ー崩壊の章 8- 崩壊の兆し
朝倉義景は2万の大軍を率いて、小谷城にて籠城を行っている浅井長政の救援に向けて急いでいた。
「長政殿を救うので候!三好三人衆が討たれた今、長政殿を救えるのは、自分たち朝倉家しか居ないので候!」
義景は焦っていた。浅井家はここ3年間で織田家の手により支城を落とされ続け、ついには小谷城を残すのみとなっていた。頼みの綱であった武田信玄は未だ、遠江の地で徳川家康と闘っている。
三好三人衆は先月の織田家による掃討戦により、3将全て、討ち取られてしまった。大坂の地の3分の2を失った以上、一向宗たちによる反撃も効果が薄い。
小谷城が堕ちれば、いよいよもって、畿内で織田家に対抗できるものは本願寺顕如を置いて、他にはいなくなってしまう。
そうなれば、いくら、信玄が家康を破り、岐阜にまで達したとしても、織田家の勢いに抗うことは難しくなる。だからこそ、義景は焦っていた。家臣たちの反対も押しのけ、一路、小谷城へと急行していたのだった。
義景の浅井家救援に真っ向から反対を示した男が居た。その名は朝倉景鏡である。
「ぐぐぐ。もう、何をしても無駄なのが、何故、義景さまにはわからぬのでござるか。ここは、浅井家を捨ててでも、織田家と和議を結ぶべきなのでござる!」
景鏡もまた、義景と共に、浅井救援の軍の中に居た。義景から2万の内、半分の1万の兵を預けられていた。真柄兄弟を姉川の戦いで失ったことにより、朝倉家にも、軍団を指揮できるものが居なかったのが原因なのである。
何故、義景は真っ向から反対を示す景鏡に全体の半分も与えたのだろうか。それは、義景が景鏡が自分の親族だったために、裏切ることはないだろうと想っていたのである。
血は水より濃い。それを義景は信じていたのだった。だが、信じられていたからこそ、景鏡は心がきしむ想いであった。
「何故、親兄弟すら信じられぬ世の中で、義景は拙者にこれほどまでの兵を預けたのでござる!拙者はどうしたら良いのでござる!」
景鏡は歯ぎしりする。歯茎から血が流れんとばかりに、ギリギリと。そして、馬の手綱を握る手もまた、力が込められて、ぶるぶると震えだす。
「どうしたのだ?景鏡殿。何か悩みがあるなら、俺に言うが良いぜ?」
そう言いながら、馬に跨ったまま、景鏡に近づいていく男が居た。その男の名は、斉藤龍興である。
彼は元・美濃を治める大名であった。だが、信長により、美濃から追い出され、流浪し、朝倉家の食客として拾われた。だが、彼は姉川の戦い、宇佐山城の戦いで度重なる失態を犯し、軍の指揮権をはく奪されていた。
今はただの1兵士として、復権を果たそうと朝倉家で戦ってきた。そのおかげもあってか、50の兵士を率いる身分にまでは戻ることに成功する。そして、この長政救援の戦いでさらに功をあげ、朝倉家でその存在感を高めようとする野望が彼にはあったのだ。
「ふんっ。誰かと想えば、龍興殿でござるか。少しは馬が扱えるようになったように見えるでござる。せいぜい、落馬しないように注意しておくでござるよ」
景鏡は龍興に対して、想わず嫌味を言ってしまった。むうう。拙者としたことがいらついているとは言え、元・大名に対して不遜でござるな。と想う景鏡である。
だが、嫌味が通じないのか、龍興は気にした体もなく
「はははっ。景鏡殿のご指導のおかげか、今では落馬をしようにも、馬が俺を落としてくれぬ。いやあ、俺には馬を扱う才能にあふれているとは想わなんだわ」
なんだ、こいつ?前から想っていたが、馬鹿なのでござるか?と想う景鏡であったが、それは口にでないように注意する。
「しかし、2万の内、1万もの兵を預けられる、景鏡殿が羨ましいぜ。俺も今回の小谷救援で功をあげて、景鏡殿と肩を並べて、戦いたいものだ!」
「ま、まあ。龍興殿は才気にあふれているゆえ、行く行くはそうなるかもしれないでござるな?」
「おっ?景鏡殿がそう言ってくれるなら安心だ。さあ、うじうじ考えずに、まずは織田家の将の首級をひとつでも多く取ることだけを考えようぜ!」
龍興は底抜けの明るさで、そう景鏡に言う。景鏡は、この明るさにイラつきを覚えるのである。
「龍興殿は、この戦、勝てると想っているのでござるか?聞けば、織田軍は総勢6万だと。それを相手に、朝倉・浅井は勝てると想っているのでござるか?」
景鏡は、イライラしながら横に並ぶ龍興に聞く。
「うーん。まあ、勝つ、負けるは時の運だろ?でも、朝倉家が救援に間に合えば、少なくとも、負けることは無いはず。なら、まずは勝つことよりも負けぬことを優先して戦えばいいのでは?」
「負けぬことを優先するでござるか。確かに、いくら織田軍が6万を有していようが、どちらかが全滅するまで戦うわけではないでござるゆえ、膠着状態にはなるのでござる。しかし、何か、不測の事態が起きれば、一気に趨勢が決まるのでござる」
「そりゃあ、戦がどう転ぶかはやってみないとわからないからな?それを言うのであれば、織田軍の方で、不測の事態が起きれば、朝倉・浅井が勝つ。ならば、小谷に急行することには充分、意味がある!」
なんだ、こいつは?朝倉・浅井側で不測の事態が起きるとは考えられないのでござるか?こいつは、本当に馬鹿なのではないのでござるか?と想う景鏡である。これ以上、こいつとしゃべっていられるかとばかりに、景鏡は、馬の腹に蹴りを入れ、速度を上げる。
「精々、頑張りすぎて、功をあげるまえに命を落とさぬように気をつけておくのでござる。戦は功を焦れば、怪我だけでなく、最悪、自分の命を取られるのでござる。これは、拙者からの助言でござる」
「ああ、ありがとう!よっし、この戦で頑張れば、次は100人長だ!俺、頑張っちゃうからな!」
ちっ。あんな馬鹿をなぜ、義景は食客として迎えたのでござるか。さっさと追い出せばいいものをでござる。拙者が越前を治める大名なら、無能など家臣にしないのでござる!
そこまで考えて、景鏡は、はっと気づく。そうだ。義景に死んでもらえば良いのでござる!自分は前々から、信長から義景に対して謀反を起こす気はないかと誘われているのでござる!
景鏡は頭の中でものすごい早さで算段をつけていく。朝倉2万、そして小谷城に浅井が1万。そして、対峙するのは織田軍6万。いくら、2倍の兵力を有する織田軍であろうが、小谷城は堅牢な山城であり、それを朝倉軍が邪魔をしつづければ、例年通り、膠着状態で戦は終わる。
だが、自分は朝倉軍の半分の1万の兵を預かっている。その自分がもし、戦闘中に離脱を行えばどうなるか?結果は火を見るより明らかである。
「ふふっ。ぐふふっ。これは、ひょっとすると、ひょっとするのでござる。自分の行動ひとつで、朝倉軍は瓦解するのでござる。そうすれば、織田軍の圧勝は間違いなしでござる。この戦の功の大部分は拙者のものなのでござる!」
景鏡は暗い感情に支配されつつあった。
「信長の内通に呼応すれば、少なく見積もっても、越前の3分の1は、自分に支配を任せてくれるはずでござる。今、義景からもらっている領地の2倍に膨れ上がるのでござる。ぐふふっ、ぐふふっ!」
景鏡は、邪悪な笑みを浮かべる。
「そうだ。それが良い。どうせ、義景になんぞ、今や臣従している者など、ほとんどいないのでござる。今回の戦も越前の民のことを想えば、支出がかさむだけの無益な戦なのでござる。それを諫めてきたと言うのに、あいつは、無視をしてきたのでござる。大義は拙者にあるのでござる!」
景鏡は決心する。越前のため、織田のため、いや、自分の栄達のためだ。さあ、あとは絶好のタイミングをみはらかって、行動に移すのみでござる!
朝倉軍は景鏡と言う大きな爆弾を抱え込む。そして、そうとも知らずに義景はただただ、義を果たすために小谷城救援へと急行していく。ボタンを掛け違えたまま、突き進んでいくのである。
そして、8月8日、ついに朝倉軍2万は小谷城から西に5キロメートルの地点に到着する。
「ふううう。織田軍の小谷城攻めは、まだ開始していないようで候。良かったので候。これで、いつもどおりの膠着状態で候。浅井家はまだまだ滅びずに済んだので候」
義景は本陣から戦場全体の流れを見て、そう判断したのである。そして、ほっと胸をなでおろしたとき、織田軍側で赤い色の狼煙が義景からもはっきり見えるように立ち上っていく。
「嫌な色なので候。心がざわつくので候。織田軍は動くので候か?いや、しかし、無理に攻めることも出来ぬはずで候」
義景は天に昇って行く赤い煙を視ながら、そう想うのであった。