ー長篠の章14- 救援要請
「家康さま!長篠城への救援を急いでほしいのでごんす!このままでは落城は必死なのでごんす!」
「鳥居強衛門。落ち着くのでござる。今はまだ動けぬのでござる。だが、救援には必ず向かうのでござる。お前は、長篠城に戻り、皆にあと1週間ほど、持ちこたえてくれと伝えてくれなのでござる」
「ほ、本当でごんすか?嘘じゃないでごんすよね?本当にきついでごんすよ?おいどん、ここにくるまでに武田の兵に追いかけまくられたでごわすよ!?」
1575年5月14日の朝。長篠城から岡崎城へ救援要請に鳥居強衛門という男が長篠城の窮状を伝えに、やってきていたのであった。強衛門は動かぬ家康に対して、必死の形相で訴えかけるのであった。
「嘘だったら針3本飲んでもらうでごんすよ?おいどんたちは、家康さまだけが頼りなのでごんすよ?」
「なあに、そんなに心配するなでござる。ほれ、この城より西の方を視るでござる。砂塵が視えるはずでござるよ?」
家康に促され、強衛門は西の方を視る。すると、そこには尋常ではないほどの砂塵が舞っていたのであった。強衛門は想わず身震いする。
「あ、あれはもしかして、織田家の救援でごわすか?あの量の砂塵が起きるということは、2万、いや、3万もの大軍なのでごわすか!?」
「はははっ。そうでござるぞ?信長殿が3万もの兵を率いて、ここ岡崎に向かってきてくれているのでござる。だから、長篠城には必ず救援を遣わすのでござる」
「ありがたい話なのでごわす!おいどん、家康さまを信じていたのでごわす!さあ、早く、信長さまと共に家康さまも出陣してほしいのでごわす!」
強衛門が歓喜の表情で家康に言う。だが、家康は左右に首を振り
「すまないのでござる。長篠城へはあと1週間ほど、向かうことができないのでござる。だから、強衛門。お前は長篠城の皆を鼓舞してほしいのでござる。長篠城を落とされれば全ての計画がご破算となってしまうのでござる!」
「な、なんと。これほどの大軍を擁しているというのに、すぐに救援に来てくれないとはどういうことでごわすか!納得できないのでごわす!」
「聞け、強衛門。今はまだ梅雨があけていないのでござる。梅雨があけねば、徳川軍、並びに織田軍は武田家に勝てないのでござる」
「くっ。梅雨があければ、勝てるというのは本当なのでごわすか?長篠城を包囲する武田軍は1万。敵本陣周りにはさらに1万5千ほどの兵が居るのでごわすよ!?」
「ああ、必ず勝って見せるのでござる。だが、勝つためには、まず、長篠城が堕ちぬこと。そして、梅雨があけることなのでござる。わかってくれでござる!」
家康は強衛門の両肩を自分の手でガシッと掴む。さらには、家康はその両眼から涙を流しているのであった。
「すまないのでござる。本当なら今すぐにでも長篠城の救援に向かいたいのでござる。だが、それでは、武田家に大勝することができなくなってしまうのでござる!耐えてくれでござる!家康の頼みなのでござる!」
家康が大粒の涙を流して訴える。強衛門はその涙に胸を打たれることになる。
「わかったのでごわす。この強衛門。長篠城の皆を奮い立たせるのでごわす!決して、長篠城を武田の手には渡さないでごわす!」
「すまないでござる!長篠城で死んだモノたちの家族は俺がしっかりと保護するのでござる。路頭に迷わぬよう、一生、面倒を視るのでござる!」
「その言葉、反故にしないでほしいでごわすよ?さて、善は急げでごわす。おいどんは長篠城へと戻り、皆に家康さまが救援にやってくると伝えてくるのでごわす」
「頼むでござる!こんな、死ねと同義の命令しか出せぬ、この家康を恨んでくれても良いのでござる。だが、それでも、俺はその恨みすら飲み込んで、武田家に痛い眼を見せてやるのでござる!」
「はははっ。そんなに意気込みすぎていては失敗してしまうでごわすよ?家康さま。今生の別れとなるかもしれないでごわすが、おいどんの家族のことをお願いするのでごわす!ではっ!」
強衛門はそう言うと、後ろに向き直し、長篠城へと駆け出すのであった。家康はその背中に向かって、ただただ、頭を下げていたのであった。
「殿。つらいでございますな。あれほどの忠義あふれる男を死地に再び向かわせるのは」
「忠次。俺を慰めてくれでござる。俺はあのモノに死ねと命じたのでござる。俺の心が掻き毟られ、きしみの音をあげているのでござる」
「強くなってほしいのでございます、殿。ここで下手に動けぬことは、家中のモノなら誰でもわかっていることでございます。強衛門もわかったうえで、長篠城へと戻ったのでございます」
「くっ。忠次。勝つでござるぞ、この戦。あれほどの男の命を使うのでござる。勝って、徳川家の名を天下にとどろかせるのでござる!」
