ー長篠の章18- 奇襲成功
1573年5月21日 朝7時。設楽原の地で織田・徳川軍3万8千と武田軍1万8千が約2キロメートル程、距離を取っていた。
武田軍は左右に広く展開する織田・徳川連合軍に合わせるかのように、南北に長く隊列を敷いていた。
北には馬場信春を基軸にして、副将に真田信綱、真田昌輝の騎馬隊が配置されていた。
「ううむ。いくら戦国最強と謳われた武田騎馬軍団と言えども、いささか不安なのでござる。嫌な予感をひしひしと感じるのでござる。このまま、織田側が引きこもってくれたほうが安心なのでござる」
「馬場殿、何を弱気な事を言っているのでございますか。奴らをあの馬防柵ごと粉砕するほどの気概を見せるべきでございますぞ?」
馬場の副将のひとりである信綱がそう言って、上司を励ますのであった。
「う、うむ。すまないのでござる。信綱殿。どうも、嫌な胸騒ぎがするのでござる。信長ほどの男が、馬防柵の向こうで引き籠るだけの策など、果たして採るモノなのかと」
「はははっ!馬場殿は信長のことを買い被りすぎなのでございます。本願寺顕如さまの偽の和議にまんまとひっかかり、越前を奪われた間抜けな男なのでございます、信長は。どうせ、馬防柵の向こうから、鉄砲や矢を撃ち込んでくるくらいなのでございます」
「むうう。武田家の機動力と防御力を兼ね備えた騎馬軍団ならば、少々の鉄砲や弓矢など恐れるに足らずでござるが、それでも、損害は馬鹿にはできないほどとなると想うのでござるよ」
「鉄砲など1射目、2射目をかわせば、どうにでも対処できるのでございますぞ。左右にジグザグに騎馬軍団を動かせば、ほとんど当たらないのでございます」
「ま、まあ、確かに信綱殿の言うとおりでござるな。武田家の騎馬軍団は足軽を伴って進軍するわけではないゆえの機動力でござる。それに鉄砲で狙撃しようなぞ、そもそもが無理でござるな」
「そうでございます。まあ、運の悪いモノは織田家のへなちょこ鉄砲の弾に当たるやもしれぬでございますが。そんな間抜けは怪我をしてもらって、馬の扱いでもいちから勉強してもらえばいいのでございます」
「はははっ。高い授業料となるでござるな。ふううう。少し気が晴れたのでござる。信綱殿。しかし、その織田家のへなちょこ鉄砲の弾に当たることのないよう、注意するでござるぞ?」
「それこそ無用の心配なのでござる!若い頃より馬にまたがり、まるで愛しき妻を乗りこなすようになってきたのでござるぞ?」
そう、冗談交じりに言う真田信綱と言う男は、知略の才を買われて、武田信玄に召し上げられたのであった。彼はその知略で、信濃の砥石城を守る村上義清の配下を離反させて、堅城で誇る砥石城を手に入れたのであった。
この城を落とすのに武田信玄は2度もの大敗北を喫したのである。歴史上名高い、砥石崩れである。信玄は力攻めを行い、結局は何の成果も上げれず、それどころか、有能な家臣を次々と亡くしたのであった。
だからこそ、この堅城を知略で攻略した真田信綱を高く評価し、武田家としては新参者に対して、破格の足軽隊長として、真田信綱とその親族たちは召し抱えられたのである。
そして、勝頼の代には、騎馬隊長にまで格上げされ、今日においては武田四天王のひとり、馬場信春の副将にまで登りつめたのであった。
「さあ、馬場殿。いかようにでも、自分を使ってくれなのでございます。もし、馬場殿が運悪く織田家のへなちょこ鉄砲隊の弾に当たれば、自分が武田四天王を名乗らせてもらうのでございますぞ?」
信綱の軽口に、馬場はまたしても、はははっ!と笑うのであった。この男が副将に居れば、何か不測の事態が起きたとしても、きっと、なんとなるはずでござる。そう、馬場はこの時、想っていたのだった。
そして、設楽原の南の方には、山県昌景を主軸として、武田信豊、武田信廉等の武田勝頼の親族たちが布陣していたのである。それに付随するように、原一族が近くに布陣していたのである。
そして、馬場と山県の布陣する間のど真ん中に武田勝頼は本陣を移動させていた。勝頼は本陣の守りには、自分の近習たちを置いたのであった。
この時、武田軍の1万八千の兵の内、1万近くが騎馬隊であったのだった。かつて、三方ヶ原の地において、徳川家は山県昌景率いる300の騎馬軍団に1万2千の三河兵が大敗するという憂き目にあった。
だからこそ、織田・徳川軍が4万近くの兵を擁していても、武田勝頼を初め、武田軍の各将たちは、まったく、恐れる心などほとんどなかったのであった。
しかし、この30分後、武田家を震撼させる出来事が長篠城周辺に起こる。
