ー反逆の章15- 森可成(もりよしなり) 絶命
信長は焦っていた。摂津に釘づけにされ、未だ、宇佐山城への救援を出せていなかったからだ。三好三人衆のほうはどうにかなりそうなのだが、ところどころから現れる、一向宗たちに手をこまねいていたからである。
そして、手をこまねいている内に六角がまたもや南近江で動き出していた。滝川一益がそれに対応してくれているが、甲賀の得意とするゲリラ戦法により、後手後手に対応が遅れている模様である。
「あと3日。あと3日、可成くん、耐えてください。そうすれば、宇佐山城に援軍を差し向けることができます。それまでは、決して死なないようにお願いします」
信長は祈る気持ちである。宇佐山城は抑えとして、1000の兵しか置いてなかった。そもそも、三好三人衆の再蜂起を予測できていなかったからだ。
「失敗しました。まさかの本願寺の挙兵により、ここまで手こずることになるとは思いませんでした」
信長にしてはめずらしく、後悔の念に心がきしみそうになる。
信長にはわかっているのだ。到底、1000の兵で、浅井・朝倉の2万以上を抑えることなどできないことを。宇佐山城の戦いが始まってから、早5日が経過している。敵2万以上を相手に1000で5日間も抑えているのである。全員、玉砕覚悟で戦っていることが、見なくてもわかりきっている。
時間は一刻、また一刻過ぎていく。その間にも、宇佐山城の兵たちはひとり、またひとり死んでいくのであろう。可成くんと、信治くんは、まだ生きて戦っているのだろうか。先生のために命の全てを燃やしつくそうとしているのだろうか。
「可成くん。信治くん。生きていてください。きっと、先生たちがすぐに駆けつけますから!」
さらに、それから2日経つ。ついに信長たちは、摂津から三好三人衆を追い出すことに成功する。信長はすぐに配下の者たちに指令を飛ばす。
「秀吉くん、光秀くん。それに勝家くん。1万5千を率いて、宇佐山城に向かってください!可成くんを、信治くんを救ってください」
「ガハハッ!任せてくれでもうす。この勝家が、両者を救ってみせるでもうす」
「光秀殿、勝家さま。急ぎま、しょう!ここまで、可成殿や、信治殿が持ちこたえていること自体が、奇跡と言って、過言ではありま、せん。信長さま、行ってきます」
「ふひっ。こんなに鉄砲隊をお預かりして、いいのでございますか?まだまだ、一向宗の反乱は続くのでございます」
「良いッスよ、光秀。赤母衣衆の鉄砲隊300を持っていくッス。ここは、俺らでなんとかしておくから、可成殿と信治殿のことをよろしくお願いするッス」
「黒母衣衆の鉄砲隊300も連れていけい。秀吉、光秀。必ずや、可成殿たちを救ってこい」
「ん…。河尻さま、太っ腹。秀吉、光秀、勝家さま。頑張ってきてください」
併せて600もの鉄砲隊が、秀吉・光秀の傘下に入る。秀吉・光秀6000、勝家9000の軍が、ようやく摂津から京の都を抜けて宇佐山城へと進軍を開始するのであった。
「ごほっごほっ。ええい。腹に刺さった槍が臓腑を傷つけているでござる。拙者はここまででござるか」
「何を申しているのじゃ。立ってくだされなのじゃ。あと1日。あと1日耐えれば、信長さまが援軍を差し向けてくれるのじゃ」
可成と信治は坂本の峠から撤退し、近くの下坂本の町にて奮戦していた。しかし、矢つき、刀折れ、可成は足軽により、槍で腹を刺されていた。
可成は口から血を吐きながら、奮戦していた。彼の命の灯は、今まさに尽きようとしていたのである。
可成・信治が率いる兵は100人を切っていた。他の共に戦ったものたちは、すでに全員、こときれており、物言わぬ死体と化していた。
可成は倒れた味方の兵の槍を手に掴み、腹の痛みを堪えながら、必死に敵兵に挑みかかっていた。この頃には、浅井長政の兵も朝倉に加わり、可成と信治の首級を取るべく進軍を開始していたのである。
可成・信治100人は最後の力を振り絞っていた。対して、浅井・朝倉・比叡山の総兵力は3万5千に達しようとしていた。
「敵の将と見た!お覚悟なされ」
朝倉の将、山崎・何某が雑兵の中から踊りでる。ここまで奮戦した将なのだ。敵ながらにあっぱれである。
「雑兵に討たせるには惜しい男である。この朝倉義景の将、山崎がお相手いたす!」
山崎は刀を鞘から抜き、中段構えにして、可成と相対する。
「長可殿。無理をするでないのじゃ!ここは自分に任せるのじゃ」
信治が思わず、傷つく可成の前に躍り出る。山崎は信治の身を見ると、鎧のそこかしこが傷つき、満身創痍に見える。怪我人が1人増えたところで、自分の優位は変わらないと思う。だが、念には念だ。
「弓隊、構えろ。前に出てきた将を射れ!」
