ー長篠の章17- 決戦の朝
1575年5月19日朝、ついに岡崎城から北東の設楽原に向けて、織田軍3万の大軍勢が進軍を開始する。徳川軍8千は先発隊として18日昼には設楽原に到着していたのである。そして、遅れて次の日である19日夕方には羽柴秀吉、佐久間信盛が現地へと到着する。
「皆さん。ここが決戦の地、です!信長さまたち本隊が到着するまでに馬防柵と堀を完成させ、ます!」
秀吉の号令の下、土木作業隊が一斉に動き出す。
「ぶひいぶひい。梅雨が明けたのは良いぶひいけど、なんでこうもクソ暑くなるんだぶひい?」
「本当に嫌がらせに感じマスネ。できるなら一雨降ってきてほしいところデスヨ」
「何を言ってはりますんや。やっと晴れてもらったというのに、ここで雨が降ったら全てが台無しやで!雨ごいするんやのうて、晴れ続けてもらうことを願わんといかんで?」
「田中、弥助。四さんの言う通りだぞ?これは長篠の戦いって言って、ひのもとの国の歴史がまさに転換しようとしているんだぞ?ああ、俺、生きて、この戦いを生で見られるなんて想ってもいなかったぜ!」
「なんか、彦助が頭のおかしいことを言い出したんだぶひい。ほっといて仕事に精を出すんだぶひい」
「彦助さんの妄想癖は全く直りまセンネ。なんで、こんなひとが嫁さんをふたりもゲットしているんでショウカ?もげてしまえば良いのデス!」
「そこの4人。口を動かす前に手を動かして、ください!いくら、私の古くからの家臣と言えども、今日ばかりは真面目に働いてもらいます、からね?」
「ひでよくん、ちょっと待ってほしいんやで?わいはいつでも真面目に働いてるやんか?田中くんと弥助くんと彦助くんといっしょにされたら困るんやで?」
「四さん、やばいって。ここで口ごたえするようなことしたら、いつものパターンでシバキ倒されるって!」
秀吉の重臣たちのいつもの調子に、秀吉は、はあああと深いため息をつく。
「あなたたちが普段通りすぎて、逆に頼もしい、ですよ。普通なら武田の騎馬隊が怖くて、夜も眠れなくなりそうなところなん、ですが?まあ、しゃべってても良いですから、明後日の朝までには作業を完了させて、くださいね?私は他を見回ってきます、ので」
「わかったんだぶひい。弥助、杭のそっちのほうを持ってくれなんだぶひい」
「ハイ、わかりマシタ。しかし、こんな馬防柵デシタッケ?こんなもので武田家の重騎馬隊の体当たりを止めることができるのデスカ?」
「まあ、ないよりマシといったところちゃいますの?効果があるかどうかより、精神的な面で安心感は必要さかいなあ?」
「ううう。俺、武者震いしてきたぜ!ちょっと、小便してきていいか?」
「そんなのその辺でやれぶひい。ふう、しっかし暑いんだぶひい。明日もカラッと晴れそうぶひいねえ」
秀吉部隊はこんな感じで作業を進めるのであった。一方、信盛隊と家康のところと言えば
「ああ。しんどい!なんで俺まで駆り出されなきゃならないんだ。お前ら、キリキリ働けよ!」
「はははっ。信盛殿。荒れているでござるな?やはり明日のことが心配で気が立っているといったところでござるかな?」
「あ、家康殿。みっともないところを見せて、申し訳ない。やっぱり、俺、気が立っているのかなあ?部下どもの些細なミスでもイラッとしちまうわ」
「ちょっと、休憩するでござるか?三河産の赤味噌ときゅうりと茄子でござる。今年の出来は自慢できるのでござるよ?」
「きゅうりと茄子かあ。なんかやらしい響きだなあ。もしかして使用済みとかではないよね?よね?」
「使用済みのほうが良かったのでござるか?そちらのほうを所望なら、合戦が終わったあとにしてほしいところでござる」
「はははっ。何言ってんだか。さて、ちょっと休憩しょっか。いきり立つのは明日に取っておかないとな!」
信盛と家康は笑いながら、休憩に入るのであった。時刻はすでに20日の17時を回っており、刻一刻と決戦の時間へと突き進むのである。
対して、武田家と言えば
「おい。徳川家にくっついて織田家までやってきたようだが、全体で何人くらいの兵が向こうには揃っているんだぜ!?」
「勝頼さま。物見の報告では、織田家2万から3万と言う話なので候。先にやってきた徳川家の8000と合わせれば、数としては武田家より少し多くは揃えてきたようでで候」
「なんだ、3万か4万程度なのかだぜ。ビビらせやがってなんだぜ。で?あちらは馬はどれほど揃えているんだぜ?」
「それが、不思議なことに向こうの騎馬隊は多くて2000といったところで候。あとはただの足軽といった感じで候。あいつら、闘う気があるのか謎なので候」