「た、大変なのでごじゃる!長篠城の周りに建設してあった砦が全て、落とされたのでごじゃる!」
そう悲痛の声を上げながら、勝頼の本陣に飛び込んできたのは内藤昌豊であったのだった。
「おい!いったい、何の冗談を言っているんだぜ、内藤!てめえ、俺をびっくり仰天大作戦にでもハメるつもりなのか?だぜ!」
「冗談でも何でもないのでごじゃる!ぼくちん、朝めしを食べ終わって、さあ、今から長篠城攻めを再開するでごじゃると想って、陣幕から出たら、それと同時に砦がある方面全てから火と煙がもうもうと立ち上がっていたのでごじゃる!」
そうである。内藤の言う通り、酒井忠次が長篠城を囲む、鳶ノ巣砦を含む4つの砦を急襲し、さらに落としてしまったのである。
こうなれば、悠長に長篠城を囲んでいることなど出来ぬと内藤は、長篠城攻めに使っていた6000の兵全てを引き上げさせ、武田本陣に舞い戻ってきたのであった。
さらに武田軍にとって、運が悪かったことは設楽原から撤退するには、軍の展開をすでに終わらせており、撤退路は長篠城の横を通る街道しかなかったことであった。
「ぐぬぬ!おい、内藤!俺様はどうすれば良いんだぜ!とっくに軍は展開し終わっているんだぜ!ここで撤退命令を出せば、戦わずして潰走するんだぜ!」
「目の前の織田・徳川連合軍を叩くしかないのでごじゃる!直に長篠城には、砦を落とした連中が集まるのでごじゃる。その前に、目の前に広く展開している織田・徳川連合を壊滅させるしか、道が残されていないのでごじゃる!」
内藤はそう、勝頼に進言するのであった。勝頼は手に持つ軍配をぎりぎりぎりと両手で握りしめる。
「全軍に通達だぜ。今から、武田全軍は、設楽原に展開する織田・徳川連合軍を壊滅させるんだぜ。全軍、突撃準備なんだぜ!まずは騎馬隊により、あの邪魔な馬防柵を全て叩きつぶせなんだぜ!」
勝頼がそう伝令のモノに指示を飛ばす。そして続けて
「内藤。お前は南に展開する山県昌景の後詰をするんだぜ。お前のとこは足軽ばかりなんだぜ。山県が馬防柵を破壊したら、足軽隊をつっこませて、織田・徳川の将を討ち取りまくるんだぜ!」
「はっ!わかったのでごじゃる!見事、織田信長、徳川家康の首級をあげてみせるのでごじゃる!勝頼さまは、本陣にて待機しておいてほしいのでごじゃる!大功を上げてくるのでごじゃる!」
内藤はそう言い放ち、本陣を飛び出して行き、設楽原の南に展開する山県昌景6000の後詰として6000の足軽隊を展開していくのである。勝頼は設楽原のど真ん中を抜くべく、土屋一族の馬隊1000を布陣させるのであった。
酒井忠次による長篠城周辺の砦の奇襲により、武田軍2万4千は否応なく、織田・徳川軍3万3千と対決せざるえなくなってしまったのであった。
酒井忠次の奇襲成功に大喜びしたのは、もちろん、このひと、織田信長である。
「良いですよー。非常に良いですよー。いやあ、さすが徳川軍の兵ですねえ。まさか、本当に4つの砦を落とすなんて想わなかったですよ。いやあ。これで、武田軍はこちらに飛び込んでくるしか術が無くなったわけですよ!」
「ガハハッ!殿。戦が始まる前に、それほど喜んでいる姿は初めてみるのでもうす。まるで、すでに勝ちが決まっているかのようでもうす」
「いやあ、勝家くん。これはダメですね。勝負はやってみるまでわからないとよく言います。ちょっと、気を引き締めるためにも、一発、先生のほほをぶん殴ってくれませんかね?」
「筋肉解放130パーセントでもうす!ふんぬおらあああ!」
勝家がそう言うなり、自分の筋肉の本当の実力を全て解放し、丸太のように太くなった右腕を引き絞り、全ての力を込めて、信長の左ほほに右の張り手をぶち込むのである。
信長は勝家の全力の張り手を左ほほに受け、その衝撃を首、肩、背筋、腰、ふとももに流していき、ひざの当たりで伝播に失敗して、信長は3回転半ひねりをかましながら、宙に舞うのであった。
くるくるくる、どすうううん!
「痛たたた。やっぱり、こころに油断があるみたいですね。勝家くんの力を受け流すことに失敗してしまいました」
「ガハハッ!ダメでもうすぞ?殿。これで、気は引き締まったでもうすかな?」
「ええ。ありがとうございます。勝家くん。ひざが再び、物理的にがくがくぶるぶる状態になりました。戦の始まりは武者震いしてないとダメですね。では、全軍に通達をしましょう。一益くんの合図を元に、鉄砲隊は射撃を始めるように徹底してください!」
信長の言付けを伝令のモノたちは受け取り、はっ!と短く応え、陣幕から飛び出していくのである。
信長はひざをがくがくぶるぶるさせ、今や始まらんとしている、武田家との一大決戦に臨むのであった。