山崎は配下の兵に指示を飛ばし、弓を構えさせる。信治は、しまったと思う。だが、遅かった。四方から飛んでくる矢を見て、驚愕の表情を顔に作る。
信治は自然に身体が動いた。友である可成殿だけでも命を助けようと。山崎から背を向け、可成を守るように、彼の身体に覆いかぶさる。飛んできた矢が、信治の背中に突き刺さる。
「信治殿おおおおおお!どいてくだされ。信治殿が死ぬ必要はないでござる」
可成が叫ぶ。だが、信治は可成の盾になることを止めない。矢傷から盛大に血が噴き出る。そして、口からも大量の血を吐く信治である。だが、それでも身を盾にすることは止めない。
ようやく、矢の雨が止まる。それと同時に信治の命の灯も消えていく。
「ながよ、し、どの。ぶじでござ、たっか」
「信治殿。信治どのおおおおお!」
信治は自分の身体から力が抜けていくのを感じる。ああ、可成殿が俺の名を呼んでくれている。
「なが、よし、どの。あとはまかせた、のじゃ」
その言葉を最後に、信治は動かなくなる。可成は絶叫する。
「ああああああああああああああ!貴様、絶対に許さぬでござる」
可成は信治を抱え込み、立ち上がる。そして、背中に信治の身を回し、辺りに転がっていた縄で、自分の身体にくくりつける。
「貴様、名を名乗れでござる!織田家が武将、森可成がお相手するでござる」
森可成は眼をぎらつかせ、目の前の山崎に右手に持った槍を突き付ける。
「このご時世に一騎打ちを所望するというのか。バカバカしい。だが、面白い。つきあってやるわ!我が名は山崎吉家。お前の首級を頂戴する男だ。誉れに思って、逝くが良い」
山崎は右手に持つ刀を両手に持ち直す。可成は長槍を両手で構え、山崎と相対する。
可成は、ただ、一歩、一歩、歩を進めていく。両眼をぎらつかせたまま、山崎との距離を縮めていく。山崎はその可成の姿を見て、面喰う。
「貴様だけは、貴様だけは、地獄の道連れにしてくれるでござる!」
そもそも、可成は信治を背負っているのだ。機敏な動きができるわけではない。山崎は詰め寄ってくる長可に対して、左回りにじりじりと後退していく。距離を開けられても長可は、また一歩、ゆっくりだが山崎の後を追う。
相対を開始してから、3分後、可成は、がはっと血を口から吐く。それによって、むせかえり、一瞬、山崎から眼を離してしまった。山崎はここが好機とばかりに、一気に可成に挑みかかる。
山崎は、右腕を後ろに引き絞り、その右腕を突き出し、可成の顔面めがけて高速の突きを放つ。可成はかわせぬと見て、顔を左によじる。
取った!そう思った山崎である。だが、可成は右ほほから首を刀で貫通されても、ぎらつく眼は健在であった。山崎はぎょっとする。首を刺しぬかれているのだ。何故、この男はまだ生きているのか!
「貴様、不死身だと言うのか。ええい、死ね、死ね!」
山崎は突き刺さった刀を捻じるようにぐりぐりと動かす。広げられた傷口から大量に可成は出血する。だが、それに構わず、可成は刀で貫かれたまま、山崎との距離を詰めていく。
可成と山崎の距離は50センチメートルまで縮まっていた。山崎は右手で可成の顔を殴る、殴る、殴る。可成の顔面はそれにより、血だらけになって行く。だが、可成の眼は未だ、ギラギラと輝いている。
ついに、可成は山崎と肉薄する。そして、両手をがばっと広げ、山崎に抱き着く。そして、残った力で山崎をギリギリと絞っていく。
「離せ、離せ!ええい、周りの兵たちよ、何をしているのだ。こいつを槍でめった刺しにしろ」
指示を出された山崎の配下の者たちは、槍で可成の背中や横腹をめった刺しにしていく。だが、それでも可成は山崎を締め付ける力は緩めない。
山崎は信じられない力で、圧っせられていく。体中の骨という骨がきしんで音を上げていく。
「ぐあああああ、痛い、痛い、痛い!早く、この男を俺から引きはがせ」
山崎の配下の者たちは、可成に組みつく。だが、可成の身体はびくともしない。身体から大量の血を流し、首を穿たれた男になぜこれほどまでの力が発揮されるのか、皆目、検討がつかない。山崎の兵たちが困惑の色を顔に映している間にも、山崎の全身の骨がめきっぼきっと折れていく。
山崎は、うぎぎぎぎぎと声にならぬ声で、悲鳴を上げる。次第に、可成の渾身の力で締め上げられた山崎は肺を押しつぶされ、呼吸困難となり、口から泡を噴き出す。
「のぶなが、ざま。おづがえできで、ごうえい、でじだ」
首を刀で穿たれた可成は、喉からあふれる血と混じるかのような音を口から出す。そして、次の瞬間、正真正銘、最後の力を振り絞る。
山崎の身に着ける鎧のところどころに亀裂が入り、ぱらぱらと地面に落ちていく。ぼきっめきゃっと言う音もセットにだ。山崎は全身の骨を砕かれ、肺に骨が突き刺さり、口から大量に血を吐く。
可成は山崎を抱擁したまま、その命を使い果たすのであった。