ー狂喜の章 1- 信長は幸福感に包まれる
「いやっほおおおおおおおお!おーーーけいいいいい!いえーーーい、いえーーーい、いえええええええい!」
「殿、何をこんな春先にふんどし一丁で庭に出て、小躍りをしているのじゃ。義昭の馬鹿が感染したのかなのじゃ。見ているこっちがうすら寒く感じるのじゃ」
「貞勝くん、そりゃあ、ハッピーハッピー大ハッピーなんですよ!このまま、ふんどし一丁で京の都を駆け回りたいくらいの幸福感に先生は包まれています!」
「だから、そういうことをするなと言っておるのじゃ。普段の行動からして狂っていると噂されているのじゃ。これ以上、醜態をさらしてもらっては困るのじゃ。大人しく服を着て、温かい汁でも吸ってくれなのじゃ」
貞勝は朝から馬鹿丸出し全開で庭で飛び跳ねている信長に対して、そう諫言を行う。だが、信長は知ったものかとばかりに、嬉しさのあまりに庭に飾ってある大石を持ち上げては投げ、灯篭にドロップキックをかましたりするのである。貞勝はだんだん頭痛がしてきたので
「誰か、殿を止めれる者はいないのかじゃ。あの殿を止めた者には報奨金を出すのじゃ」
だが、側付きの者たちは、あんな状態の殿を止めに入れば、確実にとばっちりを受けることはわかりきっている。そのため、だれも止めようとはしない。貞勝は、はあああと深いためいきをつき
「では、10貫(=100万円)を報奨金として出すのじゃ。これならばどうなのじゃ?」
貞勝の言いに側付きの者たちはごくりと喉を鳴らす。10貫あれば、例え、信長さまを止めに入って、誤って、神域に達する御業を喰らったとしても、治療費と足し引きすれば、充分、元は取れる。
「さ、貞勝さま?もう少し、報奨金をあげてくれると助かるのでございますが?」
「仕方ないのじゃ。ならば、20貫出すのじゃ。これなら文句はないはずじゃ。早く、殿を止めるのじゃ」
側付きの者は、ほころんだ顔つきになり、信長の腰めがけて抱きかかえるようにタックルをかまそうとする。貞勝は、その側付きの動きに、ほうと半ば感心するかのように嘆息する。
確かに、殿の神域に達する御業は、彼の手から出されるものである以上、姿勢を低くすれば被弾する可能性は低くなる。よくよく知恵の回る男なのじゃと貞勝は想うのであったが、まだまだ甘いとも想うのである。
側付きの者は素早く、信長に接近する。充分、腰を落として、信長の腰に両腕を回そうとしたその時、信長はにこやかな顔つきで、その側付きの者のあごを下からすくい上げるように自分の右ひざを入れるのである。
「いやあ、まだまだ甘いですね、佐久間盛政くん。考えは正しいのですが、ここは腰ではなく、足を取りにいくべきでした。そんな盛政くんには神域に達する御業バージョン2をお見舞いしましょう!」
信長はそう言うなり、ひざ蹴りを喰らって、上半身が起き上がってしまった盛政の顔面めがけて、張り手を喰らわせる。盛政は、ぐあああああでございますうううう!と叫びながら、庭から屋敷に向かって吹き飛ばされ、襖3枚を突き破り、姿が見えなくなってしまうのであった。
「ふう。良い汗をかきました。そろそろ肌寒くなったので、先生の着物を取ってくれますか?貞勝くん」
「殿は手加減をすると言うことを知らないのかじゃ。まったく、誰かと想えば、勝家殿の甥の盛政であったか。こんなことでは勝家殿の跡を継ぐのは難しいなのじゃ」
「まあまあ、そんなに厳しいことを言ってやらなくてもいいじゃないですか。彼はセンスはあります。だけど、経験が圧倒的に足りないだけなのですよ。もっともっと、強者たちと手合わせをさせなければならないだけですよ」
「殿が褒めると言うことは、将来、見込みがあると言うことかなのじゃ。では、盛政の訓練には強者を選りすぐっておくのじゃ。で?なんで、殿は、ふんどし一丁で庭で小躍りをしていたのじゃ?」
貞勝の言いに信長が竹筒から水をゴクコク飲みながら、うん?と言う顔つきになり
「あれ?貞勝くん。謙信くんから今朝届いた書状を見てはいないのですか?おかしいですねえ?貞勝くん、職務怠慢はいけませんよ?」
「読んだことは読んだのじゃ。でも、ぎぎぎぎぎぎ義義義としか書いてないのじゃ。今回の暗号文はさすがに解読不可能なのじゃ。決して、仕事に手を抜いているわけではないなのじゃ」
「あっれーーー?そんな書状、ありましたっけ?先生が読んだのは普通に愛愛愛あーーーい!と書かれていたものですよ?おっかしいなあ?」
殿と噛みあわない話に貞勝は不可思議な顔をするのである。
「殿は一体、どの書状の話をしているなのじゃ?わしが読んだのは、ぎぎぎぎぎぎ義義義なのじゃ。愛愛愛あーーーい!とは書かれていなかったのじゃ」
信長はうーーーん?と言う顔つきになり、ちょっと待ってくださいねと、屋敷の中へ入っていき、3分後、戻ってきて、自分が読んだと言う書状を貞勝に渡してくるのである。貞勝は、手渡された書状をバッと広げ、中身を精査することになる。
