ー長篠の章13- 長篠城の攻防
武田軍2万4千は信濃の高遠城から進軍を再開する。1575年5月初め、ついに武田軍は三河の長篠城へと到達する。武田勝頼は、この城を落とすべく、率いてきた兵の半分の1万2千で包囲を開始した。
内藤昌豊が、長篠城の包囲の総指揮を勝頼から任される。内藤は連日のように長篠城を攻めたてるのであった。
「ぐぬぬぬ。武田軍は疲れ知らずなのでおさる!?こちらが寡兵と想って、舐めているのでおさる!?」
そう叫ぶのは長篠城の城主である奥平貞昌であった。彼は武田信玄が死亡したのち、家康が長篠城をかすめ盗ったあと、この城の城主へと任命されたのであった。
彼の一族は三河では豪胆者の一族と知られており、あの熾烈を極めた野田城での闘いでも彼の親族が参加していたのである。家康は奥平貞昌が、決して武田家の内通に応じないと信じて、武田家の引きつけ役として抜擢されたのであった。
「ぐぬぬぬ。あの旗印は内藤昌豊でおさるな。あいつは気にくわないのでおさる。からめ手で我が城の者から離反者を出そうとしている、その手口。こちらとしてはすでに見破っているのでおさる!」
奥平貞昌は城内の兵を叱咤し続けた。武田家の怒涛の攻めに恐怖する兵をなだめたり、夜に逃亡を図ろうとする者には優しく声をかけて、一緒に最後まで戦ってくれと平伏までしたのであった。
そして、闘いでは自らが鉄砲を持ち、迫りくる武田家に銃弾を浴びせるのである。
「ふううう。家康さまと信長さまには感謝をしてもしきれないのでおさる。たった500の城兵に200以上の鉄砲と、3か月分以上の弾と火薬。そして、兵糧は一等米ときたものでおさる!ここまで手厚く支援されておいて、おめおめと降るわけにはいかないのでおさる!全軍、鉄砲、構えでおさる!武田家の1兵たりとも、城内に入れるなでおさる!」
奥平貞昌の手腕により、1万以上もの敵兵に囲まれようが、長篠城の士気は一向に下がることを知らなかったのである。
それに歯がみするのは、武田家の内藤昌豊であった。
「なんであんな兵500ほどしかいない城を落とせないでごじゃるか!武田家は本当に城攻めが下手くそでごじゃる!」
「し、しかし、お言葉ながら、あの鉄砲の量は尋常ではないのでございます。たかが兵500に配備される数ではないのございます!」
「うるさいのでごじゃる!鉄砲など、信玄さまが開発された竹束で防げばいいのでごじゃる!そんなことくらい、言わなくてもわかるはずでごじゃる!」
竹束。それは竹を数十個束ねたもので、直径1.5メートルはあろうかという、まさに竹の束であった。信玄は織田家との戦いを考慮して、鉄砲の銃弾を防ぐべく、これを編み出したのだ。
確かに、竹束は銃弾をはじくにはうってつけのモノではある。だが、それは防御においてだ。今は武田側が城攻めを行っているのである。本陣を守ること以外に役に立つはずもないのだ。
しかし、総指揮官である内藤に意見することも出来ない兵士たちは、せめてものの抗いとばかりに、竹束を抱えながら、じりじりと城壁に接近してい行くのであった。
カキン!チュイン!チュイン!カキン!
竹束により、銃弾のいくつかは弾くことが出来たのではあるが、奥平貞昌は、竹束を粉砕するべく、織田家から貸与されていた弾の大きさが10匁の大筒鉄砲を使い始めるのであった。
大筒鉄砲の威力はすさまじい。弾の大きさと重さゆえに飛距離こそでないものの、漆喰作りの城壁を4,5発で破壊できるほどの威力を誇ったのである。
それゆえ、大筒鉄砲は竹束を1撃で粉砕することになる。身を守ることができなくなった武田の兵は、次々と通常の鉄砲により狙撃されることとなる。
「くううう!なんなのでごじゃる!信玄さまが編み出した竹束を1撃で粉砕する兵器を長篠城の奴らは持っているのかでごじゃるか!ふざけるなでごじゃる!」
内藤は地団駄踏んで悔しがる。しかし、内藤以上に腹を立てていたものが居た。それは武田勝頼である。1週間もすれば長篠城を落とせると踏んでいただけに、城壁に取りつくことすらままならぬ内藤の体たらくに手にもつ軍配をへし折らんとばかりにぎりぎりと捻じ曲げるのである。
「おい!一体、いつになったら長篠城を落とせるんだぜ!ここに到着してから早10日なんだぜ!内藤は馬鹿か何かなのかだぜ!?」
「落ち着くので候。城攻めと言うものは予期せぬ形で長引くもので候。高天神城でも同じくらいに頑強に抵抗されたので候。三河の武士たちは頑強ゆえに、予定通りいかないもので候」
そう言って主君を諫めるのは山県昌景である。
「ふんっ。わかったんだぜ。だが、あと1週間以内に長篠城を落とせと内藤に伝えておくんだぜ。もしそれができなかった場合は、総指揮官の役目から外すと伝えておくんだぜ!」
「わかったので候。内藤に伝えてくるので候。勝頼さま、少し席を外すで候が、近習に当たり散らさぬようにお願いするので候」
「わかった、わかったんだぜ。頭を冷やしておくんだぜ。さっさと内藤に俺の命令を伝えてくるんだぜ」
勝頼はしっしっと追い払うように山県を本陣の陣幕から追い出すのである。山県は陣幕を出て、しばらく歩いたあと、ふうううと深いため息をつく。
「おう。山県殿。難儀しているようでござるな。拙者は勝頼さまから嫌われているために、陣幕にも入れぬが、癇癪でいらぬ叱責を喰らわぬだけマシだったかもでござる」
そう言いながら、山県の下に歩いてやってくるのは馬場信春であった。彼は主君に諫言をし続けたために、勝頼から本陣の陣幕内に入ることを禁じられたのであった。
「ああ。馬場殿。息災で候か?我も諫言を殿にしまくって、そなたのように陣幕から追い出される身になっておけば良かったので候」
「何を言っているのでござる。今、勝頼さまを支えられるのは、山県、お前しかいないのでござる。内藤はあのざま。拙者は勝頼さまから嫌われておるのでござる」
馬場の言いに山県がふうううと深いため息をつく。
「我は、つい、勝頼さまに信玄さまの影を視てしまうので候。それゆえ、強く言えないだけで候。買いかぶりはよしてほしいので候」
「それもそうでござるな。拙者は逆に勝頼さまを頼りなく視てしまうのでござる。それゆえ、つい、信玄さまならこうしたああしたと言ってしまうのでござる。殿が一番、わかっているはずなのでござる。信玄さまとは全く違う人間であるということを」
「なあ、馬場殿。これから武田家はどうなっていくと想うので候?」
「さあ、わからないでござる。だが、お前が以前、言っていた通り、この戦で徳川家を潰さなければならないのは事実でござる。拙者は反対してはいるが、それしか武田家の未来が無いことはわかっているのでござる」
馬場がそう言ったと同時に曇り空から大粒の雨が降り出してくる。
「ちっ。梅雨時の戦はいやでござるな。身体がずぶぬれになってしまうでござるよ。何歳になろうと、雨だけはたまったもんじゃないでござる」
「はははっ。雪よりはましで候。それに蒸し暑いのを和らげてくれるのであるから、そう邪険にするなで候。ああ、身体が洗われる気分なので候」
「ふんっ。気楽なやつでござる。信玄さまが亡くなってから、少し丸くなったのではござらぬか?山県殿は」
「そうかもしれないで候。歌のひとつでも唄いたくなる気分で候。雨あがり、武田進軍、そら進めで候」
「俳句の才能をかけらも感じぬでござるよ。山県殿は戦に明け暮れる荒武者として売り出したほうが良いでござるぞ?」
「うるさいので候。荒武者は馬場殿だけで充分で候。我は策謀で鳴らす智将として売り出しているので候」
「ははっ。赤備えを率いながら、なにが智将派でござるか。武田家の恐怖の代名詞を貫けでござる。家康が長篠城の救援に来た際には、三方ヶ原の二の舞を見せてやればいいのでござる」
「そう言えば、家康は救援にこないで候な。まともに兵を集められぬほど疲弊しているとの噂は本当だったので候か?」
「それは拙者も不思議に想っていたのでござる。長篠城を攻めたててから1週間が過ぎたのでござるぞ?長篠城から自分の主君へ救援要請はしているはずでござる。なのに、何故、未だに家康は救援をしようとするそぶりすら見せぬのでござる?」
「長篠城の救援は諦めて、岡崎で決戦を行うつもりなので候か?いや、しかし、支城を救援せぬとなれば、三河の豪族たちが、家康に対してそっぽを向くはずで候」
「ふむ。岡崎のほうへの透波衆を増やしておいたほうが良いのでござるな。夜の闇に紛れて、実は接近中とかでは、しゃれにならないでござる」
「万全に期したほうが良さそうで候。内藤にも奇襲に気をつけろと言っておくので候」
「ふむっ。山県殿、頼んだでござる。我輩はここより西、設楽原のほうを警戒しておくのでござる」
「何かあればすぐに本陣に一報をお願いするで候。家康め、いったい、何を考えているので候か?だが、奇策を弄しようが、必ず、この山県が食い破ってくれようなので候!」