ってきた時は、小便をもらしちまったッス!よく、逃げずに戦ったッス!もうひと踏ん張り頑張ってくれッス!」
鉄砲奉行のひとりである前田利家が自分の配下たちをそう褒めたたえ、激励するのであった。兵の皆は涙を流していた。恐怖から脱することができたことに、ただただ、神仏に対して、主君である信長に対して、感謝の念を送るのであった。




