ー反逆の章12- 信長包囲網
「いや、待ってくださいよ。先生からは一言も、本願寺に信仰を捨てろなんて言ってませんよ。言いがかりにもほどがあります。先生、怒りませんから、誰ですか?こんな宗教戦争、よろしくなんて、本願寺に言ったひと?」
「俺じゃないぜ?大体、南近江の六角相手に、走り回ってたんだ。丹羽も、秀吉も、光秀もそんなことしてる暇すらなかったしよ」
「貞勝くんも、二条の城を包囲していて、そんな暇ありませんよね?じゃあ、これは本願寺側からの言いがかりと言うことでしょうか?」
「そうでもうすな。織田家側からは、一切、信仰を捨てろとは言っていないでもうす。そうなれば、考えられることは本願寺の宗主、顕如が我輩らを攻めるための大義名分として、でっちあげたとしか考えられないでもうす」
「言ってないことをさも言ったかのように宣伝して、大義名分を作り上げるのはよくあることですが、これはいささかひどすぎますね。これでは、一向宗の信徒たちは、死ぬまで退くことは許さないと、宗主が宣伝しているのと同じです。宗教の信徒と言う者は、宗派替えすら命をかけて抵抗すると言うのに、これはそれ以上のことですからね」
「だよな。大体、殿が今まで、寺社の武力は排除してきたけど、宗派替えや、信仰を捨てろとは一度たりとてやってきたことはないんだ。もちろん、信徒たちの徹底的反抗を嫌がってって面は、あるかもしれないが、そもそも、殿は宗教の自由は認めてるんだ。話せばわかるんじゃねえのか?」
「いや、無理ですね。本願寺顕如くんの言葉は、神の言葉と同意です。信徒が神の言葉を否定することはまずないでしょう。一向宗の信徒は喜んで、その命を顕如くんのために捧げるでしょうね」
「まじかよ。じゃあ、適当に痛めつけて退散させる方法が使えなくなるってわけか。しかも殺さない限り、こっちが殺されるって、どういう戦いだよ!」
信盛が激昂する。それも無理はない。通常の戦において、敵の命を奪うまで戦うなど、どうしようもない時以外は起きないのだ。それよりも捕まえて、捕虜とし、あとで金と交換と言うのが常識だ。
その常識が一切、通用しないのが一向宗なのだ。しかも、死ねと命じているのがその宗主なのである。こちらが嫌だと言っても相手が死ぬまで戦いを止めない。それがどんな悲劇を生むかわかっているのか、顕如の野郎は!
「で、どうすんだ?殿。あっちは死ぬまで戦うかもしれないが、俺たちはというより、俺たちの兵はそんなことをしたがらないだろう。殺すのが目的で戦をやっているわけじゃねえんだ」
信盛の言いに信長はあごを右手でさすり、考える。
「確かにのぶもりもりの言う通りですね。いいでしょう。とりあえず、追っ払うことを最優先に戦いましょう。一向宗の信徒といえども、元はただの民です。本願寺の信仰を捨てさせるつもりはないと宣伝しつつ、この戦いを乗り切りましょう。そうすれば、信徒たちも眼が覚める可能性だってあるかもしれませんからね」
しかし、この信長の考えは甘かった。この時の甘い態度が後々において、信長を後悔させる事件が起きるからである。
信長は、信盛、勝家に指令する。
「のぶもりもり、勝家くん。それぞれ1万を率いて、三好三人衆と一向宗を抑えてください。鉄砲も惜しまず導入をお願いします。まずは京の都に奴らを侵入させないようにしましょう」
「信長さま。赤母衣衆と黒母衣衆はどうするッスか?俺らも信盛さまたちに加勢したほうがいいんじゃないッスか?」
利家が信長にそう言う。
「そうですね。ですが、ここから南にも本願寺の寺があります。もしかしたら、そこからも一向宗たちが蜂起をするかもしれません。赤母衣衆と黒母衣衆はそこからの敵を警戒してください」
「ん…。わかった。河尻さまにそう伝えておきます」
佐々が上司の河尻隊に指令を伝えるために、陣幕から飛び出していく。黒母衣衆は一足先に、摂津の南のほうへ移動を開始するのであった。
その矢先であった。信長の予想どおり、摂津の南のほうで一向宗が蜂起したのである。
「ちっ、殿の予想通り、南からも敵が来たか。佐々よ、1軍を率いて、奴らを屠ってこい!」
河尻が佐々に命じる。佐々は黒母衣衆の騎馬隊と鉄砲隊を率いて、すぐに一向宗に対して構えるのであった。
「ん…。鉄砲隊、構え。撃て!」
黒母衣衆が率いる鉄砲隊300が一斉に鉄砲を放つ。まともに真正面から突っ込んでくる一向宗の信徒たちを次々と穿つ。だが、それでも信徒たちの勢いは止まらない。彼らには隊列も何もあったものではない。さらに手に持つのは槍だけではなく、鍬、鋤などである。
