ー崩壊の章11- 朝倉家の最期
「まあ、いいです。道三くんの血は帰蝶が引き継いでいますし、龍興くんが死んだところで、血が途絶えることもないですしねえ。さて、それより朝倉義景くんを優先しましょう」
信長はそう言うと、配下の将を引き連れてずかずかと賢松寺の中に入って行く。すでに寺の中は織田兵の手により掌握されていた。義景に付き従っていた側付きたちも半数は斬られ、残り半数は捕縛されていた。
その中心で、義景は動けぬよう、縄で縛りあげられていた。信長は義景と思わしき男を確認すると、ある者を呼んでくるよう、自分の側付きに命じる。側付きの者は、はっ!と返事をし、寺の外へ出て行き、そして、数分後には戻ってくる。
その側付きに連れられてやってきたのは朝倉景鏡であった。彼は信長の横に進み出ると
「この男で間違いござらぬ。朝倉家当主、朝倉義景でござる」
「ふむ。顔の確認、ありがとうございます。では景鏡くん。義景の首級をはねてください」
信長が淡々とそう、景鏡に告げる。景鏡は思わず、ぎょっとした顔つきになるが、何かを言うのでもなく、鞘からスラリと刀を抜きだす。
「死にたくないで候。死にたくないで候。死にたくないで候」
義景はうつろな眼つきで、口からよだれを垂らしながら、ぶつぶつと呟いていた。景鏡はいたたまれない気持ちになりながらも、地面に力なくへたり込んでいる義景の後ろに回り込み、刀の柄を両手で握りしめ、その刀をぐいっと構える。
「死にたくないで候。死にたくないで候。しにたぐふっ!」
景鏡は念仏を唱えるが如くブツブツと言葉を発し続ける義景の首級に、手に持っていた刀を叩きつける。そして、幾度か叩きつけた後、ごろりと義景の首級は胴体から離れることになる。
義景の死をその眼で確認した信長は
「さて、義景くんには散々苦労させられました、その首級だけは持って帰りましょうか。景鏡くん。義景くんを丁重に弔っておいてください。化けて出てきてもらっても困りますからね?」
信長はそこまで言うと、あとは興味がないとばかりにその場から立ち去ろうとする。しかし、ふと、何かを想い出したのか、首だけ、少し後ろのほうに回し
「あっ。言い忘れてました。景鏡くん、今回の朝倉家崩壊は、あなたのおかげです。よって、大野郡を与えます」
「お、大野郡でござるか?もしかして、そこだけなのでござるか?」
「ん?何か不服ですか?あそこは山中ですが、ゆるやかな高原地帯となっています。それに広さも充分ですし、余生をのんびり過ごすにはちょうど良いんじゃないですか?」
景鏡は、ただ呆然と信長の言葉を聞いていた。確かに土地としての広さは充分あるが、それでも、越前の中心部でもなく、商業も発展している場所でもない。言うなれば陸の孤島である。はっきり言って、うま味が少ないのである。
「も、もう少し、色をつけてくれても良いので」
そこまで言って、景鏡は言葉を止める。信長が身体をこちらのほうに向けてきたからだ。
「もう1度だけ言います。景鏡くんの功績を讃えて、大野郡を与えます」
信長のただただ、静かな、そして低音がよくよく効いた声でそう発する。景鏡は、これは不味いと想い、頭を深々と下げ
「の、信長さまのご厚意、まことにありがたく思うのでござる!誠心誠意をもって、大野郡を治めるのでござる!」
景鏡は、体中からとめどめなく冷や汗が吹き出してくる。や、やばいでござる。これ以上、何か言えば、自分の首級はそこに転がる、義景と同じことになるでござる!
