ー反逆の章13- 宇佐山(うさやま)城の戦い
「しかし、父上。ここで敵に背を向けて、逃げろと言うのはどういうことでございます。我は敵から逃げた汚名を背負ったまま、生きろと言うのでございますか!」
長可は父・可成に喰ってかかる。だが、可成は首を左右に振り
「勝てぬ相手から逃げるのは恥ではござらぬ。今は逃げたとしても、最後に生きて、大地を自分の2本足で立つものことさが勝利者でござる」
「だが、父上は、その勝てぬ相手と戦いにいくのでございましょう?信長さまのために命を捨ててこそ、忠義と言うものでございます!」
長可は頑なに父・可成の逃げろと言う命に逆らう。可成はふうと嘆息し言う。
「お前の兄・可隆は血気に走って、功に焦り、死んでしまったのでござる。それが父としては後悔なのでござる。お前には軍を率いる才能がある。この父を超える軍才がある。そのお前をこんなところで死なせてはならぬと思うのでござる」
「父上。我は父上がいなければさびしいのでございます。後を継ぐというのなら、弟の蘭丸がいます。だから、我をお供させてほしいのでございます」
「ならぬ。お前には家名を継ぐ使命があるのでござる。父の最後の願いを聞いてくれでござる」
長可は悔しそうな表情をし、涙をぽたぽたと畳の上に落とす。
「父上。父上」
泣く長可を可成は優しく抱きしめる。そして、頭をぽんぽんと叩き
「長可よ。強くなれ。父が誉れ高く逝くことを許してくれ」
長可はこぼれる涙をそのままに言う
「わかりましたでございます。父上。我は森家を継ぎ、織田家の誇るべき家臣となるのでございます。どうか、父上、後のことは心配なく、戦ってきてくださいでございます」
「ありがとうでござる、長可。拙者は行ってくるでござる。信長さまの未来をここで潰させるわけにはいかないでござる」
可成は長可から身を離す。そして、蘭丸の方を向き
「蘭丸よ。兄・長可を支えてやるのでござるぞ。お前たち兄弟で、森家を繁栄させてくれでござる」
「わかりましたのです、父上!この蘭丸にお任せください」
若干9歳ながらの蘭丸であったが、姿勢を正し、まっすぐに父・長可の眼を見てくる。可成はうんうんと頷き、立ち上がる。
「では、行け!長可、蘭丸。拙者の最後の言葉を胸に立派に、この乱世を生き延びるのでござる」
ははっと長可と、蘭丸は頭を下げる。そして、立ち上がり、京の都に向かう準備をするのであった。30分後、準備を終えた2人は、京の都に向け、馬1頭に2人で乗り、駆け始める。
その後ろ姿を見送った可成は、思い残すことはないとばかりに、兵たちに出立を命令する。宇佐山城に居る兵は1000ばかしであった。浅井・朝倉3万に対して、決死の覚悟で挑んでいくのである。
「森殿。息子たちとの別れは済ませたようじゃな。あれはきっと、立派な武士となるであろう」
「おお、信治殿。あなたも逃げてくだされ。あなたの身にもしものことがあれば、信長さまが悲しんでしまうのでござる」
織田・信治。織田信長の弟にして、信秀の9男坊として産まれた男である。本来、信長の性格からして、信長の弟たちは安全である尾張や北伊勢の城に住んでいたのだが、この男は軍を率いる才能を持っていたため、森可成と同じく、ここ、宇佐山城に詰めていた。
かといって、特別な軍才があるわけでもなく、最前線のきわに立つことはなかったのだが、北近江の浅井長政の反乱により、何の因果か、最前線の1将となったのである。
「何を言うのじゃ。森殿が逃げないと言うのに、おめおめと自分が逃げては、兄に合わせる顔があるわけがないのじゃ。この命が兄・信長のために使える時が来ただけじゃ。それなら、命、散るその瞬間まで使いたおそうというだけなのじゃ」
「信治殿。お心遣い、ありがたきことでござる」
「何を言うのじゃ。我らは友ではないか。友が死地に出向くと言うのなら、一緒に向かうのは当たりまえなのじゃ」
「信治殿が一緒ならば、100人力でござる。矢尽き、刀折れ、命が尽きるその時まで、共に戦おうでござる」
森可成と信治は友であった。肩を組みあい、幾多の戦場を共に歩いてきた。戦場で勝利すれば、その日の夜は大いに飲み明かしたものだ。その友が、共に戦ってくれるのである。可成にとって、地獄への片道であるが、これほどまでに頼もしい男はいなかったのだった。
森可成と信治は宇佐山城に居る1000余りの兵、全てを率いて、出陣する。今、信長さまや織田家の主将たちは摂津で戦っている。出来る限りの時を稼ぎ、浅井・朝倉3万の兵をここの地で釘付けにしなければならない。