とてもではないが、一向宗たちは軍隊と言える代物ではない。だが、数が数だ。黒母衣衆3000に対して、一向宗の信徒は5000を越える。その信徒たちのイナゴの如き群れは鉄砲で穿たれようが、前進を止めようとしない。
「ん…。騎馬隊、前に出て。奴らの群れを瓦解しろ!」
300の騎馬隊が縦横無尽に一向宗の信徒たちの群れを引き裂いていく。しかし、馬の突進に突き飛ばされて、身体のどこかの骨が折れようが、それでも信徒たちは、立ち上がり、集まりだし、群れとなる。
佐々は堪らない思いだ。何を持って死ぬまで戦えるのか、この信徒たちは。命よりも信仰が大事なのかと、佐々は戦慄を覚えるのである。
遅れて、赤母衣衆3000を率いる利家が佐々たちに合流し、なんとか南からの一向宗の突撃はようやく止まることになる。
「佐々、河尻さま、お待たせしたッス。こちらの鉄砲隊300も使ってくれッス!ここは抜かせるわけにはいかないッスよ!」
三好三人衆と一向宗たちとの戦いは、早1週間を過ぎようとしていた。秀吉、光秀、丹羽までもが戦列に加わり、ようやく、押し返してきた矢先に、農繁期を終えた浅井・朝倉の連合軍が動き出す。
「いいたいみんぐで三好三人衆が蜂起してくれたのだぞ!これぞ、千載一遇の好機なのだぞ。義景殿、今度こそ、信長を討ち取るのだぞ」
「まさに僥倖で候。まさか、本願寺までもが、信長に反旗をひるがえすとは思っていなかったので候。これに乗じなくて、いつ信長を討つと言うので候」
長政と義景は、びわこの西を通り、京の都へ進発する。信長を討ち取れなくても京の都を手中に収めることは、信長を天下から引きずり降ろすには充分な効果がある。それに、信長は今、西の守りに全力を傾けているのだ。東から挟撃すれば、簡単に京の都を手にできる。
思わず、長政の口元は緩んでしまう。こんなにおいしい話があったものかと。姉川の戦いではあわや、浅井家が滅亡寸前まで追い詰められたのだ。だが、そうはならなかった。
南近江で六角義賢が暴れまわってくれたおかげで、浅井家は滅亡から救われた。さらに、三好三人衆が大坂にやってきた。きわめつけは、織田家に尻尾を振っていた本願寺のまさかの蜂起だ。これを幸運と言わずにどうしろというのであるか。
「くふっくふっ。一時は滅亡かと思っていたが、天は我を見放してはいなかったのだぞ!神は信長の天下を好ましく思っていない証拠なのだぞ。さあ、天上の神々は、浅井家に味方した。勝ちはもらったものなのだぞ」
長政は腹の中から込み上がる笑いを抑えようと思っても、抑えきれない。天下がもう目の前に転がっているのである。あとは拾うだけの簡単なことだ。織田家を京の都から追い出し、将軍・足利義昭を奉戴すれば、天下は長政の思い通りである。
あとはゆるりと義兄・信長を追い詰めればいい。三好三人衆、朝倉、六角、そして、本願寺までもが味方なのだ。どこにも義兄・信長の逃げる道などない。
「信長包囲網、完成なのだぞ!さあ、義兄上。覚悟をするのだぞ」
長政は逸る気持ちをそのままに、馬を駆けさせる。その後ろを海赤雨3将も続く。遠藤直経の敵討ちだとばかりに、彼ら3将の士気も高い。
浅井・朝倉連合3万はびわこの西岸の田中城を通過し、いよいよ、南近江の織田領へ侵入する。織田方の宇佐山城を越えれば、京の都へは敵は存在しない。浅井・朝倉連合は一直線に、比叡山のふもとに位置する宇佐山城に向けて、軍を進めるのであった。
しかし、その浅井・朝倉連合の動きを監視していた男が宇佐山城に居た。
その男の名は、森可成である。各地の戦線で信盛の副官として、従事していた彼であったが、上洛後は、ここ宇佐山城の城主に任命されていた。戦績としては華のある将ではないが、信長の旗揚げ時より従軍してきた男である。
長政が反旗をひるがえすまでは安全地帯であった宇佐山城であったが、今や、浅井を抑えるための最前線となっていた。
「ついに浅井・朝倉が動いたでござるか。長可、蘭丸をここに呼んでくれでござる」
森可成は、配下の者に命じ、息子である長可と蘭丸を呼び出す。
「なんでございますか、父上。火急の件と聞き、馳せ参じましたでございます」
「ついに、浅井・朝倉が動いたでござる。お前たちは、このことを信長さまに伝えにいくでござる」
浅井・朝倉の軍が近づいている。それを知った長可は驚きを隠せない。
「信長さまにそのことを伝えに行けとはどういことでございますか!父上は我を浅井・朝倉との戦いに連れていけぬというでございますか」
「聞け、長可。お前の兄、可隆は、半年ほど前の越前攻めで亡くなってしまったでござる。拙者が死ねば、お前が次の当主でござる」