「確かに、愛愛愛あーーーい!と書かれているのじゃ。おかしいなのじゃ。わしの検閲を逃れた書状があったと言うことなのかじゃ」
「しっかりしてくださいよお。そんなことだから、義昭の発行する書状が全国に出回ることになるんですから。まあ、ほとんどのものはわざと見逃しているんですけどね?」
「わかっているのなら、ツッコミは不要なのじゃ。はて、問題はこの愛愛愛あーーーい!と書かれている書状なのじゃ。一体、どこからどうやって紛れこんできたのじゃ?」
「さあ?先生が今朝、起きた時に枕元に置いてありましたよ?てっきり、貞勝くんが中身を読んでから、そっと、置いてくれたものだと想っていたんですけどね?」
書状を受け取った本人である殿自身が知らないと言うので、ますます不可思議な顔つきになる貞勝である。一体、全体、誰が、何の目的でこの書状を届けたのか、謎は深まるばかりである。そこで貞勝は誰からの書状なのかをはっきりさせるために、名前が書いてないかをまずはチェックする。
「上杉謙信、直江兼続と2つ、名前が書かれているのじゃ。直江?兼続?誰なのじゃ?謙信殿と連判されている以上は、名が知れていて当然のはずなのじゃが、記憶に無い名前なのじゃ」
「うーん。察するに謙信くんの懐刀と言ったところではないのでしょうかね?この兼続くんって言うのは。主君がギギギなら、懐刀は愛愛愛あーーーい!ですか。なかなか面白そうな人物ですね。先生、ちょっと興味が出てきましたよ?」
「そういう人材についての鼻の利きようは、さすがなのじゃ。さて、謙信殿と同類であれば、この暗号文を読み解くのは簡単なのじゃ。なになになのじゃ?」
貞勝は書状に書かれた愛愛愛あーーーい!の文字を省いて、別の紙に清書していく。そして、その暗号文さながらの書状の中身が判明していくにつれて、貞勝の全身の毛穴から鈍い生温かな汗が噴き出るのである。
「こ、これは!この書状の中身が本当の話ならば、ひのもとの国の勢力図が大きく変わることになるのじゃ!これは裏は取れている情報なのかじゃ?信玄が死んだなどと、誠には信じられないのじゃ!」
貞勝が眼を剥き出し、食い入るように清書した紙を見つめている。信長はふっふっふっと笑い
「謙信くんからの情報なので全部が嘘と言う可能性は少ないです。ですが、彼は軒猿衆と言う、信玄くんのところの透波衆とも張り合うほどの実力がある忍者衆を抱えています。しかも、この書状の中身では信玄くんが死んだのは1週間前と言うことになります。有能すぎますよ、彼の軒猿衆は!ああ、うちにも欲しいですね。頼れる忍者衆!一益くんが率いる忍者衆だけでは心もとない気持ちですよ」
「ううむ。じゃが、忍者の本場と言われる伊賀とは波風起たぬようにとお互い、距離をあけているのじゃ。無理に協力を要請しようものなら、南近江にいらぬ敵を増やしてしまうのじゃ」
「それに問題がもうひとつありますね。六角義賢が逃げ込んだ甲賀の里です。あちらの忍者衆もなかなかにして強情ですから、先生に協力してくれませんし。仕方ありません。ここは家康くんところの服部半蔵くんと協力しましょうか。いくら同盟国と言えども、他国の情報を入手するのに忍者衆の力を借りるのはどうかと思うんですけどねえ?」
「うーむ。戦は敵の情報をどれだけ仕入れることができるかが、勝負の行く末を決めると言っても過言ではないのじゃ。一益殿に織田家の忍者衆を鍛えるように促しておくのじゃ」
「一益くんをいっそ、伊賀に派遣しましょうか?それで、鍛えあげてもらうんですよ。そうすれば、伊賀との交流も盛んになって、友好を誓いあうこともできますし、いいことづくめなんじゃないですか?」
「信長さま、それは無理だオニ。忍者衆は里ごとの結束が固いんだオニ。それに、わざわざ他国の忍者に自分ところの技術を教えることなんて、ほとんどないんだオニ」
2人の前にある男が現れる。その男の額にはこぶがひとつ盛り上がるように出来ている。信長はその男に声をかける。
「あれ?九鬼くんじゃないですか?わざわざ、京の都までやってきて、どういう風の吹き回しですか?」
「信長さまに大切な用件があるので、相談しにきたのでオニ。それとは別に、先ほども言ったように、伊勢の忍者衆と伊賀の忍者衆は非常に仲が悪いんだオニ。今でこそ、表面上は仲良く付き合っているでオニけど、服部殿がとりもってくれていることを忘れてはいけないのだオニ」
「ああ、半蔵くんはそう言えば、伊賀の出でしたっけ?でも、それなら半蔵くんを介せば、なんとかなりそうな気もするんですけど?」
「伊勢から南近江への通行に関して、決して邪魔はすることはないと言う協定がすでに結ばれているんだオニ。新たな協定を結ぶと言うのであれば、こちらが譲歩しなければならない案件が増えるんだオニ。信長さまは譲歩を知らない御仁なんだオニ。それなら関係が破たんすることは眼に見えているんだオニ」