ー浄土の章 1- 松永久秀、降伏する
ここは奈良の信貴山城の天守閣。ここであるひとりの男の野望が潰えることとなる。
「ううむ。ここまででござるか。わしゃは時世を読み間違えていたのでござる。降伏勧告を受け入れるゆえ、城の者たちには手出し無用と伝えてほしいのでござる」
織田方の使者がその男に対して、頭を下げて、天守閣より退出していく。
「ふううう。九十九髭茄子ひとつで首級の皮がつながると想えば、安くついたと想うべきでござるかなあ?しかし、誰が予想できたでござる?信玄が起こした軍が一度退いている間に、三好三人衆、朝倉義景、そして浅井長政までを信長が殺すなどと」
ため息をつきながら、ひとり愚痴をこぼすこの男は、松永久秀であった。彼は将軍・足利義昭の提案に乗り、武田家と連絡を取り合い、そして、ついには信玄を動かすと言う大功を成し遂げた。
だが、その信玄は4月に入ると、農繁期のためなのか、全軍を本国の甲斐に戻してしまった。そこから始まった、織田信長の大反撃により、第2次信長包囲網は崩壊したのである。
そして、松永久秀にもついに信長の魔の手が差し伸べられようとしたその時、信長配下の蒲生氏郷より、降伏勧告の使者が送られてきたのである。
松永久秀の命は、九十九髭茄子ひとつで救われることとなったのであった。
「わしゃの命は九十九髭茄子と同程度とでも言いたいのでござるか?信長殿、いや、信長さまは。しかし、事ここに至り、九十九髭茄子ひとつで命が繋がるのでござる。これは僥倖ととられえるべきでござるなあ?」
松永久秀はそう呟き、禿げ上がった頭を右手で撫で上げる。
「さて、白装束でも準備しておくでござる。信長さまと謁見した時には、魔王のような形相で、わしゃを睨んでくるはずでござる。白装束姿なら、わしゃの覚悟のほどを知らしめることもできるのでござる」
久秀は精一杯の抵抗だと想った。散々に砕かれた誇りであったが、それでもなお、抗おうとそう決めたのであった。
久秀が織田方の降伏を受け入れた報を聞きつけた信長は、将軍・義昭に対して、最後の通達を出していた。
「二条の城を燃やすのは忍びないとはどういう言い草なのでおじゃる!信長は、まろの命よりも、丹精込めて造り上げた、この城のほうがよっぽど大事だとでも言いたいのでおじゃるか!」
義昭は荒れていた。あと3日以内に二条の城を放棄し、信長の降伏を聞きいれないようであれば、京の都の全てを焼くと信長が言ってきたからである。
義昭は二条の城の天守の壁に散々に蹴りを入れていた。
「この城は、まろのために造られた城なのでおじゃる!それを今更、返せとは片腹痛いのでおじゃる!いっそ、まろがこの城に火をつけてやろうなのかでおじゃる!」
「そんなことをしたら、どこにも行く場所がなくなるのでございます!それだけはやめてほしいのでございます!」
「うるさいのでおじゃる!たかだか、まろの小姓が、まろに意見をするなど、100年早いのでおじゃる。貴様の首級をはねてやるのでおじゃる!」
「な、なにとぞ、ご容赦を!げふっ!」
義昭は小姓に意見されたことを立腹し、鞘から刀をスラリと抜き出し、逃げ惑う小姓の背中にその凶刃を振り下ろすのであった。
「ふうふうふう。まろに意見したいものが居るのなら、名乗り出るのでおじゃる!その命、惜しくないものがいるのであれば、まろがことごとくを切り伏せるのでおじゃる!」
義昭の右手に握られた童子切安綱は血で濡れていた。全てを切り伏せんとばかりに紅く鈍い光を発していたのであった。
「ふうむ。義昭くんは強情ですねえ?さて、そろそろ、今世紀最大の火祭りを行いましょうか?のぶもりもり、勝家くん、秀吉くん、光秀くん。住民の避難勧告はしっかりしておいてくれました?」
「うーーーん。なんか、どうせ、火なんかつけられないだろうってタカをくくっている連中がいるんだけど、そいつら、どうするよ?」
「燃やしちゃっていいですよ?あっ、でも、獅子屋の主人ではないですよね?あそこの主人に死なれては、おいしい羊かんが食べれなくなりますので」
「がははっ。そこはちゃんと、我輩が無理やり避難させておいたのでもうす。頑固者ゆえに、少々、気絶してもらったでもうすがな?」
「ふひっ。獅子屋の羊かんは、京の都の財産と言っても良いのでございます。あと、意外でございますが、寺社の法主たちは、それほどには抵抗してこなかったでございます。やはり、再建費用を織田家が全額出すと言ったのが功を奏したのかもなのでございます」
「燃えては困る仏像と経典の搬出は、織田家でも手伝っています、からね。仏像と経典さえあれば、あとはボロボロの寺社だけ、ですし。燃やして新築してもらったほうが、寺社側にとっては嬉しいんじゃない、でしょうか?」
「うーーーん。あんまりおもしろい結果にはなりそうじゃないですねえ?もうちょっと、派手に反抗してほしかったんですけど?光秀くん、秀吉くん?ちょっと、優しく対応しすぎたんじゃないですか?」
「ふひっ。そもそも、比叡山の大花火大会が、僧どもを震え上がらせたのでございます。焼くモノは焼くと、信長さまなら京の都ですら、灰塵に帰すと想われているのが大きいのでございます」
「そう、ですね。やっぱり、あの件が京の都の僧たちだけでなく、民たちにも大きなショックを与えている、ようです。やって良かった、比叡山の大花火大会と言うところ、ですね?」
「まあ、要らぬ手間をかけさせられないだけ、マシじゃね?で、決行は3日後だよな?下京を全部燃やして、上京は絶対に延焼させたら、ダメなんだよな?」
「はい、のぶもりもり、そうですよ?上京には帝の居わす御所があります。あそこに延焼させたら、あなたたち全員、切腹させますからね?」
「ちょっ、ちょっと待ってほしいのでもうす!風の向きや強さによっては、延焼してしまうのかもしれないのでもうす!そこまで、面倒見切れないのでもうす!」
「勝家くん。何を言っているのですか?先生たちは火祭りの職人なんですよ?どれだけ焼いて、どこでその延焼を防ぐのかをきっちりと計算しなければなりません。先生たちは、自然の火すら自由に操る術を、京の都の民たちに見せつけなければならないのです!」
「ふひっ。勝家さま。貞勝さまが、京都火祭り地図を作ってくれているのでございます。こことここの区画の家や屋敷をぶっこわしておくのでございます。そうすれば、上京まで延焼することはないのでございます」
「おおお。これは助かるのでもうす。いやあ、さすがは京都所司代の貞勝殿でもうす。ほうほう。ここの通りの屋敷を破壊すればいいのでもうすか?しかし、この通りには名のある商人の屋敷があったでもうすよな?」
「勝家さま、その商人の屋敷はご安心、ください。すでに、あの世に逝ってもらっています、から。好きなだけ、破壊してもらってかまい、ませんよ?」
秀吉がケロリとした顔付きで言うのである。
「むむう?秀吉、何か雰囲気が変わっていないでもうすか?以前はそんなことを言うような男ではなかったのでは?でもうす」
「いえ?冗談です。さすがに信長さまの裁可もいただかずに切り伏せては、いま、せんよ?縄で縛って、牢屋にぶちこんでいる、だけです」
「ほっ。なんだ、冗談でもうすか。まったく、心配させるなでもうす。秀吉は唯一無二の織田家のツッコミ役でもうす。ボケられると本気なのかと心配してしまうでもうす」
「す、すいま、せん。たまにはボケてみるのもいいかな?と想い、ました。やはり、私はボケるのが下手、ですね」
「ふひっ。ひとにはひとの役割があるのでございます。秀吉殿はいつまでもツッコミ役をするべきなのでございます。そうでなければ、織田家が混沌の渦へと堕ちていくのでございます」
勝家と光秀が秀吉のボケること自体に対して、ダメだしをしだすのであった。秀吉って将来ハゲそうだよなあと信盛は彼を視ながらそう想うが、光秀が実際にハゲあがりつつあったので、口をつぐむ。
「さて、燃やすモノは燃やすと決めました。あとは三日後、風の向きと強さ次第で、朝9時ごろには秋の京都火祭り大会を行います。まあ、逃げ遅れたひとは申し訳ありませんが、将軍・義昭を恨んで死んでもらいましょう」
「殿。逃げた住民の誘導は、利家と佐々に任せておけば良かったんだっけ?」
「はい。のぶもりもり。その通りですよ?彼ら2人には、京の西と東で炊き出しもやってもらいます。まあ、まだ10月なので、毛布1枚と暖かい粥でも喰わせておけば、凍え死ぬひともいないでしょう」
「うーーーん。民に厳しいのか優しいのか、判断がつかないなあ?まあ、これも頑なに降伏を拒む、義昭が悪いってことで、民の恨みを一身に背負ってもらいますかあ」
「本当。面白い風土ですよね。ひのもとの国は。なんで、火をつけた奴よりも、統治者のほうが恨まれるんでしょうね?まあ、先生、そのおかげで、北近江でも同じことをして、長政くんを追い詰めていったわけなんですがね?」
「まあ。なんでかわからんけど、元寇の時も侵攻してきた元よりも、結局は時の権力者の北条なんたらってのが恨まれたもんなあ?恨む先が思いっきり違ってね?ってツッコミいれたくなるけどな」
「まあ、あの時は、その戦後処理も含めて、失敗したみたいですからねえ?民はともかくとして、さすがに軍事力の要である武士たちまでも怒らせちゃダメでしょうと」
「俺たちは同じ過ちを繰り返さないように気をつけないとな。さて、三日後は晴れ渡ってくれることを願いますか!」




