ー狂喜の章 4- 痴情のもつれ
「ああ!なで斬り。なんて甘美な言葉なんでしょうね?相手がくやしがる顔を見つめ、頭をなでなでしながら首級を掻っ切るのですから。いやあ。長政くんが離反してから2年、いや、もう3年になりますかね?やっと織田家に反撃の機会が訪れましたよ。長政くんは特に念入りになでなでしたいところです!」
「あのう、殿。なで斬りと、頭をなでなでするのは少し違う気がするんだけど?」
「えっ?そうなんですか?のぶもりもり。先生、そう言うこととばかり想っていたんですけど?」
「うっほん。なで斬りと言うのは、相手をなでるように斬ることなのじゃ。だから、殿の言っていることはそんなに間違っていないのじゃ。しかし、昨今では【丁寧に1人も残さずぶっ殺す】と言う使われ方もされるようになってきたのじゃ」
「うわっ、こわっ!なんですか?その【丁寧に1人も残さずぶっ殺す】って!先生、あくまでも長政くんの離反に対して、よく今まで頑張ってくれたものですね?褒美に頭をなでなでして斬り殺すって意味で使ってますからね!」
「うーん。どっちにしろ、ぶっ殺すんだから、言葉の意味的には、なで斬りでも丁寧斬りでも良い気がしてきたなあ?で?潰すのは浅井家だけなの?殿」
「朝倉義景くん、三好三人衆も、なで斬りしますよ?」
「ふひっ。では、奈良の松永久秀殿も、なで斬りでございますか。いやあ、癖の強い御人でございますが、いざ、死んでしまうと思うと少しさびしくなるのでございますね」
光秀がそう言い、うんうんと頷く。だが、信長は、あっ!と叫び
「失敗しました!久秀くんもそう言えば、離反していたんでしたっけ!すっかり忘れていましたよ。最近、利家くんが居ないなあと想ってたら、久秀くんのことを任せっきりでしたもんね。つい、うっかり、先生、利家くんを織田家から追い出してしまったのかなあ?って勘違いしてました」
「信長さま、ひどいッス!俺のことはもう愛していないんッスか!信長さまを殺して、俺も死ぬッス!」
信長の背後より利家の悲鳴にも似たような叫び声が聞こえるのである。身の危険を感じた信長が素早く光秀の背中に回り込む。光秀は何が起こったのかもわからず、ふっふひっ?と言ったのも束の間、利家が手にしていた懐剣が自分の腹に吸い込まれそうになるのを眼で追うことになる。
「き、筋肉113パーセント解放なのでございます!」
光秀はそう叫び、自分の腹筋力を解放する。その咄嗟の判断が光秀の命を救うことになる。懐剣の刃先は1センチメートル突き刺さったところで、光秀の腹筋力で止められることになる。利家は、懐剣の刃先に肉の感触を感じ、はっ!と我に返るのである。
「す、すまないッス!つい、カッとなってやってしまったッス。光秀、死んでないッスか?」
「ふっ、ふひっ。なんとか、腹筋力を解放したおかげで深手を負うことにはならなかったのでございます。しかしながら、今度は刺す相手を間違わないようにしてほしいのでございます」
光秀はそう言うと、優しく利家の手を握る。そして、ぐいっと力を込めて、腹に刺さった懐剣を抜こうとする。だが
「ふっ、ふひっ?懐剣が抜けないのでございます!これは、力を込めすぎたのでございます。肉が締まってしまって、抜けないのでございます」
「ああ、顔が悪いと中々抜けないって言うもんなあ」
「のぶもりもり。光秀くんが抜けなくて困っている時に、下ネタをかますのはやめておいた方がいいですよ?先生が手伝いますよ。元はと言えば、先生がいらぬことを言ってしまったのが原因ですからね」
信長はそう言うと、光秀の腹に突き刺さった懐剣の柄を握り、力を込める。だが
「あ、あれ?これ、全然、抜けないんですけど?光秀くん、力を抜いてください!こう締まっていては、抜こうにも抜けませんよ!」
「相手が初めてだと、挿したは良いでもうすが、締まりすぎて抜けなくなってしまうことがあるでもうすよな」
「勝家くん。光秀くんが抜けなくて困っている時に、下ネタをかますのはやめてください!って、本当にこれ、抜けないんですけど?うーん、うーん、うーーーん!」
「まあ、真面目な話、刃を捻って、傷口を開くと良いのでもうすが、それが敵の腹ならともかくとして、光秀の腹でもうすからなあ?どれ我輩も懐剣を抜くのを手伝うでもうす」
勝家がそう言うと、信長が懐剣の柄を握るその上から、自分の手を当てて、ふんぬおらーーー!と力を込める。だが
「あ、あれ?でもうす。我輩の力を持ってしても抜けないでもうすぞ?利家、お前、本気で殿を殺す気で突いたでもうすな?」
「痛い、痛いですよ、勝家くん!先生の手が勝家くんの力で握り潰されちゃいますよ!一旦、やめ。やめです。光秀くんの腹に刺さった懐剣は放置しましょう!」
と言うわけで、光秀の腹に刺さった懐剣は光秀の腹筋力が緩むまで放置されることに決まる。
「さて。色々とどたばたしちゃいましたけど、利家くん。信貴山の城の包囲を頼んでおきましたけど、一体、どういったことで、ほっぽらかして、ここ、京の都へ戻ってきたんですか?」
「そのことッスけど、佐々が岐阜の方へ行ったことで、六角義賢が南近江から奈良の方へでばってきたんッスよ。で、おいらだけじゃとてもじゃないけど、抑えきれないから、信長さまに相談しにきたっす!」
利家の言いに信長が、あああああと想い出したかのように口から声を漏らす。
「うっかりしてましたねえ。そう言えば、甲賀の地で無駄に頑張っている義賢くんの存在を忘れていました。彼、いい加減、あきらめるって言葉を知らないんですか?」
「奈良戦線が安定しているから、すっかり忘れていたのじゃ。織田家の反撃の拠点となる南近江で六角に暴れられては、いい加減、困ることになるのじゃ」
「貞勝くん。大量の薪を用意してください。もう、甲賀の地なんて灰塵に帰しましょう!ええ、それが良いですよ!」
「何かあるごとに火で焼こうとするのはダメな気がするんだけど、俺の気のせい?」
「何を言っているのですか、のぶもりもりは。火は大事です。人間が文明を手に入れたのは、この火と言うものを手に入れたからと言われています。火はすごいですよ?なんたって、この世の火は伊弉冉が産み出したと言うのに、その火が原因で死んでしまうくらいですからね?」
「うむ。炎迦具土を産んだ話なのじゃ。やはり火は扱い方が肝心なのじゃ。火を着けるのは誰でもできるのじゃ。でも、燃やししすぎないようにするのは達人の技が必要なのじゃ」
「さすが、貞勝くんですね。いつも、燃やしすぎないように薪の量を調整してくれていますから。先生、貞勝くんには感謝をしてもしきれませんよ」
信長が貞勝にぺこりと頭を下げている。対して、貞勝はえっへんと胸を張っている。信盛はなんだかなあと想いつつ
「六角のほうは俺と勝家殿に任せてくれよ、殿。貞勝殿、薪を大量に用意していてくれ。それで、俺たちがぱぱっと六角を降伏させてくるぜ」
「むむ?のぶもりもりもやっと、火攻めの妙を身につけようと言うのですか?いいでしょう。先生が直々に教えを授けます。のぶもりもりが立派な火計職人になれるよう、スパルタでみっちり教えこみます!」
信長が眼を輝かせ、がしっと信盛の両肩を掴む。しかし、信盛は困ったなあと言う顔つきで
「いやいや。大量の薪は脅しにだけ使わせてもらうだけだぜ?そもそもの問題は甲賀の民が六角義賢に手を貸すことなんだし。六角義賢に手を貸すのをやめないと火をつけるぞ!と脅してしまえば、それで済む話だと思うわけよ」
信盛の言いに信長がはあああと深いため息をつく。
「良いですか?のぶもりもり。国を治める者は非情にならねばならない時があります。民をいたずらに傷つけろと言っているのではありません。ですが、言うことを聞かない暴徒たちは、見せしめにちょこっと火だるまになってもらう必要があるのです。もし、のぶもりもりは甲賀の民が脅しに屈しなかった場合はどうするつもりですか?まさか、甲賀の民は言うことを聞かなかったから、逃げ帰ってきたぜ!とでも報告するつもりですか?」
信長の言いに、信盛はつい、うっと口から漏らしてしまう。
「ガハハッ!殿、そんなに信盛殿をいじめなくても良いではないかでもうす。信盛殿が優しいのは殿ゆずりなのでもうす」
「そんなことないでしょう?先生が優しいのは自分のところの領民だけですよ。ひのもとの国全ての民たちに優しく接することなんてできないですよ」
「ふひっ。信長さまはひのもとの国の全てを手に入れようとしているのでございます。すなわち、将来、この国の全ての民が信長さまの領民になるのです。いやあ、信長さまはお優しいのでございます」
光秀の皮肉たっぷりの言葉に信長は気まずそうな表情になり、右手で頭をぽりぽりとかく。
「しょうがないですねえ。では、こうしましょう。甲賀の民を焼くぞ!と脅してみるのは許可します。でも、あちらの返事を待つのは1週間までです。1週間を過ぎて返事がなければ、のぶもりもりと勝家くんは甲賀の村々を焼きなさい。さきほども言いましたが、義昭を京の都から追い出すには速さが必要です。義賢くん如きに時間をかけること、一切、許しません!」
信長は語気を強めて言うが、勝家はニヤニヤとした表情をつくり
「さすが、我が殿でもうす。では、信盛殿、我輩と一緒に甲賀の民たちを脅して脅して、脅しまくろうなのでもうす。なあに、ちょっと、反攻する者たちをひとりふたり、準備した薪を使った熱々の風呂に入れるだけでもうす」




