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ー大乱の章 3- 秀吉の決心

「さあ、それは買い被りすぎかもしれませんよ?先生だって、怒りの炎にこの身を焼き尽くしたくなる時だって、あるのですからね」


「いいえ。信長さまは、そんな御人ではないことは、わかって、います。単なる虐殺ではないことをしようとしているに違いありま、せん!」


 秀吉は固い意思を瞳に映す。秀吉は信じていた。自分が信じる信長さまは、恨みを果たすためだけに根切りを命じるような主君ではないと言うことを。


 その秀吉の瞳を見て、信長はやれやれと嘆息する。


「秀吉くんには参りましたね。こう頑なに信じられると言うのは少々、背中がこそばゆくなってしまいます。良いでしょう。秀吉くんには、一向宗を根切りにする本当の理由を言っておきますかね」


 信長はそう言うと、右手でぽりぽりと頭をかく仕草をする。自分が怒りにとち狂って、皆殺しを命じたものだと信じてくれたほうが、君命を実行する者たちには、良心の呵責が起きないだろうにと信長は思う。


「いいですか?これは一向宗の宗主、本願寺顕如ほんがんじけんにょくんが、先生に濡れ衣を被せて起きたのが事の始まりです」


「はい。顕如けんにょが、信長さまが一向宗の信仰を捨てろと言っているから、信徒の者たちは死ぬまで抵抗せよとの話、でしたね」


「ですが、先生は、信仰を捨てろとは言っていません。ですから、顕如けんにょくんが言っていることは嘘だと宣伝しなければなりません」


 信長の言いに秀吉はこくりと頷く。信長は続けて言う。


「先生が一向宗の信徒たちに、あなたたちの宗主・顕如けんにょくんは嘘をついていると言ったとしましょう」


「はい。ですが、信長さまの言うことを一向宗どもは信じることはないと言うこと、ですね?」


「そうです。現人神あらびとかみである顕如けんにょくんが言っていることを、一向宗の信徒たちが嘘だと思うわけがありませんからね。だから、顕如けんにょくんが嘘を言っていると宣伝しても効果は薄いですね」


「となれば、他の方法として、根切りを行うという代替案になると、言うこと、ですか?」


「そうです。一向宗の信徒と言えども、普段の生活ではそのへんにいる民たちとは変わりありません。民というものは、自分の命を守ってくれる領主にこそ、信を置くものです。神が死ねと命じたから死ぬまで戦う。ですが、心の奥底では生き延びたいというのは人間として当たり前のことですよね?」


「はい。信仰のために死ぬのは、宗教を信じる者なら、少なからず存在、します。ですが、全員が全員、そうではないと言いたいの、ですね?信長さまは」


「秀吉くん。一向宗の信徒たちは、もし、自分の子供や奥さんが殺されるとしても、果たして、現人神あらびとかみである顕如けんにょくんの言葉に従うことができると思いますか?」


 信長の言いに、秀吉がごくりと唾を飲みこむ。


「そ、それは、此度の根切りは逆らう一向宗の兵だけでなく、その家族も斬れと言うことなの、ですか?」


「その通りです。一向宗の信徒たちに、問うのです。家族の命と、顕如けんにょくんの神の言葉。あなたはどちらを選びますか?と」


「秀吉殿。信長さまは根切りを命じられたのです。丹羽にわちゃんは、喜んで、信長さまのために一向宗の信徒どもを、家族仲良く、極楽への旅路に送ってあげるのです」


「それと、殺すならなるべくむごたらしく、殺してください」


「そ、そこまでやらねばならないの、ですか?信長さまは、今まで幾多の大名たちと戦ってきましたが、そこに住む土地の者には手出しをなるべくしないようにしてきたではありま、せんか!」


 秀吉はいきどおる。信長さまが言うとはとても思えないことを言われたからである。


「秀吉くんは、少し勘違いをしていますね。根切りを行うのは先生たちに牙をむいた一向宗の信徒だけが対象です。同じ一向宗の信徒だと言えども、先生たちに歯向かうつもりがない者たちまで責を負わすことはありません」


「秀吉殿。信長さまは、あくまでも、顕如けんにょの言い分に盲目的に従う者たちが処罰の対象なのです」


「で、では、他の民たちは、例え敵国の者といえども、今まで通り変わりなく、扱えば良いというわけですね?」


「それはそうですよ。あくまでも対象は、先生たちの愛する民に危害を加える者たちだけです。実際に長政くんの治める北近江の村を焼いたのは、彼の民が暴徒と化して、こちらの南近江を荒らしたからです。それと今回も変わりはありません」


 それと、と信長が付け加える。


「先生の予感ですが、長政くんが裏切ったときに北近江の民たちを扇動したのは、顕如けんにょくんの策略だったと、今なら思えます。あれは顕如けんにょくんに命じられた、一向宗の手の者が介入していたと読んでいます」


「それは本当なの、ですか?あの時期から顕如けんにょは、信長さまに反抗の意思を持っていたというの、ですか?」


「今回、北近江の一向宗の信徒たちが、南近江と美濃みのの通行を遮断するために動いているのです。あのときの暴徒も同じ者たちが手引きしていたと考えたほうが自然でしょう?」