森可成たちはわかっていた。ここで全員、死なねばならぬことを。信長さまが築くであろう、平和な世界のために。ひのもとの国のすべての民のために。
「皆の者。お前たちの命を、森可成に預けてくれでござる!信長さまのため、この国のため、最後の血の一滴が地に吸われるその瞬間まで、戦ってくれでござる」
うおおおおお!と、宇佐山城の兵たちは鬨の声を上げる。誰一人として、逃げ出すものは居なかった。ただ、ただ真っ直ぐに浅井・朝倉の進軍を止めるため、歩を前へ進めるのであった。
可成・信治が率いる1000の軍は坂本の地にて陣を張る。ここの地は峠であり、少数で大軍を相手にするにはうってつけの場所であった。
「むう。厄介なところに陣を張ってくれたものだぞ。これでは一気に攻め入るわけには行かないのだぞ」
長政はどう攻めたものかと逡巡する。こんなところで足止めを喰らっていてはたまったものではない。だが、いたずらに兵を進めれば、例え1000ほどの相手と言えども、こちらも兵の負傷は免れない。そう長政が考えているところに朝倉義景が言う。
「長政殿。先陣はこちらに任せるで候。なあに相手はたかだか1000で候。5000ほどで攻めれば跡形もなく瓦解するで候」
義景の言いに、ううむと唸る長政である。長政には金ヶ崎での戦いで織田側の殿2000に浅井・朝倉の2万が手をこまねいたことを覚えている。信長の兵はすぐ逃げるとの評判だが、死地に至っては全く違う。存外に粘るのだ。金で雇われているだけの癖に、逃げ出さずに命を使い尽くそうとする。
「義景殿、ゆめゆめ、油断なさらぬことだぞ。金ヶ崎での失態、2度と繰り返してはいけないのだぞ」
「わかっているので候。こちらとしても5000とは言え、景鏡に率いてもらうで候。手心を加えることはないので候」
義景はそう言い、小姓に景鏡に兵を率いて、坂本に籠る織田軍を討ってこいと言付けする。小姓は、はっと短く返事をし、陣幕から飛び出し、景鏡の元へと走っていく。
義景から命を受けた景鏡は5000の兵を坂本に進発させる。景鏡としては、たかだか1000に何を5000もの兵を差し向ける必要があるのかと思っていた。
「義景叔父は心配性だ。たかだか1000を相手に5000もつぎ込むのであるからな。これでは総大将としての器が知れると言うものだ」
そうタカをくくる景鏡である。相手はこちらの5分の1の兵力である。例え、峠道であろうが、押し込めば勝てる。そう思う景鏡であった。
「敵がきたでござる。皆の者、弓を構えろ!決して、この峠を越えさせてはいけないでござる」
可成は、真正面から向かってくる景鏡の兵に向けて、矢を放つ。
「矢盾隊、前に。無駄に損害を出させるな。ゆるりと相手を押し込めろ!」
景鏡が前方から飛んでくる矢を矢盾隊を前に出させて防ぐことになる。しかし、思った以上に峠の道幅は狭く、上手く進軍ができない。これは存外に手こずるのではないかと景鏡が思っている矢先に、右側、斜面の上から落石が転がってくる。
信治が500を率いて、峠の斜面の上に先回りをし、そこから投石攻撃を景鏡の隊に喰らわせたのである。
「少数と侮って、まともに真正面から抜けてこようとは馬鹿の極みであるのじゃ、敵軍は。さあ、もっと石を落とせ。馬鹿に痛い目を見せてやるのじゃ!」
大小の石がごろごろと斜面を転がっていく。当たったからと言って、絶命しうるような大きさの石は無いにしても、景鏡から見れば、兵の負傷は免れぬと見て、歯がみする。
「斜面の上の敵を討て!足軽隊、斜面を駆けのぼり、投石を止めさせろ」
景鏡は5000の兵の内、2000を斜面の上から投石を続ける敵の阻害のために動かす。
「まんまとひっかかりおったのじゃ。石だけではなく、弓も射れ!」
斜面の上から、信治が率いる500の兵たちが、一斉に矢を放つ。斜面を登ろうとした景鏡の別動隊2000は、守る術もなく矢の雨にさらされる。
「くっ、前方から矢。右の斜面からも石と矢の雨。これは一度、退くしかない。撤退するぞ!」
景鏡は無理をする場面ではないとばかりに、5000の軍に撤退命令を出す。しかし、それを見逃す、可成、信治であった。
「敵は下がったのでござる。皆の者、槍に持ちかえるでござる。さあ、一気に相手を壊滅させるのでござる!」
「こちらもいくぞ。可成殿と呼応し、敵を挟撃にせよ!」
景鏡の隊は下手な撤退により、恐慌状態に陥ることになる。5000の兵が、たった1000の兵を相手に翻弄させられることになる。
この初戦の戦いにおいて、景鏡の5000の兵の内、1000が負傷させられることになる。幸い死者は数名とことなきを得たが、景鏡の顔に泥をつけられたのは間違いない。