景鏡はそう想い、身体をぶるぶると震え上がらせていた。
その姿を確認した信長は、くるりと身体を回し、景鏡に背中を向けて、何も言わずに賢松寺から去って行くのであった。景鏡は、助かったのでござると思いながら、その場にへなへなとひざから崩れ落ちるのであった。
信長が義景を始末した8月18日から約2週間が過ぎるころには、越前での朝倉家残党狩りも終わりを迎えつつあった。越前に残された朝倉家の支城、砦はほぼ全て灰塵と化し、残すは越前と加賀の境である大聖寺城を残すのみとなったのである。
信長は軍をまとめ、9月2日に、その大聖寺城を一気に攻め落とす。ここに、ついに信長は越前の全てを手に入れることになったのであった。
「ああああああ!長年の頭痛の種がやっと解消されましたよ。本当、手こずりましたね。本当なら、3年前に、越前を手に入れていたはずなだけに、大変でしたよ」
「お疲れ。殿。いやあ、しっかし、電撃戦なのは理解していたけど、1国がたった2週間で手に入るなんて思わなかったぜ」
信盛がそう信長に言う。信長は、満足そうにふむっと息をつき
「本当、例えるなら、3年間近く、便秘に悩まされていたって感じですねえ。その全てが全部すっきり出た感じですよ」
「例えが汚いなあ。もう少し、表現に優雅さを求めたいところだぜ。まあ、気持ちはわからないでもないけどさあ?」
「さて、次は小谷城ですね。とりあえず、越前は前波くんたちに任せておきますか。小谷城を攻め落としたあとに、領地をどう配分するか考えましょう。もう9月に入ったので、将軍・義昭のことも考えねばなりませんし」
「まだまだ、織田家の課題は山積みだなあ。で?やっぱり、ほとんど休憩なしで、一気に小谷城へ行くんだよな?」
「そりゃそうですよ。年が明ける前に全て片づける予定ですからね。ほらほら、嫌な顔をしてないで、軍をまとめてください?のぶもりもり。今度の正月でのんびり宴会を開くためにも、全部、終わらせますよ?」
信長の言いに、はあああと深いため息をつく、信盛である。
「はいはい、わかりましたよ。ったく、少しは休ませてほしいところだぜ。正月はたっぷり休ませてもらうからな?殿」
信盛はぶつくさ文句を言いながら、軍をまとめるために自分の配置へと戻って行く。信長はその背中を見送りながら、ひとり呟く。
「ふう。次は小谷城ですか。秀吉くんは長政くんとの交渉をうまく進めていますかね?いくら、佐々くんからの進言を承諾したと言っても、お市を救い出すのはなかなかに面倒ですねえ?」
「ん…。まだぶつくさ言ってる。信長さまはお市さまの命を奪ってはいけない」
佐々がいつのまにか、信長の側にやってきて、そう告げるのであった。信長はやれやれ参りましたねえ?と想いながら、あごさきを右手のひとさし指でぽりぽりとかくのである。
「なかなかの地獄耳ですねえ、佐々くんは。ところで、そんなことをわざわざ言うために、先生の所へやってきたわけではないでしょう?」
「ん…。丹羽殿が朝倉一門を全員、捕らえた。あとは信長さまの裁可を欲しいと伝えてきてほしいと言ってた」
「ああ。意外と早かったですね。もうすこし時間がかかると想っていたのですが、さすが、丹羽くんです。先生も一緒に処刑を視ましょう。佐々くんも来ます?」
「ん…。そうだね。信長さまが死体に鞭打たないように、手綱を握っていないとダメだし」
「ちょっと待ってくださいよ!先生、そんな趣味持ち合わせていませんよ?一応、首級は2週間ほど晒させてもらいますけど」
「ん…。なら安心。じゃあ、丹羽殿のところに行こう」
信長は佐々を伴い、丹羽の待つ、処刑場へと向かう。そして、この日、朝倉景鏡とその家族を残し、朝倉家の血に連なる者は全て、このひのもとの国から消えることになるのであった。
9月4日、織田軍は越前に統治用に1万の兵を残し、残り4万で灰塵と帰した一乗谷から小谷城へと進発する。浅井家は朝倉家が滅びたことにより、ついに孤立無援となるのであった。進退窮まった浅井長政であったが、それでも降伏の意思を示すことはない。
その長政と交渉を行っていた、秀吉はここで賭けに出る。お市さまだけでも救い出そうと、浅井家との使者のために自らが小谷城へとおもむくのである。
「織田家から使者がきているのでござる。長政さま、どうするのでござるか?今更、和睦をしたところで、長政さまへの罰は消えぬはずでござる」
そう海北綱親が長政に言う。長政は悩む。徹底抗戦を謳っている以上、ここで使者を招き入れれば、城内の士気はがた落ちするはずである。だが、それとは別に予感めいたものがあった。織田家からの使者は、自分への和議の使者ではなく、お市の身柄確保が目的なのでは?とそう想えるのであった。
「織田家からの使者を受け入れるのだぞ。申し出ているのは、義兄・信長が可愛がっている木下秀吉なのだぞ。きっと、降伏勧告の使者ではなく、別の意図があるのだぞ。失礼の無いよう、充分、気をつけるのだぞ」
長政はそう海北綱親に命じるのであった。長政の心の中は、お市に生きてほしいと言う願いで埋め尽くされていた。お市には恨まれるであろう。だが、それでも、お市とその子供たちに生きてほしいと想うばかりであったのだ。