忠次は家康の肩に腕を回し
「はははっ。強衛門にも言われたでございますぞ?そんなに肩の力を入れすぎては失敗してしまうと。拙者らは織田家と言う龍と共に舞い上がる雲となれば良いのでございます。織田家と共に天下に昇りつめようなのでございますぞ」
「まったく、何を言っているのだぎゃ。それでは徳川家は織田家の金魚の糞なのだぎゃ。そこは双頭の龍の如くと言えば良いのだぎゃ」
忠次にそう文句をつけるのは榊原康政であった。
「そうなのだ。おいらたちは織田家の家臣ではないのだ。徳川家は徳川家として、誇りある戦いをすべきなのだ」
「はははっ。忠勝。そうは言っても、遠江のほとんどを失った今の徳川家では挽回は難しいのでございますぞ?いくら、勇猛で名を馳せる忠勝と言えども、どうするというのでございますかな?」
「そんなの決まっているのだ、忠次殿。この戦で、武田家が再起不能なレベルにまで叩けばいいのだ。そうすれば、遠江に回せる兵が武田家には無くなるのだ。ほら、簡単な話なのだ」
「おお。忠勝がまともな戦略を言い出しているのでござる。おい、忠次、榊原。お前らより、忠勝のほうが立派になったのではないか?でござる」
「ううむ。男子三日会わずはなんとやらでございますが、まさか、このような考えも出来るようになったとは」
「何を言っているのだ。家康さまとキャラ被りがいやだからと言って、語尾を変えた忠次殿がだらしないだけなのだ。ただのいやみったらしい優等生キャラになっただけなのだ。元に戻すのだ」
「はははっ。これは手痛い言い方でございますな。しかし、徳川家の筆頭家老となった今、殿とのキャラ被りは避けたいのでございますな。なあ、殿?」
「ううむ。忠次の語尾が変わると性格まで変わったように視えるのでござる。誰か、忠次の頭を棍棒か何かで殴ってくれでござる。正直、会話をしていて、鳥肌が立つのでござる」
「まあ、本人は気に入っているようだから、放っておくのが良いのだぎゃ。それよりも、梅雨明けまでこちらが動けぬとなると、長篠城は本当に武田の手に堕ちてしまうかもしれないのだぎゃ」
「あと、織田軍が岡崎に集まることをしれば、さらに長篠城への武田軍の攻撃は激しさを増すはずなのだ。家康さま。本当に長篠城の救援に向かわなくて良いなのだ?」
「動かぬのではないでござる。動けぬのでござる。信長殿の指示なのでござる。絶対に、長篠城を救援するなと。長篠城は釣り餌なのでござる!くっ。つらいのでござる。心が掻き毟られるのでござる!」
「殿。拙者も同じ想いなのでございます。しかし、ここで勝手に殿が動くのであれば、拙者、殿を斬るのでございます!」
酒井忠次がそう家康に宣言する。家康はぐぬぬと唸る。歯ぎしりをし、こぶしを握り締め、必死に救援に向かいたい気持ちを抑えるのであった。
それから数時間後、織田軍3万が岡崎に到着する。信長はさっそく家康と打ち合わせに入るのであった。
「家康くん。お久しぶりですね。贈った鉄砲でちゃんと早合の練習をしてくれましたか?」
「そこはもうばっちり、兵士たちに仕込んでいるのでござる。心配無用でござるぞ!」
家康の意気揚揚とした応えに信長がふむと息をつく。
「家康くん。何か無理をしていませんか?悩み事があるなら先生が相談に乗りますよ?」
「い、いや?何も悩んでないのでござるよ?信長殿の気のせいではないでござるか?」
「本当に本当ですか?実は今すぐにでも長篠城の救援に向かいたいと想っているんじゃないんですか?」
信長の指摘にぐぬっ!と言葉を詰まらせる家康である。
「まあ、家康くんのその気持ちはわかります。でも、前々から言ってますけど、それは絶対に先生は許しませんからね?もし、家康くんが長篠城の救援に向かうというのであれば、織田家と徳川家の同盟が切れると想っていてくださいね?」
「わ、わかっているのでござる。それほどの覚悟を信長殿がしていることくらいわかっているのでござる。だが、つらいのでござる。たった兵500で、1万もの大軍に囲まれ続けている長篠の皆を救えぬことがとてつもなくつらいのでござる!」
「先生だって、同じ気持ちですよ。でも、あの500人全てが殺されようと、先生たちは動いてはいけません。梅雨が完全にあけるその時まで、あの城の者たちは粘ってくれないと、そもそもとして、武田家と戦うことすら、先生たちはできないのですから」
「くううう。早く、梅雨よ、どこかに行ってくれなのでござる!地元の農民の話ではあと1週間ほどとの予想なのでござる。1週間は長すぎるのでござる。天よ、我らに味方してくれなのでござるううう!」