「何を考えているんだぜ?足軽隊如きでどうやって武田家の騎馬隊とやり合おうってんだ?だぜ」
「まあ、夜通しで馬防柵を設置したりなど、陣を構築中みたいで候が、それも武田家の重騎馬隊の体当たりで崩壊するので候。無駄なことに労力を割いているので候」
「わざわざ、こちらから突っ込んでいく必要もないかもなのだぜ。ゆっくり長篠城を落とした後にでも、織田・徳川軍の相手をしてやるか?なのだぜ」
「では、引き続き、内藤殿には長篠城攻略を任せておくので候。馬場殿には何か指令を与えておくで候?」
「馬場にはそうだな。設楽原のほうを視てもらうかなのだぜ。もし、織田・徳川軍が馬防柵の向こうから出てくるようならば、相手してやれと伝えておくんだぜ」
「はっ。わかったので候。まあ、足軽隊ごときにやられるようなモノは武田家にはいないので候。居たとすれば末代までの恥となるので候」
この時点において、武田側は織田・徳川軍をなめてかかっていたのであった。その油断が命取りになろうとは、夢にも想わなかったのである。
1575年5月21日・朝5時。朝日が昇ると共に、武田軍は設楽原に異様な光景を視ることになる。
武田軍より向かって西側に設楽原に壁が出来上がっていたのだった。それは織田・徳川の1昼夜半かけての工作による結果であったのだ。
「なんたる異様な光景なのでござるか!織田・徳川軍は茶臼山、松尾山のふもとに要塞を築いたのでござる!」
馬場信春は驚愕の色を顔に映していた。あそこまで陣を固められたのでは、いくら、戦国最強の武田騎馬軍団と言えども、容易に抜けるものではないと馬場は想うのであった。
馬場は本陣にて眠る、山県昌景を叩き起こし、織田・徳川軍の現状を伝えるのである。
「何をこんな朝っぱらから、がなり声をあげているので候。ん?織田・徳川軍が要塞を築いたので候?だから、それがどうしたので候。向こうは亀のように縮こまる気なので候?こちらから手を出さねばいいだけの話なので候」
「それはそうでござるが、いや、しかし。もし、こちらがあそこに突撃をせねばならないような状況に追い込まれたら、一環の終わりでござるぞ!?この危険な事態が、山県殿にはわからないのでござるか!?」
「まったく、心配性もそこまでくると病気で候。例え、我らがあいつらのところに突撃をすることになったとしても、あちらは騎馬隊すら、まともに準備していないので候。騎馬300で、徳川の1万2千の足軽隊をけちょんけちょんにした、我がいるので候。いかほどに心配する要素があるので候?」
事態をさほど重く見ない山県に対して、馬場はギリギリと歯がみする。
「もう良いでござる!拙者は、織田方に動きがないか見張り続けるのでござる!ゆっくり惰眠でもむさぼって居れば良いのでござる!」
馬場はそう言うと、本陣を出ていくのであった。山県は、ふうううとため息をつき、主君である武田勝頼を起こすのであった。
「うーーーん。もう食べれないんだぜ。そんなに酒池肉林をされても困るんだぜ」
「起きてくだされで候。馬場の報告によると、織田・徳川軍が設楽原に要塞を造ったと言っていたので候」
「ああん?要塞?なんでそんなもん、設楽原に造っているんだぜ。あいつら、ここで、1年近く、防衛でもする気なんだぜ?」
「さあ?何でで候かなあ?岡崎への道を封鎖でもしたいので候か?まあ、長篠城に救援しにくる様子でもなさそうなので、それほど気にしなくても良いと想うので候」
「じゃあ、俺様を起こすんじゃないんだぜ!ったく、眼が覚めちまったんだぜ。まあ、どれほどのモノを造ったのか、視てやるんだぜ」
勝頼は寝台から起き上がり、山県を伴い、本陣から外に出る。朝もやがかかる中、眼を細めて、遠く設楽原の方を視るのである。
「おお、おお、おお!これはすごいんだぜ。設楽原を縦断するほどに馬防柵を立てているんだぜ?あいつら、本当に武田家とやり合う気があるのか?」
「わからないで候。しかも、物見の報告では、騎馬隊もやはり2000ほどしか準備してないので候。そのための苦肉の策として、岡崎への道を塞いだとしか想えないで候」
「まあ、向こうが討って出る気なら、武田家の騎馬隊で踏み散らせば良いんだぜ。山県。馬場と一緒に設楽原の方に兵1万8千ほどを配置させておくんだぜ。内藤のところはまあ6000も居れば、長篠城を落とせるはずだぜ」
「はっ。わかりましたで候。もし、織田・徳川家が馬防柵から外に出れば、全てを討ち取ってみせるので候。設楽原で我と馬場殿が遊んでいるうちに、内藤殿も長篠城を落としてくれるはずで候」