ー長篠の章16- 梅雨が明ける
「なあ、殿。なんか変な書状を武田家からもらったんだけど?」
「ん?変な書状?のぶもりもり、いったい、どんな書状をもらったのですか?」
それは鳥居強衛門が処刑されてから二日後の5月17日であった。岡崎城で待機する織田軍の佐久間信盛の元に武田家の内藤昌豊から密書が届いたのである。
「んっとな?俺を武田家の重鎮にしてやるから、長篠へ到着した際に、織田家を裏切れってさ。その褒賞に信濃1国をくれるって」
「はははっ。面白い冗談ですね。で、のぶもりもりはもちろん、先生を裏切ってやるぜ!って返事を書くんですよね?」
「そうそう。その通り。さすが殿だな。察しが良くて助かるぜ」
「では、のぶもりもりは、はりつけにしますので。小春さんとエレナさんに遺書を書いておいてくださいね?」
「ちょっと待てよ!そうじゃないだろうが!俺が内通に応じると見せかけて武田家を油断させるってことだろおおお!?」
信盛がそう信長に訴えかける。信長は、ははっ!と笑い
「そんなのわかってますよ、冗談ですよ、冗談。何、顔を青ざめているのですか。のぶもりもりが先生を裏切れば、どんな眼にあうか理解しているんですから、そんなことするわけないってことくらいわかっていますよ?」
「あ、ああ。そうだな。間違いなく、頭の肉を生きたまま、削ぎ落されそうだぜ。って、殿。俺にこんな密書がくるくらいだから、他のやつらにも確実に来てるぜ?殿、気をつけてくれよ?」
「そうですね。一度、各将を集めて、聞いておきますか。のぶもりもり、ご苦労さまです。配下のモノたちが、同じような密書を受け取ってないか、精査しておいてくださいね?」
信盛は、おうわかったぜと応え、自分の配下にも同じような密書が送られてないか精査を始めるのであった。
「ふううう。武田家は戦々恐々(せんせんきょうきょう)としているんでしょうね。そうでなければ、一番、裏切りから遠いのぶもりもりに内通を約束させようとしませんよねえ」
「ん?殿。神妙な顔をしてどうしたのでもうす?三河の赤味噌があわないのでもうすか?」
「ああ、勝家くん。ちょうど良いところに。さっき、のぶもりもりが武田家から内通を促す密書が届いたって報告に来たんですよ。勝家くんの所にも似たようなものが来ていませんか?」
「いや?来ていないでもうすよ?我輩、殿が恐ろしくて、足を向けて寝ることができないと宣伝しているくらいでもうす。そんな我輩に密書を送っても無駄だとわかているはずなのでもうす」
信長はアレッ!?と想う。そこにさらに滝川一益が、信長の下に現れる。
「うっす。信長さまっち。なんか信盛殿が信長さまっちの下へ行ってくれって言っていたから来たっすけど、なにか火急の用件なんっすか?」
「ああ、一益くん。のぶもりもりが武田家から内通を促す密書が届いたので、念のために他の将の皆さんにも同じモノが届いてないか、精査しようと想っていたんですよ。一益くんのところには、武田家からの密書は届いてますか?」
「んやっす。まったくもって、そんなモノ、もらってないっす。大体、信長さまっちを裏切ったら、どんな眼にあうか、全国津々浦々に知れ渡っているっすよ?燃やされて、埋められて、殺されるっす。そんな恐怖の代名詞の信長さまっちを裏切るような将なんて、織田家には居ないなんて明白っす」
一益の言いに信長が、あ、アレッ!?と疑問に想うことになる。
「ちょっと待ってください?武田家と言わず、他家から視たら、先生は悪魔か何かに視えるわけですよね?で、織田家の将たちは先生をとっても恐れていると。じゃあ、なんで、武田家はのぶもりもりだけは内通に応じるなんて想っているんでしょうか?」
「うーーーん。信盛殿は、他家から視たら、裏切りやすい顔にでも視えるのでは?でもうす」
「そうっすね。信盛殿っち、なんかせこい感じがするっすもん。1国くらいの領地を渡せば、ひょっとするとって想わせる何かが、他家のひとたちには感じるんじゃないっすか?」
「勝家くん。一益くん。もしかして、先生は危険な男を織田家の2枚看板に据えているような気がしましたよ!?ちょっと、のぶもりもりを呼んできてくれませんか!?はりつけにしますので!」
「何を疑心暗鬼になっているのでもうす。きっと、殿が信盛殿を処刑させるための策略でもうすよ。敵の策にまんまとひかかってはいけないでもうす」
「そうっすね。信盛殿っちが裏切るかどうかが主目的ではなくて、信長さまっちに疑心を抱かせるのが本当の目的っすね、これは。信盛殿っちが内応するなら、大成功。信長さまっちが、信盛殿っちを処刑すれば大成功っす。どっちに転んでも武田家には美味しいってことっす」
「なるほどです。さすが、計略に長けた武田家ですね。先生、危うく、武田家の策に乗るところでしたよ。危ない危ない」
「まあ、念のため、配下のモノに同じような密書が届いてないか、調べておくでもうすよ?」
「俺っちも調べておくっす。信長さま、あんまり要らぬ心配をしないように気をつけておくっす」
「勝家くん、一益くん、頼みますね。先生、ちょっと、心を落ち着けるためにも水垢離でもしておきますよ」
信長はそう言うと、岡崎城の屋敷の近くにある井戸に向かい、そこで水垢離をするのである。そこにとある将がやってくる。
「ん…。信長さま。暑いから水垢離してるの?」
「信長さまはいつ視ても美しい身体をしているッスね。俺、よだれが出てきたッス」
「ああ、佐々くん、利家くん。こんなところにどうしたんですか?」
「ん…。早合の練度の最終確認を終えてきたところ。皆、気合も充分で、これは本番が楽しみ」
「うッス。塙直政殿のところも、ようやく手際よく弾込めが出来るようになったッス。いやあ、信長さま、さすがにいきなり塙殿に出陣要請するのは無茶ぶりだったッスよ。間に合って良かった良かったッス」
「そうですか。それは佐々くんと利家くんに要らぬ苦労をさせましたね。この戦いが無事に終われば、褒賞を与えますよ?」
「じゃあ、俺、領地を増やしてほしいッス。1国くらいほしいッス!」
「ん…。利家、諦めて?この戦いに勝ったところで織田家の領地が増えるわけじゃない」
「くっ!つらいッス!秀吉が半国の主になったというのに、俺、全然、領地が増えてないッス。秀吉に抜かれて、何をしているのよーって松になじられているッス!」
「まあ、越前が一向宗に奪われている現状、2人の領地を増やせない状況ですからねえ。すいませんねえ。あなたたちの領地を増やしたい気持ちはやまほどあるのですが」
「ん…。信長さま。気にしないで?でも、越前を取り戻したら、たくさん、領地をちょうだい?」
「うッス。俺に秀吉に負けないくらいの領地を与えてほしいッス。越前の半分で良いッス!」
「はいはい。わかりました。でも、それは此度の戦で武田をふるぼっこにした後の話になりますね。この戦、あなたたちの鉄砲隊がどれだけ頑張れるかにかかっています。先生、おおいに期待していますからね?」
「うッス!楽しみに待っているッス!ところで、今日は5月17日ッスけど、まだ動かなくて良いんッスか?さすがに長篠城が落ちてしまうッスよ?」
「うーーーん。そろそろ梅雨があけるはずなんですけど、今日も降ったりやんだりの雨ですからね。そろそろ移動を開始すべきなのでが、うーーーん?」
「ん…。信長さまにしてはふんぎりがつかない感じ。行くなら行く、止まるなら止まる。そこははっきりさせないと」
「そうですね。次に晴れの日が来たら、一気に進軍させましょうか。皆さんに通達をお願いします。進軍の準備を整えておいてくださいと。ここ、岡崎城から半日ほどで北東の設楽原に向かうと。そこで武田家と対峙します!」
信長はようやく、出陣時期を決めるのであった。運命の日まであと数日。信長は期待と不安にさいなまれることになる。それから二日後の5月19日、待望の梅雨明けが訪れることなる。
「いやあ、朝から快晴だなあ。殿、これ、ついに梅雨があけたんじゃねえのかな?」
「のぶもりもり、そうですねえ。ついに来るべき時が来たという感じですね。さて、ここからは時間との勝負です。全軍に出陣だと伝えてください!目標は設楽原です!武田家と距離を取り、設楽原の西の山を背に陣を展開してください!」
「秀吉の土木部隊を先行させるぜ?馬防柵と簡単で良いからその馬防柵の前に堀を作っておくんだったよな?」
「そうです、そうです。秀吉くんに松尾山、茶臼山のふもと辺り、設楽原を南北に縦断するように配置してもらえるようお願いします。今日の夕方から二日後の朝にかけてまでに完成させるよう厳命してください」
「うわあ、秀吉んところは今日、明日と徹夜続きってかあ。俺も手伝ったほうがいいのかなあ?」
「はい。秀吉くんが北から作って行って、のぶもりもりは先行して設楽原に向かっている家康くんと一緒に南から作って行きましょうか。そうすれば、開戦までに2時間は寝れるかもですよ?」
「うわあ。俺、もう50歳近くなんだけど?さすがに合戦場で二日連続の徹夜は厳しいなあ?」
「文句を言っていても始まりませんよ?さあ、先生も手伝いますんで、行きますよ!」
「はいはい、わかりましたよ。さって、勝利の女神はどちらに微笑んでくれますかね?出来ることなら織田家に大勝利をもたらせてくれると嬉しいんだけどな!」