ー崩壊の章14- 小谷城・落城
「以上が信長さまからの伝言です。長政さまには熟考のほどをお願いいたします。では拙者はこれにて!」
小谷城への織田家からの使者がそう言うと、小谷城から退出していく。
「ふんっ。今更、自分たちに降伏勧告をするなど甘いのでござる。信長は。我ら、最後の1兵となろうとも、織田家に下げる頭など、持ち合わせてないのでござる!」
海北綱親がそう吼えるのであった。だが、長政は眼を閉じ、その右眼からうっすらと涙を流す。それにギョッとしたのは海赤雨3将であった。
「ど、どうしたのじゃ。殿。まさか、降伏勧告を受けるのかじゃ?」
「赤尾、そうではないのだぞ。これは、雑兵の手にかかる前に、腹を切れと言う、義兄・信長の最後の情けなのだぞ。この長政の反逆の罪を許すと言うことなのだぞ」
切腹。それは、自分の主張が正しいと言うことを通すための自害である。死してなお、自分の名誉は保たれる。処刑はしないから、自ら腹を切れとの信長からの優しき提案であったのだ。
「どうして、義兄・信長は事ここに至ってまで甘いのだぞ。俺の首級など、雑兵にくれてやればいいものをだぞ。だが、その甘さこそ、義兄・信長の誇れる点なのだぞ」
長政はそう言うと、兜の緒を緩め、兜をはぎとる。そして、鎧を脱がせろと側付きの者たちに命令を下す。側付きの者たちは、はっ!と応え、長政が鎧を脱ぐ手伝いをする。
「海北綱親、赤尾清綱、そして、雨森弥兵衛よ。よくぞ、今まで、俺に仕えてきてくれたのだぞ。感謝するのだぞ。地獄の閻魔大王の前で一緒に裁可を受けようなのだぞ!」
長政がそう言うと、海赤雨3将は、うううっと泣きだす。
「殿。今生のお別れなのでござる。殿が腹を召されるまで、邪魔が入らぬように織田家の兵を止めて見せるのでござる!」
海北綱親がそう力強く言う。
「織田家に渡すものなど何もないのじゃ!城の兵糧、武具、屋敷に全て火をつけるのじゃ!浅井の物を何一つ、渡すことはできないのじゃ!」
赤尾清綱が涙を流しながら力強く言う。
「屋敷を全部焼いてしまったら、長政さまはどこで腹を召されるのでおさる。殿。三の丸にて腹を召されるが良いのでおさる。亡骸に辱しめを受けぬよう、自分が織田家の雑兵を斬って斬って、斬りまくって見せるのでおさる!」
雨森弥兵衛が赤尾に注意しながらも、主君に対して、最後の忠義を示す。
「弥兵衛。頼んだのだぞ。俺があの世に旅立つまで、護衛のほどを任せたのだぞ!」
長政はそう言うと、雨森弥兵衛と共に三の丸に向かっていくのであった。海北綱親と赤尾清綱は、2人に深々と礼をし、それを今生の別れの挨拶としたのであった。
長政が三の丸に到着すると、ある意外な男が居たのであった。
「待っていたでござる。1人で、地獄に向かうのは寂しいと想い、我も共に逝くのでござる」
「父上!どうしたのだぞ!父上は、逃げていなかったのか?だぞ!」
「ふっ。今更、我だけ逃げてどうするのでござる。まったく、我を無理やり隠居させておきながら、浅井家をどこへ向かわせるものかと想っていたでござるが、まさか、この世から消し去るとは想っていなかったのでござる」
「す、すまないのだぞ。良かれと想っていたことが裏目裏目へと向かってしまったのだぞ。義兄・信長がこれほどまでに強いとは想っていなかったのだぞ」
長政は申し訳なさそうに、自分の父である浅井久政に言うのである。久政は、ふっと息をつき
「お前が望んだことなのでござる。後悔は決してしてはいけないのでござる。それゆえ、腹を切るのござるよな?さあ、父もお前の正しさを証明するのでござる」
久政は静かに長政にそう告げる。長政は、うううっと泣きだしてしまうのである。
「父上、すまないのだぞ。浅井家は今日、ここに滅びるのだぞ。だが、俺の息子である万福丸がいつかきっと、浅井家を再興してくれるのだぞ」
「何を言っているのでござる。孫には戦乱無き世で、ゆっくりと好きな女とでも、たくさん子供を作ってもらい、しがらみに縛られることなく、生きてもらうことこそが至上なのでござる。今更、浅井家の再興なぞ、期待してやるなでござる」
久政は長政をそうたしなめるのであった。
「では、長話はここまででござる。雨森弥兵衛よ。介錯をお願いするでござる。長政よ。我が先に三途の川で船頭を捕まえておくのでござる」
久政はそう言うと、正座をし、その状態からひざを開く。そして、懐剣を両手で持ち、自分の腹に向ける。そして、3つ、深呼吸したのち、ふんっ!と力を込めて息を吐きだし、自分の腹に懐剣を深々と突き刺し、一気に右へと懐剣を動かし、腹をかっさばく。
雨森弥兵衛は、御免!と言い、両手で握っていた刀を久政の首に叩きつける。幾度かの叩きつけのあと、久政の首級は畳の上にごろりと転がるのであった。
「雨森弥兵衛よ。父を送ってくれて感謝をするのだぞ。次は俺の番なのだぞ」
長政はそう言うと、正座をし、その状態からひざを開く。そして、懐剣を両手で強く握る。
「浅井長政は最後まで義兄・信長に逆らい続けたのだぞ!天下をこの手中に収めたかったのだぞ!市よ。俺のことを忘れないでほしいのだぞ!万福丸よ。良い女を見つけて、幸せに過ごすのだぞ!長政、これにて、今生に別れを告げるのだぞ!」
長政は自分の腹に懐剣を深々と突き立てる。そして、一気に右へとそれを移動させ、自らの腹をかっさばく。雨森弥兵衛は殿、さらばです!と叫び、泣き、そして、両手で握った刀を長政の首へと振り降ろす。
「ああ。ひのもとの国の民たちが笑っている姿が俺には見えるのだぞ」
それが浅井長政の最後の言葉であった。浅井長政。享年28歳。北近江にて、自分の【志】を貫き通した男である。彼はただただ、自分に正直に生きたのである。義兄・信長への叛意には、将軍・足利義昭の思惑が絡んでいたが、彼にはそんなことは関係なかったのである。それはただのきっかけにすぎない。浅井長政は確かに、自分の意思の下、天下を欲したのであった。
それから、小谷城は長政配下の将の手により、城の各地で火を着けられた。織田家に渡すモノは一切無いとばかりにその業火にて消していく。
海赤雨3将は残りわずかの兵を率いて最後まで織田家に抵抗をした。彼らは矢に射られ、その身を刀や槍で切り刻まれようが、決して、抵抗の意思を捨てはしなかった。
「はあはあはあ。長政さまは無事に三途の川を渡り終えてくれたのでござるかな?そろそろ、拙者の眼が見えなくなってきたのでござる」
海北綱親は、手に持つ刀を杖代わりにして、必死に立ち上がろうとする。
「殿のことだから、渡っている途中で、やり残したことがあったのだぞ!と三途の川を泳いで戻ってきているかも知れないのじゃ。まったく、最期まで世話を焼かされるのじゃ」
減らず口を叩くのは赤尾清綱である。彼は盛大に血反吐をガハッと吐き、その場に倒れこむのであった。
小谷城・三の丸側では、秀吉・光秀の果敢な攻めにより、ついに雨森弥兵衛は抑えきれずに城壁を織田方に取りつかれ、必死にその者らを槍でめった打ちにして、追い返そうとしていた。
「ぐっ。まさか、この急峻な山肌を登ってくるとは想わなかったでおさる!しかし、殿の亡骸に辱しめを与えることは許さぬでおさる!さあさあさあ!雨森弥兵衛、最後の奉公でおさる!織田方の兵、一兵たりとも、三の丸に入れるなでおさる!」
弥兵衛は残り300にまで減っていた自分の兵たちに号令をかける。兵たちは次々に矢を城壁をよじ登ってこようとする織田方の兵に射かけるのである。だが、数の優位は秀吉・光秀の方にあった。織田方の圧に耐えきれず、城壁を次々に乗り越えられてしまう。
「ええい!皆の者、槍を構えろでおさる!命を使いきり、殿の亡骸をお守りしろでおさる!」
弥兵衛もまた、軍配を捨て、鞘に手をかけ、刀をスラリと抜き出し、織田方の兵に突貫していくのであった。
「敵の抵抗はますます激しくなっていますねえ。これ、余計に闘志に火をつけただけの結果になっていませんか?河尻くん?」
「あははっ!これは誤算だったのだ。しかし、多分であるが、長政はすでに腹を切ったのであろう。その亡骸をぞんざいに扱われぬよう、必死に抵抗しているだけだろう」
「最後まで忠義に生きる将兵たちですねえ。すでに、決着はついているはずだというのに。仕方ありません。全軍に通達です!小谷城に残る将兵を全て、切り伏せなさい!それでも抵抗を続ける者は息の根を止めなさい!」
信長は小谷城攻めについて、最後の指令を下す。織田方の将兵たちは、うおおお!と雄たけびを上げて、小谷城の全てを焼き、破壊せんと、突貫を繰り返すのであった。
それから、1時間後、ついに堅城・小谷城はその抵抗を止める。小谷城側の兵、残り1000を切った時に、浅井方の兵は、戦う気力を失い、その手から弓や槍を投げ捨て、投降するのであった。
その後、信長の嫡男・信忠が1万の兵を率いて、焼け崩れていく小谷城の中を検分していく。三の丸には浅井長政・久政親子の首級と胴体を確認し、それを城外に運ばせる。
そして、海赤雨3将たちもまた、三の丸付近で亡骸を発見される。槍、刀、矢を全身に浴びたまま、全身から血を流して血だまりを作っていた。彼らは長政のお供をするために、あの世に旅立っていたのだった。