 信長の言いにうむむと唸る秀吉である。顕如(けんにょ)は信長さまに恭順する振りをしていて、今まで虎視眈々と蜂起を狙っていたのかと。


「では、本願寺顕如(ほんがんじけんにょ)が矢賎5000を、織田家に供出したのは、こちらを油断させるためだったの、ですね?」


「おかしいと思っていたのですよ。普通ならそんな量の銭を要求されながら、嫌味のひとつも言わずに先生たちに従いましたからね。比叡山の僧ですら、一部で反抗が起きていたというのに、何もなかったんですから、本願寺の場合は」


「それなら、一向宗どもたちとの戦いは長引きそう、ですね。一向宗の信徒たちは北陸から、畿内、伊勢、そして三河にまで存在します、から。それらが全て敵となる可能性が高いです、ものね」


「本当に最後の1人まで戦いを止めない可能性だって考えられます。ですから、先生たちは一向宗たちの家族を含めて、根切りをおこなわなければならないのです」


 秀吉は信長が本当にやりたいことをおぼろげながら理解してくる。


「要は、お前たちの宗主は無駄に命を散らせるばかりで、何も守ってくれることはないと言うことを根切りによって、知らしめようとしているわけ、ですね。信長さまがやろうとしている、ことは」


「はい、ようやく理解できたようですね、秀吉くんの成長に、先生としては嬉しい限りです。顕如(けんにょ)くんの宗主として、そして領主としての無能さを一向宗たちに示すことこそが、この戦いを早期に収めることにつながるのです。民を守らぬ宗主に存在価値がないどころか、害悪だと言うことを知らしめてください」


「わかり、ました。この秀吉、心を鬼にして、反乱に加わる一向宗どもを殲滅して、きます。吉報をお待ちください!」


 秀吉はようやく意を決する。無辜の命を救うため、命を奪い尽くす。そんな覚悟が秀吉に生まれたのであった。


 秀吉は深々と礼をし、本陣を後にする。それから手勢3000を率い、宇佐山(うさやま)城から出発し、丹羽(にわ)と共に、南近江と岐阜の国境の安定に向け、一向宗たちとの戦いにおもむくのであった。




「なあ、殿(との)。秀吉に少々、きつく言ってたみたいだけど、どうなったの?」


 信盛(のぶもり)が、浅井・朝倉との戦いが膠着したことにより、信長に意見を求めようと、本陣にやってきたのであった。


「のぶもりもり、秀吉くんはまだまだ甘さが抜けきらないところがありますからね。まあ、そんなところも含めて、彼の魅力ではあるのですがね」


「まあ、誰だって、殺戮のために(いくさ)をしているわけじゃないんだ。理由のひとつくらい知りたくなるもんだろ」


 信盛(のぶもり)は顎に右手を当てながら言う。信長はふむと息をつきながら


「いつもなら、のぶもりもりがこういうことには、いの一番で、先生に物申してきそうですが、今回はおとなしいものですね?何か、変なものでも食べたのですか?」


「うーん?別に変なもんなんか食べてねえよ、失敬な。ただ、今回の顕如(けんにょ)の野郎には、腹が立っているだけだ。俺たちは一度だって、どの宗派に対しても、信仰を捨てろとは言ってこなかった。だけど、この1件で、あたかも、俺たちが言ったかの如く宣伝されているわけだ」


「そうですね。本願寺一向宗は畿内周辺を含めて、一番の信徒の数です。その者たちが顕如(けんにょ)くんの言いを信じ、それをあたかも真実かのように他の民たちに触れ回れば、先生たちは宗教の弾圧者の集団となるわけです」


「そうだ、そこだ。そこが今回の件で一番、むかついているところだ。やってもないことをまるで、やったかの如くに言われるのは、さすがに俺でも腹の虫が収まらねえ」


「先生たちは、民のために、いつでも情報開示については、事細かくやってきました。将軍家の傀儡(かいらい)化の宣伝が1例ですね。民が正しく判断できるよう、正しい情報を心がけてきたつもりです」


「だが、顕如(けんにょ)は信徒への信望を使って、嘘を真実だと吹聴しているんだ。為政者として、これほどまでに愚かな行為はないと言っても過言じゃないぜ」


「人間は、時には間違った情報を信じます。それが権威の高い者が言った場合は、自然と鵜呑みにしてしまうものなのです。顕如(けんにょ)くんは悪い意味で情報操作が巧みですね。神と等しき権威を持っているのです、一向宗の信徒に対して、彼は」


殿(との)だって、いや、殿との以外のその他の大名だって、他国と戦争をするために、神仏に請願を立てて大義名分にすることはある。あいつは民を苦しめる悪い奴だ、だから、戦わなければならないってな。だけど、それは少なからず、真実が混じっている部分もあるから、民や兵は大名に従うんだ。だけど、顕如けんにょの言っていることは、全部が全部、嘘っぱちだ」


「嘘を嘘だと見抜けない、その人たち自身にも悪い部分はあるでしょう。ですが、そもそも、織田家うちのように情報開示しているとこなんて、ありませんよ。そもそも、そんなことする義務なんて、大名たちにはないのですからね。顕如けんにょくんの場合だって、同じ穴のムジナなんですよ、結局」


「そりゃあそうだが、それで被害を被るのは、一向宗の信徒たちだ。普通のいくさじゃ、死ぬまで戦えなんて言うことはないわけだろ。どこの国だって、兵士のほとんどは自分とこの領民なんだ。領民が傷ついたり死ねば、自分とこの収穫力、いわば国力が下がっちまう。だから、いくさなんて、織田家うちみたいに天下を狙うような勢力でもない限りは、適当に済ませるんだからよ」